その二

 食い物屋の前に出たギタンはたちまち十人程の男たちに取り囲まれた。


「てめぇ、ボンゴ団を取り仕切るこのハゴッチ様によくも舐めた真似をしてくれたなぁ、覚悟はいいか?」


 店の中でギタンに絡んでいた男の言葉を合図にするかのように、男達たちが一斉に腰の短剣を抜く。


「覚悟? 何の覚悟だ?」


 対するギタンは手に持った剣を抜こうともしていない。


「勿論テメェが死ぬ覚悟だ!」


 全員がギタンに斬りかかろうとした時だった。


「お待ちなさい!」


 澄んだ声が響きわたり、ギタンと男たちの間に二つの影が躍り込んだ。


「うぉ?」


 ゴロツキ共から短く驚嘆の声が漏れる。

 二つの影はいずれも眉目秀麗な女だったからだ。


 おひい様と呼ばれていた商人姿の少女は鮮やかな紫紺の髪と瞳、気品に満ちた艶やか且つ愛くるしい顔立ち。

 長い髪を前は綺麗に揃え、残りは後方で束ねて垂らしている。


 もう一人の女剣士は、若干年上であるがやはり美丈夫という言葉が当てはまる容姿をしている。

 ショートボブ風の金髪にややきつい印象の顔立ちは彼女の清廉且つ実直な性格を現しているかのようだった。


「先程からのあなた達の振る舞い、見過ごす事は出来ません」


「何だテメェ達は!? 関係ねぇ奴がしゃしゃり出て来る場じゃねぇんだ! 引っ込んでな!」


 ハゴッチが吠える。


「この宿場町を根城に無法の限りを尽くす『ボンゴ団』とはお前達の事だな!」


 女剣士がハゴッチを指さした。


「お、おうよ! それがどうしたってんでい!」


「乱暴狼藉に略奪、枚挙を挙げればきりがないその行い。今もまたそこの者の金品を巻き上げようとする卑劣なふるまいを見させてもらった!」


「ほぉ、だったらどうするってんでぃ? 俺達には役人もブルっちまって手は出せねぇんだぜ?」


「ならばその無法、私が成敗します」


 おひい様のその言葉にハゴッチを始めとする『ボンゴ団』の面々は大爆笑した。


「ガーッハッハッハァ! コイツぁ傑作だぁ! アンタら二人が俺達を成敗? 面白れぇ! やれるものならやってみな!」


 それまで若さまに向いていた短剣が二人に向く。


「さぁ、あなたは巻き込まれないよう下がっていてください」


「いいんですか?」


「ええ、もう大丈夫ですよ」


「ここは私達に任せて貰おう、下がっていろ」


 おひい様の優しげな態度とは対称的に女剣士はやや無愛想にギタンに言った。


「わかりました、では……」


「おい! テメエの用もまだ済んじゃいねえんだ! そこを動くんじゃねぇ!」


 素直にギタンが下がろうとするのを見たハゴッチが怒鳴った。


「イヌイ」


「はっ」


 おひい様の命に応え、イヌイと呼ばれた女剣士が剣を抜く。

 装飾の施された白鞘から引き抜かれた細身の剣は一般的な両刃直剣だが、柄に埋め込まれた魔石と呼ばれる宝玉がその剣が銘刀と呼ばれる逸品であることを示していた。


 構えたイヌイの目に気迫がこもる。


「うりゃああっ!」


 三人の男が同時に突き込んできた。


 だがイヌイはひらりと避けながら剣の横腹で次々と男たちの短剣を叩き落としていく。


「あぐっ!」


「がぁっ!」


「ぐはっ!」


 手首を砕かれたのか、男たちは短い悲鳴をあげてうずくまった。


「な! このぉ!」


 驚愕するハゴッチを尻目にイヌイは駆け抜けるように次々と男たちの手を砕き、短剣を叩き落とす。


「『烈風』」


 そう言って駆け抜けたイヌイの背後にはハゴッチ以外のボンゴ団が地べたに這いつくばっていた。


「な……ななな……」


 唖然とするハゴッチの眼前にイヌイの剣が突きつけられた。


「残ったのはお前だけだ」


「くっ、くっそおおっ!」


 ハゴッチが持っていた短剣を振り上げようとした瞬間、ゴキッという鈍い音と共に短剣が舞い上がり地べたに突き刺さった。


「あぎゃあああああああっ!」


 その脇でハゴッチが砕けた腕を抑えて悶絶している。


「どうだ? まだやるというなら……」


「ごごごご、ご勘弁を! ももも申し訳ございません! さ、最近こ、この辺りの砂金の出が急に悪くなって皆気が立ってやして」


 先程の勢いはどこへやら、ハゴッチは腕を抑えながら平身低頭している。


「いいですか? 次に同じような事をすれば容赦はしません。これに懲りたら乱暴狼藉は止め、まっとうに生きるのですよ」


 おひい様が諭すようにハゴッチに言った。


「へっへへへ、も、勿論でさぁ、お、おいっ! 帰るぞっ!」


 ハゴッチ達ボンゴ団の男たちは逃げるようにその場を立ち去っていったと同時に、遠巻きに取り囲んでいた野次馬から歓声が上がる。



「若さま!」


 その野次馬の中からエンが飛び出してきた。


「ああ、エンか。銭は替えられたのか?」


「うん、ちゃんと……ってそれどころじゃないよ! どうしたのさ、この騒ぎは!」


「ああ、ボンゴ団とやらに絡まれてしまってな、この方々に助けてもらったんだ」


「助けてもらったんだって……しっかりしてよ若さまぁ」


「若さま?」


 その言葉におひい様が思わず聞き返した。


「ああ、この者が私の事をそう呼んでるのです」


「そうなのですか。また何処かの国の王族のお方かと」


「その様な大それた者ではありませんよ。今日まであの山で暮らしていたのですから」


 そう言ってギタンは山頂に雪を称えた山を指差す。


「ホウライジュから?」


「ええ」


「……貴殿、偽りを申すでないぞ。ホウライジュは『竜の巣』といって地の竜が住まいし秘境。とても人の立ち入ることなど出来ぬ秘境だぞ?」


「おやめなさい、イヌイ」


「しかし……」


「では、気をつけてお戻り下さい。以後あの様な不逞の輩には気を付けるのですよ」


 いぶかしむイヌイを抑えるようにおひい様は優しく笑いかけて言った。


「ありがとう、ですが私はこれから旅に出ようと思いまして、お言葉は胸に留めます」


「「「旅?」」」


 その場にいたおひい様、イヌイ、そしてエンまでもが同じ言葉を同時に発した。


「その姿でか?」


 イヌイが訝しむのも無理はない。


 若さまの格好は決して粗末では無いが普通の平服に黒鞘の剣が一振り。

 肩がけのずだ袋もそれほど物が入っていそうにもない。

 とても旅に出る姿には見えなかった。


「あの、差し支えなければ何処へ行くのかお教え願えますか?」


「確か……エルドリアという所の王都です」


「「「エルドリア?」」」


 またしても声がかぶさり三人はハッと顔を見合わせた。


「エルドリアはここより遥か東だぞ? 王都ヨダチルンはさらにその果てだ。とてもそこまで行く風体には見えぬが……」


「育ててくれた爺の言いつけでね」


「まぁ、お爺様の……」


 〈サクヤ様、しきたりによりサクヤ様はこれより成人のお披露目の為にオルダワリデへお向かい下され。旅の供にはこのイヌイが帯同致します〉


 おひい様ことオウレンザルカ王国第一王女、サクヤ・ハレイシュ・リ・オウレンザルカの脳裏に十六年の間、アルマ離宮で自分を育ててくれた養育係の老人、グラフィモの言葉が浮かぶ。


「若さまぁ、この人たちの言う事ももっともだよ。こんな恰好で長旅なんて無理だよ。オイラが支度を見繕ってあげるよ」


 半ば呆れたようにエンが言った。


「そうか、すまんな」


「では私達はこれで。道中お気をつけて」


「重ねてありがとうございます」


 にこやかに笑うサクヤと怪訝そうにギタンたちを一瞥するだけのイヌイは街へ消えていった。



 シュパルの街は街道の宿場町でもある為、旅の装備をあつらえるのに不便は無い。

 エンはてきぱきと旅に必要な物、衣服や下着、洗面具などを買い揃え、大き目の背嚢に詰め込んでいく。


「エンよ、なぜお前の分もあるんだ?」


 広場の噴水の脇で要領よく『二人分』の荷物を詰め込んでいるエンに、新しくあつらえて貰った黒の服に身を包んだギタンが訊ねた。


「若さま、オイラを若さまの従者にしてくれないか?」


 荷造りの手を止め、エンはギタンの方を向くとやおら地面に手をつき、真顔で言った。


「従者?」


「ああ、オイラ若さまの事が気に入ったんだ。エルドリオに行くのならオイラに道中のお世話をさせておくれよ」


「そうだなぁ……いいだろう」


 ギタンはあまり深く考えるでもなく頷いた。


「本当かい?」


「確かに私は世情に疎いようだ。お前がいてくれれば助かるだろうな」


「だろ? いくら若さまが強くても騙されて身ぐるみ剥がされるのがオチだよ」


「ふむ、まだこの剣を狙ってるのではあるまいな?」


「よしてくれよ、剣を狙ったのは腹が減ってたからさぁ。従者になればそんな事しないよ」


「そうか、ではよろしく頼むよ、エン」


「そうこなくっちゃ! 実はさっきお金を両替した時に今日の宿と明日の乗合馬車の手配を済ませて来たんだ」


「乗合馬車?」


「若さまぁ、旅は乗合馬車での宿場街から宿場街への移動が基本だよ」


「そうなのか?」


「そうさ。野山には魔獣、山賊の類がウヨウヨいるから、徒歩でなんて自殺行為だよ」


「なるほどなぁ」


「さぁ、それじゃ宿も銀宿を取ってあるから行こう行こう!」


 小さい身体に楽々と二人分の荷物が詰まった背嚢を担いでエンはギタンを促した。

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