第18話 ビジネス自体も売れる

「1つ目は、鉱山を中心に展開する新たなマーケットを、事業として買い取ってほしいという交渉や」


 それをきいてオレは目を丸めた。


「事業を買い取る? そんな事ができるのか?」

「スケールは違えどモノやサービスを売るんといっしょや。買いたい人と売りたい人がおれば事業そのものも商品になる。ロバート、それはこっちの世界でも同じやろ?」

「ああ、事業継承や『M&A』なんかも盛んに行われている。お金という概念がある世界なら、どこでも行われているだろうな」


✅FIRE豆知識㉑~M&A~

・Mergers(合併)and Acquisitions(買収)の略。

・2つ以上の会社が1つになったり、ある会社が他の会社を買ったりすること。

・資本提携や業務提携なども含む。


 M&Aは聞き覚えがある。

 会社自体が売り物としてマーケットに並んでいるのだ。


「上場している株式会社がイメージしやすいやろうが、未上場の会社でも買い手と売り手が合意すれば売買は可能や。ワタシたちが手がけとるビジネスも育ててバイアウトしたい。事業を買い取ってもらえればまとまった資金が得られるやろう」


 なるほど、その方法なら90日で1億ペソンに届くかもしれない。

 だが、事業を売るということは、オレたちがギバー商事の傘下で働き続けなくてはいけないのではないか。


 ロバートはバグのように奴隷として扱ったりはしないだろうが……。

 サチコを助けるためとはいえ、代償としてオレたちが自由を失うというのは抵抗がある。


「いや、身売りするわけやない。売るんはあくまでも事業や。売却するにあたって、ワタシたち以外でも事業が続けられるように仕組化・パッケージ化しておくんや」

「オレとしては下で働いてくれた方がありがたいが……バイアウトにこだわるならそうしてくれた方がスムーズだ」


 ロバートはお茶をひと口飲んで続ける。


「鉱山での商売には可能性を感じる。人が集まるわりには全然開拓されていなかったのも事実だ。いいところに目をつけたなと感心しているよ。ブルーオーシャンだし、このまま続けていれば確実に成長させられるだろう」

「じゃあ」


 オレは期待を膨らませながら前のめりになった。

 だが、ロバートは片手を前に出して広げた。


「しかし現状ではとても1億も出せない。ビジネスの規模が小さすぎるからだ。もっと大きく育ててから再度提案してほしい」

「いくら売上げればええ?」獅子がきいた。

「そうだな……年間で1,000万ペソンの純利益が出せるビジネスになれば買い取ろう。それなら10年程度で元が取れる。成長性を鑑みればさらに早いか……それ以降は我々の儲けにできる」

「年間1,000万ということは、1日平均で3万くらいやな……残り90日間の売上で計算すると270万か」


 獅子は顎を撫でて天井を見上げた。

 頭のなかでそろばんを弾いているのだろうか。


 1日3万というと昨日の2倍だ。

 大きいようにも感じるが、同時にそれくらいならクリアできそうな気もする。


「昨日の1万5,000はあくまでも売上高であって純利益やない。『利益の種類』はいくつもあるんや」


✅FIRE豆知識㉒~利益の種類~

・利益には売上総利益・営業利益・経常利益・税引前当期純利益・当期純利益がある。

・売上高から売上原価・販管費・営業外損益・税金などを引くと純利益が残る。

・原価厨は売上原価しか考えていない。


「昨日売れた分の仕入れ代が約8,500ペソンでこれが売上原価や。そこに販管費としてワタシたちの人件費が乗ってくる。1時間あたり100ペソンとしても、12時間で1,200ペソン。3人で3,600ペソンや。それから燃やした魔石代は1日で700ペソン。リヤカーのレンタル代が200ペソンや。税金や営業外損益は考慮せんとしても、純利益は2,000ペソンほど。利益率でいうと13%程度やな」


「あれだけ売ってそれだけしか残らなかったのか」

「飲食だけやと利益率が薄いからなぁ……これでもかなりええ方やで。道具類がもっと売れれば利益率は改善するんやろうけど、単純計算で昨日の15倍売り上げる必要っちゅうこっちゃ」

「15倍ということは……だいたい23万くらいか」


 ものすごく遠い目標のような気がしてきた。

 昨日の忙しい時間帯だけで何百と客がいた気がする。

 それが、15倍となるといったい何千になるのだろう。


 アナが加わるとはいえ4人でまわせる規模ではない。

 人を雇えばいいのだろうが、そうすると人件費がかさむ。

 24時間365日働かせるわけにもいかない。


 福利厚生も必要になるのか? 

 仕入れだって増えるだろうし、ロスもあるだろう。

 設備も増やす必要があるのではないか? 

 倍々で計算すればすむ話ではないことくらいはオレでも想像がつく。


「現状の事業規模では1億もの価値はないっちゅうロバートの判断は、ワタシも妥当やと思う。さらなる事業の成長が必要や」

「分かっていて提案したということは、まだ続きがあるということだな?」

「せや、そこで2つ目の交渉がしたい」


 獅子は人差し指から中指につまみ直した。


「ワタシたちは今のビジネスを早急に拡大せないかん。けど、資金が圧倒的に足らん。稼いだ分しか回せんのが現状や。逆にいえば、じゅうぶんな資金があればもっと早く成長させられる」

「それこそ90日で1億以上の事業にか」

「せや。そこで交渉や」


 獅子は一度言葉を区切り、両手を合わせながら切り出した。


「どうかワタシたちのビジネスに投資してくれへんやろか?」

「投資だって? まさか借金をするつもりか?」


 獅子の交渉にオレは心臓が跳ねた。

 だとしたらオレは反対だ。

 借金イコール悪というイメージがオレのなかにはある。


 お金を借りれば仕入れの拡大や設備の充実も速やかに図れるだろう。

 だがその分リスクを負うことになる。

 失敗したらどうなるのか……。


「借金するわけやない。金銭的な援助を受けるだけや」

「お金を出してもらうことに変わりはない」

「もちろんその分は報いるつもりでおるが……どうも勘違いしとるな。『融資と投資』は違うで」


✅FIRE豆知識㉓~融資と投資の違い~

・融資(貸付)は、借り入れた金額の返済と金利のみ支払う。

・投資(出資)は、基本的に返済義務はない。事業が成功したら配当金などで還元する。


「融資は純粋にお金を借りる行為や。これは利子をつけて期限内に返さなあかん。一方で、投資は経営権の一部を譲渡するようなモンで、つまり事業を部分的に切り売りしとるわけや」

「事業の切り売り?」


 益々意味が分からない。

 事業の売却ではイメージがつくが、一部だけ売却なんてどうやったらできるのだろう。


「かんたんや。株を発行したらええ」

「株って、あの株式会社とかの株か?」

「せや。それくらいは知っとるやろ?」

「日本にある会社はだいたいそうだろ」

「穂村は、株式会社は誰のモンと思っとるんや?」

「そりゃあ……社長じゃないのか?」


 おそらく違うんだろうなとは思ったが、ほかに思い浮かばないので答える。

 案の定、獅子は否定した。


「株式会社は株主のモンや。社長でも会長でもない。社長兼筆頭株主っちゅうパターンもあるが……社長を始めとした取締役は株主によって選任されて役職に就いとるだけなんや」

「そうなのか」

「会社の経営権は株主にある。その経営権を大勢で所有できるようにしたモンが株式や」

「なぜそんな大勢で所有する必要があるんだ?」


 船頭多くして船山に上るという諺もあるように、リーダーなんて増やしていいことがあるとは思えない。


「一番のメリットはリスクの分散や。それは『株式会社の起源』を紐解けば理解しやすい」


✅FIRE豆知識㉔~株式会社の起源~

・株式会社は15世紀の大航海時代に誕生した。

・他国との貿易のために航海したいが、ハイリスク・ハイリターンだった。

・一航海ごとに小口の資金を集め、航海後に元本と利益を分配したのが始まり。


「なるほど、もし船が難破しても被る損害は抑えられる。1人では大きなリスクを背負いきれないから、みんなですこしずつお金を出しあおうというわけだ」

「その分、保有しとる株式数の割合に応じて経営にも口を出せる発言権が生じるし、リターンがあれば見返りも貰う権利が発生する。ワタシたちの場合、最終的には事業丸ごと買い取ってもらいたいわけやが、50%より多く保有しとれば経営権までは奪われん。まずは一部だけでも所有してもらって、資金調達できたらと思っとる」


 獅子はロバートの方を向いた。


「ロバート、こっちの世界にも株式会社はあるんか?」

「カブシキガイシャという名ではないが、話の流れから推測するかぎり、同等の仕組みはある。冒険者ギルドはまさしくその典型だな。ホワイトの街の冒険者ギルドにはギバー商会も出資しているし、定期的にリターンも得ている」


 いわれてみれば冒険者も大航海時代の船員も、まだ見ぬリターンを求めてリスクを取っている状況は同じだ。そこに投資している者たちがバックについているという点も。


「どうやろう、ロバート。ワタシたちに投資してもらえんやろうか?」

「ふむ……」


 ロバートは腕を組み、目を閉じるとそのまま黙り込んでしまった。

 上体を揺すりながらぶつぶつとつぶやいている。

 リスクとリターンを天秤にかけているのだろう。

 重苦しい空気が停滞する。


 だが、まったく見込みが無いわけではなさそうだ。

 もしそうなら即座に断っているはずである。

 しかし諸手を挙げて賛成というわけでもない。

 だからこそ揺れているのだ。


 1つ確認したいのだが、とロバートが沈黙を破った。


「ほかにも出資者を募っていたりするのか?」

「いや、出資者はワタシたちのパーティだけ。それ以外はロバートしかおらんと思っとる」

「頼める相手がいないだけでは?」

「ギルドで出資を募れば集まらんことはないと思っとる。けど、冒険者は目の前のお宝にしか興味がない連中ばかりや。経営者としての視点で同じように語れるモンはおそらくおらんやろう」


「テイカー商会はどうだ?」

「ないわ。たとえビジネスの話ができたとしても一緒に仕事したいとは思わん」

「それはなぜだ? 奴隷を使っているからか?」

「それもある。まっとうな商売しとるとは思えんし、価値観も合わん。なにより……」


 獅子はそこで区切り、大きく鼻から息を吐いた。


「ワタシはバグのことが大嫌いなんや」

「え? そんな個人的な理由で?」これはオレがツッコんだ。

「どうせ同じ商売するんやったら、楽しい方がええ。そのためには、儲けるんも大事やけど、誰とつるむかも重要や。ワタシは嫌いなヤツといっしょに稼ぎたいとは思わん」


 獅子らしくない、というか経営者ってもっと冷徹だと思っていた。

 お金のためなら感情よりも数字や合理性を優先する生き物ではなかったのか……。

 その言葉を聞いたとたん、ロバートがガハハと冒険者のように豪快に笑ったのも意外だった。


「いいね。じつはオレもアイツが大嫌いなんだ」

「知っとるわ。顔中に書いとるで」

「ここはひとつ、いっしょにアイツの鼻をあかしてやろうじゃないか」

「それじゃあ」オレは立ち上がった。

「ああ、オレもひと口乗せてもらうよ」

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