その三
――オルダワリデ本城、中央大宮殿大広間。
前日に引き続き、エルドリオを除く五大国の王達に、中小国の元首、そして諸侯更には一般の市民が固唾を飲んで世紀の一番が始まるのを待っていた。
広間の周囲には魔導防壁と呼ばれる強大な魔法結界を巡らす呪紋の施された壁で覆われ、万が一にも戦闘の余波が外部に漏れないよう、厳重な策が講じられている。
その中央に今回の審判役たる『裁き』のセティレイカが立っていた。
「では、これよりエルドリオとオウレンザルカの奉納天覧試合を執り行う。両者前へ」
その声と共に東南の入口からギタンとミイツが姿を現した。
おおぅと会場からどよめきが起こる。
ギタンの姿は黒の戦闘礼服と呼ばれる物で騎士が甲冑の下に着こむものだ。
対するミイツ王子も純白の戦闘礼装だが、王家の者らしく金糸の装飾に飾られている。
歩みを進めた両者はセティレイカを挟んで対峙した。
「両者、この勝負によって力を尽くし、禍根を残さぬこと。いいね?」
「承知」
「承知」
二人は同時に頷いた。
「ふむ、ギタンとやら。少々顔色が優れぬようだが?」
「……問題ありません」
「そうか」
そのギタンとセティレイカのやり取りを内心ほくそえみながらもミイツは涼やかな笑顔で聞き流した。
〈やはり『ヤカツ』の毒の影響は残っていると見える〉
ベルグドもオルザも昨晩からぷっつりと消息が途絶え、ミイツはまんじりともしない夜を過ごしたが、歩いてくるギタンの様子を見て確信した。
〈しかし……『ヤカツ』の毒で何故死なない……まぁこの状態なら……〉
「ギタンとやら。天帝様ご観覧の天覧試合である以上、例え貴殿が不調であっても全力で当たらせてもらうがよろしいな?」
「……委細承知」
〈ふん、事前に昨晩の事を騒ぎ立てなかったのは感心だな〉
特任群はミイツの随行員としては一切登録されていない。
『キョウチクトウ』も特任群専用で一般には公表されておらず、万が一にもエルドリオとのつながりが露見する恐れはなかった。
「それでは両者! 装喚せよ!」
セティレイカの声とともに二人が魔装石を構えた。
ギタンは黒き魔装石。
対するミイツは白く光る魔装石。
「装喚! 『リンドウ』!」
「装喚! 『ヤカツ』!」
黒と紫の魔法陣からそれぞれ魔装甲鎧が現れ、二人に纏わりついていく。
漆黒の『リンドウ』に対し、白亜に輝く『ヤカツ』。
その意匠は明らかに『リンドウ』と同系統の物。
だが『リンドウ』に比べ、背面六本の巨大な突起物が否が応でも目を引く。
「あれが……『ヤカツ』」
ギタンの後方の入口で、イヌイが息を飲んだ。
「オ……オイラも初めて見るけど……」
エンもその先の言葉が継げない。
その姿は余りにも圧倒的に見えたからだ。
トンとセティレイカが地をけると高々と後方に跳ね飛んで距離をとる。
「両者、始め!」
その声と共に『ヤカツ』が肩部の大剣を構え、『リンドウ』の両腕から漆黒の剣が伸びた。
『ヤカツ』の背部にある六本の突起から紫の光が噴出し、文字通り滑るように『リンドウ』に迫る。
「あれは!」
イヌイがそう言ったのと同時に大きく振りかぶった『ヤカツ』の大剣が『リンドウ』を打つ。
『リンドウ』は辛うじてそれを受け止めた。
「わ、若さま! やっぱりまだ調子が戻ってない!」
ギタンの動きにいつものキレが全く無い。
「くっ」
エンの言葉にイヌイが歯噛みする。
サクヤの身を挺しての介抱も、ギタンを復調させるには至らなかった。
〈ギタン殿……姫様を……救ってくれ!〉
イヌイは自分の思いをギタンに向ける。
だが、『リンドウ』は次々と打ち込まれる『ヤカツ』の猛打を凌ぐので精一杯に見えた。
「どうしたどうした! そんな程度か!」
『リンドウ』の様を見て心に余裕ができたのか、天帝の前にも関わらず、ミイツの口調が荒くなる。
はからずもミイツの本性が露になった形だが、本人は全く気がついていなかった。
「これで終わりにしてくれる!」
『ヤカツ』から響くミイツの声と共に蜘蛛や蟹の脚にも似た槍節椀と呼ばれる背面の突起が伸長すると前面に伸びる。
「喰らえ!」
六本の突起が次々と『リンドウ』を襲う。
「っ!」
紫の光を噴きながら有り得ない機動で『リンドウ』が辛うじてそれを避ける。
「甘いなぁっ!」
槍節腕自体から噴き出る魔導力で『ヤカツ』はそれ以上の機動を掛けて『リンドウ』に打突を撃ち続け、避け続ける間合いが徐々に狭くなっていく。
「わ……若さま……このままじゃ……」
事実『リンドウ』、ギタンには何時もの動きのキレがない。
そして少しでもギタンの身体に『ヤカツ』の攻撃が届けば、ダンガがいない今、ギタンの死は確実だ。
「姫様……」
イヌイが諸侯の席に座るサクヤを見てハッとした。
サクヤは静かに、そして真っすぐに、ギタンだけを見据えている。
その瞳には信頼と……。
「いい加減観念しろっ!」
嬲る快感に酔うミイツの叫びと共に『ヤカツ』が宙に飛ぶ。
紫の光が花のように散り開くと『リンドウ』目掛けて反転降下する。
「取ったぁ!」
槍節腕の一本が『リンドウ』の腹部に直撃する。
だが、それは背部には突出していない。
『リンドウ』表面の漆黒、暗黒物質と呼ばれるものが瞬時に消滅させていた。
「掛かったなぁ」
『ヤカツ』の中のミイツの表情に会心の笑みが浮かぶ。
同時に槍節腕から一瞬紫の光が浮かぶと猛烈な爆発と共に『リンドウ』を吹き飛ばした。
「若さまぁっ!」
「ギタン殿っ!」
エンとイヌイの悲鳴の中、砲弾並みの速さで弾かれた『リンドウ』が魔導障壁にぶち当たり、地面に落ちた。
……ギタン……ギタン……
何処かで呼ぶ声がする。
白い闇の中に立つギタンの目の前に巨大な黄金色の山が浮かんだ。
爺……爺じゃないか……何だその姿は……
よく見ればそれは山などではなく、とてつもなく巨大な黄金の竜だった。
ギタン……しばしの別れの時がきた……
別れ? どういうことだ? 竜は不死なのだろう?
その通り……だが古き衣を捨て、新たな身体を得るために長き眠りに入らねばならん……
そうか……ならば私はその間爺の元にいよう。
……ギタン……お前にはやらねばならぬ事がある。
やらねばならぬこと?
ここより遥か東の地にあるエルドリオに赴き、己の出自を確かめてくるのだ……
出自? その様な事に興味はない。私は爺と一緒にいるよ。
……聞き分けよギタン……これはお前をこの地に連れてきた者との約定なのだ。竜は約定を違えぬのはお前も知っていよう……
ああ、だが私は竜ではないよ。
だが竜の長たる我の血を飲み続けたお前は最早只人族で一番竜人族に近い者だ……
だから約定を守れというのか……分かったよ爺……。
表情は変わらずとも黄金竜は笑ったようにギタンには見えた。
では……しばしの別れだ……ギタンよ……
目の前の黄金色の山が一瞬で灰色となり崩れていく。
爺っ!
そこでギタンは目を覚ました。
目の前にサクヤの寝顔があった。
〈ここは……一体私は……〉
見渡すとどこかの部屋のようだ。
エンの父との戦いの中、腹に傷を負った。
その後が酷くぼんやりとして思い出せなかった。
「サクヤ……」
「う……あ……っ! ギタン! 目が覚めたのですね! 身体は!」
「私は……一体」
「貴方は刺客の毒を受けて死にかけたのです」
「私が? 毒を?」
「はい、極めて強力な魔法の毒で、本来なら即座に死に至る物だそうです」
「それがなぜ……」
「ダンガ殿の魔法で治癒して頂いたのですが、暫くは身体に影響が残ると……」
「そうか……ダンガ殿が……」
ギタンは自分もだが一緒にいたサクヤも服を着ていないことに気が付いた。
「どうしてサクヤは?」
「それは……ギタンが余りにも震えてうなされていたので……こうするのが良いとキギスが……」
「温めてくれたのか」
朱くなって俯いたサクヤはそのままコクリと頷いた。
ギタンは右手を数回握っては開く。
まだ痺れは抜けていない。
おそらくは毒の影響というより今だに身体が再生しているからだろう。
「大丈夫だ。おかげで戦える」
そう言ったギタンの手をサクヤの両手が包んだ。
「良いのです……もう、良いのですギタン……」
「?」
サクヤの腕がギタンの腕をつたい、その背中を抱く。
「やはり私が間違っていました。貴方を巻き込むべきでは無かったのです」
「サクヤ……」
サクヤの双眸から涙が零れ、ギタンの胸元を濡らす。
「昨晩、貴方が倒れて私は思い知りました。一番失いたくない、失ってはいけない人。それはギタン……貴方なのだと」
「……」
「これから私は天帝様に試合の棄権を訴えます。だから……ギタンはここにいてください」
「だめだ」
「え?」
「そうなればサクヤは自らの命を絶つ。そうだろう?」
「……」
サクヤは答えられなかった。
謀略にまみれ、実の父にすら命を狙われるような婚儀で、何よりもギタンを失うのであれば、天帝に洗いざらい打ち明けて死のう。
滾々と眠るギタンに縋りながら、サクヤは覚悟をそう決めていた。
ギタンの震える手がそれでも優しくサクヤの髪を撫でた。
「私にも失いたくない人がいる。……だから戦う」
「ギタン……」
どちらからでもなく二人の唇が重なった。
「必ず……守ってみせる」
「はい、この命……貴方に託します……ギタン」
〈これ、寝こけておる場合か?〉
聞き覚えのある声が頭に響き、ギタンは我に返った。
時間にすればほんの一瞬だが、気を失ったようだ。
〈ふむ、爆砕爪を使うとはなぁ〉
〈爆砕爪?〉
〈あの『ヤカツ』はな、この『リンドウ』を討つためにセティレイカが作らせた代物よ〉
〈どういう事だ?〉
〈長々説明している暇は無いぞ? 爆砕爪の衝撃破は『リンドウ』の表面を覆う暗黒物質の装甲を突き抜けるのじゃ。まともに喰らえば厄介じゃぞ?〉
〈衝撃波とはなんだ?〉
〈それは……なんだ……我も良くは知らぬわ。とにかく爆発の際にお主も身体に受けたであろう? あれじゃ〉
〈……要はあれが爆ぜた時に出るのだな〉
〈そういう事じゃ。何か思いついたようじゃのう〉
〈ああ、あの力、使えるか?〉
〈元よりあの時のままじゃが、負の滅光は使うでないぞ?〉
〈分かっている〉
「フン、やはりその鎧、伝説の「リュウキ」だったか」
煙を吹いて動きを止めたままの『リンドウ』に、勝利を確信したミイツがゆっくりと近づく。
「かつてこのオルダワリデ山の中腹を一瞬で抉り取ったといわれ、その余りの強大さに天帝様自ら封印したとされる幻の魔装甲鎧。だがなぁ、この『ヤカツ』は『リュウキ』を討つために拵えたものよ」
「……」
「何故貴様がそれを持っているかは知らぬし、知りたいとも思わん。どの道ここで死ぬのだからな。これで、邪魔者は片付き、オウレンザルカはエルドリオに併合される。めでたしめでたしだ」
その言葉を聞いた『リンドウ』がノロノロと立ち上がる。
「ほう、まだ立ち上がる気力が残っていたか。どうやら竜の力を得ているのは確かのようだが、それもここまでだ。大人しく討たれれば楽に死なせてやるぞ?」
だが、ミイツの本心は逆の事を考えていた。
〈ここまで手こずらせてくれたのだ。魔装甲鎧を剥がしてゆっくりとなぶり殺しにしてくれるわ〉
もはや天帝を始め諸侯達や民衆が見ていることなどミイツの頭からは綺麗に飛んでいた。
「こと……わる……」
『リンドウ』からギタンの声が響いた。
「そうかい! ならばとどめだ!」
『ヤカツ』の残り五本の槍節腕が握り潰さんばかりに次々と『リンドウ』に突き刺さる。
『リンドウ』の装甲表面の暗黒物質が波打ち、槍節腕を消し去っていく。
「無駄だというのに!」
先程の物より遥かに大規模な爆発が続けざまに巻き起こり、防御されている筈の大広間はおろか中央大宮殿自体が大きく揺れた。
「わかさまああっ!」
「ギタン殿ぉっ!」
エンとイヌイの悲鳴がサクヤの耳を打つ。
だが、サクヤは変わらずじっと爆炎を見つめたまま。
「フッ……フフフッ……フアハァハハハハハ! ちとやり過ぎたようだなぁ!」
〈五発の爆砕爪を一点集中させたのだ。跡形もなく吹き取んで……〉
勝利を確信して笑うミイツの目の前の爆炎が突如黒く染まっていく。
「なぁ!?」
それはあたかも爆砕爪の爆炎を漆黒の炎が喰らいつくしているようだ。
「な、なんだ……何が……」
そう呟くミイツの眼前、黒い爆炎の中から紅い光が『ヤカツ』を射貫くかの如く光った。
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