(月)
「さっき、あの人と何を話してたの?」
大学から住宅街を抜けて、駅前へと続く商店街に差し掛かった頃だった。それまで無口だった愛莉が不意にそう問いかけてきた。
「あの人って?」
いつも通り、私の少し前を歩く彼女に追いついて、その愛らしい顔を上から窺いながらそう問い返すと、彼女は「ほら」と、ぶっきらぼうに言葉を紡ぐ。
「実験実習のときに喋ってた人」
「ああ、藤滝くん?」
と、そう答える私に対して、彼女は縦なのか横なのか判然としない曖昧な角度で首を振る。
ははん。
さては、彼の名前を知らないな?
まあ、でも、しょうがないというか、無理はないか。同じ学科でも学籍番号の遠い人とは意外と交流が少ないからな。
が、しかし。春陽くんの話が気のせいではなく、本当のことだったとしたら、彼女は名も知らないような相手を睨んでいた、ということになるのか。
うーん。
それほどまでに彼を恨むとは。いったい、彼女と彼の間に何があったのだろうか。
「気になるの?」
そんな私の問いかけに、彼女は、ぶすっとした表情のまま、こちらに目を向けることなく首を縦に振った。
苛立ちを隠せないといった風に、はっきりと縦に。
「…………」
ああ、今のは少し意地悪な質問だったかな……。
もしかしたら、あのとき、春陽くんとの会話が少し聞こえて、愛莉が話題に挙がっていることを彼女は察したのかもしれない。だとしたら、そりゃあ気になるよな。当たり前だ。
そんな風に、自分の軽率な発言を反省しつつ、私はようやく最初の質問に回答した。
「藤滝くんに好きな人ができたらしくて、その話をしていたんだよ」
春陽くんには申し訳ないが、これくらいの情報は開示しないと、彼女は納得してくれないだろう。やむを得まい。それに、彼も、好きな人ができたことに関しては、内緒にして欲しいとは言っていなかったから、問題はないだろう。
すると、愛莉は相変わらずぶっきらぼうな口調で「へえー」と言葉を紡ぐ。
「誰のことが好きなの?」
「んー。それは言えない。でも、私の知らない人だったよ」
「えっ、違う学校の人?」
「あー……」
まあ、学生ではないが、ここはそういうことにしておこう。
「うん、そんなとこ。あ、誰にも言わないであげてね?」
愛莉が無闇矢鱈に言いふらすとは思えないし、そもそも言いふらす相手がいるのかもわからないが、念の為だ。
そうして、そろそろ気になっていた事案――春陽くんの好感度に迫ろうと、右隣、というか右下を振り向くと――そこあるはずの彼女の姿がなかった。
「んん?」
何事かと焦ってしまったが、なんてことはなく、後ろを振り返った先に彼女の姿はあった。どうやら、彼女が立ち止まったことに私が気づいていなかっただけのようだ。
「どうしたの?」
私は、彼女の元へと来た道を戻りながら、往来の真ん中できょとんと首を傾げて立ち尽くしている彼女にそう問いかける。すると、彼女は傾げた首もそのままに、ぽつりと小さく呟いた。
「サラちゃんじゃあないの?」
「へっ?」
突飛な質問に、思わず私も首を傾げる。
「藤滝くんの好きな人は、サラちゃんじゃあないの?」
「え、なにそれ。いやいや、全然違うって。だから、藤滝くんが好きなのは別の学校の人で、それは私の知らない人だし、多分愛莉も知らない人だよ」
どこで誤解をさせてしまったのか、不思議な質問を繰り出してきた彼女に、私はもう一度、彼の想い人を説明する。
すると、彼女は「そっか……」と小さく呟き――
「なあーんだ。へえー。そうだったんだ!」
と、これまでとは一転。実に明るい声音でそう言い放ち、軽い足取りで歩き出す。
「え、ええ?」
そうして、今にもスキップをし始めそうなほど上機嫌な彼女の足取りに、呆気を取られてしまった私は、思考だけでなく物理的にも置いていかれる。
どうにも、感情の起伏が掴めない。
「何かいいことでもあったの?」
急いで彼女に追いつき、そう問いかけると、彼女はやっぱりご機嫌な様子で言葉を紡ぐ。
「なんでもないよー」
「嘘だ。なんでもないってことはないでしょう」
「うふふ。いやあ、藤滝くんってなんだか可愛い見た目してるなーって」
「ああ、わかる。男子大学生とは思えない可愛さしてるよね」
「うん。なんというか、リトルツインシスターズのルルに似てる」
「わかる! 私もそう思ってた!」
「だよね! お姉さんに無理やり女装させられてそうなところとかめっちゃ似てるよね!」
「前言撤回。待って、全然わからないんだけど、それ何の話?」
「何って、リトルツインシスターズのルルとナナの話だけど」
「え……。ルルって女の子じゃないの?」
「男の子だよ?」
「そうなの!?」
衝撃の事実。
まさかのシスターズじゃなかった。
「え、じゃあ、なに? リトルツインシスターズってどういう話なの……?」
「あれ、知らなかったの? あれはね、親の再婚をきっかけにナナと義理の姉弟になったルルが、変態的な趣味を持つナナに振り回される、どたばたラブコメディだよ」
「血も繋がってないのかよ!」
ファンシーでキュートな絵柄からは想像もつかないほど、ごてごてのラノベのような設定だった。
わからない。
ヨンリオの世界観がわからない……。
「そんなことよりさ、サラちゃん。帰る前にご飯食べていかない? ほら、気になるって言ってたパスタ屋さん……。なんだっけ」
「ああ、えっと……『ぱすたったぁた』?」
『そう、それ!『ぱすたったぁた』! 今日なら席も空いてるんじゃない?』
「たしかに。いいね。折角、実習も早く終わったことだし、行ってみよっか」
「うん!」
そうして、商店街の中頃にある、昭和レトロな雰囲気の漂うパスタ屋――『ぱすたったぁた』を目的地に足を踏み出した、そのときだった。
「サラか? こんな所で何をしているんだ?」
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