Scene28
最初、霧は、ただの霧だった。しかし徐々に、南波の母との思い出がぼんやりと辺りに投影されていった。
しかしそこには、南波がグレる前、まだ親子三人仲良く暮らしていた頃の記憶しか映し出されなかった。
やがて、南波の目の前に、白くぼやけた母が現れた。確かに実際の人間よりも鮮明に見えるわけではない。だが、確かに母はそこにいた。
「快斗、やっと会えたわね…… 大好きよ。あなたを愛してる」
母は、穏やかな顔で、南波がまさに求めていた言葉をくれた。だが、南波は唇を噛み締め、沈痛な表情をしている。
違う。僕が求めていたのは昔の母じゃない。僕が会いたいのは、あの時の母だ。いつの間にか年老いていた母。あの時、僕が睨みつけた母。あの時、僕の眼差しに怯えた母。
許しを得たいのはその時の母だ。僕を愛していたか確認したいのは、その時の母だ。
なのに、目の前にいるのは、若々しくて、幸せいっぱいのときの母だった。
「何を躊躇してるの? ほら、私のかわいい快斗、私の胸の中にいらっしゃい」
それは、母の昔の口癖だった。まだ甘えん坊だった南波をあやすときに、優しくささやくその言葉だった。
南波はその場に膝から崩れ落ちた。あの時の母はどこだ? どこにいる? 南波は辺りを急いで見回した。しかしそこにはやはり、その若い母しかいない。
嘘だろう。駄目だ。何のためにここまでやってきたのだ。お願いだ、会わせてくれ、あの時の母に!
「どうしたの、快斗、そんな悲壮な顔はあなたには似合わないわ。ほら笑ってちょうだい」
動揺する南波に対して、母は優しく語りかけ続けていた。その穏やかな微笑みに、南波の頬もつい緩みそうになる。
このまま待っていれば、目の前にいる母が齢をとって、あの時の母になってくれるのではないかとも思った。
しかし、そうはならなそうだし、もう周りの霧がどんどん晴れていっていた。天国にある負のエネルギーが、どんどん少なくなっている。
「ねえ、お母さん」
南波は涙を流しながらそう言った。
「僕のこと、愛してますか?」
答えを聞く前に、霧が晴れた。
タイムリミットだ。
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