その二

「ふわぁ……おはよう若さまぁ。ねぇ朝風呂行こうよ」


 目が覚めて背伸びをしたエンは、既に起きて窓から空を眺めていたギタンに言った。


「ああ、おはよう。温泉とは朝も入るものなのか?」


「人それぞれだけどさ。ここのお風呂オイラ気にいっちゃったよ」


「おはようございます。私もご一緒させてください」


「あ、姫様おはよう」


「おはよう。サクヤも?」


「ええ。私も気に入ったので」


「ヌイヌイは……まだ寝ているか。起きると面倒だからそっと行こう」


「うふふ」


 エンの言葉にサクヤは悪戯っぽく笑った。


 結局、イヌイの土下座に近い必死の懇願でサクヤとイヌイ、ギタンとエンという主従コンビで昨晩は交代で温泉に浸かることになった。


 見事な岩組みの風呂に流れるかけ流しの湯に一同はいたく感心し、朴念仁のギタンですら、


「これは中々いいものだなぁ」


 と驚きの声をあげた物だった。



「ん……なんだ?」


 三人が連れ立って野天風呂に向かっていると何やら話し声が聞こえてきた。

 そっと角から伺うと、女将が肥満気味の男と細身の神経質そうな男に頭を下げていた。


「アレサさん、いい加減期限は過ぎてるんですよ? 一体いつになったら払ってくれるんですか?」


「すみません」


「払えないんだったら源泉の権利を売ればいいでしょう」


「でも……そればかりは……」


「そんな事言ってる場合じゃねぇんだよ!」


 細身の方の男は神経質な表情で怒鳴り散らす。


「今月末には……どうにか……」


「ふん、月末までに払えなければこの宿を丸ごと頂きますからね」


「全く、死んだあんたの亭主を信じて仲立ちした俺の顔に泥を塗るんじゃねぇよ!」


 肥えた男と細身の男は吐き捨てるように言って帰っていった。


「お母さん……」


「大丈夫……大丈夫よ……」


 心配して駆け寄ったタンナを女将、アレサはぎゅっと抱きしめた。


「あの……」


「あ、こ、これはお恥ずかしい所を……、もうすぐ朝餉の支度が整いますのでお待ちください」


「つい聞こえてしまったのですが、よろしければ何があったかお話くださいませんか」


「そんな……お客様にお話しする事ではございません。失礼します」


 アレサは頭を下げるとその場を去っていった。


「お客さん……聞いてどうするの?」


 その場に残ったタンナが期待と不安の入り混じった顔で聞いてきた。


「私達で出来るならば力になります」


「本当?」


 サクヤ達の部屋に場所を移し、タンナはぽつりぽつりと話し始めた。


「お父さんが生きていたころはこのワミザネ亭も繁盛していたの。でもお父さんが突然死んじゃって、あの人たちがお父さんに沢山お金を貸してたから返せって、お父さんの名前が書いてある証文を持ってきて……それからは……」


「あの男達は?」


「細身の人はニルモーク亭の主人のギアラ、もう一人は代官様出入りのミシク商会のボルノウ」


 二人の名をあげるタンナの表情は嫌悪に満ちている。


「源泉の権利って?」


「この地で最初に源泉を掘り当てたのは私達の先祖で、それ以来この地の温泉宿はここから湧いた湯を使ってるの」


「ならそのお湯でお金取れば良かったんじゃないの?」


 タンナは首を振った。


「初代の言いつけなの。源泉で儲けてはならぬ、皆に分け与え競ってこそ繫栄すると」


「なるほど、初代の方は聡明なお方だったのですね」


「でも、ニルモーク亭はお父さんと源泉の権利を売れ売らないで揉めて、今は自分の所の井戸水を魔法で沸かして温泉と偽っているの」


「なんだぁ、ニセモノなのか、せっこいなぁ」


 エンが呆れたように首を振った。


「その借金の証文というのは……」


「お母さんが言うにはお父さんがそんな大金を借りる筈が無いって」


「これは……何やらキナ臭い匂いがしますな」


 漸く起きて寝ぼけまなこで話を聞いていたイヌイが呟く。


「源泉の臭いじゃないの?」


「マ、猿! 品がないぞ!」


「え~、オイラ臭いとしか言ってないよ~」


「う、そ、それはだな……」


「エン」


「分かってるよ、姫様。オイラにお任せっ」


 そう言うとエンは部屋を出ていった。


「あ、あの……」


「大丈夫です、任せてくださいな」


「お客さんたちは一体……」


「ただのお節介な宿泊客ですよ」


 不思議そうな顔をするタンナに、サクヤはにっこりと笑った。






 ――『銀のニルモーク亭』の離れ


 瀟洒な部屋でギアラとボルノウ、そして熊のような図体の男の三人が酒を酌み交わしていた。


「サクヤ姫様のご様子は?」


「部屋も食事もいたく御気に入られたご様子で、はい。当宿の金蔵をお見せしたら大層驚いておりましたわ」


「うむ、世間知らずの姫様には良いお勉強であろう。後で代官様とご一緒に御目通りの件、よろしく頼むぞ」


「それはもう。ところで、あちらの方ももう一押しですな」


「ふん、随分と粘っていたが流石に限界だろうな」


 ボルノウは笑いながらギアラの差した酒を飲み干す。


「あのワミザネ亭は如何いたします?」


「あんなボロ宿、さっさと取り壊して……と言いたいところだが、当初の予定通りあそこは連れ込み宿兼娼館にする。その時は親分、よろしく頼んだぞ?」


「へい、任せてくだせい。既に女の手配もはじめておりまさぁな」


 熊のような大男、ガブフ団頭領ガブフはそう言って大杯の酒を飲み干した。


「ほほう、代官様の許可は?」


「それは儂に掛かれば造作もない事よ」


 天帝の治世になって、娼館経営と奴隷売買は大幅な制限が掛けられていた。

 奴隷に関しては新規の売買はほぼ撤廃されたが、娼館に関しては厳しい審査を通れば営業を行えた。


「しかし、悠長に待ってはいられませんぞ?」


「勿論だとも。今月末の支払いが滞れば、そこで終わりだ。すぐに差し押さえる」


「あの母娘は如何いたします」


「あれだけの器量よ。母娘共々儂が味わいつくした後は跡地に建てた娼館で客を取らせてやるわ」


「それはそれは。女将たちも自分たちの店で再び働ければさぞ喜ぶことでしょう」


「まさに随喜の涙という奴よ! ガッハッハッハッハ!」


「これはお上手で! アッハッハッハ!」


「ガッハッハッハッハ」



「……あーやだやだ……」


 そんな三人の高笑いを『遠耳鏢』で聞いていたエンは、白けた顔でぼやくと、『遠耳鏢』をしまって登っていた高い木から別の木に飛び移る。


「そうそう、こっちも調べておかないとね」


 視線の先、豪華な部屋の木枠に再び『遠耳鏢』を打ち込んだ。


 部屋の中では『サクヤ姫』と供の二人が出された豪華な料理と酒を貪るように喰らっていた。


「ぶまっ! ぶまいわっ! さずが一級の酒と料理!」


 口いっぱいに頬張りながら喋る『サクヤ姫』さまの顔はとても入って来た時にあった気品の欠片も無い。


「美味い! 美味いです! いやぁ幸せ幸せ!」


 細身で長身だが貧相な顔のスケルブが高価な酒を小樽ごと流し込みながら言うと、


「んまっ! んままっ! んま~まっ!」


 大柄だがやはり貧相な顔のカクゲリーが何かを喋っているが口いっぱいに頬張った豚の丸焼きの所為で言葉になっていない。


「うわぁ……」


 実物のサクヤや、その供であるイヌイやギタンの優雅な食べ方を知るエンは、偽物どもの余りの落差に口の中でつぶやいた。


「しっかし、案外ばれないもんですねぇ、ハビュラの姉御」


「そりゃそうさ。市井の者でお披露目前のサクヤ姫なんざ見た人は殆どいないんだ。ばれる筈が無いよ」


 スケルブの言葉に『サクヤ姫』ことハビュラは本物より大きな胸を張って言った。


 実際このハビュラはサクヤより一回り以上年上だが、生来の童顔と巧みな化粧術のおかげでサクヤと同い年と言われて疑う者はいなかった。


「でもお披露目が終わったらもうできませんぜ?」


「馬鹿だねぇ、だからここに来たんじゃないか。この店の売り上げを根こそぎ頂いたらそのままエルドリオへトンズラよ。あの宿主、アタシがちょっと言っただけで自慢気に金蔵を見せてくれたからねぇ」


「ざずがバネゴ! ばっだばびび!」


 詰め込んだ口から色々飛ばしながらカクゲリーが喋る。

 どうやら、


「さすが姉御、あったまいい!」


 と、言ってるようだ。


「きったないねぇ、物を食いながら喋るなって言ってるだろうが。とにかくしがない旅役者だったアタシ達に巡ってきた一世一代の好機さね。必ずモノにしてみせるよっ!」


 自分も口から食べかすを飛ばしながらハビュラが気炎をあげた。

 

「「ハバホボババッハー!」」


「だから喰いながら喋るなって言ってるだろうが! このバカナス共!」


 そんなやり取りを聞いてこれ以上ない程ゲンナリした顔をしたエンは、無言でそっと『遠耳鏢』をしまうと飛んで消えた。





 ――ワミザネ亭、サクヤたちの部屋。


「なるほど……」


 戻ってきたエンの報告を聞いたサクヤがつぶやいた。


「近所の人に聞いたんだけど、ここの主人は二年前に近くの池に浮かんでたらしいよ。それからだって。ニルモーク亭が段々大きくなったのは」


「つまり源泉の利権欲しさにここの主人を亡き者にし、借金をでっち上げ、挙句に取り潰そうと……」


「あんな連中が源泉の権利を手に入れたら、すぐ高い使用料を要求するだろうね」


「これは……見過ごせませんね」


「でもどうするのさ。乗り込んでいくにしても手証は無いし。捕まえて吐かせるのかい?」


「そんな手荒な事はしたくありません。向こうから手を出すように仕向けるのです」


「手を出すように……ああ! なるほど!」


「ん? どういう事だ?」


 聞いていたギタンには何の事かサッパリ分からない。


「つまりね若さま、このワミザネ亭を繁盛させれば良いんだよ。今月末の支払いが行えるって分かる位にさ」


「それが出来れば最初から苦労はしないと思うが……というか、問題はその偽者だ! コソ泥の分際で姫様の名を語るなど!」


 ギタンと同じく良く分からない顔をしていたイヌイが不意に思い出したように激高した。


「まぁまぁ、それも含めてオイラにいい考えがあるんだ。みんな協力してよね」


 そう言ってエンは不敵な顔で笑った。

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