第二十話 争いと破壊の神、平和と創造の神
黒曜石神殿地下で拘束状態のトト導師を発見したとき、彼の第一声が全てを物語っていた。
「グレン……やはり帰ってきてしまったのかだよ」
少女に似つかわしくない名を呼ぶその人こそエルタニアの言う世界最古の波動存在、信じる心のトト導師。
暴力こそ振るわれた様子はないものの、体はやせ細り、衣服とは到底呼べないぼろ布を纏い、両手を頭上で拘束されている。
とても老人に対する仕打ちとは思えない。
少女が慌てた様子で駆け寄り、その拘束を解きトトを介抱した。
だが、エルタニアはもちろん、アイも言葉を失ったのは他の理由だ。
今、トトは少女を何と呼んだ?
「もー、トト爺その名前で呼ぶのはやめてって言ったのにー。可愛くないから」
「そうは言うがお前はグレン・メルティナが取り出した平和と創造の神なのだよ? 彼の名を継いでも構わないだろう?」
「いーやーだー! 可愛いのがいい!」
「やれやれお前というやつは全くかわらないのだよ」
久しぶりの再会を楽しむ二人。
その様子は形容するまでもなく、祖父と孫のそれだった。
仲睦まじく話し合う戯れあう二人に恐る恐るエルタニアが問う。
「あなたが、世界最古の波動存在であり、ツェルの指導者、導師トトですか?」
トトは少女と戯れるのをやめ、真剣な眼差しでエルタニアに向き直り膝を正す。
「今はただの囚われの身で老いぼれに過ぎないがな。ここまでよくこの子を無事届けてくれたね、木霊のエルタニア。感謝の言葉もないのだよ」
そう言って深く頭を下げるトト。
長く白い髭、滑らかな白髪。
如何にも老人然とした風体だがしかし、瞳に宿る意志の強さは先ほどの男とは比べ物にならない。ぼろを纏っても心までぼろにならず、しかも孫娘を慮る発言なぞなかなか出来ることではない。
「この子の名前グレンって……それに取り出された神? 一体どういうことですか?」
トトが頭を上げアイに視線を移す。
その瞳には意志の強さと同様、優しさが満ち溢れていた。
「アイ・メルティナだね? グレン・メルティナによく似ているのだよ。ここまでの道のりは大変だっただろう?」
「アイには私もお世話になったんだよ~」
「そうかそうか。改めて礼を申し上げるよ、ありがとう」
再び頭を下げるトト。
アイは気にしないでくださいと告げ、話を促す。
「さっきの話は本当なんですか? その子が取り出された神だって言う」
トトは深く頷く。
「その通りだよ。私がグレンの隣でこの子顕現する瞬間を見ている。彼女は平和と創造を司る神、波動存在だ」
エルタニアは暗い気持ちになる。
悪い方向に想像が当たってしまった。
ちらりと少年を見ると、どうやら先ほどの一件で気落ちしたままのようで、トトの話を聞いていない。
だがそれもまもなく終わる。
このまま話を続ければいずれ少年に話が及ぶ。
その瞬間はすぐそこだ。
「でも、反動存在との争いでこの世を去ったはずでは?」
「それが波動の厄介なところなの。波動存在と、反動存在は表裏一体。どちらかが死ねばどちらも死ぬ。だから両者は両者の保存を最優先する。だったよね~」
抱きつく少女の頭を撫でながらよく覚えていたと褒めるトト。
同じ波動存在だからこそ、彼女が可愛いのかもしれない。
「そしてどうやら破壊の神は、記憶を砕く事によって両者の保存を図った。計画はうまくいったようだが、その行為でさえも自分に跳ね返るとは思わなかったらしい。両者もろとも記憶を失くした、という訳だ」
トトと少女が未だ茫然自失の少年を見る。エルタニアは目を伏せ視線を外した。
アイは鳥肌が抑えられなかった。
錆び付いたかのように動かない首を無理やり回し、少年を振り返る。
一同に見つめられた少年は流石に気が付いて、戸惑った。
その視線の意味することとは、つまり。
「その少年こそが反動惣菜、争いと破壊の神だ」
トトの乾いた声が黒曜神殿地下に響き、エルタニアの推測は最悪な形で当たっていた。
※※※
少年が呆然とするのも無理もない。
気が付いたら知らない場所で知らない老人に、お前は神だ、と言われたのだ。話についていけないは仕方がないことだろう。エルタニア以外の全員の視線が刺さる。
呆然としていて話を聞いていなかった少年が悪いのだが、一体どういうことなの? と聞き出せる雰囲気でもなく少年もだんまりを決め込む。するとトトが笑い出し全員の視線を集めた。
「だからと言って、君の神としての記憶は二度と戻らないだろう……力は取り戻せるだろうがね。破壊のみを司る君の砕いたものは再生しない、絶対にだよ」
だが。と一度言葉を切り、少女の頭を撫でる。
「例外がある。この子は少年と対極の力を持つ者。少年に砕かれた記憶も少しずつだが取り戻している。この子の力を使えば少年の記憶を取り戻すことができるのだよ。だがそれは同時に破壊の神をもう一度生み出す行為でもある。これが何を意味するかわかるね?」
アイに問うトト。
アイは生唾を飲み込んで、震える声で答えた。
「我が父、グレン・メルティナと同じく……戦争の引き金を作ることになる、そういう危険を孕んでいます」
「その通りだだよ。ツェルは記憶を砕いた神を探し見つけたのだよ。アイの下でね」
アイはその言葉を聞いて確信した。
ツェルは少年の力を利用しようとしたのだ。
破壊の神を所有していると知れば、ジッカリムとて迂闊に手は出せない。
しかも今後明らかな圧力を掛けることができる強力な切り札だ。
実際に使えない、使わなくとも、見せるだけでいいそんな切り札が手に入れば、世界を牛耳ったも同然。当然少年に自意識なんて必要なく、記憶を失っているのならば本当の意味で最高の駒として調教もできる。
少年はアイのおまけじゃなかった。
アイが、少年のおまけだったのだ。
愚かな考えだ、そしてそれ以上に浅ましい。
結局どの国も考えることは一緒というわけだ。
権力を欲し、富を欲し、そのためにどんな犠牲も厭わない。
なんて哀れなのだろう、人間という生き物は。
非哀の篭った声で、アイはトトとの話を続ける。
「ヘザーは、このことを?」
トトはアイの考えを察し首を横に振る。
「思えばかわいそうなことをした。女の身でありながら健気にもグレン・メルティナに憧れ、聖団で修練に励む彼女はとても輝いていた。教会と政権のどす黒い思惑に巻き込まれ、汚名を被ってまで君を迎えに行ったというのに」
自分だけが止める事が出来たはずなのに、と悔やみ視線を下げるトト。
彼の姿を見て、ここにヘザーがいないことを実感する。
だが、アイはトトとは違う思いを抱いていた。
「……そうでなければ私達は彼女に出会えなかった。私達はヘザーのおかげでここまでやって来た。その子も私も、本当に、本当に救われた。他の誰でもない、ヘザーに。だから、彼女は今でも輝いている。私は絶対に忘れない」
その思いは少年も同じだった。
トトが視線を上げると、瞳に涙を湛え、それでも零さまいと天井を見つめるアイの姿が目に映った。その姿はまるで、聖団の男共に馬鹿にされ卑下にされ、悔しくて連日のようにアイと同じような姿で泣いていた、ヘザーを思い起こさせた。
トトは胸が熱くなる。
ヘザーの想いがアイ達をここまで運んでくれたのだと、彼女はちゃんと仕事を全うしたのだと思えたから。
「んで? どうするんだ、少年の記憶は。戻すのか戻さないのか」
少々苛立ったような風にエルタニアが催促する。
話が逸脱したのを怒っているのか、自分の功績を忘れられたことがそんなに腹立たしいのか、アイにはわからなかった。
アイは少年に向き直り、肩を掴む。
多少驚きはしたものの、少年は真っ直ぐアイを見つめ返した。
「私達が決めることじゃないと思うから、聞きます。君は、どうしたいですか?」
アイの真剣な眼差しが少年を射抜く。少年は、それに応えるように力強く頷き、答える。
「僕は……僕は本音を言えば、記憶を取り戻したい。けど怖い。さっき憎悪に飲み込まれて何もかも壊してやりたい気分になった。あれはとても怖い。嫌な気持ちだった。あんな気持ちになって世界が黒く見えて、何もかも壊してやりたいなんて思おうくらいなら」
集まる人の顔を見回す。
アイは優しい笑顔で、少年の言葉を待っている。
エルタニアは厳しく乱暴ながらも、最後まで味方だと言ってくれた。
少女は笑ってはいるが、少年の言葉を余さず聞こうと少年を直視している。
トトは柔和な、厳しい表情で少年を見つめていた。
少年はヘザーを思い出した。
彼女なら、この場合、何と言っただろう。
なんて言い訳付けて抱きついてきただろう。
彼女は少年のふわふわな髪が好きだと言った。ベッドで寝ていると必ず髪を撫でていた。隙あらば撫でようとする彼女に少年は心を許し、したいようにさせた。
目を閉じ、彼女の姿を思い浮かべる。
きっと彼女は底抜けに明るい声で、こう言うだろう、どっちにしても、髪は撫でさせてもらうからね、なんて。
少年は笑った。
こんな素敵な感情があるのに、わざわざ黒い世界に戻る必要なんて何もない。
「僕は記憶なんていらな――」
「ここにおったかこの野蛮人共め!」
少年が言い終わる前に、先ほどのマーレンが地下に入り罵声を上げた。エルタニアがため息を漏らしつつ出入り口を窺うと、二十人はいるマーレンの部下が全員抜刀状態でいつでも斬りかかれる状態にあった。
苦笑いで頭を振りつつ、ため息混じりに報告する。
「あちゃぁ。奴さん、相当ご立腹のようだぜ」
その責任のほとんどはエルタニアのものなのに、どこか他人事のように漏らす。
「どうする? 蹴散らすか?」
マーレンは両肩を激しく上下に揺らし、轟々と叫んでいるが部下達は冷静なようでこちらの出方を窺っている。
エルタニアの言う通り蹴散らすのは簡単だが、だからと言ってどこに逃げるというのか? アイは考える。
「君らには巻き込んで済まないと思っている。この子を連れて、どうか逃げて欲しいのだよ」
地べたに頭をこするのではないかと思うほど深く頭を下げ、トトが懇願してきた。エルタニアが何も言わないので、アイもそれに倣う。
トトが、語り始めるのを待っているのだ。
「ツェルに戦う力などとうに残ってはいない。だが、ジッカリムが戦争をやめることはないだろう。そうなれば、この国は滅んでしまうのだよ」
「そのために、人柱になると? 犠牲になると? 関係ない人々のために」
冷たく言い放つエルタニア。
それを光宿る眼光で見返す、トト。
「そのつもりだよ」
「ジッカリムは私をだしに戦争を仕掛けるのでしょう? だったら私が行けばいいのではないでしょうか」
トトは首を横に振る。
「君は戦争の口実に過ぎない。行くだけ無駄だ」
「そんな……」
「決意は揺るがないんだな?」
「もちろん」
「殴って止めても無駄なんだな?」
「殴って止めても無駄なんだよ」
無言で視線を交わすエルタニアとトト。
やがて観念したように、エルタニアが頭を掻きながら両手を上げた。
「……はぁ。どいつもこいつも面倒事は全部俺に押し付けやがって。貸しですからね、トト導師」
「返すあてはないのだよ」
にっと笑い合う二人。
アイには意味がわからなかった。何かのために何かが犠牲にならなければいけないなんて、おかしいはずだ。
だというのに、この二人はそれを平然と許容している。
「やだ~! 私はトト爺と一緒にいるもん!」
「たまにはじじいの言うことも聞くものなんだよ」
「マグベルトには行ったもん!」
トトが、アイに寄る。
どんな表情をすればいいかわからずにいると、笑っておくれと、トトは優しく微笑んだ。
「例えどんな結末になろうとも戦争はこれで終わるのだよ。君のような若い娘さんが、戦争に振り回されて戦う術まで覚えるなんて悲しい世の中だ。この子達もそうだ。生まれたばかりで争いを繰り広げ、記憶をなくしても平穏な生活とは無縁の日々。心のままに生きなさい。そして沢山の景色をこの子達と見て欲しい。この子達が知るよりも君が知るよりも。世界はまだまだ未知に溢れているのだよ」
トトの手がアイの頭を撫でる。
アイは父に撫でられたような気持ちになり、涙が溢れた。
「なんで、なんでそんな事言うんですか、なんでこの子と一緒にいてあげられないんですか? 他に方法は本当にないんですか?」
何のために得た力だったのか。何のために学んだ技術だったのか。ぼやける視界に返ってくる答えはなく、トトは背を向ける。
世界はどこもまでも本当に非情だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます