第十六話 脊髄山脈

 マグベルトは世にも珍しい海を漂う島である。

 アイ達が着いた当時は地図上裏膝内海を漂っており、都合のいいことに脊髄山脈までそこまでの距離はなかった。小さな船では積荷の関係上どうしても長い航海は厳しいものとなるので、アイ一行にとっては願ったり叶ったり状況だった。

 そして到着せしはツェルへ至る道最難関にして最期の砦、人類の踏破を拒むように聳える脊髄山脈。

 浜に船を寄せ見上げると、断崖絶壁の山が右にも左にも天頂にも果てが見えず、アイは開いた口が塞がらなかった。


「これが……脊髄山脈」


 エルタニアが荷物の整理をしながら笑う。


「なんだ、初めて見たのか?」

「こんな間近で見たのは、初めてです。ヨヌにいた頃は遥か遠くの山脈ですから」

「そうか。この山を超えればお前の父、グレン出生の地だ」


 思わず体が震える。

 寒いからではない。その言葉に感慨を覚えたからだ。


「その為にはまずここを超えねばならんがな」

「そうですね」


 アイは少年を見る。

 体調は万全なのだろうが、昨日からどうにも様子がおかしい。いつにもまして無口で、無愛想だ。エルタニアはそのうち治るだろと安易に言うが、精神的な外傷は簡単には治らない。

 そして、その原因は恐らく。


「エルエル~。これも私が持ってくの? 重くて嫌~」


 少女は笑いながらさして困ってない様子で文句を垂れる。


「うるせえ、俺は年寄りなんだからお前が運べよ。あとエルエルと呼ぶなっつってんだろこのやろ」

「えー。横暴―」


 エルタニアの口調はマグベルトの老人達と口論して以降、乱暴なままだ。

 だがより親しみが持ちやすく、また気兼ねもしない。

 彼の素がこれなのだろう、エルタニア自身も肩の力が抜けたようだった。


 では、この少女の本来の姿とは一体なんだ? 

 アイは少女を見つめる。

 出会いも衝撃的であれば、彼女を知れば知るほど深まる謎と不安。

 そして極めつけは昨夜の出来事だ。エルタニアが捨て台詞を吐き、その場を立ち去った時、彼女も立ち上がりついてきたのだ。

 自分を追い越し呟いた彼女の言葉が、アイの耳について未だ離れない。


「やっぱ人間なんて滅びちゃえばいいのにね」


 少年の深淵はまだ見えない。

 だが記憶を取り戻せば、互いに良好な関係が築けるという予感があった。

 だが少女は? 

 記憶を取り戻した時、果たして彼女と友好的に話すことができるのだろうか? 


 少女がアイの視線に気付き首を傾げながら笑顔を溢す。

 心を蕩かすようなと比喩した笑顔はそこにはない。

 ぽっかり空いた暗い穴がこちらを見ているようだった。

 言い様のない恐怖がアイを襲い、体の芯から震えが起こる。


「さぁ行くぞ、山越えだ」

「あ~いっ」!


 エルタニアの声に元気に答えたのは少女だけで、少年もアイも無言でエルタニアの背を追った。


 ※※※


 山の途中、不運なことに猛烈な吹雪に見舞われたアイは叫んだ。


「ところで師匠。父と知り合いだったなんて初耳なんですけど!」

「お前……なんで今この瞬間にそんな話をするんだよ!」

「だってほら、死んだら聞けなくなるじゃないですか!」


 アイが叫びたくなる気持ちはもっともだった。

 体力は並でも精神力が強靭な魔術師であるエルタニアとアイは少年達の無尽蔵な体力に引けをとることなく山を登り進め、現在中腹あたり。

 眼下に広がるは先程まで登っていた山道と絶壁。吹き荒れるは強い山風と石の飛礫のような雪。

 現実的な死が目の前に転がっており、少年と少女の心配をしている余裕はなくなった。


「雨なら操ることだって可能なのに」


 アイは不満げに独り言ちする。

 雨を操れたとしても風までは操れないのだから結局意味はないのであるが。


「この先に洞穴が見えるよ~!」


 少女の笑い声が聞こえる。

 この吹雪の中、何が楽しいんだ! と思わず叫びたくなる衝動を抑えアイとエルタニアは洞穴の位置を確認し合い、急がず着実に歩を進める。

 その間も少女の笑い声は絶え間無い。アイは我慢の限界だった。

 そしてそれがいけなかった。


  振り返って文句の一つでもいってやろうとした刹那、足を踏み外した。

 ほんの一瞬だけ浮くのを感じ、世界から音が消え、体の重みが消えた。

 あれだけ荒れていた風も、少女の声も聞こえなくなり、背中に背負っていた荷物の重みも感じなくなる。

 世界がゆっくりと過ぎてゆく。

 エルタニアの驚きの顔、少年の久しぶりに見た感情的な顔、少女の珍しくも少し驚いたような顔。  

 やってしまったと後悔しても遅い。

 少女に恨み節を投げかけたくなるがもう遅い。

 少年に元気出してと伝えたかったが、もう……遅い。

 一世一代の冒険もこれで終わり。なんとあっけない事か。

 いや父も絡んでいるから二世なのかもしれないが、それにしても何ともあっけない幕切れだったと自嘲気味に笑う。

 だがしかし人生とは得てしてそんなものなのかもしれない。

 アイの脳裏にいろんな人の顔が浮かぶ。

 父母、村の人々、エルタニア、ヘザー、そして少年。

 必死になって手を伸ばす少年の様子がなんだか無性に可笑しくて、アイは笑いながらその手を取った。

 瞬間、世界に音が舞い戻る。落下していたはずの身体に重みが復活する。

 風は吹き荒れ、頬を打つ雪玉が妙に痛かった。


「ぼやっとしてないで、力入れて!」


 少年の風に負けない怒号が未だ放心状態のアイの身体に喝を入れ、体を強ばらせる。投げ出されたままの下半身に力を入れ、崖に足をつけ踏ん張る。


「手ぇ出して~」


 あまり緊張感のない声で少女が片手を差し出してくる。

 流石に笑顔はなく、初めて見る真剣な表情だった。

 手を取ると同時に崖上に引きもどされる。

 そのまま転がり込むように洞穴に逃げ込んだ。

 アイは今更心臓が早鐘を打ち始め、外は吹雪だと言うに滝のように汗をかき始めた。どっと体も重くなり、息も上がって苦しい。

 まだ生きていると実感する。


「アイ! こんなとこでぼうっとして、死ぬ気なの!?」


 久しく聞いていなかった少年の声がアイを非難する。

 肩で息をするアイが息も絶え絶え少年を見ると、瞳に涙をたたえ、悲しみに満ちた表情でアイを睨んでいた。どれだけ心配したか、どれだけ思っていてくれたか、その顔に書いてあるようだった。

 アイはそんな気持ちを汲み取り、嬉しくも気恥ずかしくも、そして申し訳なくも思った。この少年は既に、大切な人を目の前で失くす気持ちを味わっている。落下の際、諦めにも似た感情を抱いたがそれでは駄目だったのだと改めて思い直す。


「ごめんなさい、ごめん」


 少年はアイに抱きつく。アイは少年の頭を優しく抱き撫でる。

 普段おとなしいから忘れがちだが、少年は子供なのだ。


(率先して守らなければならない子供に守られてどうする。怪力無双で戦闘力が高いからと言って彼の力に頼ってはいけない、自分がこれではいけないんだ。もっと私がしっかりせねば)


アイは決意新たに瞳を閉じる。次に困難に立ち向かう時私が必ず矢面に立とう、そしてみんなを守るんだ、と。


「ま、なんにせよ無事ならよかった」


 持っていた樹木の杖に魔力を送り、枝を折っているエルタニア。

 その横で不思議そうに見つめる少女には笑顔が戻っていた。


「二人共ありがとう、心配をかけました」

「罰としてこれに火、つけとけよ」


 エルタニアはそう言って背を向ける。アイにはわかっていた、その行動が彼の照れ隠しの仕方なのだと。可愛い癖だなと小さく笑う。

 逆に、少女は先ほどと変わらず不思議そうな顔でアイを見つめ顔を逸らす。

 どういった反応をしていいかわからないと言った風だ。

 少年と出会って間もない頃、少年もよくそんな顔をしていたなと思い出す。アイは今日新たな発見が続く日だなと、すっかり先ほどの落下未遂を忘れ暖かな気持ちを胸に感じていた。


 その後。吹雪は益々強くなり、夜間の登山は一層危険という判断から洞穴で過ごす事を余儀なくされた。少年が洞穴の出口を雪で固め凍える風の侵入を防ぎ、エルタニアは杖から寒冷地帯の植物を抽出し寝心地の良い様、焚き火の周りに敷き詰める。アイと少女はその間、焚き火で料理をしていた。


「それはなに?」

「これはマグベルトでもらった鶏肉を干したものです。雪で溶かしたお湯に入れて温めれば良い出汁がでて美味しくなるんですよ。師匠、食べられる植物も作れますか?」

「人を保存庫と一緒にするな! 全く可愛げのない弟子だ……ほらよ」


 ぶつぶつ言いながらも作り出してくれるエルタニアに、感謝しながらそれを受け取る。小さい刃物を鞄から取り出し乱切りにする。興味津々で覗き込む少女はその野菜を刻み始めると、笑いながら泣き始めた。


「なにこれぇ涙が出るよ~」

「これは涙腺を刺激する成分が入っていますからね、耐えてください。煮込めば甘くて美味しいですよ」


 その間にもエルタニアは葉野菜、根野菜と出し続ける。

 簡単な料理を作るつもりが、なんだか大げさになってきたなとアイは笑う。


「師匠の杖……それはマジックアイテムの類ですよね? 私もそういう便利な杖が欲しいです」


 旅に出たとき、何に一番苦労するかといえばやはり食材の確保だろう。

 街から沢山の食材を持って出ることは可能だが、その分歩みは遅くなるし、だからと言って何も持たなければ旅をしながら食材の確保をせねばならない。

 その点エルタニアの杖さえあれば重い食材を運ぶことなく、好きなだけ好きな物を好きな時に取り出すことが出来る。

 海上生活時から如何に旅の途中でも美味しい料理を作るか、ということに目覚めたアイにとってまさに垂涎の一品という訳だ。

 だがしかし、エルタニアは意味ありげに笑う。


「全く。これだから素人は困る」


 鼻を鳴らし、ぽんぽんと野菜を出し続けるエルタニア。

 調子に乗って出しすぎだろう、とアイと少年は笑うが、二人で視線を交わし無視を決め込んだ。その間にも、手早く野菜を刻み、

 面白がって鍋に片っ端から投げ込む少女。どれだけ豪勢な食事が出来上がることだろうと、楽しみが増える。


「この杖にはな、世界中の植物の遺伝子が刻み込まれているんだ。だからこんな芸当ができるんだ」


 少年は問う。


「遺伝子ってなに?」

「この世のありとあらゆる生物の設計図みたいなもんだ」

「よくわかりませんね、もっと噛み砕いて説明してください」


 呆れ顔で盛大に溜め息を吐くエルタニア。


「お前は魔法使いなんだからその辺理解しとけよ、今後お前にも関わる話だぞ」

「そうなんですか?」

「あのなあ。俺たち魔法使いは万物を操ることができる。だがその大小はどうやって決まる? 操る事象への理解度だ」

「つまり、師匠の操る自然の魔法、魔戦技をより強力にするためにはどうやって植物ができているから理解する必要があると?」

「そういうことだ」

「そしてそれが遺伝子、というわけですか。火や水にも遺伝子が?」

「いや、火は現象であり、水は生き物じゃない。そっちはそっちで設計図があるだろうが俺の分野じゃないから詳しくは知らん」


 えーとブー垂れるアイだったが、エルタニアがその答えを持ち合わせていない以上文句を言っても答えは帰ってこない。


「不思議な現象を不思議として終わらせずに、どういう原理でそうなったのかを探求し解明し、再現強化することを死ぬまで続ける。それが魔法使いってやつだ」

「……それで~。どうしてエルエルの杖から野菜や果物が生えてくるのかの答えになってないんだけど~」

「……不思議なパワーだよ」


 一寸先で放った自身の言葉を真っ向から踏みつけるエルタニア。面倒くさくなったのだろう、修行中にも感じていたことだが魔術師としては優秀でも、人を教え導くには本当に向いていない性格だな、とアイは笑う。

 だが苦手でもなんでも、厳しく、そして丁寧に教えようとしてくれていたエルタニア。アイにとって心から尊敬できる、そんな偉大な人だ。


「そしたら人間の遺伝子には争うことが書かれてるのかな~? 生きることは争うこと。本能のように群れて異端を嫌い、弱きを虐げ、長いものに巻かれ。芸術の都マグベルトでさえ古い慣習に取り憑かれ、新しきを見ようともしない。廃退的な、救いようのない種、それが人間だよね~」


 振り返れば鍋に棒を突っ込み、かき混ぜる姿が目に入る。

 笑いもなく、怒りもない少女の無表情が印象的だった。


「案外そうかもしれねえな」


 エルタニアが納得するように、低い声で唸る。


「俺も長い間世界を旅していたが、人の居る所で争いがなかった場所はなかった。それはツェルもジッカリムもヨヌも、マグベルトでさえも同じだった」

「だからと言って救いようがないとは思えません。確かに今は争いばかり続けていますが、それは考えの違い、思考のすれ違いがあるからでしょう? 万人いれば万人の違いがあって素敵じゃないですか」

「それで親父が殺されてもか」


 エルタニアの鋭い声が指摘する。

 その眼差しに真剣さが宿っており、真意を問おうとしているのがわかる。

 だからアイも真剣に、正直に答えた。


「……正直、それは許せない気持ちの方が大きいです。けどそれは結果論に過ぎません。世界を良くしようとする行為は、何も人智を超える力に頼ったり、武力を行使したりするだけではないと思います。現に、師匠と私の言い合いは争いですが、これは悪ですか? 間違ったことですか? 私にはそうは思えません。争うことは確かに悲しいことかもしれないけれど、それ以上に、素敵な事が起こる前触れなのだと思います。もちろん、他人を蔑む行為や、命の奪い合いはなしですよ? それはどんな理由があるにせよ、悪であることに変わりはありません」


 真意を問う視線に、まっすぐ向き合う。

 ほんの僅かな時間だが、アイとエルタニアは見つめ合う。

 そして、緊張の糸が切れたように笑い出すエルタニア。


「全く。本当にお前は変わった奴だよ馬鹿弟子め。自分の父親の行為を否定して、なおも自分の言葉を語るとはな。やっぱりあいつの娘だなぁ!」

「否定したつもりはありませんよ? 命の奪い合いさえしなければ、武力の争いだって悪くないんですから」

「じゃなにか? 国同士で法則を決めて、その範疇で兵達を使って争うってのはありなのか?」

「ええ、素敵じゃないですか」

「あはははは! こいつは傑作だ!」


 とうとうエルタニアは腹を抱えて笑い出した。釣られてアイも笑い、話についていけない少年もぎこちなく笑う。

 唯一人、少女だけは笑っていない。


「さて、じゃあそんな馬鹿弟子の親父、俺の親友でもあるグレンの話でもしようかね、あいつの夢物語をお前に聴いてもらいたい」


 膝を叩き懐かしむような表情で、暗い洞穴の天井を見つめている。

 ああきっと。思い出しているのだ、この人は。

 父との思い出を……今は無き親友と交わした数々の言葉を。

 初めて父を悪く言わない人が父の友人であり私の師匠で、本当によかったと、心から思うアイ。 


「飯を食いながら話をしよう、せっかく作った飯が冷えたら台無しだ」


 言って覗き込んだ鍋にはこれでもかというほどの野菜が入っており、その芳しい香りに疲れ冷えきった身体が歓喜の声を上げているようだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る