(柳)
「華憐ちゃん、待って!」
置き去りにされていた私は、先を歩く彼女に駆け足で追いついて、尋ねる。
「お手伝いって言ってたけど、どこに向かってるの?」
「…………」
私の問いかけに対し、彼女は何も答えない。それどころか、こちらへ振り向くことさえせず、ただひたすらにどこかへ向かって、つかつかと歩を進めるだけだった。
どこからどう見ても、ご機嫌斜めである。
うーん。
まあ、無理もないか。自分の好きなものを馬鹿にされたら、誰だって傷つくし、腹も立つだろう。それも、数量限定品である等身大ぬいぐるみを購入するほどの、筋金入りのファンなのだ。殴り合いの喧嘩にならなかっただけまだましだったのかもしれないな。
しかし、それにしても、華憐ちゃんがあれほどまで感情的になるとは、本当に意外だった。今まで私には見せてくれなかった表情の数々が、あの短時間でどれだけ出てきたことか。それは、彼女にとって、あの過激なビジュアルをした蛙がそれだけ魅力的であるということなのだろうけれど――さっきはその場の勢いで「私も好きだよ」と言ってしまったけれど――未だその魅力を理解できていない私からすれば、不思議であると同時に、その蛙が羨ましいというか妬ましいというか、なんとも言えない感情にさせる出来事だった。
私も、あのぬいぐるみぐらい大事にされたい。
とか。思ってみたり。
まあ、でも、あのぬいぐるみが彼女にとってどれだけ大切なものであるかは、よく理解しているつもりだ。
『こいつは、長年貯めたお賽銭をはたいて買った――私の宝物だ』
彼女は、そう言って、あのぬいぐるみを紹介してくれた。
長年かけて貯めたお賽銭とは、いったい、どのくらいの期間をかけたものなのだろうか。お賽銭だけで――それも、ほとんど人気のないあの神社で――ぬいぐるみを買える程の金額を集めるとなると、本当に気の遠くなるほどの年月がかかっているに違いない。そんな大変貴重なお小遣いを惜しげもなく――いや、惜しんだかもしれないが、はたいてまで手に入れた宝物だ。そりゃあ、大切にするよな。
でも。
それでも、やっぱり。
ちょっとだけ、悔しいなあ。
と。
そんな風に、取り留めのない思考を巡らせながら、黙って華憐ちゃんの後ろをついて歩いていると、彼女は、住宅街の一角で不意にその足を止めた。
「ここだ」
「ここ?」
そこは、何の変哲もない、とある一軒家の門扉の前だった。
ここでいったい何を手伝うことがあるのかと、私が首を傾げていると、華憐ちゃんはなんの躊躇いもなく、門柱に設置されているインターホンを押す。その隣には『石動』と書かれた表札が下げられていた。
石動。
なんて読むのだろう。『いしどう』だろうか。それとも『せきどう』だろうか。
「ここは、裂石神社の当代宮司の家だ。毎月一回はこうして――」
と、華憐ちゃんが説明している途中で、インターホン越しに応答が入る。優しい印象のある男性の声だった。
「おお、華憐か。よく来たね。さあ、上がりなさい」
それに対し、彼女は「ああ」と短く応えると――
「ここで少し待っていろ」
と、私に言い残し、門扉を開けて、玄関へと向かっていった。
華憐ちゃんが玄関先に着くや否や、中から玄関が開けられ、そのまま彼女は家の中へと入っていく。そして、数分後、玄関から「気を付けて帰るんだぞ」という男性の声と共に、両手に大きな紙袋をひとつずつ持った華憐ちゃんが出てきた。
「待たせたな」
そう言って、彼女は紙袋のひとつを私に差し出す。
「お手伝いって……もしかして、これ?」
「ああ、そうだ。毎回、余計なものまで渡されるから、重くてな」
なるほどね。荷物持ちだ。
私は、その差し出された紙袋を受け取る。両手じゃあないと持てないというほどではなかったが、たしかに、これを両手にひとつずつ持って歩くとなるとなかなか大変な重さと大きさだった。
「さっきは途中だったな」
華憐ちゃんは、元来た方へと歩き出しながら、もう一度説明をしてくれる。
「今のは、裂石神社の当代宮司の家で、毎月一回、神事に必要なものを取りに来ているんだ」
「神事?」
もう神様は居ないのではなかっただろうか。
「ああ。神社としてその形を残すために神事だけは欠かさずに行っている、というわけだ。と言っても、私ひとりでもできるような簡易的なものだけどな」
「ふうん。これも、あそこに住まわせてもらうための条件なの?」
「そうだな。まあ、この姿じゃあなければ、わざわざここまで受け取りにこなくていいんだが……」
「…………?」
含みのありそうな彼女の言葉に私は首を傾げる。
「お供え物として清酒が必要になるんだが、この姿じゃあ買えないだろう?」
「ああ、なるほど」
と、私は相槌を打つ。
「ということは、これの中身は全部お酒なの? それにしては軽い気がするけど……」
そう問いかけると、華憐ちゃんは「いや、それが……」と、渋々といった風に口を開く。
「本来、清酒が一本あれば十分なんだが、これも供えろあれも供えろ……って、毎回大量の菓子を渡してくるんだ」
「え、これ、ほとんどお菓子なの?」
どうりで軽いわけだ。
いや、歩くのが大変な程度には重いけれど。
「何が『神様にお供えした後は華憐が食べなさい』だ。端から私に食べさせたいだけだろ」
何も食べなくたって死ぬわけじゃあないのに。
そう言って、彼女は、はあと溜息を零した。
「あはは、可愛がられてるんだね」
「年下のくせに生意気なんだよ、あいつ」
あいつ。
石動さん。
いしどうさんなのか、せきどうさんなのか、はたまた違う読み方なのかはわからないけれど、彼の気持ちは、なんとなくわかるような気がする。
つい、可愛がりたくなってしまうのだ。この女の子は。
それにしても、都合のいい年齢設定だなあ。
十五歳だったり、年長者だったり。
「まあ、この見た目で酒を持ち歩くのはあまり褒められたものではないからな、そのためのカムフラージュという意味もあるんだろうけれど……」
「はあん」
なるほど。
ただの猫かわいがり、というわけではないと言うことか。
たしかに、昼間に中学生ぐらいの子供が紙袋を持って歩いていたとしても何ら怪しくはないが、万が一にでも警察に声をかけられようものなら、面倒臭いことになるのは火を見るよりも明らかだ。まあ、そのカムフラージュが行き過ぎているせいで逆に目立っているような気もしなくもないけれど。
「そっか。じゃあ、私も未成年だからお巡りさんに見つかったらちょっと大変だね」
「ん? 未成年だったのか?」
「あれ、言ってなかったっけ。私、まだ十九歳なんだ」
「そうだったのか」
本当に知らないことばかりだな。
と、華憐ちゃんは小さく呟く。
「それはお互い様だよ。私も、華憐ちゃんのこと全然知らない。でも、それも仕方ないことじゃない? だって、まだ知り合ったばっかりなんだもん」
「まあ、そうだが……」
「それに、華憐ちゃんも言ってたじゃん。これから知っていけばいいだけだって」
「まあ……」
「でも、不思議だね」
「…………?」
小さく首を傾げる華憐ちゃん。
そんな彼女に、私は言う。
「知らないってだけで、こんなにももどかしい気持ちになるなんてさ」
「…………」
「だから、華憐ちゃんのこと、これからいっぱい教えてね」
そう問いかけると、彼女は黙ったまま俯いてしまう。
何か変なことを言ってしまっただろうか。
そんな不安が頭をよぎったが、彼女は不意に顔を上げて、わざとらしくこう言った。
「あ~あ。困っちゃうなあ」
「…………」
まだ、引きずっていた……。
しかも、妙に完成度が高い……。
そうして私は、いかにもな様子で繰り出された愛莉の物真似に対して、苦笑いを返すことしかできなかった。
それから、再びご機嫌を損ねてしまった華憐ちゃんを必死になだめながら、裂石神社への道をふたり並んで歩いた。
神社へと到着した私たちは、神事を行うにあたって、まず、部屋の掃除から始めた。足の踏み場もないとまではいかないが、それに準ずる程度には散らかっているため、最低限、お供え物を並べられるスペースを確保しなくてはならなかったのだ。華憐ちゃんは溜まった洗濯物を担当し、私は敷かれたままの布団を隅の方に畳んでから、あちこちに落ちている紙くずやお菓子の袋などのごみを拾い集めていく。
今や、俗に染まり切ってしまった神の間。華憐ちゃん曰く「収納がないから仕方がない。元に戻るのも時間の問題」とのことだった。たしかに、唯一の収納だった押入れを強引にリフォームして、水回りの設備を設置した都合上、物をしまう場所がないため、床に物を置いてしまうのは仕方のないことなのかもしれない。だが、それでも、ごみをそこら辺に放ったままにしていい理由にはならないことを、彼女はまだ知らない。
なんとなく整理がついたところで、御扉の正面の位置に
華憐ちゃんが、先の掃除の際に衣類の山の中から発掘した
ひとしきり大麻を振るった華憐ちゃんは、どこから取り出したのか、今度は卓上ベルを手に持ち、ちんちんちん、と、景気よく三回鳴らした。
「華憐ちゃん、それって、もしかして……」
「ああ。神楽鈴の代わりだ」
「いくら何でも簡略化しすぎでは……」
「いいんだよ。こういうのは雰囲気が大事なんだよ」
いや、その雰囲気が今まさに台無しになった気がしたのだが……。
ともあれ、お供え物と我々の心身、そして場の雰囲気から邪気を祓った後にすることは拝礼だった。
居もしない神様に感謝を捧げるために、ふたりそろって二礼二拍手一礼。
そう、見てくれる神様は居ないが、だからと言って適当に行うと、隣にいる華憐ちゃんから文句を言われかねないので、ここは至って真面目に、心を込めて拝む。
なむなむ。
拝礼が終わると、華憐ちゃんは清酒の入った盃を手に取り、口を付ける。そして、ひとくち飲み下すと「んっ」と言って、その盃を私に寄越してくる。
「え、私、未成年なんだけど……」
「ひとくちだけだ」
「で、でも……」
「言っただろう? こういうのは雰囲気が大事なんだよ」
「わ、わかったよ」
私は盃を受け取り、ひとくち口に含む。鼻に抜ける酒の匂いに思わずむせ返りそうになるが、なんとか堪えて飲み下した。
そうして、身を清めた後、盃に残った清酒を境内の四隅と中央に撒いて、神事は完了した。
「華憐ちゃん、お疲れ様」
「ああ、お疲れ様。助かったよ」
「いえいえ」
スマホを確認すると、現在の時刻は十七時八分。まだまだ空は明るいが、境内中央の夏椿は、東の方向にすらりと影を伸ばしていた。
その光景に、ふと、昼食を抜かしていたことを思い出す。不思議なもので、思い出した途端、急激に腹が減ってくる。
帰りに晩御飯を買っていくとして、何にしよう。
そんなことを考えていると、華憐ちゃんから問いかけられる。
「この後、時間はあるか?」
「あるけど、お腹空いたから帰ろうかなって思ってたところ」
「そしたら、あいつに貰った菓子を食べるといい。酒もあることだ。お互いのことをよく知るいい機会なんじゃないか?」
「お酒飲むの? 未成年だから駄目だよ。さっきは儀式だからって目を瞑ったけどさ」
「私は二十年以上生きているんだぞ。問題は無いはずだ」
「いや、だけど、貴女は十五歳の身体でしょ。健康にもよくないって」
「いいんだよ。どうせ死なないし。それに、身体を壊したとしても日を跨げば元に戻る」
「そういう問題じゃあ……」
「じゃあなんだ」
「…………」
はあ。
「……わかったよ。でも私は飲まないからね」
「そうか。じゃあ何か飲み物でも買ってきたらどうだ」
「そうね。そうしようかな」
「そうしたら、ついでにつまみになるようなものも買ってきて欲しい」
「はいはい。じゃあ行ってくるよ」
「ああ、頼んだ」
そうして、最寄りのコンビニに向けて、刻々と傾く夏空の下、私は歩き出した。
最寄りと言っても自宅近くまで戻る必要があるため、たかだか飲み物とつまみを買ってくるために三十分程の道のりを歩くことになってしまったが、それでも私の足取りは軽かった。夕方になり、昼間の茹だるような熱気が身を潜めたこともあるが、やはり、ふたりきりでお茶会ができるという事実に心が踊って仕方がなかった。
まあ、その当の相手は酒気を帯びるみたいだけれど……。
「…………」
本当に大丈夫なのだろうか……。
四百年生きているとは言え、やっぱり、身体は十五歳の少女のままだ。飲酒による悪影響は間違いなくあるだろう。本人は、身体を壊しても日を跨げば元に戻るとは言っていたけれど、どうせ死なないとは言っていたけれど、未成年飲酒のリスクは、そういう直接的な身体への害だけではない。それは、例えば、アルコール依存性とか。
いや、案外、既に依存症だったりするのか……?
「はあ。心配だ……」
本当に。
彼女は、その身に宿る呪い――不死性のせいで、どこか投げやりというか、自暴自棄になっている節がある。それも、自らに対する罰なのかもしれないけれど、そうすることで心の安寧を保っているのかもしれないけれど、それを傍から観ている私は、もっと自分を大事にして欲しいと、責めないであげて欲しいと、そう考えてしまうのだ。きっと、石動さんも同じようなことを考えているのだろう。だからこそ、甘やかしたくなる。可愛がりたくなってしまうのである。
『この姿じゃあなければ、わざわざここまで受け取りにこなくていいんだが……』
彼女はそう言っていたが、もし仮に、成年後の姿だったとしても、きっと石動さんは、自分の家まで受け取りに来させていたことだろう。
それにしても、華憐ちゃんの大人の姿か……。
「見てみたいなあ……」
ふと、思う。
華憐ちゃんが肉体的に年を取ることはもう永遠に不可能なのだろうか。
本当に、シャラさんに殺してもらう以外にはないのだろうか。
本当に、彼女にはそれしかないのだろうか。
本当に。
「…………」
そんな思考を巡らせているうちに目的のコンビニに到着する。早速、飲料コーナーへと向かい、最近気になっていたりんごジュースを手に取り、それから、おつまみコーナーへと向かう。思いの外豊富な品揃えを前に、華憐ちゃんの好みを訊いてくればよかったと後悔しつつ何を買っていくか悩んでみるが、日本酒との相性なんて、そんなものは未成年にはわからないため、なんとなく無難そうなバターピーナッツをかごに入れて、レジへと向かった。
会計を済ませた後は来た道を真っ直ぐと戻り、神社へと帰ってきた。息も切れ切れになりながら階段を登り、小休憩を挟んでから本殿の御扉を開けると、昼の掃除で綺麗になった床で、華憐ちゃんが一升瓶を抱えて寝ていた。
「…………」
見ると、中身が四分の一程度まで減っている。
買い物にかかった時間は精々三十分程度だ。その時間であれだけ飲んだというのなら、それは明らかに危険な飲み方だった。
「華蓮ちゃん? 大丈夫?」
私は彼女の肩を揺すりながら問いかける。
「んへへ……。私、お酒大好き十五歳……」
「…………」
危険な発言だった。
「こんなところで寝てたら風邪ひいちゃうよ?」
「ん、んんー……」
「まったく、仕方ないなあ……」
布団まで運んであげよう。
私はまず掃除の際に畳んだ布団を丁寧に広げて、それから、華憐ちゃんを抱きかかえるために、彼女の肩に手を触れた。
そして、次の瞬間――私の視界がぐるりと回った。
「きゃっ!」
気が付けば、私は頭の上で両腕を押さえられた状態で床に組み伏せられていて、視界いっぱいに華憐ちゃんの整った顔が映っていた。
「いや、ちょ、え、ええっ!?」
「ふふっ……」
彼女は焦点の定まっていない、とろんとした瞳で微笑んで、空いた右手で私の頬を撫でる。
「待って、近い近い近い近い近いっ! うわ、酒くさっ!」
突然すぎる事態にパニックに陥った私は、拘束を解こうと試みるが、少女の小さな手ひとつで押さえられているだけなはずの両腕がびくともしない。
「…………っ!?」
圧倒的な力で押さえ込まれているという感覚ではなかった。まるで筋肉の動きを縛られているような表現しがたい奇妙な感覚。
兎に角、腕に力が入らない。
依然として、息もかかるほどに接近した場所にある華憐ちゃんの綺麗な顔。その秀麗極まる端正な顔を柔らかく崩して、彼女は、小さく呟いた。
「……シャラ」
あ。
「ずっとこうしたかった」
「…………」
「ずっと、ずっとだ。私はずっとお前とこうしたかった」
私の頬に手を添えて、私ではない誰かを見つめながら、彼女は言う。
「なんで……なんで、もう少し待ってくれなかったんだ」
「…………」
彼女の問いかけに、私は何も答えることはできない。
答えを知らない私には、何も言うことができない。
そうして、彼女を見つめたまま黙っていると、彼女は再び口を開く。
「もう、思い出せないんだ……」
掠れた声で、彼女は言う。
「シャラの顔が、思い出せないんだ……」
「華憐ちゃん……」
ふと腕にかかる力が緩んだのを感じて、私は拘束を解く。そして、ぽとりぽとりと、私の頬に涙を落としながら、子供のように泣きじゃくり始めてしまった彼女を胸に抱き寄せる。
「うわぁあああ、ひっ、う、うう、ぐすっ、う、うわぁあああああん」
どうしてだろう。
どうして。
どうして、こんなにも近くにいるのに、私の心はこんなにも渇くのだろうか。
湿っていく胸元とは裏腹に、どうしようもなく心が渇いていく。
彼女の代わりでもいい。
貴女の傍にいれるのであれば、誰の代わりでも構わない。
なんて。
そんな風に考えてしまう私は、やっぱり、ずるい人間なのだろうか。
「お願いだから、もう泣かないで」
私は祈るように、そう呟いた。
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