第三話 故郷の街・決闘裁判
その一
――アグハ領ボーブリンド
大戦の頃は城塞都市だった名残でボーブリンドの街は長大な城壁と堀に囲まれている。
一行は城壁外の馬場で馬車を降りた。
「おひい様、時間が掛かりましたがお疲れでは?」
「平気ですよ、ギタン殿は?」
「いえ、私も何ともないですよ」
少し前まで一日中険しいホウライジュの山々を駆け回っていたギタンがこのくらいで疲れることは無い。
「はぁ~オイラクタクタだぁ。早く宿に入ってメシ食いたいよぅ」
「猿よ、主が元気なのに従者のお前がそんな様でどうする」
「だからオイラは猿じゃないってぇ! 腹ペコバテバテは関係ないよっ!」
「そういえばイヌイはここの出身でしたね」
「えっ! は……はい……」
慌てるように答えるイヌイはどことなく歯切れが悪かった。
「では、親御様にご挨拶に伺わねばなりませんね」
「そ、その必要はありません!」
「あら、どうして?」
「ひ、姫様はお忍び旅なのですよ! 軽々しく身分を明かすような真似はお慎みくださいませ!」
「イヌイ、それにしては少し声が大きいですが?」
「え! あ? ひ、ひめ……では無くおひい様!」
「あはは、どもってやんの」
「マ、猿!」
「イヌイ?」
不意に通りかかった若い剣士から声が掛かった。
「や、やっぱりイヌイか!」
「……」
イヌイは無言。
「お、お前どの面下げて戻ってきた!」
剣士はそう吐き捨てると街の方に慌てたように駆けていった。
「イヌイ、あの者を知っているのですか?」
「少々面識がある程度です。参りましょう」
イヌイは沈んだ表情のままサクヤに言った。
だが一軒の屋敷に差し掛かったとき、イヌイの顔色が一変した。
「こ、これは……どうしたことだ」
この辺りでは割と大きな屋敷だが門や庭はすっかり荒れ果て、雑草が伸び放題になっている。
見れば門の脇に何かが真っ二つに割られて打ち捨てられていた。
エンがそれを拾って読み上げる。
「なになに、フォンディフォン剣技修練場? って、これって……」
エンがそう言った時にはもうイヌイは門をくぐっていった。
「誰か! 誰かおらぬか!」
屋敷に入るとイヌイは真っ先に居間に入るが人の気配はない。
続いて寝室に入ると、寝台の上に長い白髪の男が横たわっていた。
精悍な顔だが、色は白く、やつれが顔に浮かんでいた。
「父上!」
「イヌイか……」
父上と呼ばれた男は顔も動かさずにジロリとイヌイを見据えた。
「はいっ、父上、これは一体……」
「お前、お勤めはどうしたのだ?」
「そんなことよりこの有り様は一体」
「馬鹿者!」
「ち、父上!?」
「映えある王国騎士団に入団したというのに何故戻ってきた!」
「そ、それは……」
「まさかおめおめと逃げ帰ってきたのではあるまいな?」
「そ、そんなことは断じて……」
「ならば説明して見せよ!」
そこでイヌイは父の異変に気がついた。
普段ならすっくと立って癇癪を起こす父が寝台から起き上がろうともせずピクリとも動かない。
「父上……お身体を一体どうされたのですか」
「ええい! 訪ねているのは儂だ! 答えんか!」
「私がお答えしましょう」
そう言ってサクヤが寝室に入ってきた。
「ひめ……」
姫様と思わず言いかけ慌てて口をつぐんだイヌイだったが父親にはしっかり聞かれていた。
「姫? ま、まさかこのお方は……」
「我が主、サクヤ王女殿下でございます」
その名を聞いた途端、父親は腕だけで身体を起こした。
続いてサクヤの方に向きを変え、必死の形相でひれ伏した。
「ち、父上……」
「王女殿下に置かれましてはこの様な醜態をお見せしながらのお目通り、誠にもって恥の極みなれどご尊顔を拝し光栄奉ります。私めは元帝国近衛騎士団副団長を勤めておりました、ファーデン・フォンディフォンと申します」
「サクヤです。構わぬ、楽にしなさい」
「有り難きお言葉なれど、そのようなご無礼はできませぬ故」
「父上……」
「ええい! 触るでない!」
寝かせようとしたイヌイの手をファーデンは跳ねのけた。
「ファーデンよ、私は今、国王陛下より賜った勅命で旅をしています。イヌイは私の護衛騎士として立派にその任を果たしています」
「なんと、イヌイが……娘が……王女殿下の護衛騎士に……」
その言葉と共にファーデンは感極まった表情を僅かに見せた。
「ええ、良ければ聞かせていただけませんか。この屋敷の、そしてあなたがなぜそうなったのかを」
「そ、それは……我が家の恥の問題でございます。どうか平にご容赦を」
平伏したままのファーデンの身体を支える腕はガクガクと震えている。
おくびにも出さないが相当にこの姿勢を保つのが辛いのだろう。
「……分かりました。ですが本日はここに泊まらさせていただきます。よろしいですね?」
「そっ、それは……承知いたしました、何分手入れの行き届かぬあばら家でございますが」
「構いません」
「イヌイよ、くれぐれも王女殿下に粗相の無いようにな」
「こ、心得ております父上……」
イヌイはただ力無く返事をするばかりだった。
屋敷に唯一残っていたのは使用人の中年女ジベアだけだった。
「ジベア、一体父上は何故あのように」
イヌイはファーデンを寝かせて来たジベアに早速事情を聞いた。
「旦那様からはお嬢様には決して話すなと……」
「他の使用人は? 門弟たちはどうした?」
イヌイの矢継ぎばやの問いかけにもジベアは首を振るばかりだった。
翌朝からサクヤ、ギタン、エンの三人は荒れ果てた庭を掃除していた。
「そうそう、そうやって枯れ草やゴミをそのザルに入れて」
ジベアに借りた使用人服を着て、箒で懸命に掃き掃除をするサクヤ。
当初は姫様に畏れ多いと首を振っていたジベアもサクヤの熱意に負け、一番上等な使用人服を一生懸命埃を払って出してきた。
「成る程、これが掃除なのですね」
「姫様、まぁ分かってはいるけど掃除したことは?」
「家中の者が私がいないうちに済ましてしまったので」
「だろうねぇ……あっちはどうかな?」
そう言って視線を移した先には割れた看板を直してるつもりなのだが、どうにも壊しているギタンがいた。
「あちゃあ、若様こっちの方はダメダメだねぇ」
「うーん、楽しいが難しくあるな」
「これ、一から作り直した方が早いよ、ちょっとオイラその辺で代わりのもの探してくるから、ついでにこのお屋敷の事も聞いてくるね」
そう言ってエンは庭を出ていった。
「どれ、私も手伝いましょう」
「ではこのゴミを捨ててきていただけますか?」
「承知しました」
ギタンはゴミが一杯になったかごを抱えて奥のごみ捨て場にいった。
「おい、そこの使用人」
一人掃き掃除を続けていたサクヤに乱暴な声が掛かった。
見れば六人程の若剣士がニヤニヤと下卑た笑いを浮かべている。
サクヤはちらと見るだけで再び箒を動かす。
「んん~、聞こえないのかなぁ? 女、お前に言ってるんだよ」
男の一人が声を荒げた。
「私を呼んだのでしょうか?」
「お前以外に誰がいる。というかお前誰だ? ここで何をしている」
「わたしは……」
「お前たち! 何をしている!」
屋敷からイヌイが血相を変えて飛び出してきた。
「よう、イヌイ。やっぱり帰ってきたんだな」
六人の中で一番華美な服を着た男が馴れ馴れしく言った。
「ボンベルジ……何の用だ」
「つれないなぁ、婚約者が折角会いに来てやったというのに」
その言葉にサクヤはイヌイを見たが、その表情は激しい憤りを浮かべている。
「ふざけるな! あれはお前が勝手に言いふらしていただけだろうが!」
「だから求婚の挨拶に行ったろうが」
「あれが求婚の挨拶だと! 戯言も大概にしろ!」
「ああ、お陰でひどい目にあったが俺は改めて勝負を申し込んだ。だが、お前は勝負をせずに王都に逃げた」
「私は逃げてなどいない! 一体何の話だ!」
「おかげでお前の親父は代わりに俺との勝負に出てあの様だ」
「なん……だと……」
「ふははっ、魔装甲鎧も纏わずに挑んで来たから腰骨を打ち砕いてくれたわ!」
ボンベルジの笑いに周囲の男達の笑いが重なる。
「そんな……何故父上が……」
「その様子じゃ知らなかったのか。まぁ結果謹慎蟄居の沙汰が出て、聖魔導士の治癒も受けられずに一人引きこもってるらしいからなぁ。家人も門下も愛想尽かして出ていっちまったし」
あーっはっはっは。
ゲラゲラゲラ。
ボンベルジ達の嘲笑がイヌイを打つ。
イヌイはキュッと唇を噛んで耐えている。
「さて、折角の再会だ。こんなしけた所じゃなく俺の屋敷でパァとやろうぜ」
「ボンベルジ様は今や領主様の剣技指南役ですからねぇ」
「この使用人も見れば大層な器量だな、よし、お前も来い……」
ボンベルジがサクヤの手を掴んだ。
「お……!」
だが次の瞬間ボンベルジの身体がきりもみしながら宙に舞い、地面に打ち付けられた。
「ゲハァッ!?」
サクヤが逆に投げ飛ばしたのだ。
「きっ、ききき貴様ぁ! お、俺を誰だと思ってる! け、剣術指南役のボンベルジ・バラガだぞ!」
「あら、それにしては意図も簡単に投げ飛ばされましてね?」
「な、なんだと!」
「おい女! 今すぐ手をついてボンベルジ様にお詫びしろ!」
「お断りします」
「このアマっ! 謝れってんだ!」
そう叫んでサクヤの首根っこを掴もうとした男が宙に浮いた。
「あ?」
いつの間にか背後に回ったギタンが逆に男の首根っこを掴んでいた。
「な! 何しやがる!」
「何って、お前がしようとしていた事だよ」
そう言ってギタンは軽々と男を放り投げた。
「こ、この野郎! 俺にこんな真似してただで済むと思うなよ! おいっ! 帰るぞ!」
ボンベルジたちは捨てぜりふを吐くと、ほうほうの体で帰っていった。
「ひ、姫様……申し訳ございません……ギタン殿も……済まなかった……」
意気消沈したイヌイが深々と二人に頭を下げる。
「ただいま~って何かあったのかい?」
そこへ板を抱えたエンが戻ってきた。
「イヌイ、あの者とは何があったのです?」
「昔の知り合いです。大した事ではありません」
「それにしてはただ事とは思えませんが」
「どしたの?」
その場の重苦しい雰囲気にエンは困惑気味にギタンに訊ねた。
「ゴミ掃除という奴だな」
ギタンはやれやれという表情でエンに言った。
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