第十八話 安寧の地は既になく
大腿荒野、ジッカリム陣営、首脳部天幕。
ファルアザードが中央に座り、その脇にトーン、ギシンが並ぶ。
彼らの思惑通り、大腿荒野を目指す道すがら兵の数は着々と増えその数は十五万に迫った。
現在部隊の編成を組み、ツェルとの戦いに備え軍議の真っ只中である。
騎馬の扱いを得意とするジッカリム主力が遺憾なく力を発揮できる平地での戦闘は圧倒的に有利であるが、先の戦争ではグレンのような修羅が混じっていたため、戦に勢いが乗らなかった。
しかし対等な条件でしかも野戦ともなれば物量に勝る策はなし、とファルアザードは考えていた。
事実、いくら優秀な人材が集まるツェルとは言え兵数、兵糧どれをとっても乏しい事は先々より割れている情報である。なにより先の戦争以来、ツェルに向かう物資供給を断つ事で既に内部から弱らせていた。
人材の流失も関所を設けることで最小限に抑えた。
全てはこの時、この場のため。
ツェルを叩き潰すために弄した数々の策が今実を結ぶ。
「ツェルに放った密偵の話によれば戦う前から内部は疲弊しており、国を動かす政権と、波動教会の軋轢は更に深まっているとのこと」
「それはそれは。花を摘むかの如く楽な戦になりそうですな」
部隊長達が口々に笑い合う。
「これではトーンの出る幕もありますまい、私達だけ十分でしょう」
「いやいや全く。あっはっはっは!」
軍議とはいうものの、大した決議もせず、笑い声だけが天幕内に響く。
「そうやって足元を掬われた者は何人もおるぞ、努努お忘れなきよう」
「ギシン殿も心配性ですなぁ、疲弊しきった兵相手に何ができるというのです? 戦う前から勝敗は明らかではありませんか」
ギシンの静かな怒気に気付かず笑う隊長達。
ギシンは思わず舌打ちをした。
歴戦の猛者達や古強者どもは先の戦争で散ってしまった。残存する兵では数えるほどしか先の戦争を知らない。
若い隊長達は知らないのだ、戦争になった時の独特な空気を。
人が簡単に命を落とす異常な空間を。
熱に浮かされた今の状態では、勝率がいくら高くても一つの破綻で一気に瓦解してしまう。それだけはなんとしても避けなければならない。
ここまで労した時間と手間が全て水泡と帰す。
「次に笑ったものはこの場で切り伏せる」
ファルアザードの何人も反論できぬ声が天幕内に満ち、ぴたりと笑い声が止まる。
「これから戦う相手はふざけた神を生み出した国ぞ。窮鼠猫を噛む。追い詰めればなにをするかわからん連中だということをもう一度頭に叩き込め。我らが行う戦争は、ただ勝利だけを追い求めるのではない。敵を見つけたら確実に殺し、殲滅する事だ。兵を殺しきったら次は街。女子供とて容赦せず、全てを焼き払いツェルの塵一つ残さず地上から消し去るつもりで望め。津波のように攻めて根こそぎ奪い尽くすのだ、わかったな」
冷たいファルアザードの視線が集まった部隊長達を貫く。
誰一人として生きた心地はしなかっただろう、何せ文官どもの末路を彼らは知っている。先刻の緩みきった空気は一変、緊張感が最高潮に達した。
だがそれはこれから起こる戦争にではなく、ファルアザードに向けられた畏怖によるものだ。
覇道の道を往く者。
正しく彼はその道を一人歩んでいる。
「ご報告があります!」
天幕に外からこえが掛かる。
瞬間、救われたとでも言うように誰かが小さく溜め息を漏らす。
「入れ」
入ってきたのはツェルに戦争開戦の旨を伝えに言った先遣隊が一人で、余程早駈けしたのだろう、肩で息をしていた。
「陛下、親書を預かってまいりました」
「ほう」
ギシンが珍しくも声を上げる。
理由は、先遣隊は波動教会と接触させるために遣わせたのだが、生きて帰ってくるとは思ってもいなかったというのが一つ。
もう一つは親書を預かり且つ、急いで戻って来た様子を見るに内容を察したからである。
ファルアザードは親書を開き中を確認する。一通り目を通すと、面白くないものでも見たかのようにギシンに手渡した。ギジンとトーンが二人並んで目を通すと、いきなりトーンが大声を上げて笑い出した。
「ギシン殿、親書にはなんと?」
トーンとファルアザードでは埒が明かないと、ギシンに話を聞く隊長。
だがあろうことかそのギジンまでも笑いを噛み殺し、親書を渡してくるではないか。
一体どんな愉快な話が書いてあるかと隊長の一人が親書に目を通すと、
「『此度の一件、我らツェルに落ち度なし。よって開戦には応じられない。罪人どもを引き渡すゆえ、即刻立ち去られよ』だと!?」
そこには罪人と称される六名の名前が記されてあった。
導師トト・ロココ。
厄災の英雄が血族、アイ・メルティナ。
木霊のエルタニア。
詳細不明の少年。
詳細不明の少女。
遁走の波動騎士団騎士ヘザー・ラッセン。
行方不明。以上六名。
ギシンは笑った。
(トトがいるというのに、この様はなんだ? これではまるで疑う心が世界中に広まっているようではないか。疑心暗鬼に囚われ目先の利を欲し、他人を蹴落とすことしか脳のない糞どもばかりか! ククク、トト。儂の勝ちだ、儂の勝ちで貴様は消える。儂がこの世に選ばれた、そう、この『疑い』の波動存在である、このギシンが!)
ファルアザードは親書を破り捨て、隊長達に戦争は不可避と告げた。
ただ面白くないのはあのグレンを擁したツェルが、そんな弱腰になっていることだ。強者として立ちはだかり、それを潰すことに執念を燃やしていたファルアザードにとって、気が削がれたのと同じだ。
「ならば奴らの言い分である罪人を処刑した後ツェルを押し潰す。情はここに全て置いていけ! これから行うのは戦争ではない、掃討だ!」
隊長達の気合が天幕を貫き陣営全体に奔る。
兵達はそれを身体で聞き武者震いをした。
アイ達はまだ知らない。
まだ見ぬ第二の故郷に裏切られたことを。
敵方に売られた事を知るのは、山を超えツェルに着いた時だった。
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