第二十三話 それが人類の答え
地平を白く染めていたジッカリムの大軍団が一斉に動き出す。
トトはまるで他人事のようにそれを見守った。
ツェルの僅かにいた兵達はトーンと騎馬兵達により悉く殺され、丘に残されたツェルの民は磔にされた六名のみ。
先程まで聞こえていた怨嗟の声や慟哭も止み、これから自分達に訪れる逃れられない運命を震えながら待っていた。
「ついにお前の国も終わりだな、トト。波動存在である我らは悲しいかな、自害できない宿命。悔しかろう、悔しかろう! くくく、お前は殺さぬ。この惨劇をしかと見届けよ」
「殺さぬ? 殺せぬの間違いだよ、ギシン。私を殺せば貴様も死ぬ。言葉は、正しく使うものだよ」
言葉を聞くやいなや無言で抜刀し、ギシンはトトの身体に突き刺す。トトは堪らずうめき声を漏らす。
「勘違いしておるようだな。殺しはしないが、いたぶらないとはいっておらんぞ? だがまぁまずは。お前の心を殺してやる。トーン万人将、この哀れな身代わりどもを一人ずつ殺せ、トトの目の前で」
「べっつに君の部下になったつもりはないんだけどねえ」
文句を言いつつも素直に従うトーン。
磔にされた女を下ろしトトの目の前まで連れてくる。
その顔に感情はなくただただ事の推移を黙って受け止めていた。
ギシンの狙った思惑は正しく作用し、トトの心を簡単に引き裂く。
「哀れな娘よ。お前はこの導師の浅はかな知恵の所為で死ぬのだ。波動を信仰し、トトを信じ、お前達が得られたものは何だ? 死だ。滑稽だな、救いを求めて信じた導師が、貴様らを滅びへと導く死に神だったのだよ。最後に言い残すことがあれば聞いてやろう」
ギシンは女の耳元で呟く。
女はそれを黙って聞き中空を見上げる。
瞬間女は信じられないものでも見つけたかのように瞳をカッと見開いた。
先程まで見る影もなかった生気を帯び始め、小さな、でもはっきりとした声でギシンではなく導師に告げた。
「導師様。私は導師様を恨んでいました。何故このような目に遭わなければならないのかと恨みました。でもこれは芝居だったのですね。このための布石このための時間稼ぎこのための私達だったのですね!」
ギシンもトーンも、そしてトトでさえも彼女の言っている意味がわからなかった。
ついに狂ったのかとギシンは勘ぐるが、それにしては声に覇気が宿りツェル人の特徴である生来の気質が彼女に見える。
一体何があったというのか。ギジシンは彼女の視線を追い空を見上げる。
最初は眼を疑った。何故真昼に星が浮かんでいるのかと。
だがそれもすぐに覚め、ギシンは顔を青くした。
青空に幾千幾万の黒い点。次第に大きくなるその物体。
その一つが近くに飛来し、轟音と共に地面に激突する。
地面に深くめり込んだそれは拳大の石。
石の、雨が降ってくる。
「ぜ、全員退避! この場を即刻離れろ!」
ギシンのその声に何のことだか分からず、戸惑いが広がる。
だが飛来した石の雨が丘周辺に到達し始めると、事の異常さに気付き、慌ててその場から退却しようとするが、時すでに遅し。
次々と石の雨に飲み込まれ、落馬し、倒れる騎馬兵達。
突然の出来事と、予想の範疇を超え混乱をきたす騎馬隊をよそにその恐るべき雨をトーンは一人笑い、攻撃と認識した。
「こんなことを出来るのは、あの子しかいない!」
にいっと口角を上げ不敵に笑うトーンは、その攻撃の主の姿を思い起こし歓喜に身を震わせた。
「あの少年が、来る!」
※※※
アイは一人で戦争に乗り込むつもりだった。
だが少年がついてきた。
残れと言ってもかたくなに拒み、ついてきた。
「アイだって止めても行くでしょう? アイと一緒にいる。どんなことがあっても、僕はアイの傍を離れない」
正直不安だった。
きっと何も出来ずに戦争で命を散らし、短い生涯に幕を引くことになるだろうと、ありありと想像できたから。
でも少年が傍にいてくれる。
この旅が始まった時から傍に居て、いつでも先に進むことを促してくれた少年の存在が頼もしかった。大腿荒野につくまでの間、二人の間に言葉はなかったが、それでも確かな信頼と、安心を二人共が感じていた。
まずは人質状態の彼らを救出しないと。
様子を窺い、今にも一人殺されそうになるのを見てそう呟く少年。山肌に剥き出しになった岩を砕き始め、その破片を片っ端からトトがいる丘目掛けて投げ始めた。最初は何がしたいのかさっぱりのアイだったが、丘の周囲を取り囲んだ騎馬隊が混乱し始めるのを見て合点がいった。
相変わらずの出鱈目っぷりだ。
「行くよアイ!」
「ええ!」
雨あられのような投石を止めるや否や、アイを抱きしめ全速力で駆け出す少年。まだ先ほど投げた石の雨が降り注ぐ中を横切り、トトの前に瞬時に移動する。
突然の介入にギシンは混乱を、トーンは興奮が最高潮に達した。
トトは言葉を失う。
逃げ延びろと言った彼らが、目の前にいる。
「き、貴様! どうやってここに!?」
「ふふふ、久しぶりじゃ~ないか、少年」
「悪いけど、今は構っていられない」
トーンが剣を振りかぶり少年に切りかかろうとした瞬間、少年は目にも止まらない速さで押した。
――空気を。
突然の衝撃にトーンは弾かれたように空に吹き飛ばされ、巻き添えをくらいギシンも吹き飛んだ。
トーンは笑う。明らかに、以前よりも強くなっている少年の実力に、心が打ち震えたのだ。
ギシンは舌打ちをする。彼が破壊か創造の神であることを一瞬の攻防で気付いたのだ。
だとすればどんなに数を増やし、どんなに兵力を増強しようとも、ジッカリムが万が一にも勝つことなど有り得ない。
(トトめ。まさかのあのような隠し玉をもっていようとは。……まぁいい、それならば計画は少し早まるが実行に移すとしよう。吹き飛ばされたのも僥倖ということだ)
まだまだ運は儂の味方だ。
ほくそ笑むギシンは、吹き飛ばした少年にありがとうと言った。
※※※
「前線では一体何が起こっている!」
ファルアザードの怒号に誰も答えることが出来ない。
ファルアザードが本隊は前進しつつも目の前で起こる惨状に目を剥き、言葉を失っていた。
それもそうだろう、騎馬隊はジッカリムの主力。
それなのに、千いた騎馬が石の雨により半数以上が壊滅状態に陥り、尚且つ前線に赴いたトーンとギシンは突然現れた二人の人物と対峙したと思ったら突如空に舞った。
驚愕至極、兵達の足は止まってしまう。
「止まるな! ツェルが抵抗してきただけのこと! 数では圧倒的に我らが優位!
今こそジッカリムの総力を持ってジッカリムを潰すときぞ!」
健気にも吠える隊長に続き、吠え始める兵士はその歩みを再び始める。
しかし率先して先導すべきファルアザードは言葉を失い、驚愕の面持ちで前線を見つめていた。
ファルアザードの脳裏にあるのは、修羅の如きグレンの姿が蘇る。
自分が殺したはずの悪魔があそこにいるのではないか?
妄執が脳から離れない。あの時の恐怖が身体を駆け巡り、震えさえ起こる。
否。と首を振るファルアザード。
気合を入れ、震えを止める。
(だからなんだと言うのだ。私はツェルを、波動を、この世から消し去るためにこうしてきたのだ。もし悪魔が蘇ったというならそれもよかろう。再度踏み潰して、覇道の礎にしてくれる!)
そう自分を奮い立たせ馬を駆る。
「弓矢隊、構え!」
※※※
「何故戻ってきたのだよ?」
トトは磔にされた者達を守ろうと残った騎馬兵と応戦するアイと少年に問いかけた。
アイは一瞬だけ振り向くと、にっこり微笑んで、
「心のままに生きた結果です」
とだけ告げた。
トトは完結に答えたアイの認識を改めた。
どこか影のあった少女は、なにがあっても意志を曲げなかったグレン同様、優しく頑固な子だと。
自分の意志で戦場へ来たのならば、もはや何も言うまい。
戦闘技術を行使する姿を哀れとも思うまい。せめて、生き残ってくれればそれでいい。
トトはそう心で祈った。
しかし、簡単にはいく訳がない。
半数を石の雨で壊滅させたとは言え数の圧倒的な差は如何ともし難い。
そしてジッカリム主力という自負と誇りから、単騎の強さは並の兵士を軽く凌駕しており、一騎当千の少年と言えど全滅させるには至らない。
最初こそ指揮系統の乱れで押された騎馬隊も、数の暴力にまかせ士気を高め、徐々に少年を圧倒し始める。
彼らの士気が高まった理由はもう一つある。
それは援軍の到来だ。
すぐそこまでの距離に、万の軍隊が迫っているのだ。
手も考えず突っ込んできてしまったアイは少なからず焦る。
結局私のやったことは少年に頼る戦法になってしまっていると。
一騎がアイの眼前に迫り今にもその剣をふり下ろそうと構えたとき、それは起こった。
突如大地から木が生え、馬達の足元を掬う。地震にでもあったかのように馬達は嘶き、戦乱の恐怖とは違う混乱をきたす。
木々は幾本も育ち、小さな林を形成する。少年は唖然としてその様子を見守り、アイは涙が出そうになりながら、その林の主を視界に捕らえた。
「戦場に行くのに自分の扱う道具を忘れてどうする。これだからうちの馬鹿弟子は放っておけない」
嫌味半分、優しさ半分。
エルタニアがやれやれと頭を掻きながら毒吐いた。
「来ないんじゃなかったのエルタニア」
数刻前、エルタニアは確かに戦場にはついて行かないと言った。
少女共にその場に留まった。
だがその少女を連れて、こうしてアイ達の前に姿を現した。
アイにとってこれほど心強い味方はいない。
少年の無邪気な問いに、顔を赤らめそっぽを向くエルタニア。
「お前らみたいな危なっかしい奴ら、俺以外の誰が面倒見るってんだ。感謝しろよ!」
ぶっきらぼうに言い放つ姿に、アイはこの人が師匠で本当に良かったと感じた。
少女がトトに駆け寄り磔の縄を解く。アイもそれを手伝い他の人質も開放した。
「トト爺! 大丈夫!?」
抱きつく少女を、優しく抱きしめるトト。
「グレン、何故お前は私の言う事を聞かない?」
諌めるような言葉を放っても、その目尻には優しい光が宿っていた。
「私は離れないって言ったでしょ、勝手に話を進めないでよ! 後で拳骨だからね!」
「全く、お前というやつは」
適わないな、と誰もが笑みを浮かべた瞬間。
トトの形相が一転、少女を突き飛ばし、生き残った事を歓喜している人質達を背に、両手を広げた。
そして、トトの身体に突き刺さる無数の矢。
石の雨のお返しだと言わんばかりに、近づいた軍団から矢の雨が降り注いだ。
町人を守るため、その身を犠牲にするトト。
それは全て一瞬の出来事で、少女の理解が追いつく頃には、トトは力なく膝をつき天を仰いだ。
言葉もなく、駆け寄る少女。
信じられないという面持ちでその光景を見守るアイ。
エルタニアは自分が作った林の所為で気付くのが遅れたのだと悟り、奥歯を噛んだ。
「怪我はないか、グレン?」
「ないよ? トト爺が守ってくれたもの」
「そうか、よかったのだよ」
うっすらと笑うトトは、そのまま眠るように表情を消す。
「トト爺? ねえトト爺?」
少女の問いかけに返事もなく、ただ揺られるだけのトト。
「エルタニア、アイ! 第二波くるよ!」
少年の叫びに、はっと身構え矢の雨を迎え撃つ。
「ねえ起きて? トト爺……起きてってば」
誰かが傷つくのは覚悟の上だった。
他人と争い、両者ともに無傷でいられるわけがない。
それはアイもエルタニアも少年も、同様に覚悟していた。
だが少女は違う。
争うために戦場に来たのではない、傷つけるためにここに来たのではない。
だからトトが倒れる様を間近で見て動揺し狼狽し心を乱してしまった。
きっとこの先、この戦場では戦えない。
三人が三人そう思った。
実際はまだその方がよかったのかもしれない。
悲しみに囚われ、涙に頬を濡らし、その場から動かないでいてくれた方が。
アイ達の身代わりとなった人が命を落とす寸前で。
トトにたった今救われた者が言った一言が。
少女の心を、壊した。
「こいつの所為で死にかけたんだ、死んで当然だ!」
瞬間、世界にもう一つの太陽が顕現した。
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