第七話 天帝の街・前編 黒い真実
その一
――イルズセンドの騒動から数日後。
ギタン達を乗せた馬車は中央街道を進んでいた。
「いやぁ、温泉もたっぷり浸かって旨いものたらふく食べて、心もお肌もツヤッツヤだよ」
「今頃、代官やニルモーク亭の主人たちはキギス殿達巡検吏にたっぷりと取り調べを受けているだろうな」
ガサガサだった肌がすっかりツヤツヤになったエンに、同じようにツヤツヤになったイヌイが言った。
巡検吏には強力な司法権が与えられている。
しかも偽のサクヤを利用しての悪行と、本物のサクヤに手向かった罪は免れようも無い。
代官とギアラ達は無期限の入牢、ニルモーク亭やミシク商会、ガブフ団は財産没収の上解体の沙汰が下された。
「結局あの偽者姫が盗んだニルモーク亭の財産も没収になったようだし、万事めでたしだねぇ」
「しかし、あの偽物たちを取り逃がしたのが心残りだ」
「それはヌイヌイが見境なく暴れるから……」
「そ、それを言わないでくれ!」
「あ!」
「こ、今度は何だ!」
「ほら! オルダワリデが見えて来たよ!」
エンの指さした向こう、富士山に似た山の中腹が大きく抉れたようになっており、そこに広大な都市が広がっていた。
「山の中腹が……抉れている?」
「そうさ若さま! あれが天帝都市オルダワリデだよ!」
「天帝都市……」
「百年……いいえ、それ以上前から此の中央大陸には戦乱の嵐が吹き荒れていました。その末期に他大陸を次々と支配下に置いた天帝様と諸国を糾合した統一女皇セティレイカ様率いる統一オルダワリデ軍との決戦が行われ、その跡に建てられたのがこの天帝都市オルダワリデです」
「もう姫様ぁ、オイラが説明しようと思ったのに!」
「うふふ、ごめんなさい」
「ではあの抉られたような痕は」
「ええ、その時の名残です。一説によると天帝様が威嚇に放った魔法の痕だとか」
「なるほどなぁ」
感心しながら壮大な都市を見るギタンとは対照的にサクヤは少しだけ憂いた表情を浮かべていた。
天帝都市オルダワリデには一般的な都市を囲む城壁は存在しない。
馬車道と歩道に分けられた広大な道路を多くの馬車と人が行き交い、建物は他の地では見られない三階建て以上の建物が多く立ち並んでいた。
「ほら! あそこにたくさん浮揚船が! ……ってあれ?」
エンが怪訝そうな顔を浮かべた。
彼方に見える浮揚船専用の船着き場には、色とりどりの浮揚船が停泊している。
「どうしたんだ? 猿」
「な、何でもないよ!」
イヌイの問いに慌ててエンは被りを振った。
〈……どうして、シルヌ・ヴィーヴァが……〉
エンは少しだけ、深紅の船体の浮遊船に目をやった。
「お客さん! 何か囲まれちまったんですが、何かやったんで?」
外から御者の悲鳴に近い声が響いてきた。
何時の間にかギタン達の馬車の周囲を数台の馬車が取り囲む様に並走していた。
「ああ、あれはオルダワリデの武装馬車です。心配はいりませんよ」
「武装馬車?」
「ええ、私達を迎えに来たのでしょう」
サクヤの言葉通りに武装馬車はギタン達の馬車を高い塔のそびえる巨大な城に誘導している。
物々しさに道行く人々が馬車を覗こうとするが、脇も武装馬車が固めていて見る事は出来ない。
やがて大河の如き堀を渡り、全高二十メルテはあろうかという壮麗な門を潜ったところで馬車は止まった。
「ふええぇ……すっごいや」
エンが度肝を抜かれた様な声をあげた。
五千人はいるであろうオウレンザルカの甲冑を纏った兵士が整列している。
その中央に大柄だが温和な顔の男が立っていた。
「……レルガ」
馬車から降りたサクヤがその男の名を呟いた。
「レルガって! 大老の!?」
特任群のフィモスにサクヤ暗殺を命じた張本人、その名が大老レルガだった。
「猿、黙っていろ」
今までにないイヌイの緊迫した言葉にエンは慌てて口を噤む。
「サクヤ姫様、長旅お疲れ様でございます。ご無事で何より」
跪いたレルガの言葉にサクヤの表情が険しくなる。
「レルガ、無事というのは嫌味ですか? それとも皮肉ですか?」
「サクヤ様のお怒りはごもっとも。その事については後ほど説明させて頂きますが、それでもなおサクヤ様の勘気が解けぬなら、この命を持ってお詫びする次第でございます」
「……分かりました。その命、預かっておきましょう」
旅の間に見せていたのとはうって変わった厳しい表情のサクヤの言葉が響く。
「イヌイ・フォンディフォン! 姫様の護衛、ご苦労であった!」
レルガは立ち上がると跪いているイヌイに声を掛けた。
「はっ」
「 ……して、そこの者達は?」
レルガは立ったままのギタンとエンを一瞥した。
「彼の者に私は命を救われました。無体な扱いは許しません」
「畏まりました」
サクヤの言葉に応えると、レルガはギタンの前に進み出た。
「オウレンザルカ王国大老、レルガ・コーヴェインである。貴公、名は?」
「ギタン、それしかない」
「そうであるか、思い違いであったか」
「何がだ?」
「いや、てっきりどこぞの貴族の子弟かと思うてな。それはさておき、姫様のお命を救って頂き、このレルガ、国を代表して感謝する」
レルガは深々と頭を下げた。
「アンタがサクヤを殺そうとしたそうじゃないか。それを助けた相手に礼をいうのか?」
ギタンの言葉、特にサクヤと呼び捨てたことにたいし、兵達ににわかに気色ばむが、レルガが右手を上げて収めた。
「それについての仔細は貴公の預かり知らぬこと。褒美を取らせるゆえ、このまま黙って立ち去っては貰えぬだろうか」
だが、レルガの目をじっと見たギタンは静かに言った。
「……分かった。ただし褒美などは不要」
「ええっ! 若さまぁ!」
「若さま? そこのお前はこの者の素性を知っているのか?」
「し、知らないよ! でも若さまは若さまだよ!」
「そうか……」
「レルガ、少し下がっていなさい」
「はっ」
「サクヤ……」
「ギタン、ここでお別れです。今まで本当にありがとう。エルドリオまでの無事を祈っています」
「……良いのか?」
「ええ、でも……出来れば出立はお披露目を見てからにしてください」
サクヤはその瞳に少しだけ哀しみを湛え、それでも微笑んで言った。
「……分かった。サクヤも息災でな」
「ええ、エンもありがとう。どうか元気で」
「ひ、姫様ぁ……」
「ギ、ギタン殿!」
「イヌイ殿、世話になった。サクヤ……サクヤ姫様を頼んだぞ」
「っ! わ……わかった……」
ギタンはサクヤたちに一礼すると踵を返して歩いていく。
エンが涙ぐみながら頭を下げて、ギタンの後を追う。
その姿が消えるまで、サクヤはじっと見続けている。
そしてレルガも。
〈あの者の立ち振舞い……そしてフィモスの報告にあった剣……やはり……〉
「若さまぁ、これからどうするのさ?」
門の外に出て開口一番エンが聞いた。
「分からんな」
「え、エルドリオに行くのはどうするのさ?」
「そうじゃない。あのレルガという男だ」
「ああ、何が分からないの」
「あの白い男を使ってサクヤを殺そうとしたというが、あの男自身からはそんな気は全く感じられなかった。寧ろ逆だ」
「そうだよね。おかしな話だよね」
「……エン、お披露目とやらは何時だ?」
「ヌイヌイが言ってたけど、三日後らしいよ」
「そうか。サクヤはお披露目で何かする気だ」
「え? あの挨拶ってそんな意味だったの?」
「いや、そう感じただけだ。とにかく宿を取ろう」
「わ、分かったよ! オイラ取ってくるから若さまここで待っててよね!」
ギタンの言葉に少し元気を取り戻したかのようにエンは声を弾ませて駆けて行った。
サクヤのお披露目を見ようと訪れた人々で賑わうオルダワリデの街中を、エンは伝書鳥の入った籠を下げて歩いている。
宿は直ぐに取ることが出来たが、エンには大事な『仕事』が残っていた。
それはシュバルに始まり、サイパやボーブリント、オードラン等訪れた街で欠かさず行っていた事だ。
伝書鳥は各地の伝書鳥処を行き交うように躾けられた鳥で、今もなお庶民の重要な情報伝達手段だ。
人目の着かないところに来たエンは、籠の伝書鳥の足に書状を織り込んだ足環を付けて空に放った。
「……」
見送るエンの顔はどことなく浮かない。
「……この先からはいよいよエルドリオか……」
不意に舞い上がった伝書鳥がパッと散った。
「あっ!」
顔を強張らせたエンの指には既に黒い球が挟まれている。
〈……この程度で声を挙げるとは、まだまだ未熟よのう、エン〉
何処からかエンの耳にだけ聞こえる声が流れてきた。
〈とう……お頭様……一体どうしてここに!? 何でミイツ様の浮揚船が来てるのさ〉
辺りを見回しながらエンも唇を一切動かさずに常人には聞こえない声を出す。
相手は姿はおろか気配すら全く感じさせない。
〈国王アルナダン様はご隠居を表明なされた。当面の政務は第一王子たるミイツ様が執り行う事になった。儂はそのお目付け役として帯同しておる〉
〈ミイツ様が……それじゃオイラの役目はどうなるのさ!〉
〈ふむ、ギタンなる者、特に動きは見せずか……〉
声の主はエンの疑問には答えず、伝書鳥に携えてあったエンの書状を読んでいた。
エンは反駁するでもなくじっと声でない声を聞いている。
〈……本当に間違いないのであろうな? このギタンという者〉
〈それは前に書いて送ったじゃないか! あの剣は間違いないよ!〉
〈だがあの剣が人手に渡った可能性もある。あの時の事を知る者はもはや誰もいないのだ〉
〈そ、それは……そうだけど……〉
〈エンよ、その者の詳しい素性を急ぎ確かめるのだ。場合によってはその者、ここで消えてもらう事になるかもしれぬ〉
〈そんな!〉
〈どうしたエン? まさか情に絆されたのではあるまいな?〉
〈そ、そうじゃないけど……でも、若さまが本当に若さまだったらどうするのさ〉
〈それはアルナダン様がお決めになる事。我々はその手証を揃えるのが任。分かっておるだろうな〉
〈分かってる……分かってるよ……〉
〈それでこそ我が娘。いずれは儂の跡目を継ぐ者よ。行くがよい〉
そう言ったきり声は消えた。
パサパサと羽ばたく音が脇の木から響き、伝書鳥がエンの肩にとまった。
足環が無い以外は傷一つない。
〈とうちゃん……〉
唇をキュっと噛みしめるとエンはギタンの元へ戻っていった。
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