その三

 ギタン自身も何が起こったのか分からなかった。


『ハナズオウ』の猛攻を捌きながらもギタンは押し寄せる騎士アリを斬り飛ばしていた。


 だがいかんせん数が違い過ぎる。

 このままではいずれサクヤも襲われるだろう。


 そう思った途端、ぞっとするような喪失感がギタンの身体を突き抜けた。


〈何だ……これは……〉


 ギタンにはそれが何かは分かっていない。

 ただ、自分の中でサクヤは失ってはいけない人ということは認識できた。


〈だが……どうする? どうすれば……〉


 頭の中をその言葉が駆け巡る。


 ――仕方ないのう……少し手を貸してやるか……


 不意に頭の中に女の声が響いた。


〈誰だ?〉


 ――誰? ん~、お主が纏っている『リュウキ』……おっと、今は『リンドウ』じゃったか。それの……うむ、意思じゃ……


〈意思?〉


 若いが妙に言葉遣いが年よりじみた物言いに思わずギタンは聞き返した。


 ――まぁそんなことはどうでもよい。一時だけじゃが、この鎧の真の力を解放してやろう。心して使えよ?


 途端に『リンドウ』に喰らいついていた騎士アリの顎が消えていく。

 よく見ると『リンドウ』の表面装甲、その漆黒がまるで雲海のように揺らめいている。

 それに触れた部分が瞬時に消滅していた。


〈一体……これは……?〉


 ギタンの疑問を余所に『リンドウ』は次々と騎士アリを呑み込む様に消し去っていく。

 目前の白装束の纏っている『ハナズオウ』が悲鳴のような雄叫びを上げて群がっていた騎士アリを振り解くと共に斬撃を送ってきた。


 だが、確かに斬ったはずの大剣が虚しく空を斬る。

『リンドウ』を斬ったはずの剣身が丸ごと消失していた。


〈や、やはりこの鎧は……〉


 大部分が消失した剣を握ったまま『ハナズオウ』を纏ったフィモスは呆然と立ち尽くしていた。


 今や『リンドウ』の漆黒は霞の如くその身を包み、触れた騎士アリを次々と消し去っていく。

 その中で紅い瞳が不気味なほどに光を放っていた。


「ギィシャアアアアアアアアアアアアアッ!!」


 死を覚悟したフィモスの背後で巨大な咆哮が響いた。


 女王アリの背中からバリバリと音を立てて羽根が生えていく。

 それに呼応して残った騎士アリたちの背中からも羽根が生えていった。


「巣を……見捨てる!?」


 キギスの声にサクヤはハッとした。


「地上に出る気!?」


 女王アリは崩落でできた縦穴を這い上がり始めた。

 羽根で飛ぶには縦穴は狭すぎ、尚且つ羽根自体も出来たばかりでまだ使えそうにもない。


 女王アリを追って騎士アリたちも猛然とした勢いで縦穴を這い上がっていく。


「いけません! このままでは!」


 地上にも相当の被害が出るだろう。


 不意に『リンドウ』の背中が二つに開き、紫の光を放ち始めた。


「ギタン……これは……」


「どうやら飛べるらしい。二人とも掴まってくれ」


『リンドウ』からギタンの声が響く。

 先程まで煙っていた漆黒の靄はすっかり収まっていた。


「ギタン、あの者は連れていけそうですか?』


 サクヤの視線の先に膝をついてうなだれている『ハナズオウ』があった。


「魔装甲鎧が無ければ……だが良いのか?」


 それには答えずサクヤは『ハナズオウ』に歩みよった。


「フィモス・ディムオン、解装して私共と地上に出るのです」


「し、しかし……私は……姫様を……」


「時間がありません。早くしなさい」


「姫様……私は……」


「フィモス! 私に忠義を尽くすと言ったあの時の言葉は偽りだったのですか!」


 鞭にも似た鋭さの言葉がフィモスを打った。


「! ちっ、違います! しかし!」


「今は命を狙った理由は問いません。ですがお前はその事に負けるような者に忠義を尽くそうとしたのですか?」


「……」


 その言葉に解装された『ハナズオウ』から憔悴した顔の美麗な森人族の男が姿を現した。


「今は地上の民を護るため、一人でも多くの力が必要なのです。貴方も王国の未来を想う者ならば今だけでも私に力を貸して下さい」


「……ははっ」


 フィモスは跪いて応えた。


〈姫様はあの時の言葉を覚えていてくださった……〉


 先程までの冷たい敗北感は消え失せ、熱い滾りがフィモスの心を満たしていた。





 ――アガタ城々下


 地下蔵を突破したイヌイ達を待ち受けていたのは、領主であるホーメイア自身が指揮する兵士達だった。


「貴様らの狼藉もここまでだ! 大人しく地下に戻れば命だけは助けてやろう」


 自らも華美な鎧を着込んだホーメイアの声が響き渡る。


「ホーメイア候! この地下で行われている無法は既に明白! これは王国に対する反逆に等しいぞ!」


 イヌイの声にホーメイアの顔が歪んだ。


「ハァーッハッハッハ! 反逆だと? これはレルガ大老の指示によるものぞ! 反逆などでは無いわ!」


「レルガ大老だと! 馬鹿な!」


「私の行っている事こそが王国の正義! 姫様の稚技にこれ以上お付き合いいたす義理などないわ!」


「おのれっ! 姫様の為さりごとを稚技とは不敬にも程がある!」


「最早、語る口はもたん! 戻らぬというのならやって……」


 そこでホーメイアの口上は途切れた。


 ホーメイアの眼前、イヌイ達の背後にそびえるアガタ城の上部の屋根が爆発したかの如く轟音を立てて吹き飛んだ。


「な、なんだ!」


 その音に振り返ったイヌイの目に巨大な女王アリが城から這い出てくる様が映った。


「あ……あれは……」


「わ、儂の城がぁーっ!」


 ホーメイアの悲鳴が上がると同時に女王アリの足元からワラワラと騎士アリが這い出してきた。


「こ、これは一体……」



「な、何をしている! アリどもを! どうにかせんか!」


 声を裏返しながらホーメイアが兵士達に叫ぶ。

 しかし、突然の出来事に兵士達は呆然としたままだ。


「マズいよヌイヌイ! アイツらが城下に入ったら……」


 イヌイの脇にブンデと共にいたエンが叫んだ時だった。


 アガタ城の別の部分が崩れ、何かが飛び出してきた。


「今度はなんだぁー!」


 ホーメイアの悲鳴が再び響く中、イヌイとエンはそれを見て喜色を浮かべた。


「姫様!」


「若さま!」


 それは紫の光を放ちながら『オウカ』と『シュンラン』、そしてフィモスを抱えた『リンドウ』だった。



 フワリと降り立った『リンドウ』にイヌイ達が駆け寄る。



「姫様! ご無事で! ……この男は……」


 イヌイは脇でうなだれているフィモスに怪訝な視線を送る。


「話は後です。あの女王アリたちが街へ出れば大変な事になります」


「しかし、あの数では……」


 イヌイがそう言う間にも次々と騎士アリが城から湧き出してくる。


「王国の兵よ! 聞きなさい!」


『オウカ』の兜を外して顔を露にしたサクヤが声を張り上げた。

 アリの湧き出る様を呆然と見ていた兵たちの視線が『オウカ』に注がれる。


「あれは……花吹雪の魔装甲鎧」


「サクヤ姫様じゃないか……」


 兵たちの間にどよめきが起こる。


「今、地下にいた女王アリたちが地上に出ようとしています。街に出ればその被害は図り知れません! 第一王女サクヤ・ハレイシュ・リ・オウレンザルカが命じます! ハガネアリの羽根が乾いて飛び立つ前に一匹残らず駆逐してください!」


 サクヤの凛とした声が文字通り兵士達の身体を、そして心を突き抜けた。

 次の瞬間、生身の兵士も、魔装甲鎧を纏った兵も一斉に剣を掲げた。


「我らオウレンザルカの剣たる者! サクヤ姫様の御名の元、一身命を賭して敵を屠らん!」


 そして怒号を響かせて、兵士達は騎士アリたちの群れに向かって行く。


「冒険者の皆さん! 私からのお願いです! 皆さんもどうか力を貸してください!」


「やらいでか!」


「姫様の頼みだ!」


 冒険者達やブンデ達山巧族の銘匠達も気勢をあげて騎士アリ達に立ち向かう。


「ギタン、イヌイ、エン、キギス、それにフィモス。あなた達も頼みますよ」


「承知」


「な? 姫様、今ギタンと……それにキギス殿? それにコイツは?」


 イヌイは情報量の多さに混乱した。

 取り分けサクヤがギタンと親愛を込めた口調で呼び捨てているのが問題のようだ。


「任せてくれ」


「お任せください、姫様」


「はっ! 装喚! 『ハナズオウ』!」


 三体の魔装甲鎧も騎士アリの群れに向かって行く。


「い、一体何がどうなっているのだ……」


「ヌイヌイも早く行きなよ~」


 唖然とするイヌイにエンが言った。


「わ、分かっている!」


 慌てて『スイレン』も剣をかざして駆けていく。



「さぁて、迷宮内じゃ遠慮してたけど、ここなら!」


 背中から二問の大型魔導筒を展開した『シュンラン』からキギスの楽しそうな声が響く。


「速射魔導銃!」


 魔導筒の先端に展開された魔法陣から次々と火弾が撃ちだされ、次々と騎士アリを撃ちぬいていく。


「強撃魔導砲! 発射!」


 ボキュっという音と共に魔導筒から炎弾が射出され、轟音と共に数十匹の騎士アリを巻き込んで大爆発を起こす。


「うふっ、うふふふふっ」


『シュンラン』の中からキギスの嬉し楽しそうな笑いが漏れ響いてくる。


「はえ~、キギスさんってああいう性格だったのか……っておっとぉ」


 楽しそうに乱射するキギスを唖然として見ていたエンが不意に後ろの方に指に挟んでいた黒玉を投げた。


「ほげぇっ!」


 それは混乱に乗じて逃げようとしたホーメイアに当たった。


「へへへっ、逃がさないよっ!」


 奇怪な悲鳴をあげて昏倒したホーメイアをエンは手早く縛り上げる。


 突如辺りにヴヴヴヴヴヴヴヴヴと轟音が響いた。

 女王アリが羽根を羽ばたかせて飛ぶ体制に入った。

 同じように飛べるように騎士アリたちも続こうとしている。


「いけない! ギタン!」


 サクヤは次々と騎士アリを倒し、消し去っているギタンに叫ぶ。

 その声を受けて『リンドウ』が腕を横に広げる。


『リンドウ』の前に三つの巨大な黒い魔法陣が浮かんだ。


「ギィィィシャアアアアアアッ!」


 飛び立ち始めた女王アリが何かを感じて恐怖の悲鳴をあげた。


「『負の滅光デ・バスター』」


 確かにサクヤは『リンドウ』からその声が、ギタンではない声が響いたのを聞いた。


 直後、三つの魔法陣から黒い光が迸り出た。


 それは重なり合うと一つの巨大な奔流となって飛び立った騎士アリたちを呑み込んでいく。

 さらに女王アリに直撃すると、その上半身を消し去って空の彼方に消えていった。


 直後に『リンドウ』が力を使い果たしたかのようにギタンを残して霞んで消えた。

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