七月三十一日

(上)

 七月三十一日

 土曜日。

 現在の時刻は十四時四十八分。

 私は例の神社――改め、裂石神社に来ていた。もう二度と来るなと言われた――二度も二度と来るなと言われた神社。

 あれから、一か月ほど真剣に考えた。

 私の心に絡んでいるこの感情について。

 私の心を掴んで離さない、この何かについて――。

 結論として、華憐ちゃんに対するこの気持ちはやっぱり恋だと思う。それは間違いないと思う。

 けれど――そもそも恋とはなんなのだろうか。

 およそ十九歳の女子が真剣に考えるようなことではない悩み。そんなことを今更ながら、今になってようやく――恋愛初心者の私は、自分のこととして考えている。

 恋という心の現象のことはかねてより知っていた。憧れたし、想像もした。様々な妄想を巡らせた。けれど、どうしても実感が伴わなかった。というか、実際に経験した今でもいまいち実感は湧いてこない。

『恋愛』という必修科目。

 その単位を落とし続けてきた私は、女子として落第生である私は――

 いや、それは言い過ぎか。

 恋愛は女子の必要条件ではない。

 十分条件……かな。

 まあ、どちらにせよ、落ちこぼれである私は――

『恋とは何か』

 その問いに対して、いくら思考を巡らせたところではっきりとした答えは出せず――それどころか、糸は絡まるばかりで、波はさざめくばかりで。結局新たにわかることなどひとつもなくて、わかっていることなんて初めからひとつしかなくて――

「やっぱり、好きだなあ」

 と。

 青々とした葉を穏やかに揺らす夏椿を見て、そんな独り言を零すことぐらいしかできないのである。

「…………」

 うーん。

 今のモノローグ、ちょっと阿呆過ぎない?

 一か月考えた結果が『やっぱり、好きだなあ』って……。

 我ながら……。

 無益な思考すぎる。もはや空白の一か月を過ごしたと言っても過言では無い。

 やり直すか。

「やっぱり、私の初恋は戸部君なのかなあ」

 よし。こんなところにしておこう。

 区切りというか、気持ちの整理の仕方としてはかなり不格好な着地の仕方だけど、不時着もいいところだけど、どころか機体は大破していそうだけれども――初心者なのだからしょうがないって開き直ることも、ときには大切だと思う。

 うん。

 そんな風に、言い訳がましい思考で自分の行動を正当化しつつ、ちゃりちゃりと玉砂利を鳴らしながら本殿の前へと歩を進める。

 いつものモンブランは持っていない。

 今日は参拝じゃないから。

 本坪鈴も鳴らさないし、賽銭もしない。

 とんとんとん。

「華憐ちゃん、いる?」

 私は御扉をノックして、いるかわからない相手に問いかけた。

 そして、返事はすぐに返ってきた。

「言ったはずだろう。二度と来るなと」

「うん……。ごめん……」

「謝るなら、何故来たんだ……」

 扉の向こうの彼女は、溜息交じりにそう言葉を零した。

 たしかに、その通りである。

 謝るぐらいなら来なきゃあいい。

 そして、その彼女の言葉は、別に私に理由を訊いていたわけではないだろう。

 でも、私はその質問に答えた。

 これが私の言い分だ。

「好きなの」

 だから会いたくて、と。

 後ろの言葉はほとんど声にはならなかった。

 そんな自分が格好悪くて、心がむず痒くなる。

 対して、華憐ちゃんは言う。

「私は女だぞ。わかっているのか?」

「それは、もちろんわかっているよ」

 苺パンツだったし。

 いや、まあ、可愛い男の子が苺パンツを履いていたらそれはそれで――

 おっと。いけない、いけない……。

「でも、好きなの。女の子の華憐ちゃんが」

 そう、性別がどうこうではない。

「あれから、ずっと考えてたんだ。自分の気持ちについて。でも、華憐ちゃんのことが好きってことしかわからなかった。初めて会ったときから華憐ちゃんが好き。それしかわからなかった」

「そうか」

 空白の一か月を過ごしたんだな、と。

 ぼそっと感想を述べる華憐ちゃん。

 言いやがった……。

 ああ、やっぱり傍から見てもそうなんだ……。

 本気でへこんだ。

 実に悲しい。

 実に実に。

 けど――。

「実はね、正直に言っちゃうと、私、こんな気持ちになるの初めてなんだ。あはは、この歳で初恋なんて恥ずかしいんだけどね。なんか、華憐ちゃんのことを考えるだけでどきどきして、気分が高揚しちゃってさ。本当に変だよね」

 私は続けて言う。

「もう事ある毎に華憐ちゃんのこと思い出しちゃってね、それで色々想像しちゃったりしてね。モンブラン以外のケーキだったら何が好きかなあ、とか。一緒にスイーツ巡りしたいなあ、とか。デートするならどこがいいかなあ、とか。華憐ちゃんはどんな服を着るんだろうなあ、とか。華憐ちゃんとのことを妄想して、結構楽しかったし、充実しちゃった。もちろん、会えなくて寂しかったけど、全然空白の一か月なんかじゃなかったよ」

「…………」

「だから、私、華憐ちゃんともっと仲良くなりたいんだ。一緒に行きたい場所もあるし、一緒に食べたいスイーツもあるし、いっぱいお喋りしたいと思ってる。華憐ちゃんが何で私と会いたくないのかはわからないけど、自分勝手かもしれないけど――私は華憐ちゃんが好きなんだ」

 だから――

「これからも会いに来てもいい?」

 これが、彼女の質問に対する私の答え。

 私が今日、彼女の言いつけを破ってまでここに来た理由だった。

「勝手だな……」

 扉の向こうの彼女は独り言のようにそう呟いた。

 そして、きっぱりとした口調で言う。

「帰れ」

「…………っ!」

 ああ、そっか。

 そうだよね。

 それなら、もうしょうがない。

 潔く諦めよう。

「わかった……。ごめん――」

「一旦帰れ」

「え……?」

 一旦?

 思わぬ切り返しに思考が停止してしまった私に、華憐ちゃんは畳みかけるように言った。

「今日の夜、零時前にもう一度ここに来い」

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