(下)

「やだ、可愛い~! お人形さんみたい~!」

「ど、どうも……」

「控えめなところもまた可愛いわ~! もう、サラちゃんったら、いつの間にこんな可愛い子と交際があったのよ~!」

「ああもう、お母さんってば、私のお客さんに迷惑かけないでよ」

「あら、いけない。またやってしまったわ。反省反省」

 あまりの可愛さについつい。

 と、そう言いながらも、華憐ちゃんを見つめて涎を垂らさんばかりに頬を緩ませる母。本当に反省しているのかは定かではない。

 一方の華憐ちゃんは、満更でもない表情を浮かべている。いつも私が褒めたって無表情のくせに、この反応の違いはなんだろうか。何とも言えない悔しさがふつふつと湧いてくる。

「申し遅れてごめんなさいね。私は藤咲菊子きくこ。サラの母です」

「華憐……です……」

「華憐ちゃん! 名前まで素敵なんて、もう堪らないわね!」

「ちょっと、お母さん、さっきからがっつきすぎだって……」

 それを目の前で見せられる娘の気持ちを考えたことがあるのだろうか。

 恥ずかしいんだから。

 本当に。

「ところでお母さん、今日は急にどうしたの?」

「ああ、そうそう。だいぶ遅くなったけど、あなたのお誕生日をお祝いしようと思ってね。ほら、ケーキも買ってきたのよ」

 そう言って、母は、片手に提げていたビニール袋を私へと差し出す。

「なるほどね。けど、だとしても、事前に連絡はくれないと困っちゃうよ」

「あら、つれないわね。驚かせてあげようと思ったのよ」

「はいはい、ありがとう。でもさ、ほら、現に困ったことになってるじゃん……」

 言いながら、華憐ちゃんの方へと視線を向けると、彼女はいつもの無表情に戻っていて、それから、感情の起伏を感じさせない事務的な口調で言う。

「いや、私のことなら気にするな。私は席を外そう」

「いやいや、それは申し訳ないよ」

「折角なんだ。親子水入らずで楽しんでくれ」

 そうして、華憐ちゃんは「一時間後ぐらいには戻る」とだけ言い残して、部屋着のまま外へ出て行ってしまった。

「あら、申し訳ないことしちゃったわね」

「本当に……」

 帰ってきたらプリンだけとは言わず、他のお菓子も食べさせてあげよう。

 そんなことを考えながら、母の買ってきたケーキを冷蔵庫にしまっていると、母は、にやにやとした表情を浮かべながら質問を繰り出してくる。

「で、あの子とはどういう関係なのよ」

「ただの大学の友達だよ」

 まさか『二か月前に偶然出会った十五歳の女の子で、つい昨日から同棲を始めました』とは言えず、苦し紛れにそう誤魔化すと、母は、ふっと鼻を鳴らして言う。

「嘘ね、私の女の勘がそう言っているわ」

「…………!」

 どうやら嘘であるということはバレバレらしい。

 まあ、たしかに、華憐ちゃんを大学生と言い張るのは無理があったかもしれない。いくら大人びた見た目をしているとは言え、高校生ぐらいが限界だろう。

「嘘を吐くなら、もう少しまともな嘘にしなさい」

「ご、ごめんなさい……」

 が、しかし、十五歳の少女と交友関係にあることなど、どう説明すればいいのだろうか。正直に話したら、怒られるどころではなく、警察のお世話になる可能性だってある。

 絶体絶命だ。

 それでも、ここから巻き返せる上手い言い訳はないかと、私はもじもじとしながら必死に思考を巡らせる。すると、母は、そんな私に呆れたという風に、はあと溜息を零して、口を開く。

「あなたたち、付き合っているわね?」

「…………へっ?」

「ただの友達なんて、嘘おっしゃい。あの子、どう見たってお泊りしている格好だったじゃない」

 私の目は誤魔化せないわよ。

 と、怜悧な視線を向けながら母は言う。

「昔から、交友の少ないあなたが友達を家に泊めるなんて考えられない。すると、つまり、あの子は特別な存在。そう、そこから導き出される答えは……ずばり、華憐ちゃんは彼女!」

「え、ああ……うん……」

「やっぱり、そうなのね! もう、最初からそう言ってくれればいいのに! お母さんは、サラちゃんが男の子と付き合っていようが、女の子と付き合っていようが気にしないわよ!」

「いや……その……ちがくて……」

「それに、このままいけば、あんな可愛い子が私の娘になる可能性があるってことでしょう!? 可愛い子ふたりが娘なんて、もう最高じゃない!」

 母は興奮気味に語る。

「ああ、早く結婚式が見たい! ふたりでドレスを着るのかしら、それとも背の高いサラちゃんが男装するのかしら! いやぁあん! どっちも素敵! ねえ、式はいつ!? いつ挙げるの!? お母さん、それを見るためならいくらでも払うわよ!」

「お母さん、落ち着いて……。 気が早すぎるよ。それに、同性婚は認められていないから、どうしたって娘にはならないよ」

「いいえ、憲法なんて最初から当てにしていないわ! パートナーシップ制度でもなんでも結べば、それでもう私の娘よ! あの子は誰にも渡さないんだから!」

「だから、落ち着いて! 趣旨が変わっちゃっているよ!」

 いつの間にか、私の幸せではなく、母の利益が目的となっていた。

「あら、ごめんなさい。いけないわね、つい興奮しちゃったわ」

 更年期かしら。

 そう言いながら、額と口元をハンカチで拭う母。

 色々と心配になる言動だ。

「とりあえず、落ち着くためにもお茶でも入れようか?」

「そうね、お願いしようかしら」

 そうして、私は紅茶の茶葉を二杯分、ティーポットに入れてお湯を注ぐ。それから一分程蒸らし、ふたつのカップに注いで、片方を母に差し出した。

「ありがとう」

「ん」

 母は、すぐには口を付けず、カップから立ち上る湯気をしばらくの間、ぼうと眺めていた。その姿に、ホットよりもアイスの方がよかっただろうかと、気を揉んでいると、母は不意にその口を開いた。

「なんか、見たことあるような気がするのよね」

「え……?」

「ああ、いや、華憐ちゃんのことなんだけど、何故だか初めて見た気がしないのよね。なんでかしら……」

「デジャブ?」

「そう、なんか既視感があるのよ。うーん……夢で見たのかしら……」

「夢ね……」

 もし本当にそうだとしたら、それはまた随分と不思議な話である。

 正夢と言われる現象だろうか。

 母は、紅茶に口を付けてから、ううんと首を捻る。思い出そうにも、上手く思い出せないようである。

 そこで、ふと、最近みる夢のことを私は思い出し、話題に挙げる。

「夢と言えばさ、私、最近同じ夢ばっかりみるんだよね」

「あら、どんな夢かしら」

「女の子が泣いている夢」

「女の子が泣いている……?」

「そう。理由はわからないんだけど、兎に角、私の目の前で、女の子がずっと泣いているの」

「…………」

「それで、何とか泣き止ませようとするんだけど、いつも泣き止まなくて、そのまま目が醒めちゃうんだよね」

 何かの予知夢だったりしてね。

 と、冗談半分で私が言うと、母は神妙な顔つきで口を開く。

「その夢、私もみたことあるわ」

「えっ……?」

「私も、サラちゃんぐらいの歳の頃かしら、よくみていたわ。サラちゃんを産んでからは、ぱったりとみなくなったけれど」

「お母さんも、同じ夢を……?」

「ええ。それに、私だけじゃないわ。私のお母さんも、昔よくそんな夢をみたって言っていたわ」

「うそ……おばあちゃんも?」

「ええ、やっぱり同じく、私を産んでからはみなくなったと言っていたわ」

 不思議なこともあるのね。

 と、母はさして興味がなさそうに、雑に話をまとめる。

 それは不思議というには、あまりに不思議な話で、もはや不気味な感じすら覚える奇妙な話だった。

 夢が遺伝……?

 そんな現象は、寡聞にして聞いたことがないが、母の話を聞く限り、そう解釈するのが一番自然な気がする。脳の構造が似ているから、同じような夢をみる。とか、そんな感じなのだろうか。

 むう。わからない。

 わからないけれど。

 けれど、どうにも引っかかって、気になる事柄だった。

 それこそ、忘れてしまった夢の内容を思い出そうとしているときのような歯がゆさだ。

 しかしまあ、決してわからない懸念を気にしてもしょうがないか。

 そうして、燻るもどかしさを洗い流すように紅茶を飲み干すと、そんなタイミングを見計らったように、母は「そんなことより」と、話題を変える。

「最近、愛莉ちゃんはどう? 元気そうにしてる?」

「うん、元気だとは思うけど……どうして?」

「高校生の頃、よく家に遊びに来ていたでしょう? なんとなく気になって」

「なるほどね。今も仲良くやってるよ」

 この場面も『今、彼女から避けられていて、気まずい関係です』と、本当のことは言えなかった。母に心配させたくないという気持ちもあったが、一番は、母に相談することは避けたかった。

 母は、愛莉のお母さんとの繋がりがある。だから、母に相談すれば、親経由で解決の糸口を掴むことができるかもしれない。だがしかし、こればっかりは自分で解決しなくてはいけない問題のような気がしたのである。

 すると、母は「そう。それならよかったわ」と呟き、それから、どこか悲し気な口調で言う。

「私てっきり、サラちゃんの結婚相手は愛莉ちゃんなのかとばかり思ってて、これはまた可愛い子が娘に来るぞってわくわくしてたんだけど」

「本当にそれしか考えてないな!」

「そんなことないわよ。一番はサラちゃんの幸せよ。サラちゃんが幸せになってくれるなら、どんな息子だろうと、どんな娘だろうと大歓迎よ」

「ふうん……?」

 どうにも母の理想の家族計画に使われているような感じが拭えず、胡乱な目つきで母を睨むと、母は「本当よ?」と、余裕な態度でウインクしてみせる。

 それから、母はカップに残っていた紅茶を飲み干して、立ち上がる。

「じゃあ、そろそろ行こうかしら。華憐ちゃんにも申し訳ないしね」

「え、もう? ケーキは食べないの?」

「ケーキは華憐ちゃんと食べなさい。私のためにわざわざ出かけさせちゃったお詫びとしてね」

 そうして、母は玄関へと向かい、靴を履いて、ドアの取っ手に手を掛ける。そこで、ふと、思い出したという風な仕草を見せて、肩から提げているバッグを探る。

「そうそう、忘れていたわ。これ、誕生日プレゼント」

 そう言って、母は、小さな箱を私に差し出す。

「え、ありがとう! 開けていい?」

「ええ、もちろんよ」

 開けると、中にはピアスが入っていた。

 ゴールドを基調とした、シンプルなデザインのピアスだ。

「嬉しい、ありがとう! 大事にするね!」

「ふふ。喜んでもらえて何よりよ」

 それじゃあ、行くわね。

 そう言って、再び、ドアの取っ手に手をかける母。それから、ドアを開けて振り返り、冗談みたいに真面目な表情を浮かべて、言った。

「ちゃんとゴムは着けるのよ?」

「どこに着けるんだよ!」

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