その二

 ――オルダワリデ支城


 この城には本城の周囲にオウレンザルカ、エルドリオ、ズイア、サーモナ、ミルオン、ヒルゴハーディのいわゆる六大国の支城がある。


 支城とはいえ、その規模は一国の王城に匹敵する規模があり、各国の国王は一年おきの居留が義務づけられている。


 オルダワリデは百万の都市のみの規模だが、まさに中央大陸を統括する首都と言えた。


 サクヤはそのままオウレンザルカ支城に入ると、居室にてレルガに事の次第を問いただした。


「婚儀……?」


「そう、エルドリオの次期国王であるミイツ王子から正式に申し入れがあったのです」


「ミイツ王子?」


 サクヤにとっては初めて聞く名前だ。


「はい、彼は第三王子でありましたが、第一王子レヒト殿下、第二王子ミユル殿下が浮揚船での事故で急死し、第一王子に昇格したそうです」


「その者との結婚が何故私の命を……」


 そこでサクヤの言葉は途切れた。

 オウレンザルカ王国唯一の嫡子であるサクヤと次期エルドリオ国王であるミイツ王子の婚姻は即ちオウレンザルカとエルドリオの合併、そしてオウレンザルカの消滅を意味していた。


「断ればどうなるのですか?」


「この盟約自体は統一女皇セティレイカ様と共に天帝様に反旗を翻した先代様達の間で交わされたもの。反故にすることは即ち戦の火種になるということ」


「戦の……」


「加えてオウレンザルカとエルドリオは統一前は永きに渡って覇を競っていた間柄。未だにその禍根は根強く残っておるのです」


「しかし! だからと言って!」


「某がフィモス達クルガ特任群に調べさせたところ、このミイツ王子、性格、素行に大いに問題ある人物。とても国を委ねるに足るとは……」


「だから私を亡き者にしようと?」


「……婚姻の申し込みがあったのはサクヤ様のお披露目が発表された直後。恐らくミイツ王子はそれを待っていたのでしょう。最早サクヤ様に亡くなって頂くしか国を救う方法は……」


 レルガの声は苦渋に満ちていた。


 エルドリオ次期国王ミイツ王子は合法的かつ巧妙な手段で古くからの仇敵であったオウレンザルカを乗っ取ろうとしているのだ。


 仮に両国の間で戦端が開かれでもすれば、天帝の軍がすぐさま介入して両国を滅ぼすだろう。


「我が国にもオウレンザルカの特任群が多数入り込んでおります。なまなかな偽装ではすぐに見破られてしまうおそれがあり、すぐに復活できるように聖魔法の使えるフィモスを差し向けたのです。ですが……」


 当然、本当にサクヤを殺めたままにするつもりはレルガにも無い。


 サクヤ姫はお披露目に向かう忍び旅の途上で不慮の事件に巻き込まれ命を落とした。


 そう発表し、エルドリオに諦めさせた上で、蘇生させたサクヤには人目につかぬところで隠棲してもらう。


 しかしそれは嫡子であるサクヤを失うという事になり、結局はオウレンザルカに取って多大な損失となる。


 だが当面の時間は稼げることにはなる。

 その間に傍家から男子の誕生を待つしかなかった。


「……レルガ、まさか……イヌイを護衛騎士にしたのも……」


 その言葉にイヌイはハッとした。

 魔装甲鎧を満足に扱えぬ自分が何故サクヤの護衛騎士に抜擢されたのか。

 最初から捨て駒とされていたのだ。


 レルガは黙って頷いた。


「……」


 愕然とした顔のイヌイの双眸から、ボロボロと涙が零れた。


「……イヌイを推挙したのは父上自身。この企み、父上もご存じなのですね……まさか……」


 怒りと絶望と悲しみが入り混じった声がサクヤの口から迸り出る。

 だが、その先は言えなかった。

 言いたくはなかった。


「……お察し下さい。この企て、全ては某の一存で謀った事。国王陛下は何も仰りませんでした」


 サクヤには今、レルガの企み、そして苦衷が良く分かった。

 これだけの企みを国王が知らぬわけはない。


 この忠臣は己一人が悪名を背負って死ぬつもりだ。

 それはあのフィモスという男も同じだったのだろう。


「……では私は今死ねばよいのですね?」


 レルガは静かに首を振った。


「姫様がオルダワリデ入りした今、却ってエルドリオの、何より天帝様の不審を買うだけです。仮に戦になった時に備えてオードランの領主ホーメイアに命じて極秘に武具の増産をさせていたのですが」


 だが戦闘になれば天帝の介入を受ける以上、それは夢物語も同然。

 現代における核戦争と同じことだが、オウレンザルカはそこまで追い詰められていた。


「冒険者たちを捉え、強制的に狩りをさせて作った武具を?」


「それは誓って某の指示ではございませぬ」


「……どうすれば良いと言うのですか」


 結婚をすればサクヤ以外に嫡子の無いオウレンザルカはエルドリオに吸収される。

 過去の遺恨によって、オウレンザルカの民は圧政に喘ぐことになるだろう。


 過去の盟約によって反故にも出来ない。

 それは新たな戦火の発端となり、天帝の介入を招くことになる。


 最早サクヤの死を持って婚儀そのものを無かったことにする事も出来ない。


「……」


 レルガは押し黙ったまま。

 まさに八方塞がりだった。


『お披露目までの道中、広く世情を見知り、少しでも民の助けになりたいと思います』


 出立前に国王の前で希望に瞳を輝かせて言った自分が思い浮かぶ。


 あの時から、偽物と罵られた挙句に為すすべなく組み伏せられ、世直し遊びと罵られ、自分の無力さ、非力さを思い知らされた。


 そして今、国の危機に際してサクヤはもはや死ぬことすらできぬ無力な存在だった。


「レルガよ、その先は儂が話そう」


 居室の扉が不意に開き、髭を蓄えた偉丈夫が入って来た。

 オウレンザルカ国王、そしてサクヤの父であるハレイシュ・ギヌル・ジオ・オウレンザルカだ。


「お父様!」


「へ、陛下……いけません!」


「良い。サクヤよ。お前が思う通り、レルガにお前の暗殺を指示したのは他ならぬ儂だ」


「ああ……」


 ハレイシュの告白にレルガは崩れ落ちた。


「父上……如何な父上、いえ、国王陛下とて、実の娘の命を奪う命を臣下に下した……」


 サクヤが渾身の力で振り絞ろうとした弾劾の言葉は途切れてしまった。


「すまないサクヤ。エルドリオの奸計を知って以降、様々な対策をレルガと思案したが、これしか……これしかなかったのだ」


「父上……」


「イヌイ・フォンディフォン。お前にも辛い思いをさせたな」


「陛下……私は……」


 だがその先は声にならなかった。


「国を率いる者として、お前と民草を天秤に掛けた。だがお前にはせめて隠遁でも良いから生きながらえて欲しかった。だが、もう良いのだ。元はと言えば儂たちが天帝様との決戦を前に誓った言葉なのだから」


 ハレイシュ国王は悲しそうに頭を振った。


 〈ああ、ギタン……〉


 サクヤは天を仰ぎ、心の中で呟いた。



 ――同時刻、エルドリオ支城。


 王の間の玉座に座る若者の前に臣下が傅いている。


 後ろに撫でた茶に近い金髪、澄んだ壁眼。

 優しさを含んだ整った顔。


「それで? 姫君のご様子は?」


 エルドリオ王国第一王子ミイツ・ミツ・ジニ・エルドリオは微笑みを浮かべて目の前で傅いている大男に訊ねた。


「サクヤ姫様はご到着後、すぐにオウレンザルカ支城にお入りになられたご様子」


 茶髪に縮れ毛の大男、エルドリオ王国イガル特任群の長、オルザが応える。


「ふうん、ならばすぐにでもこの支城に呼んで参れ。当代一と謳われる美貌、早く見たいものだ」


「お言葉ではございますが陛下。天帝様の御前にてのお披露目が済むまでは姫様との御面会はお控えくださいますよう」


 オルザにはミイツの『見たい』が単に会うだけに留まらない事は良く知っている。

 現にミイツの脇に侍っている侍女たちは国から選りすぐって集めた美女揃いだ。


「天帝様か……ここ暫く姿を見せずにセティレイカ様が代行しているのであろう? 問題があるのか?」


「セティレイカ様も立派な天帝様の御名代。くれぐれもご無礼な真似はお慎み下されませ」


「する訳無かろう。だが、婚儀の盟約は元々はセティレイカ様が言い出したことではないか。その盟約に則って婚儀を申し出ているのだ。もういい、下がれ」


「はっ……失礼いたします」


 オルザは立ち上がると一礼して王の間を退出していった。


「全く、目付など要らんと言ったのに、父上は……」


「ならばあの者も消しましょうか?」


 やれやれと首を振ったミイツに柱の陰から声が掛かる。


「父上の目付だぞ? 出来る訳無かろうが。ベルグド」


 その声に、柱から灰色の髪の小男が湧き出てきた。

 フリム特任群の頭、灰鬣犬はいりょうけん族のベルグドである。


「これは、残念」


 王国お抱えのイガル特任群に対し、フリム特任群はミイツ王子のいわば私兵である。

 だが、ミイツ王子が第一王子となった事で、今やイガル特任群と比肩する立場にある。

 当然イガル特任群とは文字通りの犬猿の仲だった。


「それで、調べはついたのか?」


「はっ、オルザの娘、エンが姫君と共に旅をしておりました」


「それはもうオルザから報告を受けている。姫君の動向を探る為であろう? まさかそんな事をわざわざ言いに来たわけではあるまい?」


「勿論、それだけではございません」


「では何だ? さっさと話せ」


「例の剣を所持している者が一行に加わっておりました」


「何だと?」


 俄かにミイツの顔色が変わった。


「それはオルザの報告には無かったな……何者だ?」


「名はギタン。シュパルの街にて姫君の用心棒として雇われたようで、『リンドウ』なる怪しい魔装甲鎧を所持しております」


「『リンドウ』? 知らんなぁ。で、そ奴は本当にスマルネア伯母の息子なのか?」


「そこまではオルザも掴んでおらぬようです」


「全く……食えぬ猿親父だ」


 ミイツが忌々しそうに言った。


「如何いたしましょう」


「どの道、そいつが姫君と行動を共にしていたというのが気に入らん。よし、そいつの首を持ってこい」


「首を……ですか」


「首だ。姫君に婚儀の祝い物として送り付けてやるのも一興だろう」


 さも当然とばかりにミイツは言った。


「畏まりました。オルザの娘は如何いたしましょう」


「お前は、そこまで私が差配しないと動けないのか?」


「いえ、ついでに娘の首を不忠の証としてオルザに送るのも一興かと」


「ふん、好きにしろ」


「はっ」


 そう言ってベルグドの姿は柱の陰に消えた。


「父上……この期に及んで悪あがきを……」


 ミイツは暫く玉座で思考を巡らせるとやにわに立ち上がって叫んだ。


「国元の母上に書状を送る! 書記官を呼べ!」

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