(中)

 は――?

 何を言っているんだ?

 私は、彼女の言った言葉の意味がすぐには理解できなかった。

 彼女の言葉を何度も頭の中で再生して、何度も飲み込んで、今、自分が置かれている状況と照らし合わせて――そうして、ようやく私は、彼女が何を言ったのかを理解した。

 彼女は、私に、殺してくれと、言った。

「あ、あはは……。華憐ちゃん、冗談きついよ」

 そう言って、私は彼女の手を振り払おうとする。

 が、思ったように腕に力が入らない。

 まるで筋肉の動きを縛られているような、何とも表現しがたい奇妙な感覚。

 この感覚は以前にも味わったことがあった。

 押し倒され、頭の上で両腕を抑え込まれたあのときと同じ感覚。

 つまり、彼女は、裂石流の力を使って、私の動きを抑え込んでいるのだろう。

 冗談にしてはやりすぎだった。

 菊の花を握る私の手を縛り、太い茎の切り口を彼女の胸の前で固定するなど、まるで、私に彼女の胸を貫かせようとしているみたいだった。

 そして、彼女は、やっぱり冗談にしてはやりすぎなくらい真剣な表情で、私を見つめて言う。

「冗談じゃない。本気だ」

 真剣そのものの口調。

 だが、やはり私には悪い冗談にしか思えなかった。

 今更、こんな冗談で私を騙せると思ったら、それは間違いである。

 だって――

「華憐ちゃんは死ねないはずでしょう……? そう、私に教えてくれたじゃない。それなのに、何を言っているの……?」

 そう、今まで散々、彼女は死ねないという話で、それで苦しんできたという話で――これからもその苦しみの中に居続けるという話で、そうしてここまで物語を紡いできたじゃないか。

 それを、今更何を言っているのか。

 すると、華憐ちゃんは、依然として片手で私の手を押さえたまま、もう片方の手で髪をかき上げ、左耳を出す。

 その露わになった左耳をよく見ると、耳たぶにきらりと光る何か。

 それは――ファーストピアスだった。

「な、何で……傷は消えるはずじゃあ――」

「そうだ。消えるはずだった」

 そのはずだった。

 と、華憐ちゃんは言う。

「実際、右耳に開けた穴は消えていた。だが、左耳は見ての通り消えなかった。お前の開けた左耳はな」

 私の開けた左耳は、日を跨いでも元に戻らなかった。

 それは、つまり――

「お前がつけた傷は、日を跨いでも残る」

 だから――

「サラ、お前なら私を殺せるんだ」

 華憐ちゃんは語気を強めて、言う。

「頼む。私を殺してくれ」

 言って、彼女は、髪をかき上げていた方の手も私の手に添えて、ぐっと力を込める。

「これで心臓を一突き。それでおしまいだ」

「ま、待って! やだ! 嫌だよ! 私は華憐ちゃんのことが好きなんだよ! 殺すなんてできないよ!」

「お願いだ。もう、失うのは嫌なんだ」

「意味わかんないよ! 華憐ちゃん、やめて!」

 腕の自由が利かない中、必死に彼女を制止する。すると彼女は、胸の方にゆっくりと近づけていた腕の動きを止めて「もう嫌なんだ」と、いつかにも聞いたような言葉を、ぽつりと零した。

「シャラと同じように、いずれお前との記憶も薄れていく」


「怖いんだ」


「思い出せなくなるのが、怖いんだ」


 と、華憐ちゃんは言う。

「好きなんだ。サラのことが好きなんだ。だから、だからこそ怖い。お前のことを思い出せなくなるのが怖いんだよ。だから、だから……お前のことをはっきりと覚えているうちに、これ以上、失いたくない気持ちが大きくなる前に……私は死にたいんだ」

 わかってくれ。

 彼女は、祈るようにそう呟くと、止めていた腕の動きを再開し、ゆっくりと切り口を胸元に近づけていく。

「やだっ! 華憐ちゃん、やめて! いやあっ! お願い! やめて!」

 私は、握らされている菊の花から手を離そうとするが、どうしても自分の手が解けない。彼女の胸元に向かう動きを止めようとするが、どうしても止まらない。

 どうして。

 どうして。

「嫌だよっ! こんな終わりなんて! 嫌だよ!」

「許してくれ。私にはこうするしかなかったんだ」

 切り口が華憐ちゃんの胸元に触れる。

 すると、切り口は彼女の着ているシャツを縫い針のように、するりと貫き、そのまま彼女の皮膚を破る。

 シャツに血が滲む。

「やめて! 華憐ちゃん手を離して! 嫌だよ! やめてっ!」

 皮膚を破った切り口は、ゆっくりと彼女の中へと入っていく。まるで、彼女の身体がその菊の花を飲み込んでいくように、するすると、ずぶずぶと、ずるりずるりと、彼女の中へ、内へ、這入っていく。

「いやだ! やだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだ!」

 そうして、引っ掛かりもなく彼女の中を進んだ切り口は、あるところで何かに当たり、その動きを止める。

 菊の花越しに手に伝わる振動。

 彼女の鼓動だった。

「お願い……っ! もうやめて……!」

「こんな役回りをやらせてしまって本当にすまない」

 華憐ちゃんは苦しそうな声で言う。

「サラ、愛してる」

 愛しているよ。

 言い切って、彼女は両の手に力を込め、菊の花を押し込む。

 ぶつり、と。

 何かを貫く感触が、手に残った。

「いやぁあああああああああああああああああああああああああああああーっ!」

 それは、私が発した叫び声なのか、彼女のものなのかよくわからなかった。

 何もわからなかった。

 そして、彼女は菊の花を胸から一気に引き抜く。

 次の瞬間、胸に開いた穴から勢いよく血が流れ出てくる。

 堰を切ったように、溢れんばかりに、とくとくと流れ出るそれは、彼女の胸を、地面を、真っ赤に染め上げていく。

 赤く、紅く、朱く――目が眩んでしまうほどに真っ赤で、か弱い月の光の下でもはっきりとわかるくらい、鮮やかな赤を広げていく。

 そうして華憐ちゃんの腕から力が抜け、拘束から開放された私は咄嗟に彼女の胸のその穴を両手で塞ごうとした。だが、私の手が触れた瞬間、華憐ちゃんは地面に崩れ落ちるようにして倒れた。

「華憐ちゃん――っ!」

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