第十九話 高潔な精神を蝕む
ヘザーはツェルの街をアイ達に語るに、こう評していた。
「白い町並みと、黒曜石で出来た神殿の鮮やかな対比が実に美しい、とても綺麗で雅な所だよ。住む場所としては土地も環境も悪いけど、みんな穏やかな気質で、本来は争いごとを好まない、静かな所なんだ」
と。
確かに、街並みはまるで白亜の迷宮にでも迷ったかのような、まばゆいばかりの白さを誇り、それがまた漆黒のような輝きを放つ、異質の神殿の存在を顕著にしていた。
また所々に点在する彫刻や家屋の脇に置いてある調度品でさえも、端々に至るまで見事な技術が込められており、その点ではマグベルトにも引けを取らない芸術への関心が窺える。
ヘザーの言う通り土地は高地ということもあってか、お世辞にも肥沃とはいえず、山間部ならではの天候の不順さも相まって、農耕は壊滅的なようだ。
だがここは父グレンの出生の地であり、尚且つアイにとって第二の故郷となる場所なのだ。数々の障害を乗り越え決して小さくない犠牲を払い、また命の危険をすら越えて辿りついた波動の国ツェル。
希望に満ち溢れた街にやっと着いたのだ。
がしかし。この街もアイに平穏を許さなかった。
「貴様が、メルティナの子、アイか?」
やっとの思いで脊髄山脈を越えツェルに着いた一行だが、街に着いた途端町人達に不審な目で見られた。少女やエルタニアの話によればよっぽどなことがない限り、脊髄山脈を越えて街に来る者はいないらしい。それほど険しい山だということだ。
アイは山越えは厳しいとヘザーが訴えていたことを思い出し密かに笑っていたアイだったが、すぐに事態は急転した。町人の誰かが山を越えて来た怪しい一団がいる、と街の守衛に告げたのだろう、
ツェルに入国して数刻も経たないうちに、取り囲まれ捕縛されたのだ。それもツェルの住人であるはずの少女までも。
あまりの急展開に困惑していると、エルタニアが目配せをしてくる。その意味を理解しアイは軽く頷くと、少年と少女にもあまり抵抗しないで捕まるように促した。
アイとエルタニアはまだ短い付き合いだが、師弟という間柄その分濃密な時間を過ごしている。この程度の意志疎通は出来て当たり前だろう。
エルタニアが伝えたかったのはこうだ。
すこし成り行きに任せよう。
かくしてアイ達は大人しく守衛に捕まり、黒曜石の神殿へと乱暴に引かれて行き、メルティナの子かと問われる言葉に至る。
頭に大きな冠をのせ、金粉や貴金属が無駄に縫い付けられた白い法衣を身に纏い、腹心であろう部下を左右に置き、見下した様に言葉を並べた初老の男にアイはもとより誰一人としていい印象は持たなかった。
だがこのまま口を聞かないでいると、それはそれで咎めてくるに違いないと嫌々ながらもエルタニアがその役を買って出た。
「その前になんで俺達が捕まらなければならないのか、それを教えるのが先決だとは思わないか? それともこれがツェルの礼儀なのか?」
と言ってもエルタニアは媚びへつらう気は全くなく、喧嘩を売るような口調でその男に問い掛ける。初老の男は面食らったように目を見開き笑うが、両脇の部下達は烈火のごとく怒り始める。
「おのれ貴様、我が主を愚弄するか!」
「許さぬぞ、マグベルトの民よ!」
剣を抜き放つと何ら抵抗できないエルタニアに向ける。
アイはその光景に目を疑った。
彼らはヘザーと同じ蒼い鎧を着込んでいるのだ。同じ騎士の者がこうして自分達に刃を向けているなんて、信じたくない気持ちで一杯だった。
「よい、気にするな。こやつの言っていることは最もだ。何故自分達が捕まったのか、知りたいと思うのは当然であろう」
「ですが」
「良いと言っておる」
有無を言わさぬ言葉に騎士達は渋々剣を収め引き下がった。
どうやら目の前にいる男はそれなりの立場の人間らしい事を物語っている。
「ねぇそれよりもトト爺はどこ~」
「トト導師様はここにはおられない。後ほどお引合せいたしましょう」
「すぐに会いたかったのになぁ」
緊張感の欠片も感じられない少女の問いにはすぐに答える男。
「んで? どうして俺達は捕まった? 俺はただヘザー・ラッセンの指示に従ってここまでこいつらを連れてきただけだぞ」
聞き様によっては、自分は関係ないと言いたげに聞こえるが、そこはエルタニア。口が悪いだけ、ということにしておこうとアイは思う。
「ヘザー……ヘザー・ラッセンか。おいお前、あやつのことこやつらに教えてやれ」
にやにやと笑いながら扇子で口元を隠し隣の部下に話し掛ける。
話しかけられた方もなんとも下卑た笑みを浮かべながら、傲慢に話し始めた。
「あいつは国を裏切った、性根の腐った女なんだよ」
アイと少年は耳を疑い、エルタニアはやれやれといった調子で溜め息を吐く。
「ジッカリムとの戦争は何時勃発してもおかしくない状況で、あいつは突然姿を眩ませた。大方戦争が起こるかもしれないという空気に耐え切れなかったんだろう? 女は家で家事でもしてりゃいいのに、調子に乗るからいけない」
兵士の腐った性根の臭気が漂ってくるようだ、アイは血が出るほどに唇を噛み、押し黙る。
「んん? おまえまさかあいつの友達だったのか、そんな悔しそうな顔をして? あんな女のどこがいい?」
「まあでも? いい体はしていたよな。くく、男だらけの兵団に自ら志願したって事はもしかしてただの淫ら――」
「それ以上言ったら、そのご自慢の一物縊り取るぞ」
少年は縄を解き、兵とアイの間に立った。聞くに耐えない男達の下卑た笑いに、堪忍袋の緒が切れたのだ。
そうでなくても少年は自分で気づかないほどにヘザーを慕っていた。
そんな人を侮辱された少年に、我慢する理由なんて一つもない。
「貴様どうやって縄を解いた?!」
「切り伏せる!」
短気にも再び剣を抜き放つ兵達。
今度は初老の男も止めなかった。
少年は向けられた刃先を平然と握り、無造作に投げた。
何が起こったかわからないであろう兵達は、神殿の外へ放り出され落ちることなく空の彼方へ消えていった。
怪力というレベルを大幅に逸脱した少年の力に、文字通り脱帽して言葉を失う初老の男。
「お前がやってなかったら俺が制裁を加えるところだった」
「右に同じです」
「私もあいつら嫌ーい」
口々に言い放ち、縄を解く三人。それぞれ違う方法ではあるが、彼らを拘束するのに縄だけでは心もとないということを証明している。信じ難いその光景に、初老の男は腰を抜かしへたりこむ。
「で、だ。おいお前」
「そいつは波動教会の助祭で、マーレンっていうんだよ~」
「ほお。じゃあ助祭野郎。どういう意味があって俺らを捕まえたか、きっちりかっちり吐いてもらおうか」
その言い方からするにどっちが悪者か解ったものではない。
マーレンはこの四人の中では比較的被害の少なそうなアイに助けを求め視線を送った。
が、アイはそれを無視する。
ヘザーをあれほど悪く言ったのだ、エルタニアに脅迫されるぐらい当然の報いであろう。少年が投げ飛ばさないだけありがたいと思ってもらいたい、とアイは心の中で毒吐く。
「わ、わたしはなにもしらない! 教会がジッカリムにお前ら六人を売ろうだなんてそんな事画策していない!」
うっかりにしても程があるだろうと、エルタニアは呆れた。あれほど怒っていた心も呆れに支配される。どうやらマーレンは限りなく口が軽そうだ。
ならばと加虐心を滾らせ、更に情報を引き出そうとする。
「六人とは誰のことだ? ジッカリムに売ってどうする気だ?」
「そ、それは」
エルタニアが少年に目配せする。これには少年も気づいたらしく、黒曜石の柱に近付き、もいだ。
なんの抵抗もなく、もいだ。
言葉にならない声、とは正しくこのことだろう。
その様子をエルタニアに見させられたマーレンは顔を真っ青に染め、ベラベラと話し始める。
「ろ、六人とは、あなたがた四人と、導師トト、それとあの女の――」
「あの女とは誰のことです?」
低い声で咎めるアイ。
流石にこの四人に囲まれ同情できる部分もあるが、だからと言って脅迫の手を緩める理由には至らない。
「ひ! ヘザー! ヘザー・ラッセン様です!」
「んで?」
「ツ、ツェルは食料難や、物資の不足により困窮しています。それの上で戦争なんて無理です。だからジッカリムにとって不利益となった人物の命を差し出して、戦争を回避しようとしているんです! だ、断じて私は違いますぞ! そのような事、誓って一言も言っておりません!」
正直これだけ機密情報を漏らしておいて、どの口が言うのだろう、と少年は思うが、誰も何も言わないので推移を見守った。
「噂は本当だったってことか」
「噂?」
エルタニアのそれまでとは違うため息にアイが気づき独り言を拾う。
すると汚いものでも見たかのように顔を歪め、エルタニアが聞いたという噂について話し始めた。
「ジッカリムが野盗を使ってツェルへ運ばれる物資を根こそぎ奪っていると、黒い噂があってな。最初はまさかと思ったが街の人間を見るに」
「噂は限りなく黒、ってことですか」
ここへくる途中、脊髄山脈を越えて侵入した珍しい一団の噂を聴いてちらほらと集まった町人達を見た。一目見てわかるほどに、痩せた体つき。意志薄弱な瞳。どんな異常事態があればこのような惨状になるのかと、アイは目を伏せずにはいられなかった。
話を聴いて集まった者達はまだいい。興味を示さず、外に出る気も起きない人々が大勢いるのだろう。マーレンの話を聞いた時からアイは背中に悪寒を覚えていた。
「そうまでして、ジッカリムはツェルを倒したいのでしょうか」
「執念、といえばそうなんだろうが、それ以上に狂気すら感じる」
「国を思えばこそ! 私達は国を思って苦渋の選択だったのです! わかりますよね、為政者には非情な決断を下さないといけない時があることを!」
だから自分は悪くない! と主張したいようだ。
エルタニアの盛大な溜め息が聞こえ、文句の一つを言ってやろうと口を開きかけると、少年がそれを制する。瞬間アイとエルタニアは総毛立った。
少年に外見的な変化はない。ただ、怒っている。少年と付き合いの短い少女でさえも、その怒気に充てられたように笑みを消し、目を見開いている。
それはどうやらマーレンも同じようで、肩を震わせ、歯をがちがちと言わせ怯えている。
「お前が侮辱したヘザー・ラッセンは。僕らとの旅の途中、食料が少なくなった時、率先して自分の分を僕らに分けてくれた。だと言うのにお前は何だ? 何故そんなにぶくぶくと肥えている? 街の人達に配給せずに自分達の欲のために浪費したのだろう? 国のために、為政者だから、非情な決断をせざるを得ない? 笑わせるなこの――」
「もうやめて。この人、気を失っています」
少年が我に返り、マーレンを見ると白目を向き泡を吹いて倒れていた。
少年のあまりの剣幕に自衛本能が働いたのだろう。
少年は呼吸を整えそのまま口を噤んだ。
エルタニアは少年の熾烈さに身震いした。
それが収まったことに安堵もする。
まるで全てを破壊し尽くさんという勢いで動く嵐のようだった。やはりこの少年には途方もない力が秘められているのだと確信すると同時にふと、自分で考えた事を反芻する。
――全てを、破壊し尽くさん勢い?
まさか少年の正体とは――
「なんでもいいからトト爺に会いたーい」
無邪気に叫ぶ少女。
同時期に見つかった記憶を失う彼ら。エルタニアの中で、絡まった紐が一つ一つ解けていくように、次第に鮮明になっていく、少年達の素性。
そう、偶然にしては出来すぎていたのだ、少年がアイに拾われたことも、少女がここで拾われたことも。先ほど少年に感じた冷や汗よりも、ずっと大量の汗が滲み出る。確証があるわけでもないし、言質を取ったわけでもない。
だが、エルタニアは自分の持った答えを疑わない。それがどれだけ恐ろしい想像か、どれだけ悲劇的な想像かわかっているのに。
もしそれが真実ならば。
辛くとも楽しいと思えたこの旅の終は近い。
「トト導師を探そう」
エルタニアの心は決まり静かに言い放つ。
アイは小さく、少女は元気に、少年は無言で頷き答えた。
では語ってもらおうじゃないか、全ての真実を知るトト導師に。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます