(蓮)
「じゃあ、この神社の宮司さんは――というか、代々の宮司さんは、華憐ちゃんの秘密を知っているってことだよね。まさか、宮司さんまで長生きしているってわけではないものね」
「ああ。知っているのはここの宮司になった人間だけだ」
それとお前だ。
少女はそう小さく付け加える。
「まあ、宮司が一人で切り盛りしている小さな神社だ。今の宮司が何代目かは覚えてないが、そう多くの人間が知っているわけではない」
「そっか」
ということはつまり、今現在、生きながら華憐ちゃんの素性を知っているのは、当代の宮司さんと私だけということになるのか。
そう多くの人間が知っているわけではない、と。彼女はそう言ったけど、実際的には、知られるわけにいはいかなかった、という方が正しいのだろう。
「彼らには本当に世話になったよ。まあ、今も絶賛世話になっているけどな。この部屋だって、最初は何もないただの空間だったのに、私が生活できるようにと、わざわざリフォームして、電気やら水道まで通してもらったんだ」
どうせ死ぬわけでもないのに、と。
少女は、冗談めかしながら自らを嘲る。
苦々しく、
対して――私は、笑えない。
とても笑えるような冗談ではなかった。
が、なるほど。
神域であるところのこの建物に洗濯機やら水洗トイレやらの設備があるのはそういうことだったのか。
神の間を人間用にリフォーム。
六畳ほどの神座をリビングにして、襖を挟んだ先の――元々は物置だったのであろう空間に、健康で文化的な最低限度の生活に必要な水回りの設備を詰め込んだということのようである。まるでホテルのシングルルームのような間取りだ。
ただ、この小さな本殿。外から見た限りでは、襖の先に広がっている空間は広くて四畳といったところだろう。
となると……。
「流石に浴槽は置けないよね」
我ながら「何の心配をしているんだ」と言いたくなるような気持ちの悪い推察だったが、殊の外、的を得ていたようで――
「まあ、そうだな。あるのはシャワールームだけだ」
と、少女は端的に答える。
だよね。
「あ、そうだ。今度、私の家に来なよ! ワンルームのくせに、無駄に大きな湯船があって――」
「いや、結構だ」
即答だった。
というか、食い気味だった。
「背の高い女子大生にはついていくなと母親に言われているんだ」
しかも、よくわからない理由まで付け足された。
言いつけが限定的すぎる。
悲しい。
実に悲しい。
別に私、洗いっこしたいなんてまだ言ってないよ……?
「それに、湯船ならお前の家に行かなくとも入れるからな」
「えっ、ここにはないんじゃないの?」
本殿内にはシャワールームしかないという話だったはずだが……。
「それは、この建物には置いていないという意味だ」
「…………?」
私は首を傾げる。
「外に手水舎があっただろう?」
「う、うん」
「それだ」
「へ?」
私はさらに首を傾げ、頭に疑問符を浮かべる。
いや、外に手水舎があるのはわかるけれど……。
手水舎がどうしたと言うのだろう。
「だから、それだよ」
「…………」
ほとんど同じ言葉を繰り返されるが、私は全くぴんと来ない。
というか、それだよ、と言ったところで何の説明にもならないと思うのだが、華憐ちゃんは、何が言いたいのだろう……。
そうして、華憐ちゃんの言葉足らずな表現に戸惑っていると、そんな私に嫌気がさしたのか、少女は苛立ちを隠そうともせずに「だ、か、ら」と、強い口調で繰り返す。
「その手水鉢に浸かってるってことだよ」
「…………」
ん――?
「はぁああああああああああああーっ!?」
「なんで今日一番の驚きがここなんだよ。もっと衝撃的な話あっただろ」
と、若干引き気味の華憐ちゃん。
「しょうがないだろう、風呂を置く場所がないんだから。幸い私は身体が小さいからあの手水鉢でも何とか浸かれるし、私の為にわざわざ温水が出るようにしてもらったんだ。もうそこを使うしかないだろう」
「いや、そういう問題じゃあなくない!? 確かにあそこは身を清める場所だけれども! だけれどもだよ!」
「ああ、大丈夫だ、安心しろ。湯浴みの後はちゃんと水は入れ替えてるから」
「はぁあああああああーっ!? もった――」
言いかけて、私は慌てて口をつぐむ。
「もった?」
小さく首を傾げる少女。
ぐっ……。
「……モッツァレラチーズって……美味しいよね」
ふう、危ない危ない。
なんとか誤魔化すことができた。
危うく、思いのままに「勿体ない」って叫ぶところだったぜ。そんなことを言っていたら確実に「きもい」と蔑まれていたことだろうな。
まったく、やれやれだ。
「なんだ急に。きもいぞ」
「…………」
努力も虚しく、結果は同じだった。
実に悲しい。
実に実に。
「まあ、温水が出るようにしてもらったのは割と最近の話でな。今の宮司には特に世話になっているんだ。それこそ、孫の面倒を見るような感じで可愛がってもらっているよ」
華憐ちゃんは言う。
「代々の宮司達には本当に迷惑をかけた。代替わりの度に、前任者から私の事情を説明して――それだけで理解できるはずもないから、お前にして見せたように、自分の身体を傷つけてから元に戻るところを見せて、無理やり理解してもらってきた」
「無理やり……」
「もちろん、中には拒絶するものもいたよ。信じられない、と。信じたくない、と。そう言ってな。それでも宮司の跡を継がないわけにはいかないから、私とは関わらざるを得なかったわけだが、やっぱり、怯えられるというのはあまり気持ちのいいものではないよ」
けれど、それもしょうがない――
「だって――死なないなんて怖いだろう?」
小さな声で。その小さな身体を更に萎縮させながら。少女はそんな言葉を紡いだ。
そして、言い切るやいなや、まるで私の言葉を待つかのように、伏し目がちな表情で黙ってしまう。
いや、実際、彼女は私の言葉を待っているのだろう。
彼女は私に問うていたのだから。
『死なない人間に対して、怖いと感じるか。はい、いいえのどちらかで回答せよ』
彼女から提示されたのは、そういう問いだった。
あまりに不毛で、あまりに残酷な、そういう問いだった。
かの有名な二択問題――新妻から「仕事と私、どっちが大事なの?」と迫られたときのような救いのなさだ。なぜなら、どれだけ悩もうが、どちらを選ぼうが、漏れなく不正解という落ちが待っているからだ。
――死なないなんて怖いだろう?
少女は、そんな風に自らを傷つけながら生きてきたのだろうか。何度も何度も、色んな方法で自分を殺して、けれど死ねなくて。だから、そんな自分を言葉で責めて、傷つけて、呪って――
自罰的に。自虐的に。自嘲的に。四百年もの間、生きてきたのだろうか。
だとしたら、やっぱり、提示された選択肢に正解はないのだろう。はい、いいえ。どちらを選んだとしても、彼女を否定することになってしまうのだろう。
いや、もしかしたら、彼女は否定してほしいのかもしれない。
愛する人に呪われた自分を。死ぬことのできない自分を。
罰するように、否定してほしいのかもしれない。
でも。
それでも、私は、彼女を否定したくない。
否定したらいけない気がする。
否定してしまったら、何かが崩れてしまう気がするのだ。
それは彼女との関係なのか、私の信条なのか、はたまた別の何かなのかはわからない。それどころか、そこに明確な根拠もないし、酷く曖昧で漠然とした予感だけれど。言うなれば、勘だけれど。けれども、やっぱり、私は彼女を否定するべきではないだろう。
だから、私は考える。
藤咲沙羅は考える。
最善の回答を。
正解のない問に対する、最善の回答を。
考える。
考える。
考える。
して――
私は、両の腕を横に広げる。
華憐ちゃんの前で目一杯腕を広げて、言う。
「これくらい」
「…………?」
少女はきょとんとした表情を浮かべて、こてんと首を傾げる。
「私が華憐ちゃんに渡せる愛は精々このくらい。うーん……。
けど――
「こんなんで華憐ちゃんの心の傷を癒せるとは思えないし、これまで華憐ちゃんが生きてきた四百年を報えるとも思えない。うん。そんなの、思い上がりもいいところだもんね」
でも――
「私は華憐ちゃんの全部を愛するよ。甘いものが好きな華憐ちゃんも、片付けが苦手な華憐ちゃんも、自分に厳しい華憐ちゃんも、華憐ちゃんの身に宿る呪いも、華憐ちゃんが生きてきた四百年も――全部、全部愛おしいんだ。華憐ちゃんはきっと自分のことが許せないのかもしれないけれど、それなら私は華憐ちゃんのことを許したい。私は、華憐ちゃんの全部を受け入れて、まるごと愛せるよ。まるごと華憐ちゃんだよ」
言葉の接続がおかしいし、余計なひとことまで混入してしまう有様だった。が、それでも、私は構わず続ける。
「これが私の精一杯だけど。けど、受け取って欲しいんだ」
左右に伸ばしていた腕を閉じて、彼女の両肩にそっと手を添えながら、私は言う。
「私は、華憐ちゃんと出会ったあの日。軽率に運命を感じちゃったよ。ああ、これは絶対に運命の出会いだ、私が待ち焦がれた初恋の人だ、ってね」
「でも……でも、お前はシャラじゃない……」
「……うん。そうだね。私には、シャラさんの記憶も華憐ちゃんに関する記憶も何もない。でもね、華憐ちゃん。恥ずかしながら、運命の初恋をこの歳になるまで信じていたような、メルヘン極まりない私が言うのもおかしな話なんだけどさ――」
――運命なんてこじつけだよ。
私は言う。
「そう、運命を感じたというか――『どうか運命であれ』って、私は思ったよ。だって、こんなに素敵な人に出会えたのに、それが単なる偶然だなんて、そんなの悲しいじゃん。つまんないじゃん」
運命なんだって思えた方が少し幸せな気持ちになれると思わない?
そう、私が問いかけると、彼女は質問に答えるわけではなく、再度同じ問いを投げかけてきた。どうやら、彼女のことを納得させられる回答ができていなかったようだ。
「私が怖くないのか?」
「ぬ」
ぬ、である。
「んー、どうだろう。まあ、そりゃあ、死なないっていうことにはびっくりしたけど……。うーん……。いやあ、だって――華憐ちゃんすっごく可愛いんだもん」
「は?」
「なに? 私は真剣だよ。真剣そのものだよ、まったく。だって、ねえ。本当に、本当に可愛いんだもん。頭抱えたくなるほどに可愛いんだもん。いやさあ、仮に私がシャラさんの生まれ変わりだったとしてさ、殺してくれって頼まれても間違いなく断るね。二つ返事で断るね」
「いや……。二つ返事は快諾の意味だろ。断るなよ」
「いやいやいやいや、こんな可愛い人を殺せるわけないじゃん。無理無理。絶対無理。むしろ、生きて欲しいって思うよ。私なんか華憐ちゃんを保護するための法を整備したいって思ったもんね」
「いや、意味がわからん……。結局、何が言いたいんだ」
「あれ?」
うーん……。
気持ちを伝えるというのは、なかなか上手くいかないものだな。
私は、彼女の肩に乗せていた手を背中に回して、その華奢な身体を丁寧に抱き寄せる。
「つまり、華憐ちゃんには悲しい顔をして欲しくないんだ。まあ、これは、エゴというか、わがままで身勝手な願いなんだけどさ。私は、可愛い子には笑っていて欲しいんだ」
そう。
私は華憐ちゃんの笑う顔が見たい。
「だから、華憐ちゃんに比べたら、老い先短い私だけど、その間は近くに居させてくれないかな」
そして、すかさず私は畳みかける。
「もういっそのこと、こう思ってくれて構わないよ――こいつはどうせ長生きできないんだ。どれ、長い人生の手慰みに相手してやるか――って感じで、情けをかけるつもりでさ。うん。断ったら、きっと後悔すると思うんだよね。ああ、あのときの私は些か素っ気なかったなあって。薄情だったなあって」
「えっ? 私は今、己の良心を試されているのか?」
「ん、んん?」
あれ、おかしいな。
私は一世一代のプロポーズをしたつもりだったのだけれど。
「えっと、だからつまり……。いいよって華憐ちゃんが言うまで、私はあなたを放さないし、ここから離れないよ!」
「えっ? 私は今、理不尽にも脅迫されているのか?『殴らないでいてやるから金を出せ』みたいなことを言われているのか?」
「ん、んんんん?」
あれ、おかしいな。
そんなつもりはなかったのだが……。
うーん。
告白って難しいな……。
まあしかし、放したくないというのは本当だった。
言い訳っぽいというか、自分の悪行を弁護しているようで若干気が引けるが――放したら最後、彼女はいなくなってしまうんじゃないか、と。そう思うほどに、そう思ってしまうほどに、彼女は儚げなのである。
儚げで、不確か。
実際のところは、見た目や仕草からそんな印象を受けると言うだけの話で、なんであれば彼女は死ねないし、他に行く当てもないのだろうけれど。消えてしまうことなんて万が一にもないのだろうけれど。
けれど、こうして両の腕の中に彼女の体温を感じて、確かに彼女はここにいるのだという実感がないと、得も言われぬ不安感に襲われてしまうのだ。
何故だろう。
これが、恋心というやつなのだろうか。
抱きしめているだけで、安心する――って、あれ……?
待って、私、何で華憐ちゃんを抱き締めてるんだっけ?
あれ?
あれれれれ?
たしか……悲しそうな顔をしている華憐ちゃんを慰めようとして……そしたら勢いで告白しちゃって……しかも二回目の告白をしちゃって……。
そのときに、説得力を増すためというか、つい雰囲気に流されたというか……。
いや、でも、抵抗されないってことは向こうも満更ではないってことなのでは?
とか、思っちゃったり?
ああ、やばい。
意識したら急に恥ずかしくなってきた。
顔が熱いし、胸が高鳴ってるのが自分でもわかる。
これ、華憐ちゃんにも聞こえてるのかな。
なんとなく――いや、肉体的お姉さんとしての威厳を保ちたい私は、惑っている自分の心境を彼女に知られたくなくて、大人の余裕を魅せたくて――腕は華憐ちゃんの背中に回したまま、胸と胸の距離を取るように少しだけ身体を引く。
すると、華憐ちゃんはここぞとばかりにふたりの間に腕を差し込んで、私の身体をぐいと押し退けながら言う。
「暑い。放せ」
「あっ、ごめん」
私は慌てて少女の身体を開放し、大袈裟に距離を取った位置に座り直す。すると、何故か怪訝そうな表情を浮かべた少女と相対した。
「自分から抱きついてきといて、なんで顔を真っ赤にしてるんだ、お前は」
「あぁあああああああああーっ! 言わないでよっ!」
私の努力が一瞬で無駄になった。
恥ずかしすぎる。
「いや、情緒不安定すぎだろ……。どうした急に」
「だって華憐ちゃん、いい匂いするから! すっごくいい匂いするから! いけないのは私じゃないもん!」
「なんで私が切れられてんだよ。ストーカー論法はやめろ」
ごもっともだった。
そうして、お姉さんとしての威厳をかなぐり捨てた私の逆切れ行為は全く功を奏さないという結果に終わったのだった。
めでたし。
「まったく……」
と。少女は、大きく溜息を零しながら、だぼだぼなTシャツの胸元をぱたぱたと扇ぐ。感情も透けて見えてしまいそうなほど白く透明感のある肌を、少しも染めることなく。綺麗なままで。
その表情は、まるで清涼飲料水の宣伝女優のように凛としていて、思わず暑さも忘れてしまうほどに見蕩れる私だった。
本当に、感情が顔に出ない少女だ。
なんだか、逆に大人の余裕を魅せつけられた気分だった。
なんだかなあ。
あ、そういえば――
「華憐ちゃん、私まだ、答えを聞いてないんだけど……」
「んん?」
「ほ、ほら、近くに居させて、って……」
同じことをもう一度言う気恥ずかしさを押し殺しながら私がそう言うと、少女は「ああ」と呟き、しばし逡巡する。
そして、相変わらず、透き通るような無表情で、こう言った。
「好きにしろ」
ぶっきらぼうに。
不愛想に。
そう言った。
「あはは、そっか」
よかった。
「ああ、華憐ちゃん。それとさ」
「ん、なんだ?」
「あの、是非とも怒らないで聞いて欲しいんだけど……」
華憐ちゃんは小さく首を傾げる。
「えっと。これは、華憐ちゃんよりも女性として歳をとった先輩からのアドバイスなんだけどね……」
少女はこくりと頷く。
「成長しないとはいえ、それでもやっぱり華憐ちゃんの今後の為を想ってのことなんだけど……」
「歯がゆい奴だな。もったいぶらないで早く言え」
と。華憐ちゃんはじれったそうに、むっと眉根を寄せる。
一呼吸置いて、ついに覚悟を決めた私は、少女の胸元を指で示しながら言った。
「……下着は、着た方が良いと思うよ」
ごすっ。
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