第六話 温泉の街・偽姫騒動

その一

 ――中央街道


 ギタンたちを乗せた乗合馬車は深い渓谷の道を進んでいた。


「はぁ、早くイルズセンドに着かないかなぁ、オイラのんびりしたいよ~」


「そのイルズセンドとやらには何があるのだ?」


「へっへっへー、温泉だよ若さま、お・ん・せ・ん」


「温泉? 食べ物か?」


「若さまぁ、物を知らないのも大概だよ。温泉てのは地面から湧き出る湯の事でさ、浸かると体の疲れなんてふっとんじゃうんだよ」


「そうなのか。私は別に疲れてはいないのだが」


「若さまは身体の作りが別なの。姫様なんて大変だったじゃん」


「私ももう何ともありませんよ?」


「そうは言っても身体の休息は必要だよ? イルズセンドには美味しい食べ物の宿屋があるからさ。骨休めしようよ」


「そうですね。オードランでは皆に苦労を掛けました。ゆっくり滋養するのも悪くありませんね」


「さっすが姫様! はなしがわっかるぅ!」


「こら! 猿! 余り調子に乗るな!」


 賑やかしい会話に弾む馬車は、やがて渓谷から少し開けた山あいの街、イルズセンドに着いた。




「さってと、どこの宿に……」


 そう言いながらエンが馬車を降りた瞬間、


「はい! 宿なら『銀のニルモーク亭』へいらっしゃいませー!」


 いきなり満面の笑みを浮かべた中年親爺にエンはガッシリと腕を掴まれた。


「へ?」


「何名様でしょうか?」


「あ、よ、四名だけど……」


「四名様ごとうちゃくー!」


「あ、あのちょっと! 値段とか料理とか部屋とか聞かないと!」


「勿論値段は格安! 料理は最高! 極楽のお部屋でございます!」


「うーん、どうする?」


「私は構いませんよ」


「そうだな」


「は〜い! 四名様ごあんな~い!」


 四人は男に連れられ、大きくて豪華な作りの宿に案内された。


「それでは大銀貨八枚になります」


「ちょっと高めだなぁ……」


「何せ最後に残った特等室ですからねぇ、お客さん運が良いよ」


「ほんとかなぁ」


 エンがぼやいていると違う男が慌てたように駆け込んできて、ギタンたちを案内した男と話し込み始めた。


「あーアンタ達、本日は満杯になってしまったのでお引き取り下さい」


「え! どういう事!? アンタが自分で言ったんじゃん! 最後だって!」


「あ~そうですけどね、他のお客さんが入っちゃいましてねぇ」


「ちょっと! こっちが先じゃないの?」


「あ~、偉い人がお泊りになられるんでねぇ!」


 男はさっきとは打って変わった態度で吐き捨てるように言った。


「偉い人?」


「大きな声じゃ言えないけど、王国第一王女サクヤ様だよ!」


「え?」


「は?」


「まぁ」


「?」


 ポカンとしたエンがイヌイを指さすと、ポカンとしたイヌイが手を横に振る。


「何やってんだい、そういう訳でアンタ達より王女御一行様の方が大事なんだよ! もっともお忍び旅だから内緒なんだけどね! そんな訳で帰った帰った!」


 ギタンたちはほうきで掃き出される様に宿を追い出された。


「なんでぇ! ふざけやがって! 二度と来るもんか! バーカバーカ!」


「エン、往来ですよ?」


「あームカツクなぁ……姫様、どういう事?」


「いえ、私もさっぱり……」


 そう首をかしげるサクヤの前を豪華な馬車が横切り、『銀のニルモーク亭』に到着した。

 従業員が総出で迎えに出ている。


 馬車の中から降りてきたのは金髪縦巻きの目つきのきつい女。

 そして剣士の身なりだが、冴えない顔の男が二人。


「これはこれはサクヤ姫様、この銀のニルモーク亭にお越しいただき、まことに光栄の至り」


 主人らしい痩せぎすの男が平身低頭に挨拶する。


「これ、主よ。わたくしは忍び旅故あまり大きな声で名前を呼ぶのは慎まれよ」


 金髪巻き髪の女は見下すように主人に言った。


「はっ、こ、これは飛んだ失礼を、ではこちらへ、ささ」


「うむ、計らい、感謝するぞ。スケルブ、カクゲリー、参るぞ」


「「ははっ」」


 そう言って『サクヤ姫様』と供の二人は宿に入っていった。


「はぁ~何か見ちゃいけないモノを見ちゃった気分だねぇ」


「エン、あれもサクヤなのか?」


「若さまぁ、ボケも大概だよ。あれはどう見てもニセモノ」


「お、お、おのれぇ」


 ワナワナと全身を震わせていたイヌイが剣の柄に手を掛けた。


「ちょ! ヌイヌイ何する気さ!」


「知れた事! 今すぐあの偽者を成敗してくれる!」


「ちょっと待ちなよ! 今そんな事をしたら偉い騒ぎになるよ!」


「しかし! 王家の名を語るのは重罪だぞ! しかもアイツらの所為で姫様がニセモノ扱いされたのだぞ!」


 シュパルでサクヤは名乗ったにも関わらず偽者扱いされた。

 イヌイはその事を言っている。


「イヌイ、落ち着きなさい。まだあの者達の素性も何故私の名を語っているのかも分からないのです。軽率な行動は慎みなさい」


「は、ははっ」


「そうだよ。それはオイラが調べて来るけど取り敢えず他の宿を探さなきゃ」


「あ……あの……」


「うひゃあっ!」


 不意に掛けられた声の方を振り向くと娘が一人立っていた。


「宿をお探しでしたら、是非『銀のワミザネ亭』にいらしてくださいまし……」


 気が小さいのか、そのオドオドとした物言いは先程のニルモーク亭の客引きとは違い、とても客を呼べそうにはなかった。


「『銀のワミザネ亭』? 聞いたことないなぁ」


「でも折角お誘いを受けたのです。お世話になりましょう」


「そうだねぇ。でも着いた途端帰れってのはもう無しだよ?」


「えっ! お客様にそんな失礼は致しません。さぁどうぞ」


 サクヤたちは娘に続いて歩いていった。



「うわぁ……」



 見えてきた建物を見てエンが落胆の声をあげた。

 古びた歴史を感じさせる建物だが、玄関や塀が所々破損している。

 一見すると荒んだ廃屋に見えないことも無い。


「あ、あの……表はこんなですが、中はちゃんとしてますので……」


「ほんとぅ?」


 そう聞いたエンが素早くサクヤに耳打ちする。


「姫様ぁ、やっぱ別の宿にしようよ」


「いえ、私はここに決めました。ギタンはどうですか?」


「サクヤが言うならここで良い」


「なあぁっ!」


 二人の会話にイヌイが驚いた声を挙げた。


「い、いつの間に……」


「ん?」


 門の前に人相風体の悪い男達がニヤつきながらたむろっていた。


「よう、タンナ、お客さんかい?」


「そ、そうです。通して下さい!」


「へっへっへ、お前は良いがお客さん達は駄目だ」


「そんな!」


「何だ? お前達は?」


「何だぁ? お前達はぁ? ギャハハハハ!」


 イヌイの言葉を小馬鹿にしたように言って男は大爆笑した。

 他の連中もつられて笑っている。


「うちのお客さんに酷いことしないで!」


「ああん、お客さ〜ん。ワザミネ亭はとっくに潰れてましてねぇ、そいつはあんた達を俺達の元に連れてくる役なんですよぉ」


「嘘っ! 嘘ですっ!」


「嘘なもんかい! こんなボロ宿何時潰れてもおかしくないだろうが!」


「それは貴方達がお客さんをそうやって脅して追い返しているからじゃない!」


「うるせぇっ!」


 男がタンナに殴り掛かる。


「ひっ」


 その腕をギタンが止めた。


「なんでぇ優男のアンちゃん、やろうってのか……ビョーン!」


 凄んだ男が突如奇妙な叫びをあげて崩れ落ちた。

 ギタンが腕から竜波動を軽く流したせいだ。


「あ、兄貴! テメェ何しやがった……ヴォヴォヴォヴォオォ!」


 そう叫んだ別の男の額に素早くギタンの手が覆い被さり、その男も崩れ落ちる。


「コ、コイツ魔導士か? 変な技使いやがる!」


「お前達もそうなりたくないならそいつらを連れて帰るんだな」


 ギタンの言葉に残りの男達は逡巡していたが、


「テメェ! ガブフ団に喧嘩売ったことを後で必ず後悔させてやるからな!」


 そう捨てぜりふを吐くと、失神している男達を引きずるようにして立ち去っていった。


「あ、ありがとうございます」


 タンナがペコリと頭を下げた。


「ああいうのは何処にでも沸くんだねぇ」


 エンがウンザリしたように言った。


「しかし、あの者達は何故あのような狼藉を?」


「分かりません……お父さんが……ううん、何でもありません。で、ではどうぞ中へ」


 何かを言おうとして思い止まったタンナに言われて進んだ先の玄関は、確かにきれいに清掃されている。


「ふう~ん」


 渋い顔だったエンが感心の声を挙げた。


「お母さん! お客様!」


 タンナの声に奥から出てきた、まだ年の頃三十半ば過ぎの女将が深々と頭を下げた。


「いらっしゃいませ、ようこそワミザネ亭へ」


「四人、お世話になります」


「ありがとうございます、お部屋はいかがいたしましょう?」


「ふっ! 二部屋だ! 二部屋で頼む!」


 鬼気迫る勢いでイヌイが言った。


「イヌイ、何を今さら。路銀を無駄にするなと言ってるのは貴女ではないですか」


「そ、それはですね! あー、えー」


〈不味い、不味いぞ! あのアリの巣に落ちて以来、姫様とギタン殿の距離が妙に縮まっている気がする。これ以上先に進んでしまったら!〉


 自分の疑問を聞くに聞けず、イヌイがしどろもどろになる。


「構いません、一部屋でお願いします」


「か、畏まりました」


 ピシリと言ったサクヤの言葉をイヌイはどうする事も出来ずに愕然とした表情で聞いていた。


 通された部屋は木組みの風情を感じさせる部屋で、これもきちんと清掃されてチリひとつ落ちていない。

 敷布も掛布もピシッと折り目正しくたたまれている。


「まぁ、今までで一番の宿ですね」


 サクヤが感嘆しながら言った。


「それではごゆっくり。野天風呂はいつでも入れますので」


「野天風呂?」


「外にある風呂の事だよ」


「まぁ、では早速皆で入りに行きましょうか」


 そう言ったとたん、


「おがぺえええええっ!」


「ど、どうしたのです、イヌイ。変な声を出して」


「あの、その、皆とはギタン殿も?」


「温泉のお風呂は男女分け隔てないと聞きましたよ? 何か問題でも?」


「い、いえ、そうではなく……そ、そう、フォンディフォン家では嫁入り前の娘がみだりに殿方に素肌を曝してはならんとの家訓が……」


「そうですか。では、私とギタンで入りましょうか」


「ぢょっどまっでぐだざあああああい!」


 イヌイの必死の意図を全く理解しないサクヤの言葉に、イヌイの

 悲痛な叫びがワザミネ亭に響き渡った。

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