その三

 ――フォンディフォン家


「そうですか……」


 サクヤはエンから事の次第を聞いていた。

 イヌイ自身は屋敷に戻るなり自分の部屋に閉じこもって出てこない。


「ヌイヌイも血筋の所為か頑固だからねぇ……絶対受けるでしょ」


「そうですね……」


「でもあの白い奴、ヌイヌイが魔装甲鎧が駄目だって知ってたんだけど……」


「まさか王国の者? でも何故……」


「それもそうだけどさ、ヌイヌイ大丈夫なの? 魔装甲鎧……」


「それは……イヌイを私は信じます。イヌイは必ず打ち勝ってくれます」


 ギタンは黙って聞いているだけだった。





 ーー雨が激しく降っている。


 その中で多くの兵士達、そして魔装甲鎧が懸命に崩れた土石を掘り起こしている。

 その様子を毛布を肩から掛けたイヌイが呆然とその様子を見ていた。


 ……めです……遺体の損傷が酷くて復活魔法も……


 激しい雨音に混じってそんな声が聞こえている。

 そして、違う声も。


 ……イヌイ……苦しいよ……助けて……



「……っ!」


 汗まみれになりながらイヌイは寝台を跳ね起きた。

 額から汗がポタポタと零れ落ちる。


 水差しの水をいっきに飲み干したイヌイは魔装石を掴むと庭に出た。


「装喚! 『スイレン』!」


 イヌイの頭上に現れた魔方陣から『スイレン』が湧きだしイヌイは纏っていく。


 だがスイレンは微動だにしない。


「くっ……くくっ……」


『スイレン』の中で脂汗を流すイヌイの目の前に虚ろな女の顔が浮かぶ。

 まるで面のような空虚な目の顔が。


「くうっ!」


 堪らず解装して地に手と膝をつく。

 その前に何時の間にかギタンが立っていた。


「ギタン殿……姫様に言われて?」


 ギタンは首を横に振った。


「何故とは聞かないのだな」


「山の動物達も皆恐怖は感じる。だが己自身で恐怖を克服する。でなければ死ぬだけだからな」


「人と動物を一緒に……いや、そうかもな」


「何故と言うならイヌイ殿は何故騎士を志された」


「……藪から棒だな。……もちろん父の、家の悲願というのもある。いや、違うな……」


 イヌイは懐かしそうな顔で夜空を見上げた。


「十年も前だ。王都で子供剣士の大会があった。私は最年少の部で優勝し国王陛下からお褒めの言葉を賜った。その時一緒にいた姫様が仰ったのだ。『いずれ私の騎士となってくれ』とな」


「そうか……」


「その言葉を拠り所に精進してきた。だが……今の私は姫様のご期待に応える事は出来ない……」


「そうかな?」


「そうだろう! 貴殿も見ただろう! シュパルとサイパでの私の無様な姿を!」


「無様?」


「無様だろう! シュパルでは魔装甲鎧を纏ってもろくに動くことも出来ず! 挙句にサイパでは姫様の命にも応えられなかった! 父上は姫様の護衛騎士になった事を喜んでくれた! だが! 私は……私は自分が許せないんだ……」


「だが明日の決闘裁判とやらには出るのだろう?」


「ああ、父の受けた恥辱は晴らさねばならん……だが……こんな有様で……どうすれば……」


「エンが言っていた。あの者達はイヌイ殿が負ければそれを口実にサクヤ殿を妾とやらにする気だそうだ」


「なん……だと……」


 ギタンの言葉に拳を握って歯噛みしていたイヌイの顔がひっぱたかれた直後のような顔になった。


「妾というのが何なのか私には分からんがね。それを伝えに来ただけだ」


 そう言ってギタンは屋敷へ戻っていった。


「姫様が……そんな……」


 勿論王女であるサクヤが妾などになる訳はない。

 だが、自分の、フォンディフォン家の不始末に主であるサクヤを巻き込んでしまった。


 その事実がイヌイの肩に重くのしかかっていた。








 ――決闘裁判当日。


 代官屋敷脇の広場には話を聞きつけた街の人間が大勢詰めかけていた。


「これよりボンベルジ・バラガとイヌイ・フォンディフォンの決闘裁判を開始する!」


 裁判官の高らかな声に観客の歓声が湧いた。


「完全な見世物だねぇ、こりゃ」


 エンが呆れたように辺りを見回した。


 観客席の前にはボンベルジの剣技指南所の門下生達が二十名以上警護と称して立っていた。


「どうせアイツらもいざとなれば向こうの手先なんだろうねぇ」


 立会人は四人までで、確かにボンベルジの脇に、今は高弟と呼ばれる取り巻きの四人がにやついた顔で立っていた。


 イヌイ側はギタン達と椅子に座ったファーデンの四人。


「ヌイヌイ大丈夫かなぁ……昨日も結局部屋から出てこなかったし」


「大丈夫ですよ」


 サクヤは視線の先でたたずむイヌイを見て言った。





「へっへっへ。逃げ出すと思ってたぜ、イヌイ」


「……」


「分かってると思うが動くんじゃねぇぞ」


「!」


〈やはり……コイツも……〉



「それでは両者、魔装甲鎧を纏われよ!」


 イヌイとボンベルジはそれぞれ距離を取ると魔装石をかざした。


「装喚! 『スイレン』!」


「くっくっく! 装喚!『ノウゼンカズラ』!」



「『ノウゼンカズラ』?」


 赤い魔装石をかざすボンベルジに濃い緑色の魔装甲鎧が纏わりついていく。

 それはイヌイの知らない魔装甲鎧だった。


 双方に刃を落とした仕合剣が渡される。


「決闘は相手方に先に五本入れた方の勝利とする! はじめ!」


「いくぞ! イヌイ!」


『ノウゼンカズラ』からボンベルジの声が響き、剣を振りかぶる。


「くっ」


『スイレン』はようやく剣を構えた。


 そこに痛烈な一撃が肩口に振り下ろされる。


「ぐあっ!」


「ボンベルジ! 一本!」


「くーっぅくっくくっ! なる程なぁ、あいつの言った通りだ」


『スイレン』は剣を構えたまま微動だにせず、打撃を受けて辛うじて堪えている。



「どうしたというのだ……」


 サクヤ達と共に椅子に座って決闘を見ていたファーデンが、イヌイの様を見て呻いた。


「ねぇ姫様、イヌイヌは何で魔装甲鎧を纏うとああなっちゃうのさ」


「……イヌイは騎士見習いの時は極めて優秀な剣士でした。勿論魔装甲鎧の扱いにも。でも訓練で他の騎士見習いたちと山に出た時、大規模な山崩れに巻き込まれたそうです」


「山崩れ?」


「イヌイは『スイレン』を纏っていたお陰で助かりましたが、救出されるまで長い間、他の騎士見習い達と共に土石に埋まっていたそうです」


「それじゃ……」


「ええ、その時の事があってイヌイは魔装甲鎧を拒む様になってしまったのです。魔装甲鎧を纏えなければ正騎士にはなれません。ですが、それまでの才を汲んで父王はイヌイを私の護衛騎士に抜擢されたのです」


「そうだったのですか……」


 傍で聞いていたファーデンがポツリと言った。


「ボンベルジ! 一本!」


 頭部への強烈な横打ちが決まり、審判員の声が響いた。

『スイレン』が膝をつく。


「や、やばいよ若さま! あ、あと三本だよ!」


「……」


 だがギタンは黙ったまま。


「姫様ぁ!」


「エン、ここで私達が手を出せばイヌイは一生魔装甲鎧を纏えなくなるでしょう」


「で、でもさぁ! 負けちゃったら」


「信じましょう、エン。イヌイが己に打ち勝つのを」


「姫様ぁ、負けたらアイツの妾にされちゃうんだよ?」


「何ですと!?」


 椅子に座ったファーデンがギロリとエンを睨んだ。


「あ奴ら、姫様に対しそのような無礼を……」


「構いません。イヌイは必ず勝ってくれます」


「姫様……」


 マジマジとサクヤの横顔を見ていたファーデンがやおら両腕に力を込めた。


「ちょちょ! 何やってるのさ! 大人しく……」


「触るでない!」


 駆けよったエンを一喝すると更に必死の形相で力を込める。


「ぐっ……ぐぐっ……ぐおおお!」


「あ……ああっ!?」





 勝者! イヌイ・フォンディフォン……!


 すっごーい! イヌイ、これで優勝じゃない……!


 当然だ、イリンス……


 この成績なら近衛騎士団も夢じゃないよ……!


 勿論、私はサクヤ姫様の御側付きになりたいんだ……




 イリンス! しっかりしろ! もうすぐ助けが来る! がんばるんだ……!



 イヌイ……もうだめ……苦しいよ……助け……


 イリンス! イリ……あ……ああ……




 どうしたんだ! イヌイ! なぜ動かん……!


 ……う……ううっ……




 イヌイ・ファンディフォン、騎士になれなんだお前ではあるが、その成績を鑑み、特別な命を与える……良いか、我が娘サクヤの……




「イヌイ! 立て! 立たんか!」


 イヌイの耳に飛び込んできた父ファーデンの声にイヌイは我にかえった。

 どうやら気を失いかけていたらしい。


「ち……ち……う……え?」


 声のする方を見たイヌイは息を飲んだ。


 腰骨が砕け、絶対立てない筈のファーデンが堂々とした姿で直立している。


「見よ! 儂はこの通り立っておるぞ! お前が立てぬ筈が無い! 立て! そして戦うのだ! 自分に! 姫様の御為に!」


〈じぶん……に……ひめさまの……ひめさま……〉


「五、六、七、八……」


 裁判官が数を数えている。

 十数えられたらそこで負けだ。


「九……」


「くうっ! っあああああああああっ!」


 イヌイの雄叫びがこだまする。

 辛うじて『スイレン』は立ち上がった。


「ふん、あれを喰らってまだ立てるとはなぁ」


 余裕ありげに剣を振り回す『ノウゼンカズラ』からボンベルジの声が響く。


「……」


 再び剣を構える『スイレン』からイヌイの答えは無い。


 ただその気迫は今までと明らかに違っていたが、ボンベルジにはそれが分からなかった。


「これで終いだ!!」


『ノウゼンカズラ』の剣が『スイレン』めがけて振り下ろされる。


 ドスッという音と共に剣は大地を抉っていた。


「なはっ?」


『スイレン』はその場で身を僅かに逸らして『ノウゼンカズラ』の剣をかわしていた。


「あな? え? うごっ? うごけけ?」


 予想外の事に剣を地面に差したままの『ノウゼンカズラ』を見下ろす『スイレン』の剣がスッと上がる。


「おまっ? なんで?」


 間の抜けたようなボンベルジの問いに対する答えのごとく、『スイレン』の渾身の剣が振り下ろされた。


「へっぷばぁっ!」


 脳天からの直撃を受けて、『ノウゼンカズラ』が地べたにへばりつくように倒れた。


「イ、イヌイ……一本!」


 余りの凄まじい一撃に裁判官の声も震えた。


「な……なんで……どうして……」


 頭の中に疑問の言葉を渦巻かせながら剣を構えたボンベルジだが、そこで漸くイヌイの放つ異様な剣気に気が付いた。。


「う、うわっ!」


 慌てて打ち込もうとする隙を突くような下段からの斬り上げに『ノウゼンカズラ』は跳ね飛ばされて宙を舞った。


「げろっぱぁっ!」


 頭から落ちた『ノウゼンカズラ』が無様に這い回る。


「イヌイ……一本!」


 鮮やかな下段斬りに歓声が沸いた。


「まっ、待てぃ!」


 その歓声を打ち消すような声が突如響き渡った。

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