その四
「その日、俺はヤボ用でエルドリオの王都ヨダチルンに来ていた。夜中に腹が減ってな、開いてる酒場でもないかってうろついてたんだ」
遠くに沈む夕陽を眺めながら、その先を見るような目でダンガは語り始めた。
「そんな時さ。何処かで赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。それで路地に行ってみると人目から隠すようにギタン、お前さんがいたのさ」
「隠すように?」
「ああ、理由は察しがついた。王都内を胡散臭い連中が何かを探し回っていたからな」
「何故?」
「その時に国王の姉であるスマルネア妃殿下の産まれたばかりの王子が消えるって大事件があったのさ」
「アンタどうしてそれを!」
エンが思わず叫んだ。
それはエルドリオでも極一部の者しか知らない重大事件だった。
「だから、商人は情報が命なの。実際赤ん坊を抱えた俺はそいつらに囲まれたんだが、明らかに殺す気満々でね。俺は必死に逃げたわけよ。お尋ね者になったら商売あがったりだからな」
「……」
エンはその顛末は聞いて知っている。
かなりの数の者が翌日に正体不明な状況で発見された。
「それでホウライジュのアマヅェウスに預けたのよ。アイツ暇そうだったし」
「ちょっと待ってよ! そのアマヅェウスって金の竜でしょ!?」
「そうだよ」
「そうだよって! 地の竜だよ地の竜! なんでそんな気安く呼んでるのさ!」
「あーあのジジイそうなんだ~、いや、むか~しちょっと商売で知り合ってさぁ、いやぁ普通にジジイだから金の竜なんて知らなかったよ~」
とぼけた口調でダンガが言った。
地上最強の生物がまるで近所のご隠居の扱いのようだ。
「では私は……」
ギタンがそう訊いた時だった。
「ご主人様……お話の途中……ですが……」
ウサ子と呼ばれた少女が低く警戒の声をあげた。
「ああ、分かってる……随分と来てるようだな」
ギタンもエンも既に三十人程の男たちが近づいている事に気づいていた。
「こいつら……フリム特任群……」
歯噛みしながらエンは呟いた。
「イガル特任群の長、オザル殿のご息女、エン殿、姫君様お目付けのお役目ご苦労様です」
木陰から現れた灰色髪の貧相な男が薄ら笑いを浮かべながら仰々しく言った。
「……フリム特任群が何用だい!」
「いえね、アンタじゃなくてそちらの色男さんに御用がありまして」
「わ……何だって……」
若さまと言おうとしてエンは呑み込んだ。
「お父上を困らせたくなければアンタは下がってて下さいよ」
「そ……」
「エン、下がっていろ」
「わ……で、でも……」
「大丈夫だ」
そこで間に入るようにダンガが手を挙げた。
「すみませ~ん、しがない商人のアテクシは退散してもよろしいでしょうか?」
ベルグドはその声に答えずに右手をあげた。
特任群の覆面を被った男たちがギタン達の囲みを詰めていく。
「ああ~やっぱそうなるよねぇ。目撃者は始末するんだねぇ」
ダンガは予想が当たったとばかりに腕を組んで頷く。
「ギタンとか言いましたね? アンタの首を御所望の方がおりまして、頂きますよ」
ベルグドの声と共に十人の男が音もなく一斉に飛ぶ。
「……!」
エンは息を飲んだ。
調査、偵察が主任務のイガル特任群と違い、フリム特任群は暗殺や破壊工作に特化した特任群だ。
一人一人が騎士級の剣技の持ち主である。
その手練れの五人がギタン、残りの五人がダンガのそれぞれの喉笛に一斉に突き込んで来た。
だが。
ギタンとダンガが同時に剣を抜く。
二人の刺客の合間を縫うようにすり抜けながら一人を斬り、反転してもう一人を斬る。
他の三人が振り返りながらの斬撃を送る前に二本の剣が唸りをあげて一呼吸で三人を斬り斃した。
二人の息のあったかのような動作で瞬時に十人が地に倒れ、ベルグドの表情が俄かに変わった。
「ああん? 何とか特任群だっけ? かっこつけて出て来た割にはしょっぱいなぁ」
ダンガが愉しそうに手を振って煽る。
「……」
ベルグドは無言で人差し指と中指、薬指と小指を付けたVサインのような物を出した。
残った二十人全員で掛かれの意味だ。
仲間をやられたせいか、または二人の剣捌きに当てられたのか、残りの特任群達の殺気が強くなる。
「全く、最初から全員で来りゃあ良い物を。まぁどの道無駄だけどな」
再び剣を下げた姿勢のダンガが言い放つ。
その言葉を合図にしたかのように残りの特任群が一斉に襲い掛かった。
これだけの人数が一斉にかかれば同士討ちの可能性がある。
だが、それを顧みずに確実に相手を仕留める。
これがフリム特任群の戦法だった。
だが、ギタンとダンガは特任群たちの剣を紙一重でかわしながら確実な斬撃で逆に仕留めていく。
ベルグドの目前で精兵であるはずの部下が為すすべなく斬り倒されていく。
まるで剣聖と入門したての新米剣士を見ているかのようだ。
「こ、こいつら……何者だ……」
姫様の用心棒と言ってもたかが知れていると舐めてかかり、三十人の部下でも大げさすぎるとは自分でも思っていたが、ミイツ王子の歓心を買う為には少々大げさな方が良いと思っていた。
それがまさか全滅の危機に陥ろうとは。
ギタンという男もそうだがもう一人の商人体の男は一体なんだ。
〈まるでこいつら剣聖級の腕前ではないか〉
ふと後ろでやはり呆然と特任群が屠られる様を見ていたエンが目に映った。
〈こんな無様をオザルにでも知られれば……〉
オザルを通してミイツ王子に報告されればどの様な叱責を受けるかわからない。
下手をすればフリム特任群は再び解体の危機に晒されることになる。
ベルグドは音もなく跳躍してエンに剣を突き込む。
エンの実力の程はベルグドはよく知っている。
確実に殺せるはずだった。
「ごっへぇっ!」
ほかのフリム特任群たちは皆死ぬ時ですら無言であったのに、ベルグドは情けない悲鳴をあげていた。
エンとベルグドの間に滑りこんで来たウサ子の拳がベルグドの腹にめり込んでいた。
「ごばっ! ごばぼっ! ぼふぉごっ! ごべっへぇ!」
吐瀉物を撒き散らしながら七転八倒するベルグドを紅く輝く瞳が見下ろしていた。
「ど……どうしてさ」
エンがウサ子に訊ねた。
「コイツと……戦うの……困るんでしょ……」
「うぐ……が……このガキ……」
「……ガキ……じゃない……」
紅い瞳が揺れた瞬間、ウサ子の姿はベルグドの懐にあった。
「なごっぺぱぁっ!!」
突如現れた紅い瞳が更に揺れ、その場でバク転のように回転したウサ子の膝が、肘が、拳が、頭突きが次々とベルグドにめり込む。
最後にサマーソルトキックを顎に叩き込みながら、キリキリと宙を舞ってエンの元にウサ子は降り立った。
その向こうでベルグドが崩れ落ちる。
「い、今の何?」
ダンガと同じでこのウサ子も瞬時にベルグドの懐に現れていた。
こんな事は見た事も聞いたことも無い。
「……ない……しょ」
ベルグドを見続けているウサ子の口元が少し笑ったようにエンは見えた。
「おおおおおおのれぇぇぇっ!」
ややあってヨロヨロと立ち上がったベルグドが、懐から魔装石を出した。
「それは!」
「ガハーッ! お前ら全員皆殺しにしてやる! 装喚! 『キョウチクトウ』!」
「『キョウチクトウ』だって!」
驚くエンの面前でベルグドを灰色の魔装甲鎧が覆っていく。
「ウッキャアアアッ! 死ねやガキがああああっ!」
『キョウチクトウ』が肩部の剣を取ってそのままエンとウサ子を薙ぎ払おうとする。
「!」
「グバッシャアァッ!」
奇矯な悲鳴と共に『キョウチクトウ』が宙に舞った。
駆け込みながら『リンドウ』を纏ったギタンが体当たりで吹き飛ばしたのだ。
「若さま!」
「グゥッ! 貴様! その魔装甲鎧は!」
二回転ほどして立ち上がった『キョウチクトウ』からベルグドの驚きの声が響く。
両腕から漆黒の剣を伸ばした『リンドウ』はそのまま滑るように『キョウチクトウ』の懐に踏みこむや逆袈裟に斬り上げた。
「ぎぃっひっぃぃっ!」
咄嗟に躱そうとするが腹部の装甲が文字通り溶断される様に斬り裂かれる。
「なななんじゃああっ!」
それでも『キョウチクトウ』は肉を切らせて骨を断つかの如く、『リンドウ』の喉元に剣を突き立てた。
「取ったぁっ……あがあっ!?」
ベルグドの会心の喜声はすぐに驚愕の奇声に変わった。
突き刺したはずの剣身がごっそりと消失し、柄だけになっていたからだ。
「ひ、ひぎゃあああっ!」
ベルグドの悲鳴と共に『キョウチクトウ』の周囲に煙幕が噴き上がった。
脱出しようと『キョウチクトウ』の影が宙を飛ぶ。
だがそこへすかさず『リンドウ』の斬撃が唸りをあげ、『キョウチクトウ』を両断した。
「ぬっ?」
『リンドウ』からギタンの疑問の声が漏れた。
両断された『キョウチクトウ』はもぬけの殻だったからだ。
煙幕が晴れた後、ベルグドの姿も気配も消え失せていた。
「土遁空蝉の術か……」
「大丈夫か? エン」
「う、うん……大丈夫だよ……」
悔しげに歯噛みしていたエンに、解装したギタンが声を掛ける。
途端にエンの表情は曇った。
とうとうギタンに自分がエルドリオの特任群の者と知られてしまった。
サクヤ達と旅を共にする事になったのはギタンの従者になった後の事だ。
その点を問い質されれば最早言い逃れはできないだろう。
「若さま……あの……」
「いやぁ、とんだ災難だったなぁ」
エンがギタンに何かを言おうとした時、剣を収めながらダンガが寄って来た。
「すまない、巻き込んでしまった」
「ああ? 良いって良いって。でも何でお前さんエルドリオの特任群に命を狙われてるんだ?」
「さっぱり分からん」
ギタンは首を振った。
今までの旅でサクヤが狙われたことは度々あっても、ギタンが狙われたのはこれが初めてだった。
〈そうだよ……何でミイツ王子が若さまの首を……まさか、父ちゃんがやっぱり若さまを殺せって……〉
エンの心に不吉な予感がよぎる。
「そうかぁ、まぁ折角だから飯でも一緒に食わんか? 話の続きはそこでしよう」
結局、ギタンの出自に関わる話は中断したままだった。
「私は構わないが」
「そっちのオサルのお嬢ちゃんはどうするね?」
「若さま……オイラ」
エンは上目遣いにギタンを見た。
「どうした?」
「オイラ……エルドリオの……」
「ああ、さっきの奴らの仲間なのか?」
「ちっ、違うよ! 全然違うよ!」
「そうか。ならば何か問題があるのか?」
「え……で、でも……」
「おサルのお嬢ちゃん、自分の主人が良いって言ってんだから良いだろ?」
「で、でも……ってオイラはおサルじゃないよっ!」
そこで我に返ったエンは顔を赤くしてがなった。
「そうそう、そうじゃなくちゃな。じゃあ行くぞ。うんまい飯喰わせる所があるんだよ」
年来の友の、いやそれ以上の気軽さでダンガは率先して歩き、ギタンも続く。
「……いこう」
それでも躊躇っていたエンの手をウサ子が取って引いた。
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