第十七話 少年と少女

「人間はわからない」


 食事も済ませ身体を休めるために横になったはいいが、寝付けないで寝返りを打つと、隣で寝ていた少女が話しかけて来た。その顔にいつもの余裕はなく、曖昧な笑顔をを浮かべながらアイに問う声は弱々しく、言葉にならない想いが含まれている。


「あなたも人間でしょう」


 ここに至るまで、彼女を人間とは思っていなかった。

 だが、落下未遂からなにか思うところがあるのか、こうやって時々何か言いたげな視線を送ってきていた。だが彼女の中で何が言いたいのか、何を伝えたいのか定まっておらず、どう言葉にしたらいいかわからなかったのだろう。

 今でも口に出した言葉が果たして自分が言いたかった思いなのかどうかわからないといった困惑と、伝えきれない苛立ちが入り混じったような表情でアイを見ている。

 自分で言ったのではないか、万人は万人の考えがあり、違うことが素敵なのだと。 

 自分と彼女の考え方は正反対だったとしても、そこに色んな想いがあるからこその考えなのだろう。

 頭ごなしに否定しては、武力を持ってねじ伏せているのと変わらない。わかろうとすることが、大事なのだ。

 少女は今、苦悩している。

 例え解決できなくても、一緒に悩む事に意味はあるはずだと。ならば、その考えに殉じよう。

 自分の口から出た言葉を信じよう。

 アイは視線を泳がせて言葉を探す少女を優しく見つめ、次の言葉を待った。


「……争ったかと思えば、助け合ったり、仲がいいと思ったらいがみ合ったり。昨日の長老会の時もそう。エルエルは吐き捨てるようにあの場を後にしたけど、その表情はなんか寂しそうだった」


 背中の方から小さくエルエルって呼ぶなと聞こえた。

 アイは笑う。

 この分では少年も起きているだろう。


「あなたを拾って育ててくれた人のこと、好き?」


 頷く少女。


「その人があなたの嫌いな事をしたら、嫌いになる?」


 首を横に振る。


「でもその行為は嫌いだよ?」


アイは優しく微笑みながら、少女の金の糸のような髪に触れ優しく撫でる。

少女はくすぐったそうに眼を細め、黙って髪を撫でさせほんのりと白い頬を染めた。


「それでいいんです。好きだけど、嫌いな部分もあって、嫌いでも好きな部分があって。人ってそういうものだと思います」

「曖昧だね」

「結果があることだけが答えじゃありません。苦悩したこと自体が答えで、だけどそこで思考停止しては駄目。悩んで答えを出してまた悩んで。そうやってもがきながら生き続けることが人間らしさだと思います。人間の遺伝子に刻まれた情報はもしかして、曖昧、なのかもしれませんね」


 アイが笑い掛けると少女も笑った。いつもの笑顔でなく、はにかむような可愛らしい笑顔。アイは少女を愛おしく感じた。


「傍に寄ってもいい?」


 少女が小さく呟く。

 アイは頷き、少女の背に手を回して抱き寄せた。

 少女は眼を大きく見開かせるが、その後アイの胸に顔を埋めアイを抱きしめた。


「温かい」

「そうですね」


 腕の中で丸くなる少女はとても暖かかった。

 少女が眠るまで背中を摩っていようと思ったアイだったが、甘い香りが漂い始めたなと感じてすぐ少女と共に深い眠りへと落ちていった。

 もう少女を恐る気持ちは何処かへ消え去っていた。




 もがきながら生き続けることが、人間らしさ。

 少年はアイの言葉を心で反芻した。

 少女に対する不安や焦燥感は未だ消えない。

 むしろ日にしに増して強くなってゆく。

 気が狂ってしまったのではないかと思うほどだ。きっと彼女とは記憶を失う前に出会っているのだろう。そして何がしかの因縁があるのだろう。

 だからこそ、アイと少女が心を通わせた今も、不安で仕方ないのだ。

 彼女の行動が、彼女の存在が。


「お前も眠れないのか?」


 背を向けたエルタニアが話しかけてくる。何も答えずにいると、


「清濁併せて人間だ。お前が今抱いている感情が善でも負でも、それは決して悪いことではない、想いに罰は与えられないからな。だがもしそれを言動に表せば、それは非難の対象にもなるし、罰を受けることにもなる。大事なのは、思考だ。アイも言ったが、思考停止だけはするな。最後の最後まで考え尽くせ。そして思い出せ、俺やアイ、ヘザーはどんなことがあってもお前の味方だと」


 エルタニアの厳しくも思いのある言葉が胸に響く。

 焚き火の火は小さく、肌寒いが心は暖かく、和やかだ。

 少年は思う。この人達に出会えて、本当によかったと。

 甘く優しい香りが辺りに満ちた。

 頭をとろかす様な身体にしみる甘い香り。見ればエルタニアが杖から植物を抽出し、火にくべていた。


「緊張状態のまま寝ても体力回復は見込めない。これで少しは違うだろ」


 ぶっきらぼうで乱暴な言葉遣いのエルタニアの優しさがそこにあった。悩みも不安も抱えたままだが、不思議なことにエルタニアの言葉を聞いただけで少し心が軽くなったように思えた。

 その日。久しく深い眠りについた少年は、ヘザーの暖かい腕の中で眠る夢を見た。


 明日はいよいよ、ツェルに到着する。ジッカリム王国軍が都を立って既に、十九日。

 決戦はすぐそこまで迫っていた。

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