(下)
「ところで、その、裂石流っていうのは、どういう武術なの?」
先程の説明だけではいまいち理解ができなかった私は、そんな質問を繰り出した。
「ひとことで言うと、流れを読む技術だ」
「流れ?」
「ああ。物事には必ず流れがあるんだ。物の成り立ちにも流れがあるし、物が動くときにも流れがある。それを読み、流れに沿って力を加えたり、逆に逆らう力を加えることで、普通では考えられないような力を発揮している、というわけだ」
「うーん。わかるようなわからないような……」
そう、曖昧に返事を返すと、華憐ちゃんは人差し指を立てて、さらに説明を加えてくれる。
「わかりやすい例で言うと……『避けては通ることのできぬチーズ』――通称『さけるチーズ』は知っているか?」
「いやに丁寧な説明で違和感を覚えるけど……。うん、もちろん知っているよ」
「あれを裂くときは必ず縦の方向に裂くと思うんだが……。それは、縦の方向にチーズの繊維が走っていて、その流れに沿って裂くと裂きやすいからだろう?」
「ああ、なるほど……?」
「つまり、それと同じだ。人体にも切りやすい方向、位置、というのが無数に存在していて、それに沿って刃を入れれば、骨だって簡単に断つことができるというわけだ」
「うわあ、やっぱりあのときのあれはそう言うことだったんだ」
思い出したくない悲惨な光景が、脳裏に浮かび上がる。
「ああ。普通、あんな鈍ら同然の鉈なんかじゃあ、腕を輪切りにすることは難しいだろうな」
「もう! 輪切りとか言わないでよ! 鮮明に思い出しちゃったじゃん!」
「すまんすまん」
華憐ちゃんは、けらけらと笑いながら言う。
「しかし、人の裸を見て、嘔吐しながら気絶するというのもどうなんだ。私は悲しかったぞ」
「華憐ちゃんの裸体どころじゃあなかったんだよ! ショッキングなもの見せといて何言ってんだ!」
「あっはっはっ」
「まったく……。笑い事じゃないんだからね」
本当に、笑うような話ではなかった。
華憐ちゃんの身体が傷ついて、笑ってなどいられない。
だが、こんなにも明るく笑う華憐ちゃんを見るのはこれが初めてのような気もして、何とも言えない嬉しい気持ちになってしまうのも本当だった。
やっぱり、貴女には笑っていて欲しい。
くすくすと笑う彼女の横顔を見て、そう思う私だった。
「というか、そうだよ。何であのときは裸だったの? パンツを見せるのもあんなに嫌がってたのにさ」
まあ、見させてもらったわけではなく、私が強引に見ただけだが。
「服が血で汚れるのが嫌でな」
「ああ、そっか」
考えればわかりそうなものだった。たしかに、血みどろになった服を洗うのは大変だろうし、そもそも、そうしてまで着ようとも思わないだろう。
そうして、ひとり納得していると、華憐ちゃんは、ぽつりと言葉を零す。
「血だけは消えてくれなくてな」
「え?」
血だけは消えない――?
「ああ。切り落とした身体の一部は十二時を過ぎた瞬間に消える。それが、どんなに細かくても、大きくても。だけど、血だけは残るんだ」
「き、消えるって……」
「正確なところは何もわからない。何が起きているのか、その瞬間を見ようとしても見れないんだ。気付いたら、視界から消えて――」
そのとき、夜空の中央を横切るように、ひとつの流星が駆けていった。
「見えたか?」
「うん」
「そうか」
不意に静寂が訪れる。
すると、華憐ちゃんはおもむろに中空を指さす。そして、つまらない話はもう終わりだと言わんばかりに、話題を変える。
「あれが織姫のベガ、そしてあれが彦星のアルタイルで、その間にぼんやりとみえるのが天の川だ」
「はえ~」
正直、華憐ちゃんの指さしている方向はわからないけれど、不思議と、どの星のことを言っているのかは明瞭だった。
「こんなにはっきりと天の川を見たのはこれが初めてかもしれない」
「そうなのか」
「うん、普段から夜空を眺めているってわけじゃあないからさ」
「ふうん」
そうして、会話が途切れた、そのとき――
「あ」
「あ」
再び、声が重なる。
「だんだん、見えるようになってきたね」
「そうだな」
スマホで現在時刻を確認すると、二時六分と表示されていた。
見頃の時間である三時頃に近づくにつれ、流星の数が増えるとのことだったが、どうやらそれは本当らしかった。
そうして、星が流れるのを待ちつつ、私は彼女が変えてくれた話題に沿った話を持ち出した。
「子供の頃さ、七夕の夜は、織姫と彦星の星が本当に近づくんだと思ってたの」
「可愛らしい話だな」
「あはは。ちょっと恥ずかしいけどね」
まあ、幼少期のエピソードとしてはあるあるな話かも知れないが。
「でもさ、当然だけど、近づくなんてことはなくてさ。それどころか、実際は十四光年も離れているらしくて、それってつまり、光の速さで移動したとしても、一年に一回会えない距離なんだよ」
まあ、これは愛莉に教えてもらったんだけどね。
そう付け足すと、華憐ちゃんは「ああ、あいつか」と、小さく言を零す。
「たしかに、遠距離恋愛というにはあまりに離れているな」
「あはは、そうだね。まあ、宇宙スケールの遠距離恋愛っていうのもロマンチックではあるけど。でもさ、一年に一回だけ会えるって話だったのに、そんなに離されるなんて酷い話だよね」
私なら天の神様に文句入れちゃうかも。
と、私は言う。
「それに、何が酷いってさ――絶対に近づけないのに、光だけは見えることだよね」
「…………」
「一生かかっても会えない距離だけど、広大な天の川の向こう、本当に遥か彼方に光って見える姿だけは確か……。それって、辛いと思わない? 私なら、いっそのこと見えない方が幸せだと思っちゃう」
「まるで、蜃気楼だな」
「蜃気楼か……」
たしかに、たどり着けないものの比喩としては正しいのかもしれない。
でも――。
「知ってる? 今、地球に届いてる星の光って何年も前の光だったりするんだよ。まあ、これも愛莉に教えてもらったことなんだけど……。例えば、十光年離れていたら、今見えているのは十年前の光になるってこと」
「ふうん」
「だから、今見えている星が、実は遠く離れた場所では、今この瞬間に消滅しているかもしれないんだって」
「それじゃあ……」
「そう、織姫と彦星が互いに見えているのは、十四年も前の光。だから、つまり、今この瞬間にそのどちらかがいなくなったとしても、十四年間は消えたことがわからない」
「…………」
「蜃気楼なら、いずれ辿り着けるかもしれない。けれど、それが幻だったら……」
「…………」
「蜃気楼だといいよね」
「……ああ。そうだな」
「華憐ちゃん」
「なんだ」
彼女の素っ気ない返事。
夜空を眺めたまま、私は言う。
「華憐ちゃんは、急にいなくなったりしないでね」
「……私はいなくならないよ」
どこにもいけないからな。
と、今にも消え入るような声で、少女は言葉を紡いだ。
「そっか……」
そうして気が付けば、とてもデート中だとは思えない程、湿っぽい雰囲気に包まれた会話となっていた。こんなときにこそ、流れ星が流れてくれればいいのに、そうは問屋が卸さない。
なにか、この下降線の一途を辿る重苦しい雰囲気を回復させる手はないだろうか。
私は考える。
必死に考える。
そして――
「華憐ちゃん、キスしてもいい?」
「断る」
「なんでよ! 裸も見せてくれたんだから、キスぐらいいいじゃん!」
「ロマンチストのくせに、雰囲気をぶち壊す天才だな、お前は」
「雰囲気がなんだい! ロマンがなんだい! 私は華憐ちゃんの唇が欲しいんだい!」
満点の夜空の下、誰もが目を奪われるような素晴らしい景色の中、麗しい少女の隣で年甲斐もなく大声で駄々をこねる大人の姿がそこにはあった。
というか、私だった。
自分でも目も当てられない光景だとは思うが、しかし、ここで潔く諦められる程、私は大人ではなかった。
威厳を捨ててでも、大切な何かを失ってでも彼女の唇が欲しい。ここで諦めたらきっと後悔する、というか負けた気がする。
そんな、よくわからない理由を胸に、兎に角、なりふり構わず駄々をこね続けていると、華憐ちゃんは夜空に響き渡るほどに盛大な溜息を零して、言った。
「好きにしろ」
「…………!」
斯くして、本日、八月十三日は、私にとって、一生記憶に残るかもしれない大事な日となったのだった。
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