異世界FIRE
遊び心
第一章 異世界でもう一度FIREを目指す
第1話 FIREとは経済的自由を得て早期退職すること
最強のチートスキルが何かと問われれば、オレ・
だが、錬金どころか、オレには誇れるスキルなんてひとつもない。
オレにできることといえば、ただひたすらガムシャラに働くことだけだった。
お金というチートアイテムを得るために、この10年間必死で働いた。
毎日20時間、土日祝も盆も正月も関係なく、起きている間はずっとだ。
高価な服や時計やクルマなんていらない。
付き合いが必要な友人や彼女はいつの間にか去っていた。
寝に帰るだけの安普請は築何十年経っていただろう。
興味がないから気にも留めなかった。
奴隷のような社畜生活は、ただひたすら稼いで貯めるだけのクソゲーだと割り切っていた。お金持ちになったその先にある幸せのために。
安心安全で心穏やかな生活を約束してくれる、どんなときでもオレを護ってくれるお守りだと信じていたからこそ、『円』を錬金するためだけに10年という歳月を犠牲にしたのだ。
だが、世界最強の通貨のひとつだと信じていた円も、異世界では通用しない。
各異世界にもそれぞれの通貨がある。
それはこの異世界『マニィ』でも同様だ。
尻ポケットから財布を取り出し、なかを覗く。
諭吉と樋口はいない。
野口が5人だけだ。
なんとも頼りない戦力である。
「スマホも不通か」
オレは舌打ちした。
日本からの電波が届いていない。
これでは諭吉も樋口も召還できない。
現金以外では唯一の財産といえるスマホだが、こうなると魔石よりも価値がない。
暴落した株価を眺めるような虚ろな瞳がディスプレイに反射しているだけだ。
FXで全財産を溶かしたヤツもこんな顔をしているのだろう。
野口よりも無価値な30過ぎの無職がそこにいた。
裏切られた。
いや、故意ではない。
突発的な事故なのだろうとは思う。
だがそれでも恨みたくなる。
どこの誰が開発したのかは忘れたが。
異世界ゲートの開通・維持する技術は発展途上なのだろう。
救助信号も届いているかわからない。
遭難する確率は飛行機の事故より高そうだ。
「まさかこんな形でお金を失うなんて夢にも思わなかったな……」
「ホンマに、事故や詐欺だけは気ぃつけんとあかんなあ」
独り言のつもりでつぶやいたが、反応が返ってきた。
コイツも同じタイミングでゲートを潜ってきたのだろう。
「築き上げるんは時間がかかるけど、失うんは一瞬やで」
「想定の範囲外だよ、こんな状況。オマエはよくそんな余裕かましてられるな」
「オマエやない。
獅子は指を立てて宙をなぞった。
自分の名前を書いたようだ。
年齢はオレより下で、20そこそこだろうか。
もしかしたら学生かもしれない。
髪を真っ赤に染めているのでまっとうな勤め人ではないだろう。
服装もジャケットにジーンズ、クロックス履きという『ちょっとコンビニまで』といったラフな格好だ。
いかにもニートかフリーターといった能天気さである。
「旅にトラブルはつきもんやろ?」
「二度と帰れないかもしれないんだぞ。獅子には失うモノなんて無いのかもしれんが、オレは向こうに全財産を残してきてるんだ。なにがなんでも取りに帰らないと」
「どうやって?」
「知るか!」
オレは苛立ちのあまりスマホを投げつけそうになったが、怒りをぐっと抑え込み、ひたすら耐える。
ゲートが復旧したら必ず必要になる。
今は使えなくても財産であることに変わりはない。
元上司のパワハラに比べればコイツのチャラい態度なんてお茶に雑巾の絞りカスを混ぜるようなものだ。
「お金以外に取りに帰らんといかんモンは?」
「無い」
「ほな大したことないやん」
「獅子にはお金のありがたみが分からないんだろう」
愛や友情があればお金なんていらない。
そんな青臭いキャッチコピーを信じられるお年頃なのだろうか。
これから現実という名の洗礼をイヤというほど味わうことになるとも知らずに呑気なものだ。
オレがどれだけ苦労してきたか説教してやりたいところだが『最近の若者は』なんて老害じみたセリフは吐きたくない。
代わりにとっておきの知識を披露した。
「なあ獅子、オマエ『FIRE』って知ってるか?」
「炎のことやろ?」
「違う。FIREってのは、若いうちにガバッと稼いで、さっさと仕事を辞めちまおうって意味だ」
✅FIRE豆知識❶~FIREとは~
・FIREとは『Financial Independence, Retire Early(ファイナンシャル・インディペンデンス、リタイア・アーリー)』の略。
・経済的に自立し、早期退職するという意味。
・生活費より不労所得が上回ればFIRE達成。
「ああ、そっちか。なんか最近流行っとるらしいな」
獅子は食傷気味に鼻息をもらした。
「なんだ、知ってるのか」
「概要くらいわな」
「オレはな、FIREするためにこの世界に移住しようと計画していたんだよ」
オレがこの10年で貯めたお金は2,000万円だ。
普通ならじゅうぶんな額だと思うだろうが、日本で暮らすならこの程度では一生安泰とはいかない。すくなくとも2億はほしい。
だが、10年で2,000万しか貯蓄できなかったのだから、2億となると単純計算で100年はかかる。これでは早期退職どころか死ぬまで働いても届かない。
しかし、こちらの物価は日本の10分の1くらいだ。
ということは、実質2億円分の消費が可能になる。
家賃や食費といった生活費は、1ヶ月あたり2万もあれば暮らしていける。
年間だと24万の支出だ。
これなら2,000万使い切るまで83年もつ。
「つまり、日本とマニィの物価差を利用してFIREしようっちゅう算段だったわけやな?」
「そうだ」
贅沢さえしなければ経済的に自立した状態をキープできるはず。
そう計算したからこそ、社畜生活とおさらばしたのだ。
物価は上がるが給料は上がらず、どんどん安くなる円を抱えたまま貧しくなる日本と一緒に心中する気もない。
移住先の異世界を決めたら、すべてそちらの通貨と交換するつもりでいたのだが……この世界に永住するかはまだ未定で、今回は下見のつもりできため、ほとんど円を持ってこなかったのが失敗だった。
「ああ、こんなことになるなら有り金全部現金化して、つねに持ち歩くべきだった」
「そっちの方がリスク高そうやけどな」
「うるさいな、分かってるよ!」
オレは頭を抱えて叫んだ。
若造相手にみっともないが、旅の恥はかき捨てだ。
「10年間必死に働いて貯めた財産を一瞬ですべて失ったんだ。オマエにオレの気持ちなんて分かってたまるか!」
「まあ分からんけども」
「すこしは慰めろよ!」
「あきらめてこっちでまた稼いだらええやん」
「オレはもう働きたくないんだよ」
「お金好きそうなくせに?」
「そう、オレが好きなのはお金であって労働じゃない。獅子は知らないだろうが、こっちの相場を知ったら働く気なんて失せるぞ」
FIREはしたいがまた働くなんてあり得ない。
この世界は物価が安いが、それと同時に報酬も安いのだ。
クエストを請けられたとしても、また何十年と働くハメになる。
「穂村はこっちの世界は初めてちゃうんやな」
「ああ、今回で2度目だ」
「それだけの価値があるっちゅうわけや」
「オレにとってはな」
だが、その価値もお金を失えば享受できない。
「ふうん、そしたらある程度こっちの知識はあるわけや」
獅子がかんたんに相槌を打った。
オレの悲劇にはまるで関心がないといった表情だ。
何か別のことを考えているに違いない。
「ま、なんにせよ、ここで話しとってもしゃあない。とにかく今は近くの街にいこうや。ほんで救助が来るんを待とう」
獅子が指し示す方角に明かりがみえた。
あそこはたしか『ブラックリィ』という街だったか。
治安が良いとは言えないが、外で夜を迎えるよりはましだ。
反対方向にも街があったが、そちらは少し遠くて日没までには辿り着けないかもしれない。この辺りのモンスターは弱くて大人しいが、陽が沈めば夜行性のモンスターとのエンカウント率は高まる。
オレは再び財布を取りだし、野口をみつめた。
コイツらを使い切る前に日本に帰れればいいのだが。
宿と食事を節約すれば1週間はもつだろうか。
とりあえずこちらの通貨と交換しなくては。
心許ないお守りを握りしめ、オレたちは街へ向かった。
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