第17話 簿記は共通言語

 ホワイティアに戻り、ギルドでアナをパーティに加えた。

 街に戻ったころにはすっかり太陽も昇っていた。


「今日はこれからどうするんだ?」オレは獅子に予定を尋ねた。

「店は休みや。今日はもう遅いしな。その代わり、ワタシはギバー商事にいくつか交渉しに行く。アナと看板メニューも加わったし、商売を広げるために新しい商品も仕入れるつもりや。その間、穂村は新たなメニューの開発。ノエリアはアナを連れてブラック商会に向かってほしい。サチコちゃんの様子を見てきてもらえんやろか?」

「分かったわ」

「アナもホンマに妹さんか確認したいやろ?」

「うん。早く会いたくてたまらないよ」

「気持ちはわかるけど、今日のところは遠くから見守るだけにしてや。見つかってトラブルにならんようにな」


 逸るアナに急かされつつ、ノエリアと2人でブラックリィに向かった。

 手をふってそれを見送ると、オレは獅子とともにギバー商事を訪ねる。

 利益をすべて新たな商品の仕入れにまわすつもりだ。


 売れた分を補充し、さらに新たな商品を物色する。

 主に追加しようとしているのは薬草やスパイスの類のようだ。

 これらを使って新メニューを開発しろという意図だろう。

 いくつか見繕ったところでロバートが現れた。


「よう、調子はどうだ?」

「上々やで。売り上げは順調に伸びとる。その報告もしたいと思っとったんや」

「儲かっているなら報告は必要ない。今日もたくさん買っていってくれ」

「それだけじゃなくて、提案したいことがあるんや。すこし時間をもらえんやろうか? もちろんギバー商事にもメリットのある話やで」

「そうか、では10分後に応接室まで来てくれ」


 オレたちは仕入れを切り上げ、急いでリヤカーに商品を詰める。

 積荷が完了するとすぐさまロバートの下に向かった。


「それじゃあ聞かせてもらおうか」

「まずはこの帳簿を見てや」


 獅子は懐から紙の束を取りだし、テーブルに広げた。

 紙は表が描かれており、文字や数字が整然と記載されていた。


「ほう、損益計算書か」

「貸借対照表もあるで」

「しかも複式簿記とはな」


 ロバートは帳簿を手に取り、表をしげしげと眺める。


「ふむ……どうやらきちんとした『簿記』の知識があるようだな」

「もちろんや。簿記はお金を管理するための必須のツールやからな」


✅FIRE豆知識⓴~簿記~

・一定のルールに従って取引を帳簿に記録すること。

・『資産・負債・純利益』を管理する貸借対照表と『収益・費用』を記録する損益計算書がある。

・単式簿記と複式簿記がある。


「異世界でも通じてよかったわ」

「同感だ。数字はどこの世界でも共通言語だからな。話がしやすい。ホムラもそう思うだろう?」


 とつぜん話を振られてドキッとした。

 簿記という言葉は知っていたが、実際にどうやって記録・管理するのかはまったく知らない。


「単式簿記は、家庭で使う家計簿や子どもの小遣い帳みたいに、お金の増減だけを記録する方法や。一方、複式簿記はお金とモノの動きを記録するから少々複雑になる。けど、商売しよう思たら複式簿記が読めんと話にならんで」


 フリーズしていると獅子が横目でオレを睨みつけた。

 それから「とにかくや」と、咳払いをして続ける。


「昨日までの売上は順調に増えとることが分かるやろ?」

「ああ、1週間で約3万ペソンの売上か。始めたばかりなのに良い数字じゃないか。それに初日は1,700ペソンだったのが6日目には3,500ペソン。昨日に至っては1万5,000ペソンとやたらと伸びている。何かきっかけがあったのか?」

「ホムラがつくったスープが好評だったんや」


 鉱山のダンジョン付近は気温が低い。

 だが、みんな持参の弁当は冷めている。

 あたたかい食事というだけで需要があった。


「炎の魔法を活用したわけか」

「それもあるが、元々穂村は料理好きで得意だったんや」

「素人の手習いだよ」オレは謙遜した。

「それでも条件が整えば売れる。売れたのなら、それは市場に認められたということだ。もっと自信を持った方が良い」


 ロバートが真面目な表情で褒めてくれた。

 この歳になっても素直にうれしいものだ。


「ワタシもこれは売れると思っとる。せやからもっと食料や資材を調達したい。それから商品開発のために厨房を貸してほしいんや」

「ふむ、それでは厨房を案内しよう」

「帳簿はもうええか?」

「ああ、すべて読んだ。お金の管理は問題ない。これなら信用できる」


 ロバートに連れられ、厨房に向かう。

 広くて清潔な調理場だ。

 水場もあるし、火も使える。


 調理器具もひと通りそろっていそうだ。

 見慣れないモノもあるが、基本的な道具は日本と変わらない。

 包丁はよく研がれていた。


 隣に食料の貯蔵庫もある。

 おそらく魔石が使われているのだろう。

 冷蔵庫とは違うが、開けると冷気が流れ出た。


「ここにあるモノは自由に使ってくれてかまわない。その人気メニューとやらを1つつくってもらおうか」


 注文を受け、オレはヘルメット鍋をつくった。

 リヤカーからヘルメットを持ってきて、水と魚を入れて火をつける。

 ひと煮立ちしたところでロバートに振舞った。


 ロバートはスープをジッと見つめ、それから匂いを嗅いだ。

 スープをひと口すすり、具材を頬張る。

 1つひとつ吟味するようにゆっくりと、真剣な表情で食べ続けている。


 オレは固唾を飲んで見守った。

 いったいどんな評価が下るのだろう。

 胃がキリキリと痛む。

 こういうストレスはひさしぶりだ。


 ロバートがスープを飲み干した。

 器を置き、口許を拭うとただひと言を発した。


「イマイチだな」


 オレのなかで緊張の糸が切れた。

 全員が大きくため息を漏らす。


「まず、スープの味が薄い。もっとしっかり出汁を取った方が良いだろう。煮込みが足りないのは今つくったせいか……」


 厳しい意見が次々に並べられる。

 ロバートはお金持ちみたいだし、舌も肥えているのだろう。

 得意げになっていた鼻っ柱をへし折られている気分だった。


 このままでは破談になってしまう。なにか言い分けするべきかと考えあぐねたが、けっきょくオレは黙って最後まで聞き続けた。


 ビジネスで通じるほどのモノではない。

 ただそれだけのことだ。

 貶し終えたロバートが口許を拭う。


「だが可能性は感じる」

「本当か?」

「このスープ、あり合わせの材料でつくったんだよな?」

「仕入れた材料だけで、ほかは何も使っていない」

「なら、ここにある食材を使えばもっと美味くなる。味に深みを出すために野菜を追加した方がいい」

「食材を売ってくれるのか?」

「研究用の食材は無料で提供しよう。場所代も要らない。美味い料理ができることを期待しているよ。レシピができたらまずはオレに試食させてくれ」

「約束するよ」

「ああ、ただしその時は、ヘルメットではなくて、それを模した鉄鍋を用意しよう」


 さすがに食べづらい、とロバートは苦笑した。

 オレも自分の仕事を果たしたことで気が抜け、口元が緩んだ。


「さて、料理の件はこれでまとまったということで、ほかに用件が無ければオレはこれで失礼させてもらおう」

「ちょい待ち。じつは今日の本題は料理やない。重要な話はこれからなんや」


 席を立ちかけていたロバートを獅子が引き止める。

 なにを話すのかはオレも聞かされていない。

 獅子はひとつ咳払いをし、プレゼンを始めた。


「以前話したように、ワタシたちは1億ペソンを稼がなあかん。これはテイカー商会で奴隷として働かされとるサチコちゃんを助けるためや」

「そういう話だったな」

「けど、帳簿を見てもらったとおり、売上は順調に推移しとるとはいえ、残り90日ちょいで到達するには全然足りひん」


 たしかに1週間で3万ペソンしか売り上げていない。

 このペースだと約67年かかってしまう。

 オレの料理である程度売上を伸ばせたとしても、全然届く気がしない。

 獅子は右手でピースサインを作り、左手で人さし指をつまんだ。


「そこで2つ交渉したいことがあるんや」

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