第八話 天帝の街・後編 サクヤ此の花

その一

 ――オルダワリデの宿屋。


 オルダワリデの宿は平屋建てが主な他の地の宿と違い、三階建てに大浴場、大食堂完備と、現代の旅館に近い作りをしている。


 その一室の四人部屋がギタン達の部屋だった。


「……なにこれ……」


 寝ぼけまなこのエンが起きると何時ものように端然と寝ているギタンと対照的に、ひどい寝相でダンガが寝ている。

 その隣でウサ子がすやすやと寝息を立てていた。


 珍しく二日酔いで痛む頭を振り絞って思い出す。


 〈……なんか行った店で死ぬ程飲んだような……途中で店の客のすんごく綺麗な人達が代わるがわる来たっけ。なんかみんなこのダンガさんの知り合いっぽかったけど……一体……〉


 ダンガは、


「俺はこの店にちっと顔が利くんだ。ささ、どんどんやるべ」


 そう言ってギタンと並んでひたすら酒をかっくらい、ギタンも端然と差された酒を飲み干していった。

 ギタンもダンガも全く崩れる様子が無い。


 結局店の樽を全部開けるかの如く酒を流し込み続け、エンが一番最初にダウンした。


 〈この二人は一体……〉


 今思えば奇妙な点は幾つもあった。


 人通りの無い所とはいえ、戦闘中に人っ子一人いないというのはこのオルダワリデでは有り得ないし、何より戦闘でフリム特任群は三十人は死んでいる。


 それに関してはダンガは去り際に、


「ああ、そんなのほっときゃいいよ」


 と何事でもないように手を振った。

 そしてその後から今に至るも衛兵などがやって来る気配すらない。


 〈それはともかく、とうとう掴んだよ……でも……〉


 エンはダンガから、ギタンが『失われた王子』であるとの待望の証言を得た。

 だが素直には喜べなかった。


 昨日のフリム特任群がギタンの命を狙った事、父親であるイガル特任群の長、オルザの意図が分からない事。

 何よりも自分に課せられた任務が終わる事。

 それはエンの心に重いしこりになっていた。


「はぁ……」


 下を向いて深いため息をつく。

 視線を戻すと目の前に深紅の瞳があった。


「うひゃあっ!」


「おは……よう」


「お、おはよう……おどかさないでよ」


「何を……気にしている……の?」


「ないしょだよぉ」


「!」


 ソッポを向いてそう言ったエンに何故かウサ子は驚いた表情を浮かべたが、エンにはその意味がわからなかった。




「昨日は楽しかったなぁ。あんなに楽しかったのは久しぶりだ」


 昼も近くなって宿から出るなり、ダンガはウンと伸びをしてギタンに言った。


「私も楽しかった。あんなに人と話をしたのは初めてだ」


 ギタンもダンガと同じように伸びをする。

 黒髪の男が二人。

 端から見れば血縁にも見えたろう。


「お披露目を見に行くんだろ? 入場券は持っているのか」


「入場券?」


「会場は入場券が無いと入れないし、当日分は抽選だぞ」


「ああ、そうかぁ」


 エンが気落ちした声を出す。


「じゃじゃーん、ここに二枚ある。やるよ」


 懐から少し依れた紙切れを取り出し、ダンガはそれをギタンに握らせた。


「いいのか? アンタは?」


「ああ、これから俺達はヤボ用があってね、色々忙しいのよ」


「そうか、色々とありがとう」


「良いって事よ。まぁ精々頑張んな」


 手を振りながらダンガ達は雑踏の中に消えていった。


「世の中は広いな。あんな強い男がいるなんてな」


「強いっていうか、何か色々変わってたね」


 感心したようなギタンに別の意味で感心したような返事をエンが返した。

 その時、


「ギタン殿!」


 背後で別の知った声が響いた。

 二人が振り向くとそこに息を切らしたイヌイが立っていた。


「イヌイ殿」


「ヌイヌイ、どうしたのさ?」


「ギタン殿! ええい猿も! 二人とも急いで支城に来てくれ!」


 切羽詰まりきったイヌイの声に二人は顔を見合わせた。


「サクラに何かあったのか?」


 イヌイは黙って頷くと、支城の方に踵を返す。

 二人も黙って後を追った。



 ――オルダワリデ城、中央大宮殿。


 オウレンザルカ王以下六大国の王とエルドリオ王の代理たるミイツ王子や 神皇国の神皇、中小国の元首、そして各国の領主や代官、更には抽選で選ばれた平民達で収容人数十万人を誇る宮殿大広間は埋め尽くされていた。


「では、これよりサクヤ姫の奉納剣舞をおこなう」


 魔導の力で場内になり響く声に、全員が中央の舞台を見る。


 下座から純白の衣装を纏ったサクヤがしずしずと現れた。

 腰にはオードランで鍛えた銘剣を携えている。


 サクヤは上座の色とりどりの美々しい礼装を纏って居並ぶ美女達の真ん中に座る、黒い服に身を包んだ五十絡みの男に一礼をする。


 その男こそが、この世界を統一した男、天帝。


 遥か昔に突如東方の大陸に現れ、滅亡寸前の小国を救うや瞬く間に東の大陸を手中に収め、西、南、北の大陸にも武勇の猛風で席巻し、最後にここ中央大陸を平定した男。


 その出自は一切の謎に包まれ、平定された数多の国家と臣民に、神の代行者とも魔王とも恐れられた男。


 齢は既に老域に差し掛かっている筈だが、当時と変わらぬ姿でサクヤを見つめていた。


 壮麗な音が響く。

 奏でているのはキギスの自動人形達だ。


 キギスの澄んだ歌声に乗せて、銘剣を抜いたサクヤが華麗に舞う。

 オードランの剣祭りの時の繊細さと優雅さに、力強さが加わっていた。

 それはまさにサクヤの旅そのものの舞い。


 蕾から花が咲き、そして儚く散る。

 だが、宿した種は力強く命を次代へと繋ぐ。


 そのさまを見事に踊りきると、広大な大広間を埋め尽くす観衆から惜しみ無い称賛の拍手の嵐が巻き起こった。


 機を見て天帝が立ち上がると一転、場内は静まり返った。


「古今稀にみる見事な舞いだった。サクヤ姫、褒美に何か願い事を一つ叶えてやろう」


 場内がにわかにざわついた。

 天帝が声を発した事自体がここ数年ない事なのだが、過去、天帝がお披露目の場でこのような事を言ったことは皆無だった。


 一瞬戸惑いの表情を浮かべたサクヤだったが、意を決したように天帝を見るとはっきりとした声で言った。


「何でもでございますか?」


「勿論、私が出来ることでな。申してみるがよい」


「それでは……私には過去の盟約に則り、エルドリオから婚儀の申し込みが来ております」


 場内が再びざわつく。


「うむ、ここにいるセティレイカの目前で建てた誓いだったか?」


 天帝が女達の末席に座る豊かに流れる金髪に野獣のごとき引き締まった身体の美女、元統一女皇セティレイカの方を向いて言った。


「その通りだよ。『和平が成った暁にはエルドリオ、オウレンザルカの王子と王女を結婚させ、両国の和議となさん』とね。それが両国共闘の条件だったのさ」


 セティレイカは当時となんら変わらない蓮っ葉な物言いで天帝に答えた。


「それを無効にしてくれというのか? だが、さしたる理由もなしにそれを認めるのは如何なものかと思うが?」


「天帝様の仰る通り、私とて両国の友誼を深めるために結ばれた盟約を無下にするつもりはございません」


 それを聞いて場内の諸侯の席で聞いていたミイツ王子は内心胸を撫で下ろした。


「ほう、ならば何を望みか?」


 サクヤは唇をキュっと噛む。


「我が婿となる御方の武の程を知りたいと思います」


「武の程となぁ。具体的には?」


「明日行われる天覧試合において、ミイツ王子が天下に唯一無二の武をお示しになれば婚儀の件、謹んでお受けいたしたいと存じます」


「成る程、夫となるなら武に優れた者、ということか。武の国オウレンザルカらしいな。ミイツ王子!」


「はっ!」


 天帝の声にミイツ王子は席を立ち、サクヤの脇に進み出ると同じように跪いた。


「どうだろう、私としてはサクヤ姫にこの褒美を取らせてやりたい。だが、貴公が嫌と申せばそちらを優先しても良いがな」


「いえ、是非ともサクヤ姫には我が武を持って認めて頂き、両国の和合をつつがなく執り行いたいと存じます」


 ミイツ王子は内心の怒りを押し殺し、穏やかな笑顔を取り繕いながら言った。


 まさか天帝がこのような言葉を掛けるとは思いもしなかった。

 勿論、盟約を盾に撥ねつける事は出来る。

 だが天帝の意向である以上、それに反するなど持っての他。


 しかし、光明はあった。


 〈要は勝てば良いのだ。相手はどうせイヌイとかいう魔装甲鎧を満足に扱えぬという女騎士だろう、ならば……〉


「受けるに当たって一つ条件がございます。試合は魔装甲鎧によるものとさせていただきたい」


「ふむ、どうだ? サクヤ姫」


「はい、ミイツ王子の寛大なお心に感謝致します」


「では……と、そうそう、オウレンザルカ側はサクヤ姫が出るのかな?」


「いえ、私如きではミイツ王子の武を図るのに役不足。そこで名代として……」


 そこでサクヤは再び唇を噛んだ。


「ギタンという剣士を代理として立てます」


 サクヤの言葉に場内が再びざわつく。


「ほう、サクヤ姫は己と国をその者に委ねるというのか」


「はい」


「お待ちください」


 そこへミイツ王子が口を挟んだ。


「天帝様のお言葉とはいえ、お受けする立場であれば私もそれ相応の地位の者と試合とうございます。そのギタンなる者、果たしてそれに見合う者でしょうや」


 ギタンなる者は昨日ベルグドに首を持ってくるよう言いつけたが、今もってベルグドは戻ってきてはいない。


 悪寒に等しい嫌な予感がミイツに反駁の言葉を語らせた。


「ふむ、サクヤ姫よ、ミイツ王子の言うことも一理あるがどうだ?」


「はい、ギタンをここへ呼んで構わないでしょうか」


「うむ、ギタンなる者、ここへ」


 その言葉に観客席最前列にいたギタンが立ち上がり柵を跳び越えるとサクヤの脇に同じように跪く。


「お前がギタンか」


「……はっ」


「この者、その胆力、剣技は我が国一の剣士イヌイ・フォンディフォンを凌ぎ、その身分はエルドリオのスマルネア王姉陛下の一子、故あって命の危険に晒され、遠くホウライジュの地に身を隠していたとのことです。格も技量も相応かと」


 場内が騒然とするなか、ミイツ王子は愕然とした表情を浮かべた。


 〈何故だ? 何故オウレンザルカがこの事を……〉


「お、恐れながらそ、その者が私の……言わば従兄弟に当たるという証しはあるのでしょうか?」


「旅の商人が匿われていたこの者を拾った際、天帝様がエルドリオ王家に下賜なされた剣が一緒にあったそうです。……ギタン」


 サクヤの言葉にギタンは無言で剣を抜き、虹色の輝きを天帝にかざす。


「うむ、確かに私がスマルネアに与えた『物差し』だな」


「お、お待ちください! 国許ではこの者のことは一切認知しておりませぬ!」


「ああ、認知されていない以上、王族とは見なされないということであろう、だがそれは今は関係ないな。要はこの者が貴公と試合うだけの資質があるかということだ」


「そ、それは……」


「『物差し』を持つ以上王族としての認知がなくても私がこの者をエルドリオ王家に連なるものと認知する。これでも不服か?」


「い、いえ、そのような事は……」


 天帝の言葉は全ての国家の法に優先される。

 そして天帝の認証は全ての権威を凌駕する。

 国家が認めなくても天帝が認めればその者の身分は保証される。


 故に今日のサクヤのように王族は成人するとお披露目と称して天帝に謁見するのだ。


「ならば決まりだな。明日の試合、楽しみにしている」


 そう言って天帝は女達を引き連れ大広間を退出していった。


 天帝を見送る観衆の拍手の中、ミイツ王子は屈辱に震え、サクヤは慚愧の念に唇を噛みしめていた。




 ――エルドリオ支城、ミイツ王子の居室。


「くそぉっ!」


 ミイツ王子が怒りに任せて調度を腕で薙ぎ払う。

 普段は温厚篤実に見えるミイツだが、一旦キレると手が付けられなくなる。


 その様をオルザと漸く戻ってきたばかりのベルグドは無言で見ていた。


「何故だ! 何故オウレンザルカが伯母の子供の事を知っているんだ! それにあのギタンという者! 何故生きている! ベルグド!」


 怒りの矛先はベルグドに向いた。


「こ、此度は不覚を取っただけでございまして……」


「不覚で三十人もの手練れを失うか! 私はお前を買いかぶっていたようだな!」


「め、面目次第もございません」


「もうよい! オルザ! 次はお前があの者の首を取って参れ!」


「お言葉ですが王子……」


「分かっているよ、お前は父上の目付で手勢も率いておらん。だがギタンとやらの傍に手駒がいるではないか」


「エ、エンを?」


 一瞬のオルザの狼狽をミイツ王子は見逃さなかった。

 生来の嗜虐性に火が付くと、却って心が落ち着いていく。


「その者がオウレンザルカに伯母の件を漏らしたのかも知れぬなぁ」


「お言葉ですが、我が娘は未熟なれど、その様な事は断じてございません」


「ならば出来ぬとは申さぬであろうなぁ、国許のイガル特任群……いや、紅猩族の命運が掛かっているのであれば尚更だ」


 その言葉にオルザは一瞬目を剥いたが、力無くうなだれた。


「そのお役目、某が承ってございます」


「構わぬ。それでこそイガル特任群の長よ。期待しているぞ」


 オルザが一礼して居室を出るのを確認してからミイツはベルグドに言い放った。


「ベルグド、今度は仕損じるなよ」


「そ、それでは」


「まぁ、奴には出来んだろうな。ちょうど良い機会だ、邪魔物は根こそぎ始末してくれる」


「ははぁっ! フリム特任群の総力を挙げて、この命に代えましても」


「全く、サクヤ姫め、悪あがきをしおって。見ておれよ」


 嗜虐に火の着いたミイツ王子は薄く笑みを浮かべ、女達の待つ寝室へ消えていった。

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