(下)

 自宅に着き、玄関のドアを開けると、ぱたぱたと華憐ちゃんが駆け寄ってくる。片手には私の私物であるタブレット端末。

「おい、これを見ろ! 大変だ!」

 言われて、画面を見ると、近所にもある大手コンビニチェーンで新作スイーツが出されたという広告だった。

「今日から発売らしいぞ! ほら、何している! 買いに行くぞ!」

「ええ……。もう今日は疲れちゃったから、また今度にしよう。それに、お菓子なら買ってきたよ」

 言いながら、私は片手に提げたビニール袋を示す。

「そうか。ならしょうがないな」

 彼女はそう言って、私の手からビニール袋を取り、中身を確認する。

「ん? これは何だ?」

「ああ、ピアッサーだよ。一緒に買ってきたの」

「はあん。ピアスホール、開けるのか?」

「うん。前に開けた穴が塞がっちゃったから、また開けようと思って。お母さんからピアスを貰っちゃったし」

「ふうん」

 そうして、玄関で袋を漁る彼女をそのままに、私は靴を脱ぎ、洗面所で手を洗う。それから再び彼女の元へと戻ると、彼女はピアッサーを片手に取り、ぼうっと眺めていた。

「開けたいの?」

 私がそう問いかけると、彼女はピアッサーから視線を外さないまま、平坦な口調で答える。

「私は開けられない」

 ?

 私は首を傾げる。

「そうなの?」

「言っただろう。日を跨ぐと身体が元に戻るんだ」

「あ」

 そうか。

 開けたとしても、日付が変わった瞬間に消えてしまうのか。

 それでは確かに、どうやっても開けられない。

「そっか。それはなんと言うか……残念だね……」

「別に、問題はないさ」

「もし開けるというなら、私がやってあげたかったけど」

「ふっ、なめるな。自分で開けられ――」

 彼女は言いかけて、動きを止める。

「ん? どうしたの?」

 そう問いかけると、彼女は何かを確かめるような間を開けて、そして、ゆっくりとした口調で言った。

「いや、やっぱり、開けてくれるか?」

「――――え?」




「開けるのはいいけどさ、どういう心境の変化?」

 耳が見えるよう、彼女の髪をクリップで留めながら、私はそう問いかける。すると彼女は実に素っ気なく応える。

「なんでもだ」

「ふうん……そっか」

 どうやら、話してはくれないようである。

 これは、あまり詮索しない方が吉だろう。

 が、しかし、先程どうやっても開けられないという話をしたばかりなのに、突然、開けてくれと頼まれてしまっては、やはりその理由が気になる。

 それも、自分で開けるのではなく、私に開けさせるのだ。

 気にするなというのはあまりに無理な話だった。

「…………」

 まあ、とは言え、こうなったら彼女は意地でも話してくれないだろう。ならば、気にしてもしょうがない。

 とりあえず、ピアスホールを開けることだけに集中しよう。

「じゃあ、開けるのはここでいい?」

 と、気持ちを切り替えつつ、目印をつけるために、マジックペンの先端で彼女の耳たぶに触れる。

「ひゃあん……っ!」

「ちょっ! 変な声出さないでよっ!」

「お前が急に触るからだろう!」

「だとしても、そんな可愛い声――」

 ごすっ。

「痛ぁあい! 殴らなくたってもいいじゃん!」

「うるさい!」

 華憐ちゃんは顔を真っ赤にしながら吠える。

「触る前はちゃんと言え!」

「わ、わかった。ごめん」

 あまりの気迫に思わず謝ってしまった。

 いや、しかし、耳が弱いならそれこそ先に言って欲しかった。いまからでも文句を言ってやろうかと思ったが、それを言ってもまた怒られるだけだろうと、私は言葉を飲み込む。

 これ以上、殴られても仕方ない。

 ご近所迷惑にもなりかねないしな。

 そうして、私は再び気持ちを切り替え、手鏡で彼女のほんのり赤い左耳を映しながら、もう一度問いかける。

「開けるのはここでいい?」

「ああ。どうせ消えるからどこでもいい」

「うーん……。じゃあ、開ける意味なくない?」

「いいんだ。いいからやってくれ」

「…………」

 やはり、どうしても理由は言わないようだ。

 まあ、しょうがない。

 私はピアッサーを開封し、言われた通り、彼女に一声かける。

「じゃあ、開けるよ」

「あ、待って……」

「ん?」

 言われて、私は彼女の顔を覗き込む。すると、彼女は緊張したような面持ちで拳をきゅっと握り、言った。

「なるべく痛くしないで……」

「…………わかった」

 そうして、私はピアッサーの針の先端を彼女の耳に押し当てる。それから「いくよ」と声をかけて、ボタンを押し込んだ。


 かちゃ。


「できたよ」

「…………」

「痛くない?」

「…………うん」

「もう片方はどうする?」

「私がやる」

 そう言って、もうひとつのピアッサーを開封した彼女は、鏡も見ずに、右耳の耳たぶにピアッサーを押し当て、ボタンを押す。


 かちゃ。


 その思い切りの良すぎる雑な開け方に驚いたが、見ると、案外、綺麗に開いていた。

 そうして、テーブルに置かれた使用済みのふたつのピアッサーを見て、私はようやくあることに気が付く。

「あ――――」

 私の使う分ないじゃん。




 次の日の朝。

 まだ日が昇り始めた頃の薄暗い部屋の中、私は目が覚めた。

 首を傾け、隣を見遣ると華憐ちゃんは既に起きているようだった。

 夢も現。ぼんやりとした意識のまま、なんとか目を開けて彼女を見上げると、少女は何かを確かめるように、左の耳に手を当てていた。

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