棄てられ若さまと花吹雪の姫君
Ineji
第一話 砂金の街・旅立ち
その一
――オウレンザルカ王国ナハンザ領の街道宿場町シュパル。
周囲を深い山々で囲まれたこの地は、『黄金竜の棲まいし地』とも呼ばれる霊峰ホウライジュから流れるソノラ川で採れる砂金の採掘で賑わっていた。
そのシュバルから少し離れた街道脇の大石に一人の若者が腰を掛けてぼんやりと空を見ていた。
「……」
風になびく漆黒の髪と空を見上げる端整な顔立ちは、着ている粗末な服に似合わず何処か気品を感じられた。
脇には黒塗りの鞘に収まった剣が一振り。
若者は飽きることなく空に流れる雲を見つめている。
不意に森の木立から音も無く手が伸びてきて、刀を掴むと再び森に消えた。
微かにササササッと流れるような音が遠ざかっていく。
「おや?」
剣が無くなったのに気付いた若者は耳を森に向けると、フッと姿が消えた。
深い森の中、鬱蒼と茂る木々を物ともせずに剣を持って走る影が一つ。
それは泥と埃で薄汚れた服を着た、少年とも少女とも見えるクリクリとした目の獣人だった。
「こ、これで……久々に旨いも……アキャッ!」
剣泥棒は突然悲鳴を上げて地面に転がった。
頭に石つぶてが当たったのだ。
「大事な剣なんだ。返してくれないか?」
森の何処からか、若者の涼しげな声が剣泥棒に響く。
「う、嘘だろ……っ!」
一瞬たじろいだ剣泥棒だが、すぐに前にも増した速さで逃走を図る。
生い茂る木立を抜け、崖を駆け上がり、谷を飛び越える。
並みの人間ならば絶対追いつけないだろう。
剣泥棒にはその自信があった。
「どうだぁっキャァッ!」
追跡者を完全に撒いたと確信したところに二個目の礫が頭に当たった。
愕然として剣泥棒はその場に立ちすくむ。
「わっわかったよ! 返す! 返すよ!」
その言葉を聞いて若者が木の上から降ってきた。
この鬱蒼とした森をあれだけの距離走ってきたにも関わらず、息一つ切れていない。
「ほう、どんな魑魅魍魎の類かと思えば
「フン、猿じゃあないよっ! ちゃんとした
赤茶色の頭に二つできたたんこぶを両手でさすりながら剣泥棒はぼやいた。
紅猩族は南方の大陸に元々いた獣人族で、只人族に比べ身軽で敏捷な身体をしている。
「ならば話は分かろう?」
「ちぇっ」
若者が手を差し出すと剣泥棒は渋々剣を渡す。
「それを売れば暫く美味い物が腹一杯食えると思ったのにな……」
トスンと地べたに座り込んだ剣泥棒は自棄気味に言った。
「何だ、腹を空かせていたのか。丁度私も空いていたんだ。どうだ、この辺で飯を食わせてくれる所を知らぬか?」
「へ? い、いや……知ってるのは知ってるけど……」
取り返した剣を確かめるでもなく笑ってそう言った若者に剣泥棒は唖然としながら答えた。
「ならば案内してくれんか? お前の食い扶持も出してやろう」
「え? あ……ま、まぁ……良いけどさ」
剣泥棒はマジマジと若者を見た。
今の今、自分の剣を盗んだ相手に飯屋の案内を頼んでいる。
どれだけ呑気なんだ、この人……
衣服は粗末な平服だが、そこはかとなく高貴な育ちが良いというか、真の意味で高貴な者に身心を鍛えられた。
そんな雰囲気を若者は醸し出している。
「ん? どうした? 猿よ、早く案内してくれ」
「あ、うん……分かったよ……って、あとオイラにゃちゃんとエンって名前があるよっ」
「名前……エン……そうか、人には皆名前があるのだったな。私はギタン」
「でも、ここはどこだか……えっ?」
そう言ってエンは目をさらに丸くした。
遮二無二逃げたつもりが、いつの間にか元の街道端に戻って来ていたのだ。
「そんな……どうしてさ……」
そこでエンは思い当たった。
ギタンが打った二発の礫。
一発目が当たったときに知らず知らずうちに進路を変えさせられていたのだ。
「まさか兄さんがここへ来るように?」
「ああ、野ブタを狩るときに使う手だよ」
「へぇ……って、オイラ野ブタじゃぁないよっ!」
エンはむくれながら街道をスタスタと歩いていき、ギタンはゆるゆると後に続いた。
「はもゅ! ハホッ! フボホッ!」
シュバルの小さな食い物屋でエンがひたすら口に詰め込んでいる。
「余程腹が減っていたんだなぁ?」
反対の椅子に座っているギタンが感心したように言った。
「ま、まともな飯は三日ぶりなんだよ! もういい加減蛇とか木の実とか芋とかばっかりだったしさ!」
「ほう、何か探し物でもしていたのか?」
「んがっぐぐ!」
その言葉にエンは喉を詰まらせ、慌てて土瓶の水を流し込んだ。
「ぶっはぁっ、えーっと、アレだよ、砂金! そう砂金を探していたんだよっ」
実際砂金が採れるソノラ川やシュペルの街付近には、一攫千金を夢見る者や、彼らを狙う山賊野盗の類が跳梁跋扈していた。
「そうなのか」
砂金という言葉にもさして興味の色も見せずにギタンは皿の豆を掬って口に運ぶ。
「あー食った食った。兄さん、お代は?」
腹がポコンと出るくらい食べてようやく満足したエンが言った。
「お代?」
「銭だよ銭。まさか兄さんも実は一文無しでしたってオチじゃ無いだろうね」
「銭とは何かね?」
「な、なんだってー!」
エンの顔が瞬時に青くなった。
「金貨とか銀貨とか銅貨だよ! こぉんな感じの丸いのとか四角いの」
エンは指で丸や四角を作って見せる。
「成程、ならばこれで足りるだろうか?」
ギタンは肩がけのずだ袋から重そうな革袋を取り出し、中の物をザラリと卓の上に広げた。
「こ、こ、こここ……これって……砂金!」
思わず張り上げた声をエンは慌てて飲み込む。
店の隅で酒を飲んでいた数人の男たちの気配が動いた。
「らしいな。街で銭に替えるそうだが私はその仕方を知らんのだ」
「はぁ? どういうこと?」
「昨日山を出てきたばかりでな」
「山? どこの山さ?」
「あの高い山だ」
そう言ってギタンは窓の外に見える山頂にうっすら雪を被った山を指した。
「ホウライジュ? うっそだぁ! あんな所とても人が住めないし、麓までだって歩いて三日は掛かるよ?」
「そうなのか。私は物心ついたときからずっとあの山で爺と二人きりだったからなぁ」
ギタンは余り興味なさそうに煮豆を匙で掬って口に運ぶ。
「へぇ、じゃあ親は?」
「知らん。私は何処かで棄てられていたそうだ。それを拾った爺の知己がこの剣と一緒に爺に預けたそうだ」
「へぇ……じゃぁ案外若さまかもしれないね」
「若さま?」
「こんな良い拵えの剣を持ってたんだ。絶対どこかいいとこの若さまだよ」
「若さまが棄てられているのかねぇ」
そう言ったギタンの顔が初めて曇った。
「じゃあ若さま、その砂金、オイラが銭に替えてきてあげるよ」
「ほう、いいのか?」
「飯代払わなきゃオイラも衛兵に捕まっちまうじゃないか! 取り敢えずこれだけ替えてくるよ」
エンは大きめの砂金を十粒程摘まみ上げて手に握り、残りは革袋に戻してギタンに突き返した。
「絶対戻って来るから待っててよ!」
「ああ」
エンが出て行ったのと同時に店の奥で聞き耳を立てていた数人の男達が席を立ち、ギタンに近づいてきた。
「お兄さん、随分と羽振りが良さそうじゃねぇか。ちょっといい話があるんだけどよう」
「……」
若さまは酒臭い息を吐く男を一瞥しただけで、食事を続けている。
「ああん? 聞こえないのか? あの小僧は戻って来ねぇよ?」
「……」
「おいっ! 聞いてんだろ! シカトしてんじゃねぇ!」
焦れた男が襟首を掴もうと手を挙げた瞬間、ギタンの手が逆に男の手を掴んで捻った。
「アッビッ、ビデデデデェッ!」
男は雷にでも撃たれたかの如く痙攣してその場に崩れ落ちた。
「オ、オイッ!?」
仲間が慌てて引き起こす。
「な、何だこの野郎、得体が知れねぇ……」
「すまんが折角の美味い飯なんだ。食べ終わってから話を聞くから待っていてくれないか」
「うるせぇ!」
いきり立った別の男がギタンの食べていた皿を払い飛ばした。
「コイツにこんな真似しやがって! どう落とし前つけてくれるんだ! ああ!?」
「人の食事を台無しにしておいての言いぐさとも思えんがね。目当てはこれかね?」
そう言って若様は卓の上に置かれたままの砂金が入った革袋を指差した。
「へっ、物分かりがいいな。だがこれだけじゃ詫びには足りねぇなあ、何処で手に入れたか教えて貰おうか?」
素早く革袋を取った男がにやけながら言った。
「爺に貰ったんだよ、大事に使えと言われてね」
「爺? よおし、その爺の所に案内してもらおうか?」
「それはもう無理だな。それにお前達には立ち入れんところだよ」
そう言ってギタンは何時の間にか男の手にあった筈の革袋をずだ袋にしまった。
「あれっ? お、お前! いつの間に!」
「言ったろう? 爺に大事に使えと言われたと。お前達にくれてやる分など無いよ」
「て、てんめぇ! 舐めやがって!」
いきり立った男たちがギタンを囲む。
「ちょ! ちょっと! 揉め事は表でやってくだせい!」
食い物屋の主が真っ青な顔で叫んだ。
「やかましぃ! 今すぐこの店ごとブッ壊されてぇの……あ?」
何時の間にか囲んでいた筈のギタンは店の出口に立っていた。
「それもそうだな。どれ、表に出ようか」
ギタンはそう言い残してスタスタと店を出て行く。
「ま、待ちやがぁれっ!」
男達も慌てて後を追った。
その様子を別の卓台で見ていた二人組の一人、商人体の身なりの少女が立ち上がった。
「姫……おひい様……かような些事に関わるのは……」
もう一人の剣士の身なりをしたやや年上の女が囁く。
「でも放っては置けません」
そう言っておひい様と呼ばれた少女は席を立つと一団を追うように店を出ていく。
「まったく……親父、置いておくぞ!」
もう一人のやや年上の女も慌てて銅貨を数枚卓に投げるように置くと後を追った。
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