その二

 ボーブリンドの代官ガダンデ・デーマ公の使者がやって来たのはその日の午後だった。


「昨日アグハ州剣技指南役ボンベルジ殿より、当宅にファーデン・フォンディフォンが嫡子イヌイ帰郷の報せを受け取った。よって代官ガダンデ公は過日の決闘裁判のやり直しを命じられた」


「決闘裁判!?」


「期日は三日後昼刻。場所は代官所横広場。立会人は認めるが手出しは無用。出頭せぬ場合はフォンディフォン家は即刻取り潰し、士爵の地位を剥奪するものとする。以上だ」


「ま、待たれよ!」


「異議があるなら後程イヌイ殿お一人でガダンデ様に申し立てに参られよ」


 そう言い残して使者は帰っていった。


 受け取った出頭書を握りしめたイヌイが屋敷に駆け込む。


「父上! 私が王都に行ってから一体何があったのです!」


 イヌイの声はもはや悲鳴に近かった。


「……」


「ファーデン、話しては貰えませぬか?」


 押し黙ったままのファーデンにイヌイを追って入ってきたサクヤが聞いた。


「姫様……」


 観念したようにファーデンは口を開いた。


「ボンベルジは元々は当修練所の門下生でしたが、野心に富んだ男でした。二年前に叔父であるガダンデがこの地の代官に収まるとその言動益々激しく、イヌイを手篭めにしようとしたのです」


「へぇ……物好き……」


 脇で聞いていたエンが茶々を入れようとしたがイヌイに睨まれ口をつぐんだ。


「ボンベルジ以下五人がかりで襲ったのですがイヌイに返り討ちに会い、そのままボンベルジ達は逐電したのが事の始まりです」


「そいつ、弱いんだね」


「エン、お静かに」


「はぁい」


「イヌイが騎士見習いとして王都に出立する三日前の事です。ガダンデの使者がボンベルジがイヌイに求婚したところ、手向かわれた挙げ句に重傷を負わされた旨の訴えがあったとやってきました」


「そんなでたらめを……」


「当然儂はガダンデ公に直に事情を話しました。だが公はボンベルジとイヌイの魔装甲鎧による決闘裁判を命じられたのです。あやつが勝てばイヌイを嫁と認めるという条件をつけて」


「そ、そんな事が……奴が言ってたのは……」


 イヌイの身体がワナワナと震える。


「決闘裁判?」


「剣士同士の揉め事に使われる裁判の事だよ、若さま」


「決闘の日はイヌイが騎士見習いとして王国に出立する日だったのです。それを潰そうという意図は明白。私はイヌイにその事を告げずに『スイレン』を持たせて王都に送り出し、当日ガダンデ公にその事を申し出ました」


「しかし、それでは父上が決闘不履行の罪に!」


「ガダンデ公はイヌイもおらず、『スイレン』も無いと言うのであれば代わりに剣技指南役ならば生身で戦えるという証左であろうと仰せになられたのだ。儂はそうするしかなかった」


「そんな……なぜそんな……」


「全ては剣技指南役の座を欲するボンベルジと『スイレン』を欲するガダンデ公の書いた絵図だったのだ。結果、儂は剣技指南役を解かれ、謹慎の沙汰を受けた」


「それで門下生は……」


「うむ、新たにボンベルジが興した指南所に……だが、そんな事はどうでも良い」


「何故ですか! ここまで父上を侮辱されて私は!」


「黙れっ! お前は己が使命を忘れたかっ!」


「っ!」


「お前は護衛騎士としてサクヤ姫をお守りするという大事な任があるのであろうが!」


「し、しかし……」


「良いかイヌイ、ジベアに馬車を用意させる。今晩の内に街を出よ」


「父上はどうされるのですか!」


「お前が心配する事では無い! よいな!」


 そう言ったきりファーデンは目を閉じ、いくらイヌイが話しかけても答えようとはしなかった。


 暫くして思いつめた表情のイヌイは部屋を飛び出て行った。


「ギタン殿、エン。すみませんがイヌイを頼みます。恐らくガダンデ公の所に行ったのでしょう」


 その言葉に閉じていたファーデンの目が見開かれた。


「承知した」


「行こう、若さま」


 ギタンとエンもイヌイを追うように部屋を出て行った。


「ファーデン、貴方がイヌイを思う気持ちは良く分かりました。しかしイヌイも貴方の事を思っているのですよ」


「あの馬鹿者が……」


 サクヤの言葉に、ファーデンは深いため息をついて天井を見た。








 ――ガダンデ・デーマの屋敷。


 屋敷の玄関広間でイヌイは平伏していた。


 そこに禿頭ででっぷりと太った男が現れた。


「儂が代官のガダンデである。イヌイ・フォンディフォンだな」


「はっ」


「ここへ来た用向きは明日の決闘裁判に異議があると言う事か」


「はい、あのような理不尽な内容はお受けできません」


「そうか、ならば又お前の父ファーデンに代わりに出てもらうしか無いのう」


「お待ちください! 父は前回受けた打撃が元で動くこともままなりません!」


「だがファーデンは出ろと言われれば這ってでも出る。そういう男だ」


「そんな……」


「その意気や誠に賞賛に値する。だが娘はどうだ? わが身可愛さからか、あれやこれやと難癖をつけておる。それでも元剣技指南役の娘か? ファーデンも子供には恵まれなかったのう」


「私は決してわが身が可愛いからなどとは言っておりません!」


 イヌイの身体が怒りで震える。

 その様子を見たファーデンの口元が僅かに歪んだ。


「そこで儂はお前にお前の父親の名誉挽回の機会を与えようと言っておるのだ。見事お前が伝家の『スイレン』で勝利すればファーデンを剣技指南役に戻す事を約束しよう。


「……その言葉、信じてよろしいのですね」


「勿論だとも。儂はこれでも剣を志す者には畏敬の念を抱いておる。噓は言わん」


「分かりました……お受けします」


「そうかそうか。そう言えば貴公は騎士団に入った筈だが?」


「……騎士ではなく、今は一介の剣士です」


 イヌイの顔が僅かに屈辱に歪む。

 サクヤの護衛騎士であるイヌイであるが、サクヤの忍び旅という性質上、それを言う訳にはいかなかった。


「そうか、ならば儂が騎士団へ特別に推薦状を書いてやっても良いぞ?」


「推薦状をですか……」


「但し条件がある。明日の決闘裁判、貴公はその場より動くことまかりならん」


「な!? それは……」


 イヌイはガダンデの言葉の意味を理解した。

 つまりは負けろということだ。


「いいか? ボンベルジは今やお前の父親に代わってアグハ候の剣技指南役を立派に務めておられる。そこにお前が戻ってきて余計な波風を立てられても迷惑なだけなのだ」


「しかし!」


「まぁ大人になって考えてもみよ。それで貴公は晴れて騎士団入りが出来る。悪い話ではなかろう?」


「……」


「今夜一晩考えてみることだな。まぁ答えは分かっているがなぁ。下がって良いぞ」


「……失礼します」


 沈んだ面持ちのイヌイが部屋を出ると同時に別の扉からボンベルジと白装束の男が入ってきた。


「上手くいったようだね叔父さん」


「フン、親子揃って大馬鹿揃いじゃな。フォンディフォン家は」


「僕の嫁に馬鹿はないでしょぉ」


「フン、これで良いのだな?」


 ガダンデはボンベルジに構わず脇の白装束の男に尋ねた。


「無論。イヌイ・フォンディフォンは魔装甲鎧を操れぬ。着装してしまえば思うがままよ」


「そしてそれを理由に家は取り潰し。イヌイと使用人の女は僕の物っと」


「だが、油断するなよ。奴らについている男は手練れだぞ」


「分かってるよぉ。そのために良いもの貰ったんじゃないか」


 そう言ってボンベルジは懐から装飾にはまった赤い魔石を取り出した。


「!」


 いきなり白装束が窓を開け、辺りを伺う。


 窓の枠に何かが刺さっていた跡を見つけた。


「何じゃ! どうした!」


「どうやら、ネズミがうろついているようだな。御免」


 そう言って白装束は唖然としているガダンデとボンベルジを残し、窓から部屋を飛び出していった。


『遠耳鏢』と呼ばれる細い鋼線の先に付いた小さな鏢で中の様子を聞いていたエンは白装束が窓を開いた時にはそれを引き抜いて逃走に入っていた。


 屋敷脇の林を全速で駆け抜けていく。


 だが。


 〈追ってくる? 若さま以外で森をこの速さ! アイツまさか!〉


 そう思った瞬間に抜剣した白装束が林の中から踊り出て来た。


「っ!」


 エンは指の間から黒い球を四つ出すと振り向かずに白装束目掛けて投げつける。

 それはサイパで子供達に見せたものとは違い、当たれば容易に大人の腕を砕く鋼球だった。

 だが白装束は難なくかわす。


「フン! ただの子ザルでは無いな!」


 そう言うや跳躍して一気にエンとの距離を詰めた。


「くっ!」


 凄まじい速さの斬撃がエンを襲う。


 だが、キィンと甲高い音がして白装束の剣を茂みから飛び出したギタンの剣が受け止めた。


「若さま!」


「若さま!? 貴様っ!?」


「そのまま走れ!」


 ギタンの言葉にエンはそのまま全速で林の中を駆け抜け去っていく。


 だが、白装束の視線はエンでは無く、ギタンの剣に注がれていた。


「貴様! その剣は!?」


「ほう、この剣を知っているのか? お前が何者か教えてくれたら教えてやろう」


「ぬうぅ!」


 白装束が無数の剣戟を繰り出すが、ギタンはそれを全て、弾き、流していく。


 最後の一撃を利用して白装束が後ろへと飛ぶと同時に何かを地べたに投げつけた。

 途端投げたものが弾け、辺り一面が煙に包まれる。


 白装束の動く音が消えた。


 だがギタンは全く利かない視界の中で白装束の気配を探る。


 不意に煙の中から短剣がギタンめがけて打ち込まれた。

 それをかわそうとした瞬間、左後方の死角から雷速の突きが繰り出された。


 常人なら絶対にかわせないであろうその突きをギタンは体を捻りつつ、利き腕の右を外して左手だけで斬り上げる。

 同時に右手は短剣を掴んでいた。


 剣を握ったままの白装束の右腕が宙に飛ぶ。

 だが、煙の中から現れた白装束が左手で斬られた右腕を掴むとそのままギタンめがけて斬りつけ、再び煙のなかに消えた。


 避け際にギタンは右手の短剣を投げたが、そのまま気配は遠ざかり、やがて消えた。


「当たった筈だが……逃げたか」


 感心したように言ったギタンは、身を翻してエンの走り去った方向へ歩いていった。

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