その四
湯煙けぶる往来を二十人程の兵士が整列して行軍している。
その先頭を行く騎上の男が、この地の代官、モルワーデ公である。
先導役としてその脇をボルノウが付き添っている。
ニルモーク亭に一行が着いた途端ガブフと真っ青な顔のギアラが飛び出してきた。
「おおおおお代官さま! 一大事にございます!」
「騒々しいのである、どうしたというのであるか」
「か、かかかかか金蔵の金が! 根こそぎ無くなっております!」
「なんであると! それは一体!」
「何か変わったことは無かったのか」
代官モルワーデの甲高い声とボルノウの野太い声が響く。
「サ、サクヤ様の馬車が消えておりまして」
「何! ま、まさか……それでサクヤ様は? よもやいなくなったのでは……」
「そ、それが……」
「控えおろう!」
辺りに大きな声が響く。
「サクヤ姫様のご出立である! 図が高い!」
「はははぁーっ」
身体は細いがやたらと大きいスケルブの声に押されるように代官を始め一同は地べたに這いつくばった。
その一同を見下ろすかのように『サクヤ姫』がしずしずと現れた。
「そなたが代官、モルワーデかえ?」
「は、ははぁっ、お初にお目にかかりますであります、わたくし……」
「ああ、小難しい挨拶はよいよい。今日はそこなボルノウの立っての頼みで貴公の働きぶりを見に参ったのじゃ。期待しておるぞ」
「はっ!」
「時に代官よ。何やらニルモーク亭に賊が入ったようでの。わらわの馬車も盗まれ、何故かわらわが疑われておるようじゃが?」
「め、滅相もござりませんであります、サクヤ姫様がその様な事をする筈が御座いませんであります!」
「そうであろうとも。わらわも馬車が盗まれて誠に迷惑千万じゃ。早急に替えの馬車を用意するがよい」
「ははっ! 直ちにであります!」
こうして急遽仕立てられた馬車と共に一同はワミザネ亭へ向かった。
「お、お代官さま、よろしいので?」
「馬鹿者、盗んだ張本人が残っているわけ無いである。それに偽者でなかったらどうするのである? 我々全員死罪であるぞ?」
「そ、それは……」
「ええい、源泉の利権さえ手に入ればすぐに取り戻させるである!」
代官は忌々しそうに吐き捨てた。
ワミザネ亭の横の仮設大劇場前は多くの客で賑わっていた。
「ええい! 皆の者! サクヤ姫様お通りである! 図が高いである! 道を空けるである!」
先導する代官の甲高い声に、人々は驚きの声と共に道を空けて平伏する。
その人混みを掻き分け、代官達は入り口で切符を捥いでいたエンの前に立った。
「儂はこの地を預かる代官、モルワーデであーる! 本日、この地をお忍びで訪れてらっしゃるサクヤ姫様のご要望で、今流行りの歌舞伎夜会とやらを観に参った。早急に中へ入れよ!」
「ははぁっ! これはこれはサクヤ姫様が当劇場にお越しになられるとは真に持って栄誉の極み、こんな事もあろうかと特等席を設えておりますので、どうぞどうぞ、中へどうぞ」
平服しながらエンが歯切れよく答える。
「うむ、感心なれどサクヤ姫様のご機嫌を損ねるようなモノではあるまいな?」
「それはもう! 特別の出し物を用意してございます!」
「そうであるか」
そして代官を先頭にギアラ、ボルノウ、ガブフが、その後を馬車を降りた『サクヤ姫様』ことハビュラとスケルブ、カクゲリーが続く。
〈この声! あの時の!〉
馬車の中でエンの声を聞いていたハビュラは昨晩、馬車を襲った二人組の一人と分かって顔を真っ青にしていた。
だがもう一人の殺気のこもった声の主らしい者の姿は見えない。
〈これじゃ迂闊な真似出来ないじゃないか!〉
その気持ちを読んだかのように、平伏していたエンがチラリと見上げるなりニヤリと笑った。
〈ヒィッ!〉
それだけで失禁しそうになるのをハビュラは辛うじて堪えた。
特等席は良く見えるようにか、大人の背丈程の大きな台の上に豪華な椅子があつらえてあった。
ハビュラはその椅子へ、代官たちは脇の椅子へ座る。
「それでは歌舞伎夜会を始めます! まずは当一座の花形たちによる歌と踊りでございます!」
司会のエンの掛け声でキギスの大型馬車を展開した舞台の緞帳が開く。
「サクヤ姫様、ようこそおいで下さいました。今宵はこの歌舞伎夜会を是非お楽しみください」
華麗な衣装でそう言ったのは、本物のサクヤだ。
続いて魔導人形たちによる笛、太鼓、弦楽器の音が響き、透き通るような歌が場内に響き渡る。
観客は勿論、仏頂面だった代官やギアラ達も思わずうっとりとする程の美声だ。
二番手にはキギスが負けず劣らずの美声を披露し、更に二人揃っての歌に観客は酔いしれる。
「これは素晴らしい、ここを潰したらあの者達はニルモークで働かせたいですな」
「それ以前に……ふっふっふである」
ギアラと代官はすぐに邪まな考えを巡らせていた。
「さぁさぁ、続いては華麗な舞踏でございます!」
魔導人形のテンポの速い調べと共にこれまた華麗な衣装に身を包んだ、ギタンが踊り、女性たちの感嘆の声が漏れる。
そこへサクヤが加わり、二人の息の合った踊りに観客たちの惜しみない拍手が送られる。
「代官様、よろしいのですか? このまま見てる訳には……」
心配そうにボルノウが代官の袖を引く。
「何、手筈はちゃんと整え済みである。儂の合図で魔装甲鎧が一気に踏み込むのである。心配するなである」
代官は愉しそうに顔を歪めた。
小休止の後に、劇の幕が上がった。
「んん? 『王家の悲恋』ではないのか?」
『いつになったら、借金を払って頂けるんですかねぇ!』
『今月末にはなんとか……』
『そんな事言ってる場合じゃないだろ!」』
エン扮する借金取りがキギス扮する女将を怒鳴りつける。
『いいか! 今月末に払えなきゃ、源泉の権利は明け渡して貰いますよ!』
『そんな、ううぅ……』
「お、おい……これは……」
ボルノウの肘がギアラをつつく。
登場人物の名こそ違えど、まさにその内容はギアラとボルノウの行いそのものだった。
その非道さに観客がざわつく。
「だ、代官様! い、今すぐ止めさせてください!」
青い顔したギアラが代官に縋りついた。
「う、うむ! やめいーい! やめいやめい! 中止だ中止であーる!」
代官の張り上げた声を合図に場外から『トリカブト』が十体駆けこんで来た。
「ええい! この芝居の責任者はだれであるかぁ!」
その声にキギスが平伏した。
「これは御代官様、何か粗相がございましたでしょうか?」
キギスが変わらぬ芝居口調で代官に応える。
「粗相も何も、何であるかこの芝居は! このような物をサクヤ様にお見せするとは不埒千万であーる!」
「恐れながら、そこにおわすサクヤ様は本物のサクヤ様でしょうか?」
「な、な、な、何だと! 貴様! 不敬ににも程があるぞ!」
「聞けば最近サクヤ様を名乗る偽物が、方々の宿で飲み食いした挙句に行方をくらます事件が起きているとか」
「ぐっ……」
「がぁっ……」
代官、そしてギアラが呻いた。
思い当たる節があるからだ。
「そ、そんな事はな、無いぞ……このお方は正真正銘……」
「正真正銘のサクヤ姫様なら花吹雪の魔装甲鎧『オウカ』をお持ちの筈。是非お見せ願えますでしょうか?」
キギスの言葉に代官たちはハッとしたようにハビュラを見た。
「そ、そうだ! サ、サクヤ姫様! 是非に『オウカ』を!」
「お願いします! 『オウカ』を!」
代官たちの懇願を涼しい顔で聞いているハビュラだが、
〈で、出来るわけないじゃなーい!〉
首から下は脂汗を迸らせていた。
〈ど、どどどどどうするのよ! ここでばれたらどっちにしても死、間違いないじゃないの!〉
昨日の声の主の指示は、『オウカ』を見せろと言われたら、椅子の前で装喚しろという事だった。
震えながら頷くハビュラの目前に、窓からポトリと偽物の魔装石が投げ込まれ、それっきり二人の気配は消えた。
今、ハビュラはその魔装石を震える手で握りしめて、すっくと立った。
「良かろう、そこまで言うのなら見せてくれよう」
〈やってやる! やってやるわよ! こうなりゃ破れかぶれよ!〉
偽のサクヤが偽の魔装石を構えた。
「そ、装喚! 『オウカ』!」
若干ふるえるような声が響いた途端、場内が一瞬暗転する。
「な! なんだ!」
だが、すぐに魔導灯の明りが場内を照らし、そこには左肩に花吹雪をあしらった、薄紅色の魔装甲鎧が屹立していた。
「お、おおっ! これはまさに『オウカ』である!」
代官の声が喜びにふるえる。
ギアラ達も胸を撫でおろした。
「どうである! これこそ紛れもなく王家の鎧『オウカ』である! さぁサクヤ様! この不埒な奴らに公正なお裁きを! このモルワーデが直々に手を下すであります!」
これ以上ない程の自信あふれる顔で代官が叫んだ。
「そうだそうだ!」
「覚悟しやがれ!悪人ども!」
「フンガーッ」
尻馬に乗るようにギアラ達も勢いづく。
「ならば裁きを申し渡す。ミシク商会ボルノウ、ニルモーク亭ギアラ、ガブフ団頭領ガブフの三名は源泉の利権を奪おうと図り、ワミザネ亭を取り潰そうとした行い、実に許しがたい。直ちに捕縛せよ」
「「「「へぇっ!?」」」」
代官と名指しされた三人が同時に間抜けた声をあげた。
「どうした? 捕縛せぬのか?」
「あ……あの……何かお間違えでは? 捕縛するのは……」
「お前はこのサクヤの命が聞けぬのか?」
「は、ははぁっ……お、おいっ、こ奴らを引っ立てろである!」
「「「なぁっ!」」」
「そんなぁ! 今まで散々裏金を送ったのに!」
逆上したボルノウが代官に向かって叫んだ。
「お、おいである!」
「ワ、ワシだってギアラと図ってワミザネ亭の主を殺した件をもみ消すのに沢山金をアンタに払ったじゃないか!」
「「「「馬鹿者ォッ!」」」
代官、ギアラ、ボルノウが脂汗を流しながらガブフを怒鳴りつける。
だが、しっかり聞こえた聴衆達が騒ぎ始めた。
「ええい! 早くこの三人を捕縛するのである!」
「代官様! ひどい! 散々接待でおもてなししたのに!」
困惑した兵士達に捕縛されてもなお、三人の代官に対する罵声は続く。
「ど、どうにもこ奴ら錯乱しておるようで……こ、これでよろしいであるでしょうか?」
平伏したモルワーデが汗を吹き飛ばしながら『オウカ』に尋ねた。
「まだ一人残っておろう」
「へっ? ま、ましゃか……」
「イルズセンド代官モルワーデ公! 先程のあの者達の言、吟味の必要がある。追って沙汰あるまで謹慎を命ずる!」
「あ……が……!」
モルワーデの全身がブルブルと震え、止まった。
「偽者であーる」
「何?」
「こ、こ奴はサクヤ姫様の真っ赤な偽者である! ひっ捕らえ……いや、殺せ! 殺してしまえ!」
「……血迷ったか……ギタン! イヌイ!」
サクヤの言葉に舞台から『リンドウ』、ハビュラの座っていた椅子の下の大きな台から『スイレン』が躍り出て来た。
エンが魔導灯の照明を消した一瞬に、イヌイが一緒に隠れていたサクヤとハビュラを入れ替えたのだ。
「痴れ者がぁっ! この期に及んでなお! 姫様を偽者呼ばわりするかぁっ!」
イヌイの怒りの叫びが劇場に響き渡った。
――ワザミネ亭。
一件落着し、サクヤ、イヌイ、エン、キギスの四人が野天風呂に浸かっていた。
「皆さん、ご苦労でした」
「いやいや、最後ヌイヌイ凄かったねぇ、若さまの出番なかったじゃん」
怒りの『スイレン』の奮闘で『トリカブト』は瞬く間に制圧され、イヌイの、
『これにて一件落着!』
の声に観客は大いに沸いて、お捻りが飛び交う始末だった。
「当たり前だ。ただでさえ偽物の所為で鬱憤が……い、いや姫様の名誉を護る為なら当然のことだ」
「でもどさくさに紛れてあの偽物一味、逃げちゃったね」
「それは……大丈夫ですよ。多分」
意味ありげにキギスが笑った時に、戸が開いてギタンが入って来た。
「随分と賑やかだな?」
「ギ、ギタン殿! こ、混浴とはいえ、す、少し遠慮してもらえないだろうか!」
「オイラは勿論」
「私も平気です」
「猿っ! キギス殿っ!」
「私も既に一緒に入っているので構いません」
「え! な!? ひ、ひ、姫様ああああっ!」
イヌイの悲痛な叫びが野天風呂に響き渡った。
その頃、一台の馬車が夜の街道をひた走っていた。
「スケルブ! もっと飛ばすんだよ! 一刻も早く!」
「でもこれが精一杯ですよ」
「はぁ、ひどい目にあったよ……まさか、本物なんてさ。でも次は上手くやるさ」
そう云った途端、馬車が急停車した。
「何やってるのさ! 早く……」
そう言ったハビュラの面前にまたも壁から白刃が突き出された。
「ひっ! ひぴゃああああああっ!」
「お前が偽姫か……少し世の役に立ってもらおうか」
昏倒するスケルブの脇で白刃を突き立てた張本人、フィモスがそう言って薄く笑った。
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