第19話 仕事が楽しいと感じられる瞬間

 ロバートが出資してくれた額は100万ペソンだった。

 こちらの物価を考えればオレなら4、5年は遊んで暮らせる金額だ。


 なぜ100万なのかと問うと、現在の事業価値をロバート・オレ・獅子・ノエリア・アナの5人で割った額だという。逆にいうと、オレたちのビジネスの現在価値を500万と評価しているわけだ。


 これだけの額がついただけでもオレとしては大満足だが、浮かれるのはまだ早い。

 この100万を残り3ヶ月で100倍にしなくてはいけないのだ。

 返す必要がないとはいえ、人から大金を預かって運用することになる。

 胃がキュッと縮むような痛みを覚えた。


「そんなに心配せんでも大丈夫やって。資金さえ調達できたらあとはどんどんビジネスを拡大していくだけや」


 獅子が札束を数えながら言った。

 お札を捲る手つきがメチャクチャ慣れている。


「円ではないとはいえ、帯付きの札束を前にしてプレッシャーとか感じないのか?」

「ワタシはワクワクしか感じん。やっぱり新しいビジネス興すんは楽しいわ」


 獅子は札束を指で弾き、それから机に圧し当てて辺をそろえた。

 あっという間にすべて数え終えた。


「うん。きっちり100万ある。おおきに、ロバート」

「礼には及ばん。90日後を楽しみにしてるよ」

「任せとき」


 ロバートは獅子と握手を交わす。

 株式の手続きは部下にやらせておく、と言い残して去った。


 入れ替わりでノエリアとアナが帰ってきた。


「ただいま」

「おお、お帰り。どうやった?」

「間違いなく妹のサチコだったよ」アナが嬉しそうに叫んだ。「ああ、早くあの伏魔殿から連れ出してやりたい!」

「あと90日の辛抱や。ワタシたちといっしょにガッポリ稼ごうな」


「どうしたの、そのお金?」ノエリアが札束を見て目を丸めた。「すごい大金じゃない!」

「ロバートに出資してもらったんや。このお金を使ってビジネスを拡大していくで」

「拡大というが、具体的にはどうするんだ?」


 オレが新メニューを考案するところまでは了解している。

 だが、メニューを加えたところで高が知れている。

 それだけでは100万も消費しきれない。


 こんな大金、いったいなにに使えばいいのだろう? 

 闇雲に浪費するわけにはいかないし、使い道を考えてあるのだろうか。

 獅子の顔を伺うと自信に満ちた表情をしているが、返ってきた答えに肩透かしをくらった。


「仕入れと設備投資はする。ほかの使い道はまだ考えとらん」

「なんだ、それなら焦ってお金を調達しなくてもよかったんじゃ……」

「いや、手許のキャッシュは多ければ多いほどええ。必要なときにすぐに資金があった方が素早く決断できるからな。それに、アナが加わったことで良い効果がもたらされるはずや。きっとすぐに必要になる」


「ボク?」アナが首をひねった。「ボクがなにかの役に立ってるのかな?」

「もちろんや。そのために声をかけたからな」

「そうなの? 全然イメージが湧かないけど……」


 オレも獅子がなにを期待しているのかまったく想像がつかなかった。

 オレたちには見えていないなにかが獅子には見えている。

 近いうちにそれを目撃することになるのだろうか。


「当面の役割分担を割り振るで」獅子が順番に顔を見渡していく。「穂村は新メニューの開発と調理担当。資金も渡しとくから自分で仕入れもしてや」

「オレに任せてもらっていいのか?」

「飲食関係は一任する。指示を待たんと自発的に動いてほしい」


 頼りにしとるで相棒、と獅子はオレの胸に拳を当てた。

 そんなふうに頼まれると断る選択肢はない。


「ノエリアはビギナーへの講師を継続や。お客の勧誘はワタシが店番を兼任しながらやる。客が見つかるまでは店で接客をよろしく」

「分かったわ」

「ボクは何をすればいいの?」アナがきいた。


「アナもワタシたちいっしょに接客や」

「それだけでいいの?」

「きっとすぐにそれだけやなくなる。忙しいなるで。ほな今日はこれで解散や」


 獅子は、食材以外の仕入れと本格的な調理が現地でもできるように設備の調達に向かった。


 オレは厨房に残りスープの改良と新メニューの考案を続ける。

 夜遅くまで自主的に働くなんて自分でも驚いた。


 働いているという感覚は無い。

 自分がやりたいと思っているから続けている。

 タダ働きしているという感覚も無い。

 人にやらされている感が在るのと無いのとでは全然モチベーションが違っていた。

 そのおかげか、いくつか試作品を完成させることができた。


 気がつくと外が白んでいる。

 夜通し料理に明け暮れていた。

 もうすぐ獅子が迎えに来るころだろう。

 厨房を片づけ、オレは仮眠を取った。


 数時間眠った後、おはようさんと獅子の声がして目が覚めた。

 ノエリアとアナもいる。

 オレは背筋を伸ばしながらあくびをした。


「もう出発の時間か」

「準備はできとるか? 今日はやること多いで」

「問題ない。調理器具等の発注と食材の下ごしらえも済ませてある。すでにリヤカーにまとめて積んである」

「料理はできたんか?」

「ああ、向こうに着いたら食べてみてくれ。味の感想を聞きたい」


 外に出るとリヤカーの数が3台に増えていた。

 オレ1人で1台占領しているし、新しく借りた2台も大量の資材が山積みになっている。


「今度はどんな商品を仕入れたんだ?」

「それは着いてからのお楽しみや」


 リヤカーを引こうと取っ手を持ち上げたがかなり重い。

 通常なら4人で1度に運べる量ではないだろう。


 しかし、ノエリアがバフをかけると途端に軽くなる。

 ヒーラーとしても補助系の魔法使いとしても非常に優秀だ。

 高火力を持つオレの出番は厨房にしかないと思うと劣等感を感じざるを得ない。


「ワタシは魔法そのものが使えとらんけどな」獅子が言った。「けど、自分の持ち味を活かしたらええと思っとる。他人と比べる必要なんかない。いろんな人材がおった方が生存確率も上がるしな」

「そういうものか」


「良いところを見せたいなら1つアイデアがあるわ」ノエリアが指を立てた。「高級食材になるモンスターを狩ってくればいいのよ。クラーケンとかミノタウロスとか。あとはエンシェントドラゴンの血が採れたら世界中から人が集まるでしょうね」

「美味いのか、それ?」


 聞き覚えのあるモンスターばかりだが、味の想像はつかない。


「ドラゴンの血は薬としての価値があるわ」

「漢方薬みたいなものか」

「冒険者へのクエストとして食材モンスターの狩猟はポピュラーだし、挑戦してみたら?」

「釣りくらいならできるけどな……」


 バトルは勘弁してほしい。

 雑談をしている間に鉱山に着いた。

 あいかわらずまだ早朝だというのに大勢の冒険者が集まっている。


 なかには見知った顔もいる。

 そのうちの1人が話しかけてきた。


「よお、昨日は休みだったんだな。飯を楽しみにしていたんだが」

「そら悪いことしたな。けどその分、今日は美味いモンいっぱい仕入れてきたから期待してや」


 獅子の合図でオレたちは開店の準備を始める。

 リヤカーを止め、シートを外すと資材が山積みになっていた。

 まずは周辺の大きな岩を取り除き、平らに均すと簡易の足場を設置する。


 その上に屋根だけの日よけテントを張り、机とイスを並べた。

 狭いが20人は座れる。

 これならゆっくりくつろいで食事ができるだろう。


 客席の横にカウンターを設置し、そこにリヤカーを着けた。

 奥にまわり、厨房設備を設置する。

 広いキッチン作業台が1つとかまどが5台。


 本格的な店舗となったが、これだけで数十万単位で使っている。

 正確に計算するのはおそろしい、というか考えたくない。


 問題があればきっと獅子が指摘するだろう。

 オレはオレの仕事をまっとうする。

 それだけで充分のはずだ。


 食材を運び込み、作業台の下に積み直す。

 かまどに火を入れつつ、客席の様子を確認した。


 にわかに喧騒が増している。

 見ればまだ準備中だというのに客が席に着いていた。

 先ほどの男とその仲間のようだ。


 ノエリアとアナがカウンターにつるはしなどの商品を陳列しているその横に、オレは急いでメニューを掲げた。


「待ちくたびれたぜ。早速だがスープとパン、それから肉だな」

「はいよ」


 オーダー取りはノエリアとアナに任せ、オレは厨房に戻る。

 かまどが温まっていることを確認し、食材を放り込む。

 出来た順に次々と運んでもらう。


「美味いな、このスープ」

「からだが温まるな」

「前よりももっと香辛料が効いてるな。眼がさめるぜ、これは」


 客の反応は上々だ。

 次第に客席が埋まり、オーダーが立て続けに入る。

 だが、設備の充実と事前準備が奏功し、効率も格段に良くなっているので問題なくさばけた。


 店に入りきらない客がテイクアウトを頼んできた。

 オレはあらかじめ仕込んでおいた包みを渡す。


「こりゃいいな。鉱山内にも持っていきやすいぜ」


 弁当はあらかじめ持ち運びやすく工夫しておいた。

 忙しい時間帯でも片手で喰えるファストフードは支持されるだろう。


「おい兄ちゃん、タバコはあるのか?」

「ああ、ひと通りそろえてある」


 リヤカーから箱を取り出し、蓋を開ける。

 タバコはギバー商会で扱っているすべての銘柄を仕入れておいた。

 日持ちするし、こういった鉄火場ではおおいに需要がある。


「店内は禁煙だから他で吸ってくれよ」

「もちろんだ、それでなくともここは元々火山だからな」

「そうなのか」

「アンタも火の始末には気をつけろよ」

「わかった。ありがとう」


 たしかに鉱山内で吸っている者は見たことがない。

 暗黙の了解なのか、みんな外で吸っている。

 落ちている吸殻をみると安い紙巻タバコばかりだ。

 魔石を掘っている連中はみんな金欠だろうから仕方あるまい。


「あと酒も置いてあるのか?」

「もちろん」


 オレは足元のケースから酒瓶を取りだす。

 当然これも需要を見越しての仕入れだ。

 ただしビールのような軽めのアルコールだけに留めた。

 水は貴重なので割らないと飲めない酒は仕入れていない。


「酒類の販売は夜だけだ」

「そうかい。それじゃあ労働の後にまた寄らせてもらうぜ」


 冒険者たちは、楽しみが増えたなと談笑ながらダンジョンに潜っていった。

 自分のアイデアが人に喜ばれている。

 これならいけると手ごたえを感じた。

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