Scene5

「まずどこから説明しようか」

 四人掛けのテーブル席に二人で向かい合って座ると、恭一はこう切り出した。そこはさっきまで葵がいた喫茶店……ではなかった。だが、とてもよく似た場所だった。

 葵が迷い込んだ謎の路地の奥に会った木製のその扉の先。同じテーブル、椅子、ステンドグラス……そして店員も。だが、そこは表の店と地続きの空間ではありえなかった。そもそも、地理的にも違うビルのはずだ。

「君は今まで、〝幻覚〟を見たことはあるかい?」

 恭一が何か言っている。だが、そんなことよりもっと大事なことがある。

 夢にまで見た恭一が、目の前にいる! 今日何時間もそれだけを目指して粘ってきた、この苦節五時間がようやく報われたのだ。

 にへらにへら笑いながら浮かれていた葵は、それを怪訝そうな顔で見ていた恭一の「聞いてる?」という一言でようやく我に返った。「あ、ごめんなさい」わずかによだれが垂れかけていた口の端をぬぐう。

「君は今まで、〝幻覚〟を見たことはあるかい?」

 葵の調子が整うのを待って、恭一はそう訊ねた。額にくっきりとした青筋が浮かんでいることに、葵は気付く様子もない。

「幻覚?」

「ああ。普通ではありえないようなこと。他の人には見えないようなものが見えたことがあるんじゃないかな?」

 こんなうら若き現代っ娘を掴まえて何を言い出すんだあなたは。と恭一の肩をぽんぽんと触れたかったが、生憎なことに思い当たる節が葵には山ほどあった。何なら、小学校低学年くらいまでは何が現実的にあり得ることで、何がありえないことかの基準がとても曖昧ですらあった。

 そんな葵の表情の機微を読み取ったのか、恭一がやっぱりという目で葵を見た。

「いやいやいや! ないですよ、そんなことは!」葵は目の前で手をブンブン振るう。

「本当?」

「ホント、ホント。何言っているか全然わかんない。上から降ってくる外国人忍者なんて見たことない」

「いや見てんじゃん。それもめっちゃガッツリ」

「いやー、それは確か文化祭かなんかで」

「どんな文化祭よ、それ。そんな安全面度外視の文化祭なんか潰れちまえ」

 意外と毒舌の恭一に、葵は驚きを隠せない。

「大体、四月に文化祭なんかないだろ?」

「そうそう、あれは新入生歓迎の作品を造ってるときで…… あれ? なんで四月って知ってるの? 私言った?」

「そう、重要なのはここからだ。君が幻覚を見たのは全て四月、それも四月一日のはずだ」

 ある年齢から、非現実なことは全て〝見なかったこと〟にしてきたし、もう回数が多すぎて記憶が定かではないが、よく考えればそうだったような気がする。

「その顔は図星のようだね」

 そんなにポーカーフェイスができない人間だったっけ。葵は首をひねった。

「四月一日はなんの日かわかるね?」

「携帯ストラップの日?」

「帰れ。バーカバーカ。幼稚園から出直してこい」

「そんな……」恭一の不意の毒舌に、葵はキュンとした。

「エイプリルフールだよ」

「ああ……」

 そんな呼び名もあったっけ。

「エイプリルフールは一般的に嘘をついても良い日、とされている。午前中だけ、という風潮もあるが、それはまだ十分浸透しているとは言えないな。浸透してくれたら楽なんだが……」

「え? ちょっと、何の話?」

「まあ、落ち着け。話はここからだ。この世には現代科学ではまだ解明されていないエネルギーが二種類ある。正のエネルギーと負のエネルギーだ」

「え? え?」

 話にあまりに脈絡がなさすぎて、ついて行ける気が微塵もしない。

「うん。ついてこれないことは確信してるから、いいから聞けって。今から何とか噛み砕くから」

「え? え?」

「聞けって言ってんだろが、コラ」

「はい……」

「よし。それでな……」

 そう言って、恭一が説明を再開しようとしたそのときだった。ポンパンポンポンポンポンポロン、ポンパンポンポンポンポンポロン~♪という軽快な電子音が鳴った。

 恭一がスマホを取り出し耳に当てる。「はいよ」と、電話口の相手と小声でやり取りをし始めた。少しして「何!?」と大声を上げて立ち上がる。

 

 次の瞬間、何の音もなく周りの空間が真っ白な世界に変化した。表の店と同じ、木目調の趣味の良いテーブルと丸太で作られた椅子も消失し、座っていた葵はそのまま倒れ込み、勢いよく尻を強打してしまった。

 葵は自分の目を疑った。急いで周りを見渡したが、やはり何もなくなってる。驚く暇もない内に、さっきまで外とを繋ぐ木製の扉があったところがバタンと勢いよく開いて、一人の男が入ってきた。


 黒いシャツに黒いスーツに黄色いネクタイ。頭には昔のギャングが被っていたような黒いハットを被っている。男は「ここにいたかァー!! 相良ァーー!!」と叫びその見た目のイメージのまま、ドラムマガジン式の機関銃をこちらに乱射してきた。

「わっわっわっ!」

 もう悲鳴もでてこない。遮蔽物もなくなってしまっていて、身を守れるものがない。葵はどうしたらよいかわからず、その場で固まった。

 

「動くな!」

 恭一はそう叫んで間に入ると、右手を前にかざして目の前で時計回りで一周させた。すると、その掌からオレンジ色の光が展開し、大きな円が描かれた。その光の盾はさらに大きくなって相手の銃弾を全て受け止め、取り込んだ。 

 盾はそのままその男に近付き、大きな口を開いて身体全体を包み込もうとする。

 

「おいおいおい………」

 焦ったその男は自らも手から光を放ちはじめた。一旦両手を合わせ、すぐさま左右に開く。手の間に形成された水色の光の帯にグレネード弾がいくつも出現した。 

 そのグレネードが、そのまま四方八方に発射された。そのミサイル達は恭一のオレンジの光を弾き飛ばし、何もなくなった真っ白な空間の壁、天井が次々と被弾していく。

 

「これはまずいな、崩れるぞ」

 恭一が真上を見ながら冷静そうに呟いた。男は既に一つしかない扉から逃げていた。

 恭一は掌から小さなオレンジ色の光球をいくつも放ち、被弾した箇所を覆っていく。さらにそれらがいくつも重なって柱になり、ビルの骨組みを支えていった。

「まあ、これだけやったら大丈夫か」

 そこまですると恭一はようやく、茫然自失でしゃがみこんでいた葵に向き直り、手を差し出した。

 だが、その手から得体の知れない物体が放出されていたことをしっかり目撃していた葵はその手を弾き飛ばし、悲鳴を上げながら後ずさった。


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