第8話 FIREする目的は自由を得ること

 トラップときいてオレはまず足元をみた。

 足にかけるワイヤーロープのようなモノを想像したからだ。

 だが、そういう物理的な仕掛けではなかった。

 見上げると鳥居を中心に文字が浮かんでおり、それが一帯に広がっている。


「やられた。魔力を無効化する魔法陣ね」


 ノエリアが悔しそうに歯噛みした。

 どうやら魔法は人の手を介さなくても発動できるらしい。

 いろんな使い方ができるチートアイテムなのだと再認識した。


「うまく逃げたつもりだっただろうが、ワシの方がうわ手だようだな。さあ、観念して魔石を渡してもらおうか。オマエたち労働者が資本家に逆らうとどうなるか教えてやる。手間をかけさせられた分、冒険者ギルドからもたっぷりと搾り取ってやるからな」

「ギルドに手を出させるものですか!」

「もちろん暴力はしない。ただ、ちょいと魔石の価格を釣り上げてやるだけさ」

「やめて。そんなことしたらみんなが困るわ!」

「なら、おとなしく言うことをきくことだな」


 バグとノエリアがにらみ合う。

 だが、あきらかに分が悪い。

 無言の攻防が繰り広げられたが、折れたのはノエリアの方だった。


「分かったわ……」


 うなだれてあきらめたかに思えた。

 だが、その目は死んでいなかった。

 小さな魔石を1つくちに咥え、飲みこんだ。


「ワタシはそれでいい。でも彼らは逃がす! ホムラ、バケツをしっかり抱えて!」


 そう叫ぶとノエリアは、オレと獅子の襟元をつかむ。

 体内で魔石を発動させたのだろう、その内側から魔力が溢れだした。


 次の瞬間、オレのからだが宙を舞う。

 一瞬何が起きたかわからなかったが、バグやガーディアンたちがあっけにとられたように目を丸め、雁首揃えてこちらを見上げているのを見て状況をのみ込んだ。


 高く投げ出され、上下逆さまになっている。

 放物線を描き、一瞬の浮遊感を味わったのち、落下していく。

 数十メートル離れたところで地面に激突した。


 だが痛みはない。

 またバフがかかっているようだ。

 しかし着地したところでそれはすぐに消滅した。

 みれば獅子も同じように投げ飛ばされ、すこし離れたところに転がっている。


「小癪なヤツめ。離さんか!」


 バグの怒鳴り声がきこえ、オレはトラップの方をみた。

 元居た場所にノエリアがいない。

 さらにバグの方へ視線を移すとその後ろで羽交い絞めにしている。

 オレたちを投げ飛ばし、衆目を集めた隙にバグの背後へまわり込んだようだ。


「足止めはワタシに任せて、アナタたちはギバー商事の元へ!」

「させるか!」


 バグが力任せにノエリアを振りほどく。

 本来の腕力では商人にも勝てない。

 すぐに引き剥がされ、突き飛ばされた。

 倒れたところにガーディアンが槍で突いた。

 それかわすも次々に矛先が向けられる。


「やめろや!」


 獅子がつるはしを持ち、助けに走った。

 ガーディアンをかき分けようとからだをねじ込んだが、かんたんに弾き返される。

 鎧で身を固めたガーディアンにつるはしはまったくきかない。

 あっという間に2人が同じ場所に追い立てられ、背中合わせになった。


「バカ、なんで戻ってきたのよ!」

「女の子だけに無理させて逃げられるか――ぐはッ!」


 バグが獅子を殴打した。

 腹に1発。倒れ込んだところで顔面に数発。

 指にはめていた宝石が血に染まる。


「まったく、苦労をかけさせやがって」


 悶絶し、崩れ落ちた獅子に唾を吐きかけた。

 その顔は殴られた獅子よりも醜く歪んでいる。

 とうとう化けの皮が剥がれたようだ。


 バグがオレを睨んだ。

 オレはたじろぎ後退る。


「どうした、仲間のピンチだぞ。なぜオマエは動かない?」


 もちろんオレも加勢したいと思ってはいる。

 だが気持ちとは裏腹に足が竦んで動かない。

 死神のような笑みを浮かべながらバグが問う。


「どうする? 戦うか、それともまだ鬼ごっこを続けるか? どちらを選んでもオマエらは死ぬ。だが降参して石を渡せば奴隷として生かしてやってもいいんだぞ?」


 ガーディアンがにじり寄ってきた。

 戦っても返り討ちにあうのは目に見えている。

 数でも力量でも敵うはずがない。

 劣勢はあきらかだ。


 このまま魔石を持って逃げてしまいたい。

 だがそれも時間の問題で、すぐに捕まってしまう。

 オレは横目でゲートをみた。

 帰りたい。

 だけど、帰れない。

 そう悟った瞬間、心が折れ、膝をついた。

 降参のジェスチャは異世界でも共通なようで、ちゃんとバグにも伝わった。


「そうそう。オマエは物分かりがいい。しょせん何にもなれない臆病者なんだから、そうやっておとなしく頭を垂れてりゃいいんだよ。それじゃあ魔石を渡してもらおうか」


 バグがほくそ笑みながらオレに近づく。

 薄汚い手のひらをみせ、バケツを渡すよう要求している。

 オレは魔石の入ったバケツを握りしめる拳を緩めた。

 プライドを手放そうとしたそのとき、獅子が怒鳴った。


「穂村、オマエそれでええんか!?」


 獅子の言葉が胸に刺さる。

 もちろん良いはずがない。

 だが悔しいが仕方がない。

 命あっての物種だ。


 こういう輩には形だけのパフォーマンスでも効果がある。

 そう、これは演技なのだ。

 オレ自身も自分を偽っているのだ。

 こんな単細胞にオレの心の内までは見透かせまい。


 一瞬思考がとまった。

 オレ自身も……偽っている? 

 なにを? 


「穂村はこの世界にFIREしに来たんやろ!? 欲しかったんは金か? いいや、違う。オマエがホンマに欲しかったんは自由のはずや。支配権を他人に与えるな! お金や権力に屈するな! ここで諦めたらどこ行ったってFIREなんかできへんで!」


 そうだ。

 FIREしたかった理由はお金じゃない。

 お金はたんなる道具であり、手段だ。

 オレが『FIREする目的』は、お金の先にある自由を手に入れたかったのだ。


✅FIRE豆知識❼~FIREする目的~

・労働から解放され、自由を手にしたその先、何をしたいのかが問題。

・働きたくないなら働かなくてもいいし、働きたいなら働いてもいい。

・何をするか自由に選べる状態になることがFIREの目的。


「さっきから何をごちゃごちゃほざいてやがる。いいからさっさと寄越せ!」


 バグがバケツを奪いにかかる。

 その醜悪なツラが過去の上司と重なった。

 一度手放したバケツを再び手にし、からだを丸めて抱えこんだ。


「やっぱりダメだ。これは渡さない!」

「ワシに刃向うつもりか! オマエら虫けらどもは、そうやって一生地を這いつくばってるのがお似合いだろうが!」


 バグがオレの背中を蹴りつける。

 何度も何度も踏みにじられた。


 これでは社畜時代と同じだ。

 罵倒を浴びせられ、虐げられてきた屈辱がよみがえる。

 からだよりも心に受けたダメージが疼く。


 こんな世界では安心してFIREできない。

 繰り返すのはもうイヤだ。


 変わりたい。

 自由になりたい。


 それはお金よりも大事だ。

 それは命よりも大事だ。


 オレ自身の精神を癒すために、

 魂を喜ばせるために、

 心を自由にさせるために、

 そのためにオレは――


「オレはFIREしたいんだ!」


 魔石を握りしめ、吼えた。

 とつぜんからだが熱くなった。

 抱えていた魔石が一斉に光を放つ。


「なんだ!? 熱っ!」


 バグが一歩退いた。

 オレは自分の肉体に変化が起きていることに気がついた。


 両の手のひらから炎が燃え盛っている。

 正確には魔石が燃えているのか? 


 怯んで手放そうとしたが、握りしめても熱くない。

 これは炎ではないのか? 


 いや、バグは熱がっている。

 やはり炎なのだろう。

 オレが熱さを感じていないだけなのか。

 ふつうの炎とは違う。

 オレの内側から溢れたエネルギーに着火しているような不思議な感覚があった。


「オマエ、炎の魔法を……」


 バグのセリフで気がついた。

 そうか、これが魔法か。


 たしかに言葉では説明しづらい。

 理屈の通じないブラックボックスだ。

 それでも、自転車の乗り方と同じで一度覚えたら忘れない。

 魔法も自在に操れそうな予感がある。


 オレは炎が揺れるイメージを膨らませた。

 すると手のひらの炎も同じように揺れる。

 火力を弱めたり、強めたりもできそうだ。


 オレはバグを睨んだ。

 バグは小さく悲鳴をあげ、尻もちをつく。

 腰を抜かしながらガーディアンに命じる。


「お、おい。なにをボサっと見ている! さっさとコイツを始末せんか!」


 数名のガーディアンが矢を放った。

 魔石を弾丸のように飛ばす者もいる。


 オレは魔石を持ったまま両手を前にかざす。

 強く念じ、弓矢や魔石に向かって火炎を放射した。


 炎はそのすべてを覆い、焼き尽くす。

 敵の魔力よりもオレの火力の方が勝っていた。


 これなら撃退できるかもしれない。

 持てるかぎりの魔石を手にし、敵のトラップに向けて投げつける。

 オレがイメージできる最大の魔力をそれらに注ぎ込んだ。

 宙を舞う魔石が一斉に光りだす。


「獅子、ノエリア、伏せろ!」


 オレが叫ぶと同時に2人が頭を抱えて突っ伏す。

 次の瞬間、魔石が爆発し、巨大な火柱が上がった。


 トラップの魔法効果無効化をものともせず、街の境界線ごと灰と化す。

 逃げ遅れたガーディアンたちがはるか彼方に吹っ飛んでいく。

 敵が一気に半壊した。

 その隙に獅子たちの元へ駆け寄る。


「無茶苦茶しよるな。ワタシらまで殺す気か!」

「すまん。加減がよくわからなくて」

「けど、魔法が使えるようになったんやな」

「どうやらそうみたいだな。獅子が叱ってくれたおかけだ」


 ありがとう、と言いかけたがそれはくちに出さなかった。

 だが、これで形勢逆転できるかもしれない。

 あきらめて退散してくれればいいのだが……それほど甘くはなかった。

 バグが激昂し、吼える。


「とうとう手ぇ出したな。もう遠慮はせんぞ。オマエら皆殺しにしてやる!」

「先に仕掛けてきたのはそっちだろう! これ以上は本当に殺し合いになる。魔石は半分くれてやるから、それで手を打て!」

「盗人猛々しいにもほどがある。なにが半分だ。それは元々全部ワシのモノだ。今すぐ返せ!」


 ダメだ。

 退くどころか殺意を隠そうともしない。

 なにを言っても、どんなに宥め賺しても、取り付く島がなかった。


 残ったガーディアンが立ち上がる。

 武器を弓矢から剣に持ち替える者や、魔石を手にして詠唱する者など、完全に臨戦態勢に入った。これからが本番だと言わんばかりに殺気立っている。


 やはりやるしかないのか。

 獅子たちを下がらせ、オレは再び両手に炎を宿す。

 たぶん最大火力で炎をだせば倒せるだろう。

 その手ごたえはある。


 だが、オレには人殺しなんてできない。

 法に問われるか否かの問題ではなく、オレの良心が呵責に苛まれる。

 そうなるともう、どこに行っても平穏無事なFIRE生活なんて送れなくなるだろう。


 解決の糸口はないかと必死で考える。

 互いにけん制し、にらみ合う。

 膠着状態が続き、次第に緊張感が高まっていく。

 一触即発状態の均衡を打ち破ったのは第三者だった。


「キサマたち、そこでなにをしている!」


 右手の方向から怒号が飛んできた。

 吹っ飛ばしたはずのガーディアンたちが戻ってきたかと身構えたが、違った。


 馬に乗った一団がこちらに向かっている。

 4、50名はいるだろうか。

 軽装なので兵士ではなさそうだが、腰に刀は帯びていた。

 先頭の馬に乗っている人物が叫んだ。


「キサマはテイカー商会のバグだな。ここはオレたちの縄張りだ。今すぐに退け!」

「ちっ、ロバートか」

「助かった。ギバー商事の長よ」


 ノエリアが安堵の表情を浮かべる。

 ギバー商事は隣街で商売をしており、テイカー商会とは敵対的な関係にあるとのこと。苦虫をかみ潰したようなバグの表情からも察せられる。加勢される心配はなさそうだが、話はさらに複雑化しそうだ。


 ロバートは馬から下り、刀を抜く。

 バグを睨み、それからオレたちをみた。


「キサマらはニホンジンか? この騒ぎはなんだ!」


 ロバートの問いに獅子が鉱山を指差しながら答える。


「ワタシらはあの鉱山で魔石を掘っとった冒険者や。それをバグが横取りしようとするから逃げてきたんや」

「なるほどな。おい、バグ。あの鉱山で採れた石は採掘者のモノだ」

「いいや、今はワシが権利を所有している」

「そんな無法が通るものか。それが本当かどうか領主に確かめてやってもいいんだぞ!」


 バグが黙った。

 どうやら権利の話は捏造のようだ。

 上には上の権力者がいる。

 知られてはまずいだろう。

 一気に流れが変わった。


「この者たちもオレたちギバー商事で預かる。これ以上まだ文句があるなら法廷で聴いてやる」

「ふん、偉そうに……。だが、いいだろう。ワシも今はこれ以上問題を大きくしたくないしな。だが覚えてろ。魔石はあきらめたわけじゃないぞ。おい、シシ! サチコの件は気が変わった。100日で1億用意できなければサチコを殺す。分かったな!」

「なんやて!? サチコちゃんにひどい事すんなや。殺すんやったらワタシを殺さんかい!」

「100日後を楽しみにしているぞ」


 バグは身を翻し、ブラックの街へ戻っていく。

 ガーディアンも一緒に引き返していった。

 サチコを殺しても1ペソンの得にもならないだろうに……もはや損得勘定を超えている。オレたちを苦しめたいだけだではないか。


 ひとまずの危機は去ったが、問題は膨らむばかりだ。

 本当の自由まではまだまだ遠いと感じた。

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