(菊)

「その『彼女』っていうのが、シャラさん?」

 訳もわからぬままに流れだした涙をなんとか止めて、平常心を取り戻した私は、そんな質問を彼女に繰り出した。実際には、華憐ちゃんがかけてくれた優しい言葉によって落ち着くことができたのだけれど。まあ、もう少し正確に言うと――華憐ちゃんの「女子大学生が少女の腕にしがみつきながら泣きじゃくる行為は、いったいどの罪に該当するんだろうな」という一言によって冷静さを取り戻したというか、頭が冷えたというか、肝を冷やしたというか、そんなところである。

「ああ、そうだ」

 少女は変に隠すことはなく、けれど、どこか仄暗い声音で、そう答えた。

 その反応に、恋人に過去の恋愛譚を話させているようで後ろめたいというか、変にむず痒い気持ちになってしまった私だったが、よく考えてみれば、目の前にいる少女とは恋人関係ではないし、これまで私に恋人がいたこともなかった。

 なにこの気持ち。意味がわからない……。

 うーん。

 やはり、私の思考回路に問題があるのかもしれないな。

 そんなことをぼんやりと考えていると、目前の少女はおもむろに自分が着ているTシャツをたくし上げた。

「…………」

 あまりに唐突なサービスショットに、私はまたもや言葉を失うのだった。

 露になった、愛らしいおへそ。その魔性のくぼみとは本日二度目のご対面で、昨日から数えると、三度目の拝謁である。

 なんだろう。ボーナスタイムなのだろうか。私はボーナスタイムを賜っているのだろうか。なんというか、まあ、有難いことこの上ないのだが、できることなら――いや、お願いだから、そういうのは賽銭箱を用意してからやって欲しい。

 とか。

 オタク特有の気持ち悪い思考を巡らせながら、少女の腹部を見つめる私だったが、それはそれはもう彼女のお腹にもう一つ穴が開いてしまうほどに凝視する私だったが、どうやらそれは旺盛なサービス精神から生まれた行動ではなかったようで、少女は、至って真面目な口調で語り始めた。

「これは、生まれたときからあったわけじゃあないんだ」

 少女が『これ』と表現したもの。それは、間違いなく彼女の腹部に表れている『痣のようなもの』を指していた。

 それを、指先でなぞりながら、少女は訥々と言葉を紡いでいく。

「これに気が付いたのは、初めてこの部屋で目を覚ましたあの日だった。それまでは、確かにこれはなかった」

 これ。

 痣のようなもの。

 痣のような何か。

 下腹部の一点を中心に、そこから根を張るようにして――上側は鳩尾の辺りまで、下側は太腿の上部にかけて――広がった、白い肌を大胆に彩る斑模様。

 それはまるで――

「夏椿……」

 そうだ。

 私が初めてそれを見てから、ずっと感じていた既視感の正体は――この神社の境内にも存在している――夏椿だった。

 正確には、夏椿の樹皮模様。

 褐色、橙色、灰褐色などが不規則に入り混じる独特な斑模様。それとよく似た模様が、少女の腹部に浮かび上がっているのだ。

 どこか不気味で、痛々しくて、視線を引きつけて――惹きつけて離さないような、そんな不思議な魅力がそこにはあった。いや、目が離せないのは少女の腹部だからだろう、と言われたら完全に否定することは難しいのだが、掛け値なしに華憐ちゃんのおへそは魅力的なのだが。

「これはきっと、シャラが遺した呪いなんだ。彼女から私に対する呪い。『人を呪わば穴二つ』というやつなのかもしれないな」

 本当に重い女だよ。

 と、その痣を愛おしそうに撫でながら、少女は自嘲的に笑う。

「読んで字の如く、死に物狂いで死ぬ方法を探していたときだ。ある日、ふと、彼女の言葉を思い出したんだ。あの夜、彼女が言った言葉を」

「シャラさんの、言葉……」

――生まれ変わって会いに行くから待ってて。

「ああ、これはきっとそういうことなんだろう、と。そんな風に私は納得した。それがこの現象を説明してくれるもっともらしい理由なんだろう、と。そんな風に私は諦めたんだ。そうして、私はそれから、彼女がこの呪いを解いてくれる日を、私を殺してくれる日を――ここで待ち続けていた」

 そう言って、少女はたくし上げていたTシャツの裾を下ろした。それまで気が付かなかったが、そのTシャツの左胸には例のゾンビ蛙のワンポイントワッペンが施されていた。無惨な死体にしか見えない過激なビジュアルをしたゾンビの蛙。

 そうか――

「だから、初めて会ったとき、あんなことを言ったの?」

 私は、頭を擡げた疑問をそのまま口にした。

 あんなこと。

『私を殺してくれないか?』というひとこと。

 ああ、と。

 少女は、ばつが悪そうに小さく呟く。

「本当に生まれ変わったんだって、本当に会いに来たんだって――やっと私は死ねるんだって、そう思ったんだ。無理もないだろう? 半信半疑ながらずっと、本当に長い間待ち続けていたところに、彼女とよく似たお前が現れたんだ。偶然とは思えなかったよ」

 少女は言う。

「偶然にしてはできすぎだ」

「…………」

 その言葉を受けて、私は記憶を遡る。

 あの日、私は、明確な目的もなく気の趣くままに歩き続け、それまで存在すらも知らなかったこの神社に辿り着き、華憐ちゃんと出会った。

 偶然、雨天により愛莉との約束が流れて。なんとなく、普段であればしないような散策をして。紫陽花を辿るように、見知らぬ住宅街を進んで。猫の気配に誘われて、不気味な細い路地に入って。小紫陽花に導かれるように、見ただけで億劫になってしまうような石段を登って――

 そして、偶然、買い物帰りの華憐ちゃんと遭遇する。

 偶然に。

 偶然――私たちは出会った。

 そういえば、あの日は夏椿の花が咲いていた。

 白く透き通るような可憐で儚い花を咲かせ、一日の終わりにその花を落としてしまうという夏椿――またの名を、沙羅。

 その木の下でこの世を去った彼女シャラと、初恋に巡り合ったサラ

 沙羅シャラ沙羅サラ――

 確かに。

 確かに、よくできた偶然だった。

 偶然という言葉の意味がわからなくなってしまうほどに、よくできていた。

 できすぎていた。

 偶然とは思えなかったという華憐ちゃん。それには、私も大いに同感だった。とてもじゃないが偶然とは思えない。おかしな表現にはなるが――『偶然』という言葉で片付けてしまうには、あまりに偶然がすぎる気がする。『偶然』と言ってしまうには、いくら何でも都合が良すぎる――そんな風に感じてしまうのだ。

 あまりに劇的で。

 継ぎ接ぎだらけの偶然とでも言えばいいのだろうか。強引に繋ぎ合わせて作られたような、無理やり辻褄を合わせているような、そんな不自然さがある。

 胡散臭い――というか違和感。

 そう、違和感だ。

 その違和感の原因――

 それは恐らく、私の異常な行動だろう。普段であればしないようなことを次から次へと実行して、都合よくこの神社へと足を運んだ、あの日の私。

 何かに導かれるように。

 まるで――運命にでも導かれるように。

 運命に……。

 もし、仮に、私があの日、華憐ちゃんと出会ったのは偶然ではなく必然だったとしたら――

 そんな風に考えると、私の尋常ではない行動にも説明がつくし、納得できるような気がする。

 偶然ではなく、ふたりは出会うべくして出会った。

 そう、華憐ちゃんが言ったように、例えば――


 私がシャラさんの生まれ変わり、とか。


 夏椿の下で交わした約束を守るために、私は裂石神社を訪れた。

 まあ、話を聞く限り、約束を交わしたと言うには些か一方的ではあるけれど。

 けれど。

 確かにそれは、この物語を読み解く上でもっとも自然な解釈だった。

 ドラマチックで、ロマンチックで、わかりやすい筋書き。

 そして、それは、華憐ちゃんにとっては――四百年という人間には想像を絶するほど長大な年月を待ち続けた彼女にとっては、救いに他ならなかっただろう。だから、微塵も疑うことなく私をシャラさんだと思い込んだ。

 無理もない。

 できることなら、私もそうであって欲しかった。

 これは決して、自分が特別な存在であって欲しいという、思春期真っ只中にいる中学生のような考えではない。まあ、華憐ちゃんにとって特別な存在であって欲しいというか、なりたいというか、そういう考えが全くないとは言えないけれど。むしろ、そんな考えばかりだけれども。煩悩だらけだけれども。そうではなくて、ただただ切実に、彼女に救われてほしかった。私にそれができるのであれば、是が非でも救ってあげたい。

 だって、あまりに救いがないじゃないか。

 そんなことを言って、結局、私が彼女を救える特別な存在であって欲しいとか、物語における主人公のような役であって欲しいとか、そんな独り善がりな願いなのかもしれないが。

 だが、残念ながら、私にはふたりの過去に関する記憶はない。シャラさんの記憶も、華憐ちゃんとのことも、再会を誓った約束のことも。

 だから、やっぱり、あの日の出会いは偶然だったということになるのだろう。

 確かに、普段の私からは考えられない行動ではあるが、まるっきりありえない行動かと言われると、そうも言い難い。ありえなくはない。

 結果として、私は自分が意図していない形で華憐ちゃんと出会った。

 その結果から見れば――少なくとも私から見たそれは、偶然ということになるのだろう。

 少なくとも、私から見れば……。

 これも、見る側の問題というやつなのだろうか。

 見方の問題。

 見る人が違えば、見え方も違う。

 私以外の人から見れば、偶然ではなく必然だったということもあるのだろうか。

 でも、それは、私にはわからない。わかりっこない。当たり前だけれど、私には、私から見える物しか見えない。だからこそ、見方を変えることが肝要なのだと、愛莉はそう言っていたのだろう。

 見方を変える――

 私から見た華憐ちゃんは、お花のように麗しく、可憐で、儚げな印象のある、まるでこの世の美しさを体現したかのような容姿をしていて。背丈は小さくて、話を聞く限り、十四歳か十五歳ぐらいの、現代で言うところの中学三年生ぐらいの女の子で。でも、その見た目のまま、実に四百年近くを生き長らえていて……。

 四百年もの間、生きて……。

 四百年……。

 え……?

 それって、つまり……。

 一六一七年って言ってたよね……?

 ということは――

「実年齢……四百四歳ってこと……?」

 ごすっ。

 左のこめかみの辺りからそんな音が聴こえた――次の瞬間。私の身体は、部屋の隅の方にある衣類の山をめがけてぶっ飛ばされていた。

 脚色したわけでも、比喩表現として言ったわけでもなく、本当にぶっ飛ばされた。二メートルくらい。比較的身体の大きな私が、華奢で小柄な少女にぶっ飛ばされた。

 しかも、何が恐ろしいって、殴られたのであろう左のこめかみには全くと言っていいほど痛みを感じない。

 一体全体、私の身に何が……。

「話の途中に突然どうしたんだ?」

 私の身体を襲った新体験に呆然としていると、少女は先ほどと何ら変わらぬ佇まいのまま、そう問いかけてきた。

 きょとんと、首を傾げながら、私のことを見ている。

 あれ……?

 私も彼女に倣って首を傾げる。

 てっきり私は、彼女に殴り飛ばされたのだと思ってたけど、そうではなかったのか?

 それは私の記憶違いで、実際には、脳裏を掠めた衝撃的な事実に耐え切れず、私自ら衣類の山に突っ込んだのか?

 なにそれ、こわ。

 車とキモオタは急には止まれないと言うけれど、それで、少女の脱ぎ散らかした衣類の山に身を投げるとか怖すぎるよ。恐ろしすぎるよ。おどろおどろしいよ。

 でも、少女の反応を見る限り、その線が濃厚そうだよな……。

 よく考えてみれば、身体が飛ばされるほどの威力で殴られたのにどこも痛くないなんて、そんなことがあるわけがないし、この小さな少女に、自分より大きな人間を拳で飛ばすような怪力があるとは思えない。

「ご、ごめん。思わず……つい、かっとなってしまって……」

 結局、私は、取り調べを受けた容疑者の如くそんな供述をしながら大人しく元居た場所へ戻り、彼女の正面に座る。

「えっと、それで……何の話だっけ?」

「だから……あの日の姿のまま――十五歳のまま、老いることも死ぬこともできない私は、境内を毎日掃除することを条件に、ここに住むことを許してもらったんだ。そうして、十五歳のままの私は、十五歳のままここで彼女を待っているという話だ。十五歳のままな」

 なるほど。

 どうやら、彼女は十五歳であるという話をしていたらしい。

「でも、それって、見方を変えればさ……『合法ロリ』ってことだよね?」

 ごすっ。

 鈍い音が、再び私の鼓膜を揺らした。

 いや、揺れたのは脳だったかもしれない。

 気が付けば、私はまたしても着用済みと思しき衣類の山に頭から突っ込んでいて、自分を包む華憐ちゃんの匂いに幸せな気分にさせられるのだった。

 なにこれ。癖になりそう。

 そんな、一種倒錯的な快感に襲われながら顔をあげると、私を心配してくれているのか――いや、きっとそうだろう――胡乱な目つきでこちらを見つめる小さな少女がいた。

「まだ私のことを覚えているか?」

「物理で記憶を消そうとすんな!」

 どうやら、記憶もろとも拳でぶっ飛ばそうとしていたみたいだ。

 まったく、油断も隙もないぜ。

「そういえば、華憐ちゃんは長生きしてるのに『のじゃ』とか言わないんだね」

 いわゆる『のじゃロリ』ってやつ?

 と、上体を起こしつつ、私がそう言うと、少女はじとっとした疑惑の目を向けてくる。

「今の話の感想がそれなんだとしたら、私は心底がっかりだよ……」

「えっ」

「『心外の至り』みたいな顔をすんな」

 私を見る彼女の目が、疑惑の目から白い目へと変貌する。

 心外だ。

「第一、十五歳の女子をロリとみなせるのかが怪しいだろう」

「うーん……」

 そう言われると、たしかにそんな気もしてくるけど……。

「じゃあ、中学生ぐらいの見た目で老人語で喋る女の子は、なんて形容するのがいいんだろう」

「……のじゃ魔女?」

「小学生なのかアラフォーなのかはっきりしないけど、中学生ではないな」

 語感は最高水準なだけに惜しい回答だった。

 だが、華憐ちゃんが老人口調で喋っていない以上、それは全くもって意味のない議論であることに気付ける者は、残念ながらこの場にはいなかった。

「そもそもだ。老人語で喋る奴なんてフィクションの世界にしか存在しないだろう。現実で、語尾に『のじゃ』をつける老人を見たことあるか?」

「えっ、現代はともかく、昔はいたんじゃないの?」

 それを聞いて、少女は盛大に嘆息を漏らす。

 いかにも、呆れたという風だ。

「夢見がちな奴だな……。そんな奴がいるわけないだろう。さてはお前、その歳になってもまだ、マクドナリオンのことをマクドと呼ぶ関西人の存在を信じているな?」

「関西人をまるでサンタさんみたいに言うな! ていうか待って、えっ、あの話は嘘だったの!?」

 衝撃すぎる事実に愕然とする私。

 対して、そんな私を悲哀に満ちた瞳で見つめる華憐ちゃん。

「……あれはリップサービスだったんだよ。関東人の手前、喜ばせるためにマクドって言ってるだけで、仲間内では普通にマックって言ってるんだよ」

 それは、未だかつて聞いたことのないほどに穏やかで優しい口調だった。

 そ、そんな……。

 これから私は何を信じていけばいいんだ……。

 華憐ちゃんの口から明かされた、メルヘンすぎる関西人の素性。その真偽のほどはさておき、閑話休題の流れであることは間違いなかった。

 そんなわけで閑話休題である。

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