第2話 FIREする方法はいくつもある

 宿を借りてから4日目の朝。

 予定よりも早く資金が尽きた。

 旅先では予定外の出費がかさむものだが、その理由は道連れだった。

 獅子が朝飯を頬張りながら眉間にしわを寄せる。


「そんなにぷりぷり怒らんでもええやん。ほら、早う食わんとスープが冷めてまうで」

「誰のせいでイラついてると思ってるんだ」

「ちゃんと交渉したし、穂村もOKしたやろ? 貸した分返してもらっとるだけなんやから睨まれる筋合いはないで」

「わかってる!」


 と怒鳴りつつ、合意はしたが納得はしていない。

 なぜコイツに宿と飯を奢らなければならないのか。

 そう嘆いたところで、お金を借りたのだから仕方がない。


 オレは借金が大嫌いだ。

 お金にかぎらず、他人に借りをつくること自体が落ち着かない。


 借金は悪だ。

 貯金をしなさい。

 保証人にはなるな。

 すべて親の世代から受けた洗脳の賜物だ。

 お金は汚いものだ、とまでは思わないが、お金を扱う者の強欲さはよく知っている。


 その象徴が利子だ。

 リボ払いなんてもってのほかだし、家も車も一括で買えないなら手にするべきじゃない。

 ローンって借金のことだぞ。

 借金は未来の自分からの前借だ。

 自分のレベルに見合わないモノを得ようとするから、手数料という名の罰を受けるのだ。


 だが背に腹は替えられなかった。

 街に入るには通行料を払わなければならない。

 しかし、オレはまだこちらの通貨・ペソンを持っていなかった。


 所持しているのは野口が5人。

 つまり5,000円だ。

 為替レートは1円=1ペソンだから、交換できれば5,000ペソンになる。

 だが両替商は街のなかだ。

 以前寄った街には入り口前にいたのだが……。


 獅子はペソンを持っていた。

 旅行の前に準備しとくもんやで、とオレの分も立て替えてくれたのだ。

 だが、日本から来たと門兵に知れると、法外な通行料をふっかけられてしまった。


 看板には100ペソンだと明記されている。

 そう申し立てたが聞き入れてもらえず、2人合わせて1万ペソンも取られた。

 

 結局、街に入れはしたが、この時に獅子から5,000ペソン借りてしまった。

 有り金全部である。


 彼も資金を使い果たしたため、借金返済の名目で宿と飯を奢ると約束したのだが、その宿と飯代も2人分かかる。さらに、両替の手数料で500ペソンも取られた。残った4,500ペソンのうち、この3日間で返したお金は2,100ペソン。残りの2,400ペソンは他で工面するしかなかった。


 だが働くつもりはない。

 異世界に興味津々の獅子は毎日街中をほっつき歩いているようだが、オレは初日から1日中宿に引きこもっている。そして、溶けたスライムみたいに寝ては食ってを繰り返しているうちに、丸3日が経っていた。


 こんなに深く眠れたのはいつ以来だろう。

 今は頭がスッキリと冴えているが、何もする気にはなれない。


 いや、何もする必要なんてないのだ。

 ここにはオレを急かす上司も足を引っ張る同僚もいない。

 スケジュールを確認しなくてもいいし、SNSを巡回する必要もないのだ。


 街は、事前にきいていたほど治安が悪いとは思えない。

 日中の往来はやかましいが、夜は静かで穏やかな空気が流れている。

 あちこち旅しつつ、定住先を探そうかと考えていたが、動くのも疲れた。

 もうここで良いやという気がしている。


 ベッドでゴロゴロしながら窓の外を眺めれば、あたたかい日差しと涼しい風が吹いてくる。こういう時間を夢見て寝る間も惜しんで働いてきたのだ。


 ずっとこんな日々が続けばいいのに……。

 オレは目を閉じ、またまどろみのなかに沈む。

 だが現実は無情で、イヤでもオレを夢から目を覚まさせる。


 財布のなかがやけに軽い。

 野口をすべて召喚しきったのだ。

 金銭的に何の不安もない状態でこのスローライフを送りたかった。


 お金が尽きるギリギリまで粘ったが、日本とのゲートは未だ閉ざされたままだ。

 復旧する見込みがあるのかどうかさえ分からない。


「ああ、悪い夢だけ覚めてほしかった」

「いい加減あきらめて、ギルドに行こうや。昨日ちょっと寄ってみたけど、ワタシたちでもできそうなクエストもけっこう紹介されてたで」

「どうせ薬草取りだのスライム狩りだの、くだらない内容だろ」

「くだらんことないやろ。どんな仕事でもそれに対価を支払ってくれる人がおるんや。それって需要があるってことやん」

「べつにオレじゃなくてもできる」

「穂村にしかできん仕事って何やねん」

「うるさいな。オマエはオレのおかんか」


 あるわけないだろう、そんなもの。

 そう心のなかで毒づき、突っ伏した。


 オレの代わりなんて世の中にはいくらでもいる。

 でもオレの代わりに稼いでくれる人はいない。

 仕事はしたくないがお金はほしい。

 そんな無茶が通らないことは百も承知だ。


 自分でも子供っぽいなと思う。

 年下相手にゴネる30歳。

 これが他人ならオレも呆れているだろう。


「そんなに働くんイヤなんか?」

「当り前だろう。好きで働いているヤツなんかいるもんか」

「ワタシは好きやけどなあ」

「日本ではどんな仕事をしてたんだ?」


 興味本位できいてみた。

 好きになれる仕事があるなんて想像もつかない。

 よほど儲かるのか、楽チンなのか。

 コイツがドMなだけということもあり得る。


「起業したり社長やったり、投資やったり、ユーチューバーやったり、とまあ面白そうなことは何でもやっとるな」

「へえ~、そりゃスゴいな」


 そう感心したフリをしたものの、セリフは棒読みで感情は籠っていない。

 ユーチューバーはともかく、社長や投資家は願望だろう。

 FIREの概念は知っているようだから、そこから連想したのかもしれない。

 だが、社長なんてやっていたら薬草取りなんて安い仕事を請けようなんて思うはずがない。せいぜい個人事業主かフリーランスとして好きにやっているだけだろう。


「社長なんてなるだけなら誰でもなれるで。法人設立にたいしてお金はかからん。登記の手続きやら税務署への書類提出やらが面倒ではあるけどな」


 獅子は会社の作り方を説明し始めた。

 内容は具体的だし難しい用語はかみ砕いてくれてもいる。

 それでも途中からよく分からなくなってきた。

 ただ、オレよりも詳しいことだけは分かる。


「まあ、今は日本での肩書なんて関係あらへん。いつゲートが復旧するかも分からんし、もしかしたら一生戻れんかもしれん。借金の返済もそうやが、それ以前に食い扶持を稼がんとな」

「働くくらいなら死んだ方がマシだ」オレは膝をつき、両手を胸の前で組んだ。「こうなったらもう神頼みしかない。女神様、どうか転生したら錬金術のスキルを授けてください」

「神様なんておるもんかい。死んだらぜんぶチャラになるだけや。帰るチャンスも失ってまうで。過去の成功に囚われんと、この世界でもう1回FIRE目指したらええやんか」

「また10年も奴隷みたいな生活を送れっていうのか」


 いや、今度は10年ではすまない。

 日本との物価差があるからこそFIREできると目論んでいたのだ。

 こちらの賃金では100年働いたってFIREなんてできやしない。


「やれやれ、穂村は働いて貯める方法しか知らんのやな」

「そんなことはない。FIREを目指すにあたり、オレもひと通りの知識は仕入れてるんだ。FIREを早めたいなら、貯蓄以外にも投資やビジネスをしろって言いたいんだろう?」

 

✅FIRE豆知識❷~資産形成を加速する手段~

・貯蓄率を上げる。

・副業などで収入を増やす。

・貯めたお金を投資で増やす。


 オレがFIREした方法は、サラリーマンとしてお金を稼ぎ、それをひたすら貯める方法だ。時間はかかるが、時間さえかければ高確率で達成できる。投資やビジネスと違い、貯蓄に金銭的なリスクが無く、一般人でも再現しやすい。


 本業以外に副業や起業でビジネスオーナーになれば、サラリーマンよりもはるかに稼げるだろうし、資産形成も一気に加速するのは理解できる。投資も一発当てれば何倍にも膨らむだろう。


 だがこれらはリスクが伴う。

 自分のビジネスが成功するとは限らないし、実際むずかしい。

 日本の企業生存率は5年で15%、10年で10%以下と言われている。

 個人での起業となるともっと低いだろう。


 投資も同じだ。

 個人投資家の95%が損をしているという統計データがある。

 FXに手を出して破産したヤツも知っている。


 ビジネスも投資も海千山千の世界なのだ。

 ラスボス級のモンスターたちと肩を並べて戦っていかなければならない。

 頭がお花畑の状態異常になったレベル1の素人が、何の装備も持たずに戦いを挑めばゲームオーバーは必至である。


 オレにはビジネスも投資も才能がない。

 唯一差し出せるモノと言えば自分の時間だけだった。

 そして、その時間は物価差で短縮できると考えていた。


「人的資本を活用するんは基本やけど、貯蓄だけに頼るんは効率が悪い。それに貯蓄にはインフレちゅうリスクもあるしな。お金は、基本的に時間とともに価値が目減りしていくモンなんや。まあ、ずっとデフレが続いていた日本に住んどったら気づきにくいけどな」

「じゃあ、獅子ならどうするんだ?」

「せやなぁ。ワタシならこっちでしかできんビジネスを探すかな」

「それが薬草取りってか」

「まあそう突っかかるなや。どうしても死にたいっちゅうなら止めやせんけど、その前に返すモンは返してもらわんと困りまんなぁ」

「ぐぬぬ」

「とりあえずこれは利子として貰っとくで」


 胡散臭い関西弁を駆使しながら獅子はオレの皿から肉を奪って頬張る。

 それから荷物を抱えて立ち上がった。


「どこへ行くつもりだ?」

「もう宿賃は無いんや。チェックアウトするしかないやろ。野垂れ死にしとうなかったら、とにかく行動や」

「待て」


 オレも急いで荷物をまとめる。

 3日間寝転がりっぱなしだったから節々が痛い。

 宿を出て、獅子の赤い髪をみつけると後を追う。


「なんや、死ぬんとちゃうんかったんか?」

「借金はキッチリ返すさ」

「そりゃ残念。宿で首吊っとったら内蔵売って儲けたろう思てたのに」


 ヤクザみたいなことを言う。

 実際そうなのかもしれない。

 ブローカーや密売人の類なのかも。


 二の足を踏むが、立ち止まるとすぐに置いていかれる。

 置いていかれるのは心細い。

 何だかんだ宣ったところで死ぬつもりなんて毛頭なかった。

 お金が尽きた今、縋れるなら女神様でなくてもかまわない。


「他のヤツのところで働くんがイヤやったらワタシが雇ったる。それで借金を返してくれたらええ。女神様になったろうっちゅうんやから感謝しいや」

「何をする気だ?」

「そんなん決まっとるやろ」


 獅子は立ち止まり振り返る。

 親指を立て、にやりと笑いながら示したその建物は、冒険者ギルドだった。


「まずは働くんや。穂村が知らんFIREのやり方を見せたるわ。ついでに『本当の自由』の味も教えたる」

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