その三

 ――オルダワリデの市街。


 サクヤのお披露目を明後日に控え、街は大勢の人でにぎわっていた。

 いたる所に出店が立ち並び、芝居小屋や見世物小屋には多くの見物人が詰めかけている。


 それはまさに祭りであり、その規模はオードランの剣祭りを遥かにしのぐものだった。


「婚約?」


 喧騒から外れた川べりの空き地でギタンは、息をきって戻って来たエンの言葉に応えた。


「う、うん。エルドリオのミイツ王子との婚約が発表されるって、街じゃその噂でもちきりだよ」


 その話をエンは父親であり、エルドリオの特任群の長であるオルザからは聞かされていなかった。


「その婚約とは何だ?」


「若さまぁ、物を知らなすぎるのも大概だよ。結婚の約束……まさか結婚も知らないとか?」


 ギタンは頷いた。


「はぁ……結婚てのはね、男と女が一つ屋根の下に一緒に住んで、一緒にご飯食べて……その……なんだ……子作りしたり……」


 流石のエンも赤くなりながら説明する。


「その子作りと言うのは……」


「もっもうっ! それは勘弁してよっ!」


 普段はあっけらかんとしているエンも面と聞かれると恥ずかしいようだった。


「で、それはサクヤが望んだことなのか?」


「うーん、王族とか貴族ってのはね、望まない相手でも結婚しなくちゃいけない事がよくあるんだ。でも……ミイツ王子は最悪だよ」


「最悪?」


「うん、見てくれや言動は良いんだけど、野心家で自信家。オマケに美人が大好きで、気に入ったら相手に恋人や旦那がいようと攫っちゃうんだ」


 エンが声を潜めて言った。


「そうなのか」


 ギタンはそうは言ったものの、今一つ理解していない。


「母親で今の王妃のシュメナ妃に頭が上がらなくてさ、前のアルモナ王妃やその子のレヒト王子もニユル王子が急死したのは多分……」


「随分と詳しいのだな」


「そ、そりゃそうだよ。オイラ元々はエルドリオの出だもん」


「だから私の従者になったのか」


「そ、そうさ。エルドリオに行く若様の従者になれば、帰るお金が助かるし……」


「そうか」


 ギタンは何も云わずに視線を川の流れに戻した。

 その姿を見てエンは思った。


〈若さまには言えないけど、本当は……〉


「サクヤは困ってるだろうな」


 エンの考えを遮るようにギタンはポツリと言った。


「……だろうね。もし姫様がミイツ王子と結婚すれば、オウレンザルカはエルドリオに吸収合併されちゃうんだ」


「だからあの白い男はサクヤを殺そうとしたのか」


「あ……」


 エンもそこまでは考えが及ばなかった。

 だが、追い詰められたオウレンザルカが取りうる手段はサクヤを殺して、この話を破談にするしかない。



「よう」


 不意に後ろから声が掛かった。


「「!」」


 その瞬間、ギタンとエンは振り返りながら後ろに下がった。

 二人とも声の主が間近にいる事を感じなかったからだ。


 ギタンの目の前にいたのは黒い外套で身を包んだ男だった。


 外套を深めに被って、その顔は伺い知れない。

 その脇には白い外套で身を包んだ子供位の背丈の者がいる。


「何時の間に……」


「誰だ?」


 男は驚く二人の言葉には答えず腰の剣をゆっくりと抜く。


「ええっ!」


 エンが驚きの声をあげ、ギタンの顔が強張った。


 先端が平らになった形状、虹色に輝く剣身はギタンの持っている剣と瓜二つ。

 だが、その剣の柄にはギタンの剣と違って黒い魔石が嵌っている。


〈この者……強い〉


 ギタンの関心は剣よりも男そのものにあった。

 今までにない剣気がギタンに吹き付けてくる。

 ギタンも腰の剣をそろりと抜いた。


「若さま?」


「エン、下がっていろ」


 ギタンが剣を抜くという事がどういう事か、今のエンには十分すぎるほど分かっている。

 思わず後ろに下がった。


「ふむ……、お前がそうか」


 男が値踏みするようにギタンを見る。


「あんたは?」


「お前は俺の事は知らんだろうが、俺はお前の事を良ぉく知ってるぞ」


「何だって?」


「まずはアマヅェウスがどのように育てたか、見せて貰おうか?」


アマヅェウス。

その名を聞いたギタンの顔が僅かに強ばった。


「爺の名を知っている!? 誰だあんた!」


 答えの代わりに一足飛びの斬撃が飛んできた。

 反射的に剣で辛うじて受け止める。


「っ!」


「成程、竜の血か。良い反応だな」


 そう言った男の剣を握った手が揺らめく。


 同時に凄まじい数の斬撃がギタンを襲う。

 だがギタンもそれを受け止め、捌いていく。


「な、なな……」


 脇で見ていたエンの目でも負えない剣戟と捌き。


 バチバチという音と飛び散る火花がまるで放電しているようだ。


「くっ!」


 思わず指の鋼球を投げようとした瞬間。


「手出し……無用に願います」


 黒外套の男の脇にいた、白い外套を着込んだ女が何時の間にかエンの背後に回って、その背中に短剣を突きつけていた。


〈な、なんで? いつの間に?〉


 もうそれだけでエンは一切動くことが出来ない。


「冗談じゃないよっ!」


 短剣が喰いこむのを覚悟でエンは手の黒球を打ち込む。

 外套が貫かれて躍ったが、そこに女はいなかった。


「上!?」


 エンが見上げた先に白い髪が舞っていた。上質の白い服にエンと同じような短いズボン。そしてルーズソックスにも似た長い靴下。


 何よりも煌々と輝く紅い瞳。


「白兎!? 何で!?」


 エンが疑問の声をあげたのも無理はない。

 南方の大陸にすむ白兎族は温厚な種族として知られている。

 だが目の前の女、いやエンと同じくらいの少女の俊敏な動きはとても白兎とは思えない。


 その視界の隅ではギタンと黒い外套の男の打ち合いが続いている。


 飛び散る火花がまるで滝のしぶきのように流れる。

 ギタンは必死に受けているが男には余裕すら見える。


〈若さまが押されるなんて……何者だ……〉


「成程な、天然でここまでやるとは……」


 男が感心の声をあげた瞬間を突いてギタンが踏み込み左手をかざす。


 だが男も待っていたかのようにその動きに合わせ、左手をかざした。


竜波動ヴェグデ!」


竜波動ヴェグデ・改」


 ヴゥキィィィィンンという不共鳴音が響き渡り、ギタンが弾き飛ばされ石垣に激突した。


「ガハッ!」


「若さまぁっ!」


 エンが駆け寄ろうとするがその進路を白兎の少女が塞ぐ。


「……行かせない」


「どいてよっ!」


 そう叫ぶやエンが渾身の回し蹴りを放つ。

 だが少女はそれを上回る速さで後ろ回し蹴りを放つとエンの足を巻き込むように絡めとる。


「あぐっ!」


 そのまま地面に叩きつけられ背中の一点を押さえられ、エンは身動きが取れなくなった。


「くそ……は……なせ……わ……かさ……ま……」


 絶息しそうになりながらもがくエンを、白兎の少女は冷静な目で見据えている。


 崩れた石垣から立ち上がったギタンが剣を構えた。


「ほう、闘志衰えずか。いいなぁ」


 剣を首筋に回してトントンと叩いていた男が感心した声を上げると、そのまま剣をだらんと垂らした。


〈これは……〉


 ギタンは一見隙だらけのこの姿勢に全く隙が無い事に驚いていた。


「来ないのか? なら……」


 そう言うや男の姿が霞んでいく。


 男の不規則な足捌きがギタンの視線の死角や眼の盲点を突き、その姿を眩ませていく。


 本能的にギタンは逆に踏み込んだ。

 勘で放った一刀が男の剣と噛み合う。


「凄いなぁ! なら、これはどうだ!?」


 そう言った男の姿が今度は文字通り掻き消えた。


 ギタンは反射的に前に飛びながら、身体を捻って背後に剣を振った。

 何か得体のしれない気配を背後に感じたからだ。


 チィンと音がして再び剣が噛みあった。

 ギタンが気配を感じた場所に男が剣を振るいながら涌き出るように現れていた


「へぇ、やるもんだなぁ」


 男の驚いたような、それでいて嬉しそうな声が響く。

 一方のギタンの首筋には薄ら寒いものが走っていた。


 だが。


「あー、よぉく分かった。俺の負け負け!」


 そのまま男は剣を収めると手を挙げて横に振った。


「な……」


「おーい、もういいぞ」


 唖然とするギタンを尻目に男はエンを押さえている白兎の少女に声を掛けた。


 その言葉と共に白兎の少女はエンの拘束を解いた。

 だがエンは目の前で起こったことに呆然として、なおも動けなかった。


〈そんな……そんな事って……〉


 その男が消えた次の瞬間、ギタンの背後に湧き出すように現れた。


「あれに気づいたのはお前が初めてだよ。さすがだなぁ」


 石垣に腰を降ろした男が外套を脱いで顔を見せた。

 年のころは二十五、六とギタンよりも年上に見える。

 そしてギタンと同じ黒い髪に黒い瞳。


「あんた……何者だ? なんで私を知っている?」


「ああ、それはなぁ……俺がお前を拾ったんだよ」


 男はエンをちらりと見ながら言った。


「なっ! 若さまを……拾った?」


 エンにとっては僥倖とも言える人物の登場。


 だが、


「で、でもアンタいくつなんだよ?」


 ようやく立ち上がったエンが食って掛かる。

 男の見た目はとてもギタンを拾ったと言える年齢ではない。


「ああ、ワシャァこれでも齢百を越しておってなぁ……ゲホゴホ」


 男はおどけるようにしわがれ声でわざとらしく咳き込んだ。


「ちょっと! 真面目に答えてよ!」


「いたって真面目なんだがなぁ、そいつの持ってる剣、天帝サマがエルドリオ王家に下賜した『物差し』だろ?」


「な、何で知ってるのさ!」


「だから、俺がこいつを拾った時に一緒に置いてあったの。魔石の首飾りも持ってるだろ?」


「本当に……若さまを……」


「それで、俺は一体何者なのだ?」


「さあな」


「ちょ、ちょっと!」


 一番肝心な事が聞けずにエンがいきり立った。


「まぁ、慌てるなよ。順を追って話してやっから。まずは自己紹介だ。俺は……ダンガ。商人をやっている」


「あんな凄い剣技の商人がいるかなぁ……」


「いるの。商人だけじゃ生きていけないからな。こっちは……ウサ子だ」


「……ウサ子……です」


 ウサ子と呼ばれた白兎の少女は一瞬何か言いたげにダンガを見てからペコリと頭を下げた。


「言っておくがあだ名だからな。変な名前とか、こんな名前つけるやつの感性が分からんとか思うなよ」


「思ってないよ。何だい藪から棒に」


〈変な名前だけどさ……〉


 喉から出かかっていた突っ込みをエンは慌てて飲み込んだ。

 余計な茶々を入れて肝心の事が聞けなくなっては台無しだ。


「私はギタン。こっちは従者のエン」


「ギタンか、良い名前だ」


「爺かあんたが付けたんじゃないのか?」


 ギタンの問いかけにダンゴはこりごりといった顔で首を振った。


「俺が? よせやい。そういうのはもうお役御免だよ。お前の持ってる魔石の裏に模様みたいな字が彫ってあるだろ?」


 ギタンは首にかけていた魔石を取り出す。

 裏に見慣れぬ文字のような紋様が確かにあった。


「それは『義胆』って書いてあるのさ。意味は正義を貫く心、だ」


「正義を貫く……心」


「あれは二十年は昔のある冬の寒い日だった……」


 唐突にダンガの独白が始まった。

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