第十五話 長老会議
長い碑文を読み終わり、アイは首を傾げた。
「父なる神の喪失、地に降りた神、夢を見ている二柱……初めて聞く事ばかりです」
エルタニアは頷く。
「そうだろう、世界を旅してわかったが、その部分は各地に伝わる伝承から抜け落ちている」
「だからといって、ここの神話大系が源流とするには早計ではないですか?」
「確かに。だがここの神話が一番、世界の謎とされている波動や魔力、成り立ちのついて迫っている……他の神話や伝承で一切触れていないからなおさらだ。ついてこい」
エルタニアは歩きながらその問いに答えた。
広場を出ると街から離れ、島の中央付近にある小高い丘に登る。
周りに何もなく、中央の不自然な人工物が嫌でも目に入った。
大きな岩と形容しても差し障り無い巨大な石碑があり、エルタニアはその石碑の前で立ち止まる。
「世界の深淵に触れることはこの街では禁忌だ。俺はそれを嫌い、街を飛び出した。知らないで使う力なんて、怖くて使えないだろう? だが、その問も答えもこの街にあった。笑える話だよ、二百年以上世界を旅して求めた答えはここにあったなんてな」
「二百年って師匠、そんなお年なんですか!?」
「実際にはもっと歳を食っているぞ。ま、こんな
自嘲気味に笑うエルタニアだったが、アイにとっては驚愕の真実である。
尊大な態度や口調はそれ故か、と妙に納得もできた。
エルタニアが話を続ける。
「『父なる神の喪失以後、残された神達が作った全ての生き物に内なる力が宿る』と記されている。これはつまり父なる神が世界に溶けた事により、その力が大地となった母なる神と子に宿ったということなのだろう」
アイは先ほど読んだ碑文を思い出す。
「世界に溶ける……内なる力。それが私達の使う、魔力?」
「そう考えればそこに隠された真実も、自ずと答えが導き出せる」
「隠された真実?」
それはなにか? 魔力が父なる神の残滓だとして、それで一体どんな答えが導き出せるというのか。アイは思案し、何気なくさっきから黙りこくっている少年と少女を見た。少年は俯いているため視線は交わせなかったが、少女と目が合うと彼女はにっこり笑った。相変わらず心が蕩ける様な眩しさだ。
その少女が蕩蕩と語る。
「魔力が無くなれば死ぬって世界の共通認識だけどー。父なる神が喪失したことにより得た力なら、その力を喪失した時、父なる神と同じように溶けてなくなる、って事でしょ~」
あっけらかんと言い放つ少女に言葉を失うアイとエルタニア。
二人を無視し、少女はにこにこと碑文に近付いて、エルタニアの後を継ぐように話を続ける。
まるで謳うかの如く。
「『我らマグベルトの民は地に降りた神を祖先に持つ民族。故に外界と隔絶し、世界を監視する役割を担う。創造を続け、大地の上で主神を蘇らせるその日まで』」
にこにこと笑う普段の少女からは想像もできないような威厳ある声。
アイは息を呑んだ。
少女と出会った時発した言葉が喉まで出掛かる。
あなたは一体何者ですか、と。
その思いはエルタニアも同じだった。
エルタニアが少女と会ったのはアイを探している途中だった。
どこにいるか見当もつかずぶらぶらと街を歩いていると、マグベルト人ではない人物を見かけ声をかけたのが少女だった。
笑顔の眩しい太陽の様な女の子で、アイのどこか影のある魅力とは正反対の質ををもっている。植物を操る魔戦技に長けたエルタニアにとって、それだけで好感が持てる娘だ。
アイの容姿を伝え尋ねてみれば、さっきまで話していたよと答える少女。
どっちに言ったと問えば、私が案内するよと優しい提案をしてくれた。
一層エルタニアが好感を得たのは言うまでもないが、アイを探す道すがら聞いた話で、更に興味が深まった。
エルタニアが少女に興味を持った理由は二つある。
一つはマグベルト人以外がこの街にいるという事だけでも特別な理由があるという事と、もう一つは少年同様彼女も記憶喪失だ、と話してくれた点だ。
エルタニアはなにもヘザーに頼まれたからという理由だけで、彼らの保護者をしているわけではない。彼には彼の目的があって達成するためには、少年が鍵を握っていると考えており、ここにきて同じような境遇の存在を発見するに至った。
見た目にして同じ年の頃の二人。これは偶然の符合というには少し出来すぎているとエルタニアは睨んだのだ。
ならば、この二人が出会ったならば、何かあるのでは?
そう考えに至ったエルタニアはアイの姿を広場で発見して、好奇心の赴くまま少女を連れて少年の前に歩み寄った。
そしてまさしく、アイらと合流した時の少年の反応は期待を超えるものだった。
少女はと言えばなんの反応も見せなかったが、少年の様子は明らかに違った。
俯き、悩むように少女を見つめまた俯く。
想像以上の結果に心うちで小躍りをしていたエルタニアだったが、少年のあまりの同様ぶりに、先走った行動をしてしまったのでないかと不安になった。
石碑を読んで無邪気に笑う少女。エルタニアの不安はより一層大きなものとなる。
「神話が根付いた街夢幻の都マグベルト……面白いものが一杯で楽しい! トト爺の言うとおりだった!」
しかし、少女の口から出た衝撃の名前にエルタニアの不安は一瞬にして消し飛んだ。
「……トト? おいおいまさかお前の言うトト爺ちゃんとは、トト・ロココ導師の事か!?」
残念ながらアイはその名前に心当たりは無く、師の考えについていけない。
「そだよ~。エルエル、トト爺知ってるの?」
「知っているも何も世界で一番の名馳せている人物じゃねえか!」
二人の会話の温度差が激しいが、エルタニアは意にも介さない。
何故か? 彼にとってトト導師こそ、探し求めている答えにもっとも近い存在だからだ。
興奮冷めやらぬ様子のエルタニアに、アイは問う。
「その……トト導師とは、何者なんです?」
エルタニアが言う。
珍しくも声を荒げ、自分が味わった興奮をそのまま伝えるように。
「トト導師とは、世界最古にして最初の生きた波動存在。つまり波動の生き証人なんだよ!」
※※※
その夜。
エルタニアとアイはマグベルトの長老会に呼ばれていた。
少年は体調が優れないようで、部屋で寝ている。
呼ばれたからといって起こすべきではないとエルタニアが判断したのだ。
「マグベルトの老人共が俺達を呼び出した理由なんて知れている」
エルタニアは悪態を吐く。
「どうせ、早く出てけって言いたいだけだろう」
エルタニアの予想は的中した。
長老会は日中の広場で行われており、中心の小さな池を囲うように十人ほどのマグベルト人が座している。その中ににっこりと笑う少女も含まれていた。長老達は広場に入ってきたアイ達を一瞥するとあからさまに溜め息を吐き、その様子は温厚なアイでさえ気分を重くするには十分だった。
「エルエル。お前という奴はなぜこうも問題ばかりを起こす?」
長老の一人が呟くと、周りの老人達が一斉に頷く。
「その名で呼ぶなって言ってんだろ、呆けたかじじい」
「口の悪さも変わっておらんの」
ぶっきらぼうではあれど普段は紳士的な振る舞いの多いエルタニアが激変、親に楯突くような荒々しい口調で老人達に噛み付く。
面白いなぁと思いつつもアイは気になることがあったので、小声でエルタニアに耳打ちした。
「師匠の本当の名前ってエルエルなんですか?」
「お前、ちょっとは緊張感持てよ馬鹿弟子!」
「すみません」
小声で怒られるアイ。
どうやらエルエルが本名で合っているようだ。その見た目ならエルタニアなんて厳つい名前よりもエルエルと名乗ったほうが可愛いのにと、アイは残念そうに一歩身を引く。
その姿老人の一人が眼を細めてまるで汚物を見つけたかののような声色で呟いた。
「その方、グレン・メルティナの娘であろう? 最低最悪の厄災、人造の神を取り出したあの痴れ者の」
明らかに蔑みの言葉に久しく忘れていた感情がアイの中で渦巻く。
長老達はそれ幸いとばかりに口々にグレンを罵り、世界の恥とまで言い捨てた。
「奴の行った行為は波動存在を取り出した後も救いようがない。生きていても仕方のない人間だったがまさか娘がいようとは……貴様も世界を破滅へ導くつもりか?」
嘲笑が巻き起こる。
アイは父を侮辱され悔しくて泣き出しそうになる気持ちを必死で抑え、拳を強く握った。
エルタニアが口を開く。
「黙れ老害ども」
エルタニアの有無を言わさぬ物言いにピタリと笑いが止む。
「確かにあいつのやった事は救いようのない行為かもしれねえ。だがあいつはあいつなりに世界を救おうと必死に行動していたんだ。あんたらみたいにこの地に根を張って、世界の監視者だとか言って高みから見降ろして、何もしない馬鹿共より、よっぽど世界のためを思ってんじゃねえか。それにこいつは、グレンの血を引いているだけで何もしてねえ。いっちょ前に人をけなす前に自分達の怠惰な生き方を見直したらどうだ? それともそんなことできないほどてめえらの脳は腐ってんのか?」
アイはエルタニアの後ろ姿を見た。
珍しくも怒っているのだ。
そしてあろうことかエルタニアはグレンを擁護したのだ。
アイは今までそんな事を言う人物を知らず、不思議な気持ちで背中を見つめていた。さっきまでの怒りや悲しみはいつの間にか消え失せていた。
「エルエル! 貴様誰に向かって口を聞いている!? あの厄災の元凶の子だぞ!」
怒号罵声が飛び交う中、エルタニアは一言、
「だからどうしたって言ってんだよくそじじいども」
と、静かに、だが広場に集まる者全てが黙り込むような声を発した。
生唾を飲む音さえ出すことを躊躇う様な空気に場が支配される。
「それ以上俺の友と弟子を愚弄してみろ、この島を沈めんぞ」
静まり返る広場。皆が沈痛な面持ちで俯き、エルタニアの言葉に体を震わせた。
一人楽しそうに笑う少女を除いて。
「ならば早くこの島を立ち去れ。ジッカリムは既にカリム大平原を抜け、シッカ大橋を渡り脊髄山脈のすそ野、大腿荒野に至ったと聞く。わしらは監視者。無用な争いにに首は突っ込まん。だがエルエル、お前はもうすぐ――」
一人の老人が顔も上げず囁く。
「言われずとも出て行く。話は以上か?」
エルタニアの怒気に肝を潰し誰も肯定を示さない。
アイは思う。彼らは彼らの成すべき事のために異邦の者を排除したいだけなんだ。争いに巻き込まれたくないというのは本心なのだ、誰しも生きたいと思うことは自然なことなのだから。
エルタニアに後から聞いた話なのだが実質彼らは戦う術を持っていないらしい。ああやって口では達者なことばかり言うが本当は何もできない。ただ長い時を刻んでいるだけの生きた化石なんだよと、エルタニアは静かに笑いながら語った。
「では達者で暮らせ、親父どの。もう二度と会うこともないだろう」
そう呟いたエルタニアの表情はどこか寂しそうに見えた。
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