第二十五話 木霊のエルタニア

 少年は確信していた。


 すぐに自分にも変化は訪れるだろう、そして少女を止めるのは自分の役目であるということを。

 やがてその時はきて、激痛が一瞬にして全身を駆け巡る。

 しかし不思議と嫌な気分はない。なるべくして、来るべくして襲った痛み。甘美とは言い難くもひどく懐かしく母に抱かれるような優しい痛み。

 変化を受け入れ痛みに酔いしれる少年を、アイとエルタニアの二人は驚愕の面持ちで凝視した。


「おいおいまさか」

「なんで、こんなことに」


 先ほどの少女とは違い少年は光を発しなかった。

 代わりに周りの光を吸収していく。

 空に照る太陽の光を、世界に満ちる少女の光も。

 その異様な空気に少女も気付き、トトのいる丘を睨む。


「そう……どうあっても争う運命なのねあなたと私は」


 少年の変化は少女のように劇的ではなかった。

 いつもの寝ぼけ眼はなりを潜めたぐらいにしか変化していない。

 ただ、アイは不思議に思った。

 何故創造の神にあれほど恐怖したのに、破壊の神には安心感を抱くのだろうと。


「僕は、あの子を止めに行く」


 見惚れていたため一瞬なんのことかわからないアイだったが、すぐに少女のことだと合点がいく。


「破壊の神なのにか?」


 エルタニアはこんな時だろうとお構いなしに皮肉を言った。

 それがあまりに自然な気がしてアイも小さく笑う。


「確かにおかしな話ですね。創造の神は世界を消し去るといい、破壊の神はそれを止めるという。矛盾していますよ」


 そうそれが普通だった。

 短い期間とは言えアイ達にとってそれが日常の会話なのだから。

 

 それなのに。

 こんなに悲しいのは何故だろう。


「記憶が戻ったわけじゃないからね、多分あの子も」


 言って、

 少年は天空を仰ぎ腕を突き上げぐるぐると回し始める。

 みるみるうちに空が雲に覆われ、やがて雨が降り始めた。

 

 悲しいのは何故か? それは――


「僕があの子を止めに行ったらアイを守る事はできない。だからせめて雨でこの戦場を満たすよ」


 飛び上がる少年。中空に浮く。

 

 ――悲しいのは。全てがこれで終わってしまうと理解しているからだ。


「それじゃアイ。色々あったけど今日まで楽しかった」


 まるで別れの挨拶のようだ……そう思う頃には、少年は空に飛び去っていた。


「……なんですかそれ。なんですかその捨て台詞! ずっと側にいるって言ったじゃないですか! 離れないって言ったじゃないですか! 戻ってきてください……戻ってきてよぉ!」


 アイの慟哭は戦場に響いたが少年の決意には届かない。

 辺りが雨で黒く染まり、地上に残る光は遂に少女のみとなった。


「今のうちに避難しちまおう。七割以上屠られもしたらそら戦意もなくすが、何時ジッカリムが動き出すとも限らんからな。あいつはやるべきことをやりにいった。なら俺達もそれに殉じよう」

「やるべきこと? なんですかそれは一体。トト導師は死に、少年と少女は力に目覚め軍隊は止まった。私たちにやるべきことなんてもうなにもありません。結局守られた。矢面に立つことなんてできなかった。あの子たちを止めることはできない、争いを止めることもできない。そんな私に一体何ができるというんです? なにもない。何もないですよ」


 エルタニアの平手がアイの頬を打つ。


「俺は思考停止するなと言ったぞ、アイ。お前の決意はその程度だったのか。ここへ来る時お前は一人で来るはずだっただろう、小年が一緒に来て安心したか、ずっと一緒にいると本気で信じていたのか? 甘ったれるな」

「どうせ私は甘ちゃんですよ! 出来もしない理想を掲げ、ありもしない幻想を求める夢を追う馬鹿ですよ! 長年生きた師匠と一緒にしないでください! 私はまだ十六歳の小娘なんですから!」


 全ての音をかき消す雨の音が聞こえる。

 アイは自分の声も掻き消して欲しいと願った。

 下らない愚痴を吐き、意味もなく怒鳴り散らす。

 それほど自分の存在が矮小に見える行為はない。


「俺はもうすぐ寿命を迎える」


 雨はすぐに土砂降りになってきた。遠雷も聞こえる。

 あれは少年と少女の激突音だろうか? 


「……え?」

「マグベルトの民は、生まれた瞬間から寿命を知っている。俺はどうあがいても覆ることのない運命と共に生きて来た」


 だからあの時、マグベルトの長老達はエルタニアが出ていくのを止めようとしたのだ。

 もうすぐ尽きる寿命。

 せめて穏やかに、故郷で過ごさせたいという想いから。


「俺の目的はただ一つ。その運命を蹴飛ばす事だ。あっちで派手にやっている二人も同じじゃないか? 生まれ落ちた瞬間から役割を決められ、それに従うしかない生き方。なんとなくあいつらの今の気持ち。俺にはわかるよ」


 雨は降り続く。

 エルタニアと少女の間の距離は近い。

 が、アイはその距離は永遠にも似た距離があるように思えた。


「ただ運命だからとそれを悲観したことは俺も含め、あいつらだってないだろう。必死で抗って、必死で頑張って。こういう言い方は好きじゃないがな。譲れないもんのために戦ってんだよ」


 拳を握るエルタニア。

 その瞳に、揺らぎはない。


「譲れないもの……」

 

 いろんな音がアイの耳に飛び込んでくる。

 地響き、遠雷、鬨の声。

 おそらくジッカリムが少女と少年の戦いを見て攻勢に出たのだろう。

 そうなれば、じきにここへも兵は雪崩れ込む。


「お前の譲れないものってなんだ?」


 エルタニアもそれは分かっているようで自身の杖を大地に深く突き刺した。

 すると杖は意志でもあるように動き始め、小さな若木になった。


「私の譲れないもの……それは」


 沢山の人々の顔が脳裏に浮かぶ。

 雪山で経験した走馬灯とは違うそれ。

 優しく暖かな想い。そのどの思い出にも寄り添う優しい微笑み。

 そうか。これが私の――


「私は……あの二人を、家族・・を守りたい!」


 それがアイにとってのやるべきこと。

 譲れない想い。

 空を見上げる。

 そこまで離れていない場所で、光と闇がぶつかり合っている。


「それでいい」


 エルタニアが背伸びをしてアイの頭を撫でた。

 いつかのトトのように、撫でられた頭はじんじんと熱い。


「行ってこい。ジッカリムの軍団はおれが止める。なに、本気になれば朝飯前だ」

「ありがとう師匠。頼みます!」


 走り出すアイ。

 先程までの迷いや弱さはもうない。

 あるのは信念と希望に向かう勇気だけだ。

 その後ろ姿をみて、もう弟子に教えることはないと悟る。

 魔法はもともと系統が違うから基礎しか伝えられない。

 ならば自分に何が伝えられるかと、エルタニアはアイを弟子に迎えるとき悩んだ。アイになくて自分にあるもの。それは長い間溜め込んだ知識と、信念や考え方といったものだった。

 アイは才気溢れる魔法使いだ。魔力の絶対量が異常に高く、教えることを湯水のように吸収し、尚且つ応用できる柔軟性。自分の弟子でいいのかと思える程の逸材。

 だが彼女はまだ一六歳。

 いくら異彩を放つ存在になり得ようとも、考え方や行動は甘い。

 冷静沈着のように見えて直情。思慮深いかと思えば短気。

 なんとも父親しんゆうにそっくりだと思ったものだ、才能あふれるところまで。


「行ってこい馬鹿弟子。横槍は入れさせねえよ」


 そうしてアイと過ごすうち、エルタニアの中でも変化があった。

 最初は親友の忘れ形見として、次にヘザーの頼みで。

 だが次第に、弟子として、仲間として。

 エルタニアの中で、守りたいと思えるようになっていったのだ。

 エルタニアは少女程ではないにしろ人類に絶望していた。

 争いは絶えず、奪い、殺し、仮初の平穏が訪れても、すぐに争う。自然をないがしろにし、まして疎み、破壊していく。

 絶望悲観してもおかしくはないだろう。世の中との繋がりを嫌い、孤独に生きていく中で、何故自分は生きているのかと思った時期もあった。

 遮二無二世界を変えようとした時期もあった。

 そのどの時代よりも、今アイ達と過ごした日々が一番熱い時代だった。

 

 だったらもう。思い残すことなんて何もない。


「やぁエルタニア。なんで君しかいないのかーな?」


 トーンの声が聞こえる。

 ぼーっと感慨に耽っている間にエルタニアはジッカリムの軍隊に囲まれていた。


「少年はどこだい。僕、彼を殺しに来たんだけどさ」


 わざとらしい素振りで見回すトーン。

 振り返れば倒れたトトの姿もないが、今にも雨で消えそうになっている血の痕に気付き少しだけ驚いて、笑う。

 あのくそ老人め、なかなか演技派じゃねえか、と。


「てめえの想い人なら、天空で戦闘中だ」

「どっち?」


 しっかりと意味を取られ、聞き返す。


「破壊の神」

「くは! これは傑作。僕ってば、もう少しで破壊の神を殺せるところだったんだね! そうしたら僕の異名は神殺し!? いいね、いいね唆るじゃんか!」


 トーンはいつもの調子で笑う。

 根っからの戦闘狂。

 ただしイカレを演じ、功名心だけが先走るクソガキそのものだ。


「じゃ、もう用なしだね。ばいばいエルタニア。うちに来てくれればもう少し遊べたのにね?」


 笑いながらも合図を送ると、囲んでいたジッカリムの兵達が背中からエルタニアを槍で突き刺す。

 鮮血が若木にかかる。エルタニアは血を吐きながらも不敵に笑った。

 その笑いに反応しトーンの笑顔が消える。


「……なにがおかしいわけ?」

「いやなに。思えばこの旅はお前の襲撃から始まったなぁと思っただけさ」


 兵達はその不気味な気配に肝を縮めた。

 トーンとは違う気味の悪い笑い方。

 力いっぱい握っている槍が押しても引いても動かないのだ。

 トーンはそれに気付かずエルタニアと同様笑う。


「はは、それもそうだね。でもこうして僕に引導渡されたんだ、感慨も一入でしょ?」

「引導? 何言ってやがる」

 

 若木が、鮮血を吸い、緑の葉を紅く染める。

 それに気づいて顔色を変えるトーン。


「お前ら全員……俺が引導を渡すんだよ!」


 エルタニアが叫ぶ。

 と同時に若木は一気に成長し、その根が大地より這い出し万を超す兵達を一人残らず絡め取り地中へ引きずり込む。

 トーンも例外ではない。


「エルタニア! 何をした!?」


 剣を取り出し根を切るトーン。

 だが切っても切っても根は絶えることなく、トーンに向かって襲いかかる。

 あまりの物量に切っても切っても追いつかず、ついにはその場から逃げ出そうと踵を返すが、そこにはいつの間にか樹木が行く手を阻み、いつの間にか深い森の中に足を踏み入れた錯覚さえ覚える。


「捧げたのさ、この身を」


 振り返れば、そこにはもう小さなエルタニアの姿はなく大きな樹木と一体となった化け物がいた。

 その間も絶え間なく襲い来る根。

 そしてついにトーン絡め取られる。剣を持つ腕は幹に絡まれ骨という骨を砕き、魔戦技を練る集中力さえ絞り上げられる。

 身を捧げる、だと? 

 馬鹿げている、命を賭してこのような大規模魔戦技を行使したというのか!?

 薄れゆく意識の中でトーンは最後の力を振り絞って叫ぶ。


「何のために! 正気か、エルエル・カフプ!?」

「狂気は承知さ。これからは森として生き、森として朽ちよう」


 トーンにその言葉は届かない。

 彼が最後に見たのは、新緑の木々に切り取られた墨色の空。

 そこに浮かび、激突する二つの光だけだった。


「我は木霊のエルタニア。さようならだ、我が愛しき子らよ」


 エルタニアが新たに得た譲れない想いのために。

 アイが生きる世界のために。

 

 彼は、森となった。

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