第二十四話 いと高き御身の降臨に、人は身と心を捧げよ
何が起こったか、誰も理解できなかった。
世界に光の奔流が世界を満たし、誰もがそれを直視することができない。
世界中の人々がその光を見た。
いつか見た光。
厄災の英雄、グレンが創造の神を取り出した時と同じ光。
人々は、神はまだこの世界を儚んでいなかったと知り、歓喜した。
戦争は終わり、枯れた土地は緑に染まり、為政者のよる独裁的な政治は終わる。
神の存在は当初のグレンの思わく通り確かに、人々に希望や勇気を与えた。
だが、その時。
人造の神がどのようにして覚醒したか、誰も知らない。
覚醒の瞬間を目の当たりした三人を除いては。
収束する光。その中に佇む少女。
普段の笑顔は消え、ただただ無表情の彼女がそこにいた。柔らかく撫で心地の良い金の髪が足元まで伸びており、それだけで、大人びて見える。
ただアイは震えが止まらなかった。光を纏い、呆うっとトトを眺めている姿は、隙だらけといってもいい。
少年が全力で後頭部を殴ったら、気絶させることができるのではと思うほどにその姿は儚い。
だというのに、アイは奥歯を鳴らし、寒くもないのに、自身の身体を抱いた。
悪寒、恐怖、戦慄、絶望。
全てだ。全てを感じた。
目の前にいるのは人造とは言え神だ。
畏敬の念を抱きこそすれ、アイが感じたそれらの感情は全く逆のものだった。
トトが孫のように可愛がっていた少女の姿はなく、そこにいるのは絶望の塊、底暗き闇の深淵の一端。
「な、なんだよお前、一体誰だよ!」
身代わりになった男が叫ぶ。
彼も感じるところはあるのだろうが、アイやエルタニアほどではない。
後ろに隠れる身代わりの人々を代表して、畏れおおくも吠えた。
ぎゃんぎゃんと喚く男に少女は興味なく手をかざす。
アイ達は一挙手一投足に反応するが、男は何も分かっておらず喚き続けていた。
刹那。男が死んだ。
否、消えたと言ったほうが正しい。
刹那の瞬間まで喚いていたはずの男が跡形もなく消え去った。余韻もなにもない。
エルタニアは血の気が引いた。
何をやったかわからない。魔力の流れも特別な力も何も感じなかった。
だが本能が告げている、あれはまずいと。
下手に動けば刺激し、その手をこちらに向けてくるかもしれないと思うと呼吸すらままならない。
少女は感情をなくした顔で隠れた身代わり達を見、アイ達を見た。
せめてもの強がりで身構えてはいるものの、アイ達に対抗手段はない。
「人が存在するこの世界に平和は訪れない……ならば人類はいらない」
少女の声はそのままだったがその口から紡ぎ出されたそれは、アイが在りし日に覚えた恐怖の言葉と同じだった。
少女は何の抵抗もなく空高く飛び上がる。
そうして見回した。
我欲の塊と言っても過言ではない、低能で野蛮な種族を。
嫌悪に顔を歪ませ、吐き捨てるように呟く。
「手始めにここに集まる貴様ら全員消し去るとしよう。光の底へ」
※※※
ファルアザードは自分の正気を疑った。
今日何度目になるかわからない。
それほど目の前で繰り広げられる光景が信じられないものなのだ。突然、地上に太陽が現れたかと思うほどの光が溢れたかと思うと、それはジッカリムの軍隊頭上に登り、消し始めのだ。
これは比喩ではない。
殺しているのではなく消しているのだ。
血も飛ばない、断末魔も聞こえない。
代わりに聞こえてくるのはわけのわからない存在から、逃げようとする兵達の叫び声。この世のものとは思えない光景に戦線に戻ったトーンを始め、隊長達もファルアザードもギシンさえも息をのむ。
「なんだ、あれは? 何なんだ一体」
誰ともなく上がったその疑問に答える者はいない。
ただ、ギシンだけがその答えを知っている。
彼はかつて、グレンが取り出した二柱の神の争いを見ていた。
いずれも尋常ならざる力を行使し、大地を揺るがし、天を震えさせる一撃の応酬を持って争っていた。
人外の争いは人外の者にしか知覚できない。現代を生きる人類には、彼らの争いは目撃することはできなかったが、ギシンは波動存在。波動の力がどれほどのものか見極めるつもりで争いを観察したが、異常な力の存在であるということだけしかわからなかった。
(これは計画を急がねばなるまい)
決断すると、早速ギシンは王に話しかけた。
「王よ、あれは波動より取り出された件の神でしょう」
「なに?」
ファルアザードの鋭い声が飛ぶ。
視線は神より外せないが、彼の覇気は失われていない。
「波動の悪魔が取り出した神は二柱とも倒れたと聞いたが」
「何らかの形で復活したのでしょう。あるいは、新たに取り出したか」
「ツェルの愚民どもが……」
歯ぎしりするファルアザード。
だが彼は気づいていない。自分自身が放つ言葉が震えていることに。
「王、私はこれよりツェルに潜り込み、波動を探します」
「この地獄を横切るというのか?」
「はい」
その言葉を聞いて、初めてファルアザードがギシンを見る。
「不本意ですが、彼らが波動を使うというのなら、我々も波動を利用しましょう。そのあと波動をこの世から消しても遅くはありません」
「この私に波動を頼れというのか!」
「負けるよりはいい。負けるよりは」
「だが、しかし!」
ファルアザードは苦悩する。ギシンはもう少しだとばかりにまくし立てる。
「王よ、ここで負ければ、歴史的大敗。ジッカリムは波動に屈したということになります」
「それは利用すれば同じこと」
「いいですか、歴史を作るのは正義や勇気ではない。勝った者です。勝ったものが自由に歴史を作ることが出来るのです」
「……事実を、明るみに出さないというのか?」
「勝てばこそ、ですがね」
ファルアザードは考える。考えに考え抜いて思考を放棄した。
人間同士の戦ならまだいい。
いくら一騎当千の化物がいようと、戦う意志はある。
だが目の前の惨状はどうだ?
圧倒的、一方的な展開。地上に群がる蟻達に空を飛ぶ鳥は落とせない。
勝てるはずもない。
「ならば儂も行く」
利用できる物を利用して何が悪い、
戦争はどんな汚い手を使ってでも、勝利してこそ意味がある。
「トーン。貴様に全権を託す。戦線を離れるな」
「御意御意から、かしこまり~」
どうやって?
と思うが敢えて聞かないトーン。
要するに自分達が波動を使うまで、あの荒ぶる化物をここに釘づけにしておけということなのだろう。
いわば捨て駒。
王は軍団を全て捨て駒にしようとしているのだ。
さて。と、戦線を離れギシンの隠し部隊と共に行動し始めたファルアザードを忘れ、トーンは考える。
荒ぶる化物ははっきり言って手に負えない。
だから彼は楽しみを優先することにした。
まだ少年がいるであろう、丘を見る。
「ん?」
そこには小さな変化が見えた。
林が出現していることではない。
先ほど化物が出現した時のように、光を放っている。
しかしその表現は間違っていた。
それに気付いた時、トーンは後にも先にも初めて戦慄、というものを覚えた。
光が、その一点に吸収されていくのだった。
空を我が物顔で移動し軍団を蹂躙する神を太陽とするなら。
現在光を吸収しているのは月のよう。もう一柱の神が顕現しようとしている。
トーンには確信があった。
それは、必ず。あの少年である、と。
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