第24話 西へ(四)

  アラナンドの寺院の一室で、ホルンベルは勧められた食事に手を付けながら、彼らがネビアの街を出てからここに至るまでの成り行きをアランにかいつまんで話して聞かせた。


 すべてを話し終え、それから子供達がこの先暮らしてゆける場所を見つけてやりたいと言う。その為の助力をアランに申し入れに来たのだ。


 アランは腕組みをしたまま話を黙って聞いていたが、一通り聞き終えてからどうにも腑に落ちぬといった表情をした。彼は何故バローネの連中がホルンベルの連れているという子供にそれほど執着するのかが分からないでいた。


 娼館の中やネビアの路地で二人が捕まったのであれば別であるが、一度その手を逃れた者を新たに人手を割いてまで探そうというのが解せいのだ。


 ホルンベルもその点は同じ意見で、街さえ出てしまえば事は収まるだろうと高を括っていた。だが実際には、ひそかにネビアを離れたはずが、この街の東門で塚の文様を示すと彼等の手の者と思しき男に誰何され、相手は人を探していると言ったのだ。


「バローネの館で何かまずいものでも見たか、聞いたか……あるいは持ち出したのか」そうアランが独り言のように呟くと、ホルンベルは彼の意見を否定した。

「子供達の話に気になるような点は何も無かった。館を逃れる時にテオがひと騒ぎ起こしたようだが、それとて大した事とも思えんしな……」ホルンベルも小首をかしげた。そして子供達が逃げ帰った朝の事を思い反し、ふとジベールの顔が浮かんだ。


 ジベールは彼がまだ随分若かった頃に墓所を追放となった男であった。ホルンベルは口にこそ出さなかったが、あるいはあの男の思惑が何かしら絡んでいるのかもしらんと考え、陰鬱な表情になった。


 もしそであれば、それは決して塚を追い出された腹いせなどという安易な理由ではないはずだ。彼の知るジベールと言う男はとても傲慢で利己的であったが、決して馬鹿な輩ではない。塚から追われた身の上で堂々と宵星のマルセンの前に姿を現したのなら、何かしら相応の見返りが彼にはあるはずだ。


「ふむ。顔を見られている上、事情がはきとせんならあまり力に成ってやれそうに無い。勿論しばらくここで預かる分には構わんが、事が露見した場合には助けてはやれぬが悪く思わんでくれ」アランが言った。

 ホルンベルはそうかと一言かえすと黙り込んだ。世捨て人同然の暮らしをしてきた彼の唯一の宛てはアランだけであった。


「断っておくが、バローネの連中に媚を売らねば成らん言われは無い。あやつら寄付の一つもよこさんからな」アランは吐き捨てるようにそう断言した。「だが、やはり商人共に睨まれるとこの街では何かと具合が宜しくないのも事実だ。我々を頼る者は他に大勢いるが、その者等に累が及ぶのは避けたい」アランが最後に申し訳無さそうに詫びると、ホルンベルはただ力なく微笑んだ。


 心配そうな顔でこれからどうする心算かと尋ねるアランに、ホルンベルは暫くどこかに身を潜ませて様子を見るとだけ答えた。勿論相手の出方を見極めたとして、そこから先どう処すべきか今の彼にあてなど無かった。


 アランは少し考えてから子供達をしばらく寺院の所有する施設で匿おうと言った。彼は街外れに貧者や難民達を受け入れる為の施設があると説明し、ホルンベルに明日そこへ子供達を連れてくるよう言った。


 アランは、万一バローネの手の者が乗り込んできた場合には先程説明したとおり彼等は手出し出来ないと念を押したうえで、大人しくしている限りそう見つかる事もあるまいと請け負った。

 なにせ彼等の施設には毎日、千を超す人々が食事や仮の宿りを求めてやってくるのである。木を隠すには森と言うように、仮に子供達を捜しに訪れる者があったとして、その者達の目から逃れるにはまさにうってつけの場所と言えた。


 そしてアラナンド周辺の農地はこれから麦の大々的な収穫期を迎えるのである。街は買い付けに訪れる商人や仕事を求める労働者の流入でしばらくは人口が倍近く膨らむだろう。その間にバローネの者達が子供達の事を諦めてくれるかもしれない。


 ホルンベルはしばらく考え込んだあと、下手に動くよりは良いだろうと当面の間だけでもアランに子供達を預ける事にした。


 それからこの先の段取りを決め、二人は部屋を出た。別れ際、アランはホルンベルを呼び止めると、今回の件とは別にホルンベルに見てもらいたい者がいると言い、明日街外れにある彼等の施設で待っていると告げた。




 翌朝、ホルンベルはアランの指示通り、街の北側にある〈失われし光〉の信者達が営む慈善施設を訪れた。旅装束に身をかためたテオとセラナも一緒である。

 アランと子供達は念のため少し距離を置きながら街の城門をくぐる。門を出ると北壁沿いの陽光のあまり当たらぬ場所に複数の掘っ立て小屋が寄せ集まるように建てられていた。


 小屋の周囲にはさらに無数の仮設天幕が設けられ、中では貧しい身形をした者達が身体を寄せて休んでいるのが目についた。ホルンベル達が天幕の並びを通り過ぎて行くと、周囲の人々は興味があるのか無いのか良く分からぬ眼差しを彼等に差し向けた。


 だがそれもつかの間のことで、小屋のある方で鐘が打ち鳴らされると、周囲の天幕から続々と人が這い出てきて、三人の事など最初から眼中に無かったかのよういに音のする方へ移動し始めた。


 ホルンベル達も馬を連れたままその流れについていった。人だかりの中央に見える小屋の前でこれから朝の炊き出しが始まるのだ。

 二つ用意された大きな炊事釜の傍では〈失われし光〉の信者達が配給の準備をしており、すでに粗末な椀を手にした者達が長蛇の列を作って静かに待っていた。


 ホルンベルは後から来る者達に場所を明け渡すと、行列のゆっくりと流れて行く様を暫く黙って眺めていた。すると行列の先頭辺りにいた〈失われし光〉の信徒達の中から一人の女が彼等のいる方へと駆けてくるのが見えた。


 昨晩ホルンベルに食事を運んでくれた娘であった。彼女はホルンベルの傍までくると、少しどもった調子で自らの名をミアと名乗り、あとは何も言わずに彼女の後について来るよう促した。


 ミアはホルンベル達を天幕の一つに案内するとそこで待つように伝えた。そしてどこか恥ずかしげな様子で短くはにかんで見せ、黙って立ち去ってしまった。


 ホルンベルが天幕の覆いの隙間から中を覗き込むと、そこにはアランがいた。他にボロをまとった女性が身体の具合でも悪そうに横たわっており、アランはその看病をしているようだ。


 ホルンベルがアランの背中越しに声を掛けた。アランは病人の脈を取りながら、少し待つよう彼に言った。アランは病人の脈を取り終えると傍にいた別の者と二言三言、言葉を交わし、そして天幕の外へ出てきた。


「待たせて済まない」アランはまず詫びると、ホルンベルの背後から少し遅れて近づいてくるテオとセラナを見た。

「この子達が?」そう尋ねるアランにホルンベルが無言で頷いた。


 テオとセラナが外套の頭巾を取り去ろうとしたので、アランはそれを制止し、事情はホルンベルから聞いていると子供達に告げた。


「君達の為に天幕を一つ空けておいた」アランは三人について来るよう言い、無秩序にならぶ天幕の間を縫うようにして歩き始めた。

 天幕の並びは街の北壁にそって東西に長く伸びており、西側の外れに十棟近くの天幕が他と少し離されて立てられている区画があった。


「あそこの一番大きなのが我々の仲間達が使っている天幕だ。ここは、まあ言うなれば隔離棟のような所で、特に手を掛けてやる必要のある者達を留め置いている」アランはそう言うと、三人を一番奥まったところにある小さな天幕に案内した。

 そこは区画の外側からは目立たぬ場所にあり、信徒達の控える天幕からも近かった。


「ここを好きに使うといい」アランは子供達を天幕の内へ案内し、なるべくこの区画から出歩かぬよう念をおした。それからホルンベルにも信徒達の大天幕で寝泊りする事を勧め、馬は街にある寺院の隣の宿舎で預かると言った。


 テオとセラナは馬の背から自分達の荷物を降ろして天幕の中へ運び込んだ。ホルンベルが万一の場合に備えて荷物は常にまとめておくよう言い付けると、天幕の中から勢いよく二つ返事が返された。ホルンベルとアランはその屈託無い返事に暫し目元を綻ばせたが、アランがふと思い出した様子でホルンベルを見た。


「昨日、会わせたい者がいるといっていたろう。覚えているか」アランはそう言うとホルンベルについて来るよう促した。ホルンベルは頷くと子供達に天幕で大人しく待っているように言い残した。


「実はすぐそこの天幕にいる」アランが言った。

「何日も前に行き倒れになっていた所を巡礼の者が見つけたんだが……」彼はそこまで話しかけて後は口を閉ざし、外壁の近くに立てられている天幕まで案内した。

「まずは見てくれ」アランが先に天幕の中へ入り、後からホルンベルがつづく。


 中に入ると地面に敷かれた厚手の布の上に年配の男が一人横たえられていた。男の身体の上には足元から胸の下辺りまでを覆うように毛布が掛けられ、微かに胸の辺りが上下しているのがわかる。どうやら眠っているようだ。


「これは……」ホルンベルが目の前に横たわる男を前に息を呑んだ。隣のアランも困惑した表情で目元を細めると、信じられぬと言った様子で首を小さくかしげた。

「私には彼が確かに生きているように見えるんだがね。だが、影人なのか?」アランが囁くような声でホルンベルに尋ねた。その言葉の意味は至極単純で、しかしホルンベルにとっては咄嗟に理解しがたい質問であった。


 目の前に横たえられている男の身体には影が纏わり付いて見えた。それは影の瘴気というよりは影の気配と言うべき微かなもので、勘の鈍い者であれば気付かない程度のものであったが、影祓いであるホルンベルの見立てでは間違いようのない影そのものであった。


 ホルンベルは男の傍へ静かに跪いた。男の顔は酷く皺深いもので、その頬や首周りに余分な肉は殆ど付いていなかった。男の皮膚の露わになった部分には日焼けの名残が強く残されており、浅黒く焼けた顔の至る所で皮膚がはげ落ち、赤らんだ肌が斑のように顔を覗かせていた。


 ホルンベルは男に掛けられていた毛布を半ばまで捲り上げると、その下で組まれていた腕の片方を手に取ってみた。


「脈はある。だが、酷く弱いな」ホルンベルは呟くように言い、男の腕を元あった場所へと戻した。彼にして、生きた者の身体に影が宿るなどと言う事があろうとは思いもよらぬ事であった。


 ホルンベルは背後に立つアランの顔を仰ぎ見た。アランは小さく首を横に振ると溜め息を漏らした。


「正直、どう扱えばいいか我々も手を焼いている。食事も殆ど受け付けぬし言葉も通じん。信徒の中には彼は生き死人だと言って気味悪がる者もいるがお前の目から見てどうだ?」アランも膝を折るとホルンベルの隣に並ぶ。

「よくは分らん。影に憑かれているのは確かだが、彼にも、そして我々にも差し迫った害は感じない」ホルンベルのその答えにアランは安堵の表情を垣間見せた。


 ホルンベルは男の身体に毛布を掛けなおすと、ふとその顔へ目をやった。すると先程まで眠っていたはずの男の瞼が今は微かに持ちあがり、ホルンベルの事をじっと見詰めているのだ。


 その瞳は深い緑色を帯び、やせ細った身体とは裏腹に見る者に強い意思の宿りを感じさせずにはおれない、そんな眼差しであった。


「……アァ…………」男が何か言葉を発しようとした。だがそれは酷く掠れていてアランにもホルンベルにもよく聞き取れなかった。


「……ウェズ…………ィ……ア……」男の次の言葉はそう聞き取れる程度にまで鮮明になっていた。だが、それが何処の言葉なのか、ホルンベルには最初分らなかった。二度三度と頭の中で繰り返す内に、彼はふとある言語に似ているのではないかと思い至った。


「……ウェズ……リィア……?」再び目の前の男が同じ言葉を口に出した。それは明らかに何かを尋ねているといった風であった。


「セ・リィラ・アラナンド」ホルンベルが答えた。彼の返答に横たえられた男は暫く黙り込んでいたが、再び掠れるような声でまた別の質問らしき言葉を吐き出した。

「アラナンド……エシェン・ウーデン?」男の二度目の問い掛けにホルンベルは少しの間考え込んでから静かに首を横へ振って見せた。


 アランはそんな二人のやり取りをただ呆けたように黙って見ていたが、ふと我に立ち返ると、ホルンベルに男の話す言葉が分るのかと尋ねた。ホルンベルは影祓い達の使う特殊な呪い言葉(まじないことば)の一つに似ていると答えた。


「大昔に北方で使われていた古い言葉の一つで、おそらく彼はその土地に所縁のある者だろう」ホルンベルはさらりと言ってのけた。身を横たえた男の方はホルンベルとそれ以上言葉を交わそうとはせず、ただ静かに見詰め返していた。


「テュイエ、アナ、ムーア?」ホルンベルがゆっくりとした口調で何事かを尋ねた。

「……ヨナス」男はそう答えるとあとは眠りたいとでも言うふうに静かに瞼を閉ざした。

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