その二

 大喝采の大広間を退出したサクヤ達はそのままオウレンザルカ支城に戻って来た。

 だが、お披露目の大役を終えたサクヤを始め、一同の表情は沈んでいた。


「ごめんなさい、ギタン……貴方を巻き込んでしまった」


 帰路、終始無言だったサクヤの言葉と共に、頬を涙がつたう。


 昨晩オウレンザルカに突如もたらされた注進。


「ギタンなる者はエルドリオの『失われた王子』也。故にエルドリオに命を狙われている」


 正体不明のその言を聞いたサクヤは急ぎイヌイにギタンの保護を命じた。


「エルドリオの王子というのは本当だったようだ」


 そう言って何事も無く現れたギタンを見て安堵したサクヤだったが、ダンガという商人が語ったというその事実、そして昨晩あったという大規模な襲撃に表情をこわばらせた。


 そして……。


「結局は私も父上達と同じです……」


 天帝の言葉はサクヤに、いやオウレンザルカにとっては一筋の光明だった。

 だがそれは結果としてギタンの素性を天下に晒すことになってしまった。


「姫様、ヌイヌイじゃ駄目なの?」


 控えの間でイヌイと共に待っていたエンが心配顔で聞いた。


「ミイツ王子は剣技では恐らく私と同等だろう。姫様はそれを見越してあの様な条件をお付けになった。だが……」


 脇にいた沈痛な面持ちのイヌイがサクヤに代わって答える。


「ミイツ王子もしたたかだ。咄嗟に魔装甲鎧での試合に切り替えた」


「でも今のヌイヌイなら……あ……」


 そこでエンは言葉を切った。


「何か知っているのか?」


「し、知らないよ!」


 まだサクヤとイヌイにはエンがエルドリオの特任群という事は知られてはいない。

 この状況でそれを知った二人、特にイヌイを思うとエンはとても言い出す事は出来なかった。


「エルドリオ国王専用の魔装甲鎧『ヤカツ』。もしミイツ王子がこれを纏うなら、私は……『スイレン』は勝てないだろう」


「……」


 エンはイヌイの言っている事が良く分かった。


『ヤカツ』は国王専用というだけではなく、『オウカ』や各王家六体の魔装甲鎧中最強の性能を持っている。


『スイレン』も騎士用の魔装甲鎧としては大陸中五指に入る性能だが、それでも『ヤカツ』には遠く及ばない。


『オウカ』であれば『ヤカツ』に互角に渡り合えるかもしれない。

だが、その場合は装者の技量が勝敗を分ける。

この旅で目覚ましく技量を上げたとはいえ、サクヤのそれがミイツ王子に及ばないのもまた明白だった。


「だから、対するにはギタンと『リンドウ』しかないと……」


「要は明日の試合に勝てば良いのだろう?」


 憔悴したように話すサクヤに、何事でもないようにギタンが言った。


「で、ですが……」


「私はエルドリオの王家と関わる気は無い。だがサクヤの為になるというのなら私のこの身この命、サクヤに託そう」


「ギタン……」


「どの道、既にエルドリオに命を狙われたのだ。サクヤが気にすることではないよ」


「……ギタン……」


「あーギタン殿、部屋を用意させたので今日はそちらで休んでくれ」


 見つめ合うギタンとサクヤの間に入るようにイヌイが言った。


「ヌイヌイ、まーだ警戒してるんだねぇ」


「な! なんの事だ! 私はただ、私の替わりにギタン殿には万全の態勢に……おい? 猿?」


 イヌイは茶々を入れたエンが天井をぼうっと見ているのに気が付いた。


「え? あ? う、うん、そ、そうだね!」


 覗き込むイヌイに慌ててエンは取り繕う。


「どうしたんだ?」


「な、何でもないよ!」


 だが、その時エンは他の者には聞こえない声、父オルザの言霊を聞いていた。 







 ――深夜、オウレンザルカ支城中庭。


「こっちだよ若さま」


 父オルザからギタンに重大な話があるとの言霊を受けて、エンはギタンを指定された中庭に連れ出した。


 だが、月明かりの下、それらしき姿はない。


「おっかしいなぁ、もう来てるはずなんだけど……」


 すると、どこからか声が響いてきた。


「ギタン殿ですな」


「父ちゃん! 何で姿を見せないのさ! 若さまに失礼だよ!」


「我が娘エンを密偵と知りながらも厚く遇して頂き、感謝の念にたえませぬ。父親として御礼申し上げる」


「エンに私は幾度も助けられた。礼を言うのは私の方だ」


そう言いながらもギタンは周囲に知覚を巡らせる。


「娘の送って来た報告を読むだに、貴方様は真に王に通じる者に相応しい。ですが貴方には二つお詫びをせねばなりませぬ」


「二つ?」


「一つは 王姉陛下の命により、幼き貴方様を場外にお連れし、逃したのはこの私めでございます」


「お前が? 何故だ?」


「貴方様の父にあたるお方は、その昔、天帝様に弓を引いた大罪人でございました。ある勢力に旗頭に担がれ、破れた後にエルドリオ預かりになりましたが、そこで王姉陛下と……」


「そんな……若さまが……」


「貴方様が産まれた後に、国王陛下は大いに悩みました。王姉の一子なれば立派に王位継承権をお持ちになられるお方。ですが父親の素性が世に知られれば、あらぬ疑いを掛けられるのではと」


「それで?」


「結局は国王陛下は王姉陛下とその子を離宮へ隔離することにしました。ですがそれに反する一派が極秘裏に王子排除に動いたのです」


「……」


「結果、離宮は襲撃を受け、王姉の命によって私が離宮よりお連れいたしたのです」


「……ならば何故棄てたのだ」


ギタンの声に僅かに怒気が籠る。


「追っ手の執拗な攻撃に赤子を抱いていては共倒れは必定、人目につかぬ所に隠したつもりでしたが、追っ手を倒した後に戻ったところ……」


「ダンガ殿が拾った後だったということか」


「そのとおりでございます」


「その……母に当たる方は?」


 珍しくギタンの言葉に戸惑いの色が浮かんだ。


「……離宮にて御健勝の身でございます。それだけをもしあなた様にお会いしたら伝えるようにと仰せつかりました」


「そうか……」


 エンはそう言ったギタンの口許が僅かに綻んだのを見逃さなかった。


〈良かった。父ちゃんは若さまの味方なんだ。やっぱり父ちゃんだ〉


「それで、もう一つは何だ?」


「もう一つは……主命により貴方の命を頂戴いたします」


「父ちゃん!」


 安堵の色を浮かべていたエンの叫びと共に、四方から細長い投剣がギタンに投げつけられる。

 だがギタンは易々とそれを躱した。


「待ってよ! 何で父ちゃんが若さまを! 止めてよ!」


 エンの悲痛な声には答えず、代わりに次々と四方八方から投剣がギタン目掛けて飛ぶ。


「父ちゃん!」


 絶叫と共にエンが手の鋼球を投げて投剣を弾いた。


「エン、これは主命なのだ。邪魔をするな」


「父ちゃん! 止めてよ! 若さまは本当に若さまなんだよ!?」


「だが、今の我らの主はミイツ王子なのだ。その命は絶対なのだ」


「なら……それならオイラの主は若さまだ!」


「エン……お前……」


 投剣は止み、暗闇の中から湧き出すように大柄の男が現れるや、背中の大剣を抜いた。


「オイラは……オイラは若さまに仕えるって決めたんだ! 若さまに仇為すなら……父ちゃんだって……とうちゃんだって……」


 涙を流しながら鋼球を構えるエンの肩にギタンの手が乗った。


「エン、下がっていろ」


「わ、若さま……まさか……」


 ギタンが『物差し』を抜く。


「尋常の勝負だ。受けねばなるまい」


「な、何で! 明日は大事な試合じゃないか!」


「サクヤに私の事を告げたのはお前だな」


 構えながらのギタンの問いに、オルザも無言で大剣を構える。

 だがその顔はそれを肯定していた。


「お覚悟を!」


 その言葉と共に雪崩るような勢いでオルザがギタンに斬り掛かる。


「父ちゃん!」


 ギタンの前に立ち塞がっていたエンが悲鳴にも似た声をあげた。

 だがエンの手前でギタンの『物差し』がオルザの剣を受け止める。


「むうううぅん!!」


 裂ぱくの気合と共にオルザの豪剣がエン越しにギタンに浴びせつけられ、それをギタンは捌き躱していく。


 呆然と立ち尽くすエンの周囲に眩いばかりの火花が散る。


 未熟なエンでも分かった。


 ギタンもオルザもエンを傷つけないように剣を繰り出し、捌いている。

 オルザが姿を現したのもエンを傷つけないようにする為だ。


 だが受け手であるギタンが押されているのは確かだった。

 

 エンにはオルザの気持ちがひしひしと伝わってくる。

 厳しい訓練の最中に向ける眼差し。

 今のオルザの眼差しはその時と何も変わってはいない。


〈父ちゃん……でも……オイラは……〉


 エンはオルザの剣を身体に受けて止めようと覚悟を決めた。

 その時だった。


 同時にギタンとオルザの注意が一点、オルザの背後に向けられた。


「ぐっ!」


「っ!」


 短い呻きと共にオルザのわき腹から細長い剣が突き出るやギタンのわき腹をかすめた。


 本来なら二人とも避けられた筈だが、そのままではエンに当たる為にオルザは敢えてその身に受け、結果ギタンのわき腹をもかすめることになった。


「ベル……グド……貴様……」


 オルザの背後にベルグドの姿が浮かぶ。


「ちぃっ! 余計な真似を!」


 そう言って剣を抜くとベルグドは再び闇に溶けていく。

 オルザはその場に崩れ落ちた。


「とうちゃん!」


「貴様……」


 ギタンは闇の中のベルグドの気配を睨む。


「フン、土壇場で娘に情けを掛けた結果がこのざまよ。昨日は仕損じたが、今度こそ貴様の素っ首、頂く!」


 声と共に暗闇から次々と『キョウチクトウ』の群れが湧き出て来る。

 その数五十は下らない。


「これだけの数、果たして凌ぎきれるかなぁ?」


 傷ついたオルザ、そしてそれを庇うエンは戦力にはならない。

 しかもこの二人を庇いながらでは圧倒的にギタンが不利だ。


〈どうする……あの力を使うか?〉


『リンドウ』に備わるハガネアリをも消し去る力。

 だが付近に二人がいては巻き込みかねない。


「若さま! オイラ達はいいから逃げて!」


 ギタンの意を汲んだエンが叫ぶ。


「……」


 その時だった。


「はっはっはっはっはー」


 何処からか馬鹿っぽい笑いが響いてきた。


「な、なんだ!?」


 見れば少しはなれた鐘突き塔の上に明りが灯り、そこにウサ子を連れたダンガが高笑いをしていた。


「な、何だ貴様!」


「スカッと爽やか、配送迅速……ってこりゃ違うな。あー通りすがりの商人だ」


「しょ、商人だぁ? そんな胡散臭い商人がいるか!」


「……よく言われるがれっきとした商人だ。その男はちょっとした知り合いでな。殺させるわけにはいかんよ」


「ふっ、ふざけた奴め!」


 ベルグドが暗闇の中でこめかみに青筋を立てた時だった。


「がはぁっ!」


 悲鳴がギタン達の背後から上がり、回り込んでいた『キョウチクトウ』が走ってきた馬に弾き飛ばされていた。


 馬は大型の魔導人形に変形した。

 キギスの『シュンラン』だ。

 その後に続いたイヌイを先頭に、サクヤ、キギスの三人がギタンに駆け寄る。


「ギタン! 怪我を!?」


「サクヤ……どうという事は無い。しかし、どうして?」


「あの方が突然現れて、ギタンの危機なので助けにいくから付いてこいと」


 サクヤは塔の上で腕を組んでいるダンガを指差した。


「しかし……」


「ギタンの危機は私の危機でもあります! 見過ごす訳には参りません!」


「サクヤ……」


「サクヤ様! ギタン殿! 敵陣ですぞ!」


「まぁ、イヌイ殿は無粋ですね」


「キギス殿!」


 ギタンは皆の方を向くと懐から魔装石を取り出した。


「皆、ありがとう……装換!『リンドウ』!」


「装換!『オウカ』!』


「装換!『スイレン』!』


『シュンラン』が警戒するなか、皆が次々と魔装甲鎧を纏っていく。


「お、おのれぇ! 構わん! サクヤ姫以外は全員殺してしまえぇっ!」


 怪鳥のごときベルグドの声がひびき、『キョウチクトウ』達が一斉に動く。


 それに合わせてギタン達三人と『シュンラン』も四方に飛んだ。


「キギスさん! 父ちゃんが!」


 キギスが腹を貫かれたオルザに駆け寄り、回復魔法を唱える。

 だが、傷が塞がる様子がない。


「どうして!? 回復魔法を受け付けない?」


 もう一度掛けるが、やはり傷は塞がらない。


「そ、そんなぁ!」


 エンの顔が絶望に歪む。


「どれ、見せてみ?」


 塔にいた筈のダンガ達がいつの間にかエン達の脇にいた。


「ダ、ダンガさん……」


 ダンガがオルザの腹の傷に手をかざすと、傷がみるみるうちに塞がっていく。


「これは……貴方は一体……」


「んなことはどうでもいい。コイツは『ヤカツ』の魔瘴毒素って奴で、俺の回復魔法でも暫くは後遺症が残る厄介な奴だ。父ちゃんを守ってやんな」


「う、うん。でも、どうしてダンガさん……」


「ウサ子がな、どうしてもって頼むからさ」


「ウサ子が? どうして?」


「……あなたは……友達だった人の……昔の頃に……似てる……だから……」


 ウサ子は周囲を警戒しながら少し悲しそうに言った。


「しかし、ギタンも腹に毒を受けてる筈なのに、たいした奴だぜ」


「ギタン殿も!?」


「ああ。いくら竜の血を飲んだ身体とはいえ、あの毒に長くは持たんぞ。森人族のお嬢ちゃん、ここは俺達に任せて応援に行ってやんな」


「あ、で、では頼みます!」


 キギスは『シュンラン』に駆けていくと、それを纏う。


「いりゃああああっ!」


『オウカ』の烈拍の剣が唸り、


「うおおおおっ! 『疾風』!」


『スイレン』が斬り抜け、


「うふふっ! 速射魔導銃!」


『シュンラン』の魔法攻撃が次々と『キョウチクトウ』達を打ち倒していく。


 一矢すら報えず『キョウチクトウ』達はみるみる数を減らしていく。


「な、何なんだ……コイツら……」


 為す術無く選りすぐりのフリム特任群が壊滅していく様を呆然と見ていたベルグドの前に『リンドウ』が立ちはだかった。


 背後には大地に横たわる無数の『キョウチクトウ』


〈何故だ……浅傷とはいえ『ヤカツ』の魔瘴毒でとっくにくたばっている筈だ〉


 だが、よく見れば足元が覚束ないように見える。

 そしてガランと音を立てて持っていた剣が落ちた。


 それを見たベルグドの顔が悦びに歪む。


「なんでぇ! もう死にかけじゃぁねぇかあっ!」


 確信したベルグドが飛び跳ねるや渾身の斬撃を振り下ろす。

 その視界に両手を拡げ、紫に光る三つの魔方陣を展開した『リンドウ』が目に入った。


「あ?」


「『負の滅光デ・バスター』っ!」


 絞り出すようなギタンの声と共に紫の魔方陣から迸り出た黒い光がゼロ距離でベルグドの『キョウチクトウ』を飲み込む。


「ショッ! ショナイパァァァ!」


 ベルグドの奇妙な断末魔と共に『キョウチクトウ』は跡形もなく消滅した。


「おー、流石だな。『リュウキ』をああも使いこなすとは」


「えっ」


 ダンガの感心したような言葉にエンが驚きの声をあげたのも束の間、『リンドウ』が仰向けに倒れた。


「ギタン!」


 サクヤの悲痛な叫びが冴えた月夜に響き渡った。

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