その三


 ――翌日、イルズセンド入口の馬場


「いらっしゃいませ! 源泉かけ流しの宿、ワミザネ亭へようこそようこそ!」


 エンの威勢の良い掛け声に馬車を降りた人々が振り向くと、そこに宿の制服を着たギタンとサクヤ、そしてエンが立っていた。


「いらっしゃいませ、お宿はぜひワミザネ亭へ」


「ようこそ、ワミザネ亭へ」


「あっらぁ良い男!」


「うっはぁ! なんて別嬪さんなんだ!」


「さぁさぁ、源泉かけ流し! 静かで落ち着いた宿、ワミザネ亭はこちらですよ!」


「よし、ここに泊ろう!」


「私もこっちにするわ!」


「儂もじゃ!」


 馬車を降りた客は皆ワミザネ亭の方へ向かって行った。


「お、おい! 何だお前達は……って、お前昨日の客じゃないか! なにやってんだ!」


 その様子を呆然と見ていたニルモーク亭の客引きが我に返るやエンに食って掛かる。


「あー実はオイラたちねぇ、巾着無くしちゃってさぁ、仕方ないからワミザネ亭で働くことになったんだよね~」


 エンが小馬鹿にしたようにヘラヘラと答える。


「なっ! だ、だからって! ウチの客を奪うんじゃねぇ!」


「あっれ~、ここでの客引きはお宅らが元祖だって聞いたよ~、もっと頑張ればいいじゃん、あ、いらっしゃいませ! 宿は源泉かけ流しのワミザネ亭へ!」


 別の馬車が来るやエンは顔を真っ赤にしたニルモーク亭の客引きを無視して声を張り上げる。


「いらっしゃいませ、お宿はぜひワミザネ亭へ」


「ようこそ、ワミザネ亭へ」


 それに合わせてサクヤとギタンも声をあげる。


「こんな別嬪さんに笑顔で頼まれちゃ泊まらねぇ訳にはいかねぇなぁ」


「あっら~良い男! こっちの宿にしようかしら」


 要領を得たサクヤは輝くばかりの笑顔だが、おおよそそんな器用さの欠片も無いギタンは何時ものまま。

 だが、それが却って女性には受けたようだ。


 客たちはニルモーク亭のむさ苦しいオヤジを突き飛ばすようにギタンとサクヤに吸い寄せられていく。


「はいはいはい~三名様、四名様、六名様お付きで~す!」


「ぐぎぎぎぎっ! 覚えてやがれ!」


「やっだよ~、オイラ忘れっぽいんでね~、ベッカンコー」


 顔を真っ赤にしながら去っていくニルモーク亭の客引きをエンは舌を出しながら見送った。


「エン、イヌイは置いてきてよかったのですか?」


「だってぇ、ヌイヌイ何にもできないじゃん。ここに連れてくればあの連中やお客さんと揉め事になるし、料理はからっきしだし」


 結局イヌイはワミザネ亭の裏で薪割りをするか、入口に立ってガブフ団のゴロツキどもを追い払う役に専念している。


「だが、これだけであの宿が繁盛するのか?」


「これは序の口だよ若さま。次の策をちゃあんと考えてあるって、噂をすれば来た来た!」


「あれは……」


 エンが見た方向、街道の方から巨大な馬車がやってくる。


「おーい! キギスさーん!」


「あら、皆さんその節はありがとうございました」


 停止した巨大馬車からひらりと降りたキギスがペコリと頭を下げた。

 サクヤの事もおくびにも出さず、出会った頃の愛らしい森人族の顔だ。


「キギスさん、ここで興行?」


「いえ、踊り用の魔導人形は『シュンラン』以外壊れてしまったので、ここは静養だけにしようかと……」


 踊り用とキギスが言っているのは、裏迷宮で騎士アリたちとの戦闘で破壊されてしまった魔導人形だ。

 キギスの大型馬車にはそれ以外に楽器演奏専用の魔導人形も数体ある。


「キギスさん、ちょっと手を貸してくれないかなぁ」


「何かありましたか?」


「うん、実はね……」


 エンがキギスに耳打ちすると、キギスの長い耳がピコピコと揺れた。


「分かりました、他でもないサクラさん達の頼みでしたら喜んで協力させてください」


 キギスが楽しそうに笑った。


「ありがとうございます。キギスさん」


「それじゃ早速キギスさん、着いたばかりでゴメンだけど、二人に歌と踊り、それに芝居を教えて欲しいんだ」


「え? これから覚えるのですか?」


「え? 歌と踊り?」


「芝居とはなんだ?」


 キョトンとするギタンとサクヤにエンはニマリと笑った。


「だーいじょうぶだって。簡単な奴で良いんだよ。頼んだよキギスさん」


「は、はぁ……」


 若干引き気味のキギスも加わった一行はワミザネ亭へ戻っていった。




 ――数日後、ニルモーク亭。


「なんじゃと! ワミザネ亭が連日満員? どういう事だ?」


 何時ものように饗応を受けにやってきたボルノウがギアラに聞き返した。


「は、はい。歌舞伎夜会なる物を催してるようで、それが客に甚く人気で……」


「なんだその歌舞……ナントカとは」


「何でも歌と踊りを披露するとか。踊っている者共がえらく美男美女だとかで……」


「むうう~悪あがきをしおってぇ、親分の所の若い衆はどうしたんで?」


「それが、入口で女剣士が番をしてて、ウチのモンを寄せ付けねぇんでさぁ」


 ガブフも心なしか縮こまった様に言った。


「このままでは月末の支払いも……」


「不味い! それは不味いぞ! すでに代官様には来月には取り潰しで話が付いておるのだ」


「如何いたしましょう」


「うーむ」


 そこへ宿の者が声を掛けた。


「ご主人様、サクヤ様から酒の追加はまだかとの催促ですが」


「全く、この忙しい時に……すぐに持って参ると伝えてくれ」


 ギアラは忌々しそうに言った。


「サクヤ姫様か……どうなのだ?」


「どうと申しましても、最上級のおもてなしをしておりますが……」


「いや、これは使えるぞ」


「使える……とは?」


「サクヤ姫様の御威光をお借りして一気にワミザネ亭をとり潰すのだ」


「ど、どうやって!」


「ふっふっふ、儂に任せろ。まずは代官様にお越しの手筈を整えんとな」


 ボルノウは不敵に笑うと席を立った。





 ――その夜更け。


 密かに一台の馬車がノロノロと裏道を進んでいた。


 ハビュラ達が乗ってきた馬車だが、曳く白馬は息も絶え絶えの様子で、後ろからスケルブとカクゲリーの二人がこれも顔を赤くしながら押している。


「ほら、もっと気合い入れて押すんだよ!」


 中からハビュラの叱咤が飛ぶ。


「でも姉御ぉ、流石に詰めすぎなんじゃ……」


「バカお言いでないよ。これくらい貰わなきゃ割りが合わないさぁ」


 ハビュラはここ数日、飲めや食えやの影で、金蔵から小分けにしてこの馬車に積み込めるだけ詰め込んだ金貨や、ニルモーク亭の秘蔵の宝飾品の中に埋もれながらご満悦な様子だ。


 不意に馬車が止まった。


「何やってんだい、早く街を離れないとだよ」


 だが、二人の返事がない。


 不意にハビュラの面前に馬車の壁から白刃が飛び出してきた。


「ひっ! ひいいい」


「おっと、大きな声出すんじゃ無いよ、『サクヤ姫』様」


 壁の外からエンの声が響いた。


「オ、オ、お前達は一体だ、誰じゃ、ぶ、ぶぶぶぶれいであろう」


「へぇ、案外肝が座ってるんだねぇ」


「おい猿、この女、今すぐ誅殺してもよいか?」


「ヒッ、ヒィィィィィッ」


 更に響いてきた別の怒りに満ちた声に、ハビュラは外の二人の安否に気が向く余裕さえ失っていた。


「駄目だってヌイヌイ。ああ、外の二人は気を失ってるだけさ。それで『サクヤ姫』様にはニルモーク亭に戻ってして貰いたい事があるんだ」


「な、ななな、何でごじゃりましょうか……」


「それはね……」


 ボソボソと響く声にハビュラの顔が真紫になる。


「そ、そんな事ぉっ! むりむりっ! 無理でしゅピイイイイイイッ!」


 エンの指示に思わず反駁の声を挙げた途端、突き出ていた白刃が顔面にゴリゴリと迫ってきた。


「ならばその化けの皮を今すぐに剥がしてくれる」


 怒りに満ちたイヌイの声が低く響く。


「待っで! 待っでででででぇ! やるぅ! やりますでございますわぁっ! だがらお顔の皮はやめでくだされぇっ!」


 もはや言葉もなりふり構わない必死の懇願に、額の寸前で白刃は止まった。


「いいかい、オイラは何処からでもズーッと『サクヤ姫』様達を見てるからね。下手な事考えない方が良いよ」


「ばびぃっ! ばびぃぃっ!」


 あまりにも殺気のこもった白刃に耐えきれずハビュラは失禁しながら縊り殺されそうな声で返事をした。


「さてと、ヌイヌイ帰ろう」


 エンは荒い息を吐いている白馬に水と塩を舐めさせてから放してやった。


「おい、馬車はあのままで良いのか?」


 不満げに剣を納めたイヌイが聞いた。


「後でキギスさんが自分の馬車の馬を連れて回収に来てくれるって」


「そうか、しかし残念だ」


「まぁまぁ、明日が楽しみだねぇ」


 なだめるように言いながら、エンは満天の星空を見上げた。


〈若さま達、上手くいってるかな……〉



 ――ワミザネ亭


 公演を終えたギタンは一人汗を流しに野天風呂に浸かっていた。


「あら、ギタン……」


 背中に掛かった声に振り向くと、結った髪をほどき、一糸纏わぬ姿のサクヤが立っていた。


 均整のとれた肢体が月の光を浴びてほのかに輝いているかのようだ。


「サクヤ……」


「ご一緒してもよろしいかしら?」


「勿論だとも」


 ザァッと掛け湯をしたサクヤがギタンの横に入る。


「今日もお疲れ様でした」


「なに、あのくらいはどうということは無いよ。それに何というか……楽しいかった」


 エンの発案した歌舞伎夜会は要するに大衆演劇ショーのような物で、サクヤと、ギタン、それにキギスが有名な恋愛劇「王家の悲恋」の一節をミュージカル風に披露するものだ。


 これが大当たりし、今ではニルモーク亭を始め、他の宿の客もこぞって観劇に押し寄せ、ワザミネ亭の横の空き地に作った簡易劇場は連日大盛況だった。


「私もです。それにしてもギタンがあんなに踊りが上手とは、キギスも驚いてましたわ。それもお爺様から?」


「いや、あの場の見よう見まねだ。サクヤの動きに合わせるので手一杯だったが」


「ふふっ」


「ん?」


「何時の間にかサクヤ、ですね」


「サクヤこそ、ギタンではないか。それとも不敬という奴か?」


「まさか。サクヤでいいのです。寧ろ嬉しく思います」


「そうか」


「月が綺麗……」


 サクヤの言葉にギタンは空に浮かぶ蒼い月を見上げた。


「あれが綺麗と言うなら、サクヤも綺麗だ」


「まぁ」


「なんだ?」


「今までで一番嬉しい言葉です」


「そうか」


「ギタンも世辞が言えるのですね」


「世辞? 世辞とはなんだ?」


「ふふっ、何でもありません。ありがとう……ギタン」


 サクヤがギタンの脇に寄り添って再び空を見上げる。

 口づけを交わすどころか手を握りさえしない。


 だが満天の星と蒼く輝く月の下、それだけで十二分に二人は幸せだった。

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