その四

 紅い爆炎を呑み込む様に黒い爆炎が沸き広がる。


「い、一体これは?」


 驚くミイツの視線の先、黒い爆炎の中から『リンドウ』が無傷で姿を現した。


「き、貴様……一体何をした!」


 五発の爆砕爪を一度に、それも一点集中で受ければその身体は衝撃波によって魔装甲鎧の中でグズグズになっている筈だった。


 ミイツの声の答え代わりにか、『リンドウ』の装甲表面の漆黒が湧き上がるなり、霧となって『ヤカツ』を襲うように包み込む。


「な、何だ! これはっ!」


 紫の光を放ちながら再生しかけていた爆砕爪が霧に触れた途端、崩壊するように霧散する。


「うっ! うわぁぁぁっ!」


 悲鳴をあげながらミイツは後方に下がった。


「そんな! 『リュウキ』があんな真似が出来るなど聞いて無いぞ!」


 伝説の魔装甲鎧『リュウキ』。

 その表面を覆う漆黒は闇魔法で生成された暗黒物質で、全ての物を消滅させる。

 だが『リュウキ』のそれは放射されて周囲を消滅させるものの、自在に形を変容させる事は出来ない筈だった。


 ギタンは咄嗟の機転で黒い霧を爆砕爪の爆発に同調させるように『爆発』させ、その衝撃波を相殺した。


「おーい、助け舟出しちゃ駄目だろうが」


 その様を見ていた天帝が自らの脇に並ぶ女の一人、小柄な黒髪の少女に声を掛けた。


「我は別に何もしてはおらぬぞ? あ奴は『リンドウ』を立派に使いこなしておる。親爺殿の血を飲んでおるのだ。その位はできよう?」


 挑発的に竜の如き金色の瞳を天帝に向けて少女はしれっと言って笑った。


「そうかい」


 天帝はそう言っただけで視線を『リンドウ』と『ヤカツ』に戻す。

『リンドウ』から湧き出た黒い霧は再びその装甲に吸い込まれるように戻っていく。


『ヤカツ』が残された剣を構えると、呼応して『リンドウ』の纏う黒い霧が剣の形を成した。


「ぬあああああっ!」


 ミイツの雄叫びと共に『ヤカツ』の剣の剣身が紫の光を帯び、『リンドウ』に襲い掛かる。


 上段から振り下ろされた『ヤカツ』の剣と下段から摺り上げた『リンドウ』の剣が噛みあい閃光が走った。


「まだだ! この剣も『リュウキ』の闇装甲を打ち破る力がある! 爆砕爪が無くても!」


 剣技であればミイツは負ける気は無かった。

 少なくともギタンの動きは素人同然。

 ただ反応が並の者よりずば抜けて良い。

 それだけに思えていた。


〈しかも『ヤカツ』の毒で鈍っている! そんな者に負けるかよ!〉


 そう思った矢先、『リンドウ』の姿が朧げに霞んでいく。


〈なんだ!〉


 そう思った瞬間、凄まじい衝撃が『ヤカツ』を襲い、ミイツは宙に巻き上げられた。


「ガハァッ!」


 地に叩きつけられたもののすぐに身を翻して立ち上がったミイツだが、またしても朧げな残像の如き『リンドウ』が一瞬視界に入った途端、衝撃を受けて地に転がる。


〈何だ! 何がどうした!〉


 それはギタンと対峙した時にダンガが使った『雲雀の捌き』と呼ばれる足捌き。

 見えない筈のその動きをギタンは不完全ながら使ったのだった。


「ほう……」


 見ていた天帝が思わず破顔した。


「嬉しそうですね?」


 隣に座る豊かに流れる輝かんばかりの金髪の女が柔らかに聞いた。


「そりゃぁそうだろ、見ただけでアレを使ったんだぞ?」


 滑るように不規則な軌道をなぞりながら繰り出す『リンドウ』の剣戟に、『ヤカツ』は全く反応出来ずに棒立ち状態になった。


「何故だ! 何故だ! 何故だ! 何故だ! 何故だ! 何故だ!」


 為すすべなく打ち据えられていく『ヤカツ』の中で、ミイツの悲鳴にも似た叫びが警報さながらに響き渡る。


 母親の企て通りに邪魔な父王を封じ、上の王子たちを亡き者にして王位をほぼ手中に収めた。

 オウレンザルカを併合すればもはや異議を唱える者もいない。

 それが……。


「こんなはずじゃ! こんなはずじゃ! こんなはずじゃああああっ!」


 必死に反撃の剣を振るが、滑稽なほど虚しく宙を斬るだけだった。


「ヒィッ!」


 眼前に現れた紅く瞳を輝かした『リンドウ』が担ぐように構えていた剣を振り下ろし、ミイツが甲高い悲鳴をあげた。


 観衆がどよめいた。


『リンドウ』の剣は今まさに『ヤカツ』に斬り込もうとした瞬間、その形を崩して霧となって『ヤカツ』を斬りぬけた。


 その衝撃で『ヤカツ』は装甲の各部を崩壊させながら吹き飛ばされ、地に墜ちた。


 どよめいた場内が一転水を打ったように静まり返る。


「がはぁっ!」


 ボロボロになった『ヤカツ』の中からミイツが這い出てきた。


 途端に目の前で魔装核が粉微塵に砕け散った。


「そんな……『ヤカツ』が……」


 六公の魔装甲鎧の中でも最強と謳われた『ヤカツ』。

 だがギタンの『リンドウ』はそれを退けた。



「そこまで! この勝負、ギタンの勝利!」


 セティレイカの声が響くが、大広間は静まり返ったまま。


 パンパンパンと手を打つ音が響いた。


「うむ、両者見事な戦いぶりだった」


 大広間に響く天帝の声に、場内が堰を切ったように割れんばかりの拍手と歓声を勝者であるギタンに送る。



 見上げたミイツの視線に先で、『リンドウ』を解装したギタンが姿を現した。

 歓声に応えるでもなく、静かにミイツを見下ろしている。


「何故……殺さなかった」


 ギタンは寸前で剣を霧化させ、魔装甲鎧を構成する核である魔装石だけを打った。


 対してミイツ自身はギタンを初手から殺すつもりでいた。

 だが、ギタンの不調の様子を見て心に傲りという隙が生まれた。


 もし初手から爆砕爪を全部使っていれば、勝者はミイツだっただろう。


「これは天覧試合だからな」


 そう口にしたギタンの目にはミイツの姿は映っていない。


「……後悔するぞ」


 対して憎悪の光を目に滾らせたミイツの精一杯の負け惜しみには答えず、ギタンは天帝に向かって一礼した。


 身を起こした先の視線には涙を流して微笑むサクヤの姿。


 初めてギタンの顔に笑みが浮かんだ。






 翌日。


 オルダワリデの街中を勇壮なオウレンザルカ兵の隊列が進む。


 観衆が見送る中、成人のお披露目を終えたサクヤ姫が帰国の途に着くのだ。

 王都までの道中領地を巡視しての旅である。


 壮麗な輿に乗ったサクヤ姫が民衆に手を振る。


「あ~あ、行っちゃったね」


 遠目に行列をギタンと共に見送っていたエンが呟く。


「そうだな」


 サクヤとミイツの婚儀は白紙となり、ミイツは昨晩の内に浮遊船でエルドリオへ逃げるように帰っていった。

 オウレンザルカ支城を襲った賊の件は、唯一の生存者で今はオウレンザルカの保護下にあるオザルが昏睡状態の為にエルドリオとのつながりは証明できず、不問となった。


「ねぇ若さまぁ、本当に良かったのかい?」


「サクヤは勤めがあるのだろ?」


「そうだけどさぁ……」


「またいつか会える。それで良いではないか」


「う~ん」


「さぁ、私達も行こう」


「それなんだけどさ、本当に……オイラ一緒に行ってもいいのかい?」


「当然だろう。エンは私の従者だ。これからもな」


 その言葉を聞いたエンの顔がパァッと輝いた。


「エヘヘ、やっぱり若さまは若さまだ。うん、オイラ張り切って案内するよ」


 行列とは反対側、エルドリオに続く道を二人は歩き始める。


「置いてけぼりはひどいじゃないですか」


 そう言って木陰から人影が出て来た。


「サ! サク……」


 それはすっかり旅装で身を固めたサクヤだった。


「しーっ、エン。今の私は織物商の娘、サクラですよ?」


「ど、どうして? だって、アレ」


 心底驚いた顔でエンは今は遠く小さくなった行列を指さす。


「うふふ」


「ま、まさか……」





「うう……こんな窮屈なのいやぁ!」


『サクヤ姫』の乗った輿の中から悲鳴が響く。


「こら、姫様はその様な品の無い話し方は為さらぬぞ」


 輿を騎馬で先導する騎士姿のフィモスから厳しい叱責が飛んだ。


「ひぃぃっ!」


 髪まで染めてサクヤに扮したハビュラがその声だけで輿の壁にへばりつくように恐れおののいた。


「姉御ぉ、諦めましょうや」


「そうそう、無事勤めあげれば無罪放免なんですから」


 脇の二人、スケルブとカクゲリーが諦め半分のぼやき声で言った。


 静かになった輿に満足したようにフィモスは頷くと空を見上げた。


〈姫様、お留守はこのフィモスが護ります故、お心置きなく……〉




「フィモスが捕らえたあの偽者に、私の身代わりをしてもらったのです」


「はぁ~」


「しかし、いいのか?」


「ええ、父王にはほとほと愛想が尽きたので王籍を抜いて下さいと直談判したのですが、レルガと二人で泣いて引き留めるので暫くは諸国を視察するという次第で手を打ちました」


「姫様怖いなぁ……」


「当然です。いくら国のためとはいえ、実の娘を手に掛けようなど、これでも手ぬるいと思います」


「まぁそりゃあそうだけどさぁ」


 お披露目の日を境にサクヤは何処となく変わった。

 エンには何となく察しがついてはいたが。


「そういう次第ですので、私もギタンと一緒にエルドリオに参ります」


「良いのかい、エルドリオに入ったら……」


 他国であるエルドリオではサクヤの身分など何の保証にもならない。


「問題ありません。ギタンもそうだったではないですか」


「そりゃあ、若さまは……」


 竜の血を飲んで得た超人的な能力がある。


「だから、いや、勿論私がご同行して姫さ……おひい様をお守りするのだ」


 そう言ってサクヤの背後からやはり旅姿のイヌイが出てきた。


「ヌイヌイ!」


「も、勿論、おひい様に悪い虫が着かぬようにだな……その……何だ」


 ギタンをチラチラと見ながら言う言葉は何処か歯切れが悪い。


「はぁ、まだ諦めてないんだねぇ」


「な、何をだ! わ、私は決して駄目と言っているのでは無いぞ!」


「分かってるよーだ。そうと決まれば馬車の手配を……」


「それには及びませんわ」


 その声と共に馬車が一台、一行の前に止まった。

 御者台に乗っていたキギスがヒラリと降りる。

 曳いている馬はキギスの『シュンラン』だ。


「キギスさん!」


「この度国お……お父上からサクラ様の随行を仰せつかりました」


「まぁ、父上が」


「そ、そんな! 私がいるではないか」


「はっ、お父上はサクヤ様の他国行きにいたくご心配のご様子で、せめて護衛騎士団をと仰られていたのですが、それではサクラ様のお怒りがいや増すだけとご注進申し上げ、私めのみがお目付け役として随行させていただく事になりました」


「はぁ……」


 殺そうとした時は魔装甲鎧の操れぬイヌイ一人で、今は騎士団を付けるという。


 それを聞いて怒りを通り越した呆れ声がサクヤの口から出た。

 だがサクヤ自身も結果無事だったとはいえ、ギタンを死地へ追いやってしまった。

 国を思う父王の気持ちを鑑みればサクヤはそれ以上憤る気にはなれなかった。


「分かりました。お目付け役の任、ご苦労です」


「はっ」


 キギスは悪戯っぽい目を一同に向けて笑った。




「ようギタン、奇麗どころ侍らせて羨ましい限りだな」


 振り返ればいつの間にかダンガとウサ子がそこにいた。

 今のダンガの台詞に思うところがあるのかウサ子は若干難しい顔だ。


「ダンガ殿、色々と世話になった」


「良いってことよ」


 頭を下げたギタンにダンガは手をひらひらと振った。


「ダンガ殿はこれからは?」


「俺? さぁてなぁ。風の吹くまま気の向くまま。まぁ……また何処かで会うだろうよ」


 そう言ってダンガは右手を差し出し、ギタンはその手を握った。


「また何処かで」


「ああ、元気でな」





「良かったの……ですか?」


 遠ざかっていくギタン達の馬車を見送りながらウサ子がポツリと言った。


「ん?」


「あの方は……ご主人様の……」


「ああ、良いんだよ。今は知らなくても」


「でも……」


「仮に知ったとしてもアイツなら跳ねのけられるだろうさ。アイツの親父のようにはならんよ」


 そう言ってダンガは空を見上げた。






「うーん」


「どうした猿、変なものでも食したのか」


「そうじゃないよ、ダンガさんの事さ」


「ダンガ殿?」


「突然現れたり、『リンドウ』の前の名前を知っていたり、『ヤカツ』の毒を消しちゃったり……あれじゃまるで……」


「まるで?」


「……何でもない」


 エンが知る限り、そんな真似ができる人物はこの世で一人しかいない。

 だがその人物、天帝とダンガではあまりにも印象がかけ離れていた。


「まさかねぇ……」


「ダンガ殿が何者でも良いじゃないか」


「若さまぁ、なんかダンガさんに口調が似てきたよ」


「そうか?」


 そう言ってギタンは空を見る。


 いつもと変わらぬ、ホウライジュを出る時と同じ空。


 ふと、花びらが青空に彩りを添えた。

 道の先、エルドリオの方からの風が沿道に咲き誇っていた花を巻き上げている。


 寄り添うようにサクヤも空を見上げている。

 その横顔は凛として咲き誇る大輪の花。


 舞い踊る花吹雪の中、馬車は蒼天の野を往く。

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棄てられ若さまと花吹雪の姫君 Ineji @Ineji

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