第二十二話 波動大戦

 大腿荒野、ツェル側、脊髄山脈裾野。


 ジッカリムの陣営が見えるその場所にトトは一人磔にされていた。

 近くにはマーレンが身を置き、にやにやと笑っている。


「これであなたの天下もおしまいですなあ、トト導師」


 マーレンはトトを人身御供にすれば、ツェルは救われると本気で信じている。

 トトは自分の後進を育てなかったことを初めて後悔した。

 人は信じるだけでは前に進めない。だからと言って疑うばかりでも心は育たない。 

 辛いことや苦しいことも経験して、初めて洗練された魂を得るのだ。

 それなのに、マーレンはどうだろうか。

 まるで洗練された魂を持たず、策を弄して策に溺れる安い人間へと成り下がってしまった。

 その昔、マーレンが波動教会にはいった頃は目指す安寧の世界観を持ち、崇高なまでの高い志を持って入団した。時は経ち彼の心は変わってしまった。欲に溺れ、権力に惑わされ、目先の利しか見えなくなってしまった。

 人の心が移ろうものというならそれでいい。

 だがトトはそれを正しい方向へと向かせることが出来なくて、後悔したのだ。


 マーレンの浅はかな策のため、五人の無関係な町人つれてこられ磔にされ、脊髄山脈を背に掲げられる。

 泣き叫ぶ者、観念した者、意味の分かっていない者と様々だが、トトは彼らに顔向けできなかった。

 彼らはトトがアイ達を逃がしたことにより、身代わりの人柱に選ばれたのだ。

 いくらマーレンでも街の人間に危害は加えないだろうとトトは信じたが、すぐにその考えが甘かった事に気付かされる。

 それほどにマーレンは、狂っているのかもしれない。

 

 結局、この身と彼らの命を差し出してもジッカリムは止まることはないだろう。

 マーレンが如何に手練手管を弄しても、だ。

 現に、ジッカリムの本営は何ら撤退の準備もせず、開戦の時を今か今かと待ちわびているように軍旗を風に靡かせ、所々で篝火を焚いている。

 白く棚引く煙が青い空に溶けその先は霞んで見えない。目を細めても、凝らしても、その先に、何も見えなかった。

 

 ツェルの、未来さえも。

 

 ジッカリムの騎馬隊が駆け始めた。その数は千を超えるように見える。

 いよいよ終わりの時が迫ってきた。


 ※※※


「罪人どもは揃ったようだな」


 ファルアザードが白銀の鎧を身に纏い馬上でギシンに言った。

 隣に控えるギシンは軽装ながら胸当てと腰蓑を、右手に愛用の杖を持ち王に告げる。


「のようですな。では手筈通りに」

「トーン、千騎やる。ギシンの手筈通り、奴らを血祭りにあげて火蓋を切ってこい」


 トーンがあくびを噛み殺しつつ生返事をした。

 とは言っても彼の装備は立派なもので、普段は動きにくいと言う理由で着用を嫌がる鎧兜もしっかり纏っており、戦闘準備は万端だ。


「は~い。よし、じゃあ行こっかみんな。まずはあそこ、ツェルの蟻どもを踏み潰しにだ~よ」


 言うが早いか駆けるが早いかトーンは一騎で駆け始め、慌てたように、それに続く騎馬隊。ギシンも遅れて騎馬隊後方に馬を寄せる。

 ギシンはその目で確かめたかったのだ、トトの死ぬその瞬間を。

 やがてトーン一騎が磔にされたトト達のいる小高い丘に着く。

 マーレンが恭しく頭を下げトーンを迎え入れた。


「こちらが引き渡す六名の囚人でございます」


 仰々しいまでの身振り手振りで磔の六名を指差し、端から名前を呼ぶ。

 その頃には騎馬隊が丘を取り囲み、誰もその場から逃げ出すことはできない状況に陥っていた。その中から馬を降りトーンの傍に寄るギシン。

 トトはギシンの姿を確認すると表情を歪め、一方のギシンは気味の悪い笑みを浮かべてトトを嘲笑った。


「そして最後に導師トト。以上六名、ジッカリムに引渡しましょう」


 これで戦争は回避できるとマーレンは確信する。

 噂でしかないがジッカリムの最大の敵、導師トトが目の前にいる。

 そして厄災の英雄の娘に、ジッカリムの徴兵に応じない木霊のエルタニア、ジッカリム騎士殺しのヘザー。そして神の力を持つであろう、少年達。

 戦争は回避できてもジッカリムの傀儡国となるのは必至であろう。

 だが、こちらにはまだあえて逃がした・・・・・・・神達の力がある。

 秘密裏に彼らを探し出し、洗脳して自らの駒にしてしまえばまたジッカリムからツェルを取り戻すことは不可能じゃない。

 マーレンの中でそんな調子のいい計画が立っていた。そして彼は必ず成功すると自信を持っていた。人道を無視すれば、それはあながち悪い計画ではないのかもしれない。手間やかかる資金も無視しても、国が取り戻せるなら、安いものなのかもしれない。

 だが、マーレンのこの計画には、重大な欠陥があった。

 それは致命的なものであり、同時に、忘れては絶対にならないことだ。

 それというのはつまり――


「あっれ~? この子達、僕の知っているアイ・メルティナじゃないなぁ。僕会ったあるもの、導師と少女っての以外はねえ」

 

 身代わりが、身代わりとして成り立つかどうか、という、大前提だった。

 

 トーンの言葉に、血の気が引くマーレン。

 彼の数人いる部下達も、不穏な空気に気付きざわめき始める。

 磔にされた人々の、俺は違う、身代わりにされただけだ、との訴え。


「トトは儂が本物だと保証しよう、あそこにいるのはトトで間違いない。ただ少女はわからんな」

「てことはさぁ。仮に少女が本物でも、半分以上偽物って訳だ。なにこれ、うちずいぶん舐められてるってことでいいのかなぁ?」

 

白々しいとトトは思った。

 例えここに居るもの全てが本物だとしても、彼らはこうして難癖をつけ戦争を起こしたのだろう。

 平然と嘘を吐くトーンを尻目に、ギシンを睨んだ。

 よくもここまで育て上げたものだ、自分のいいなりになる傀儡を。


「め、滅相もございません、そちらこそ無礼ではないですか、そんな不躾に人を疑うなど!」


 マーレンも負けじと嘘の応酬に加わるが、目が泳ぎ声も震わせていては意味がない。

 ギシンは嘲り笑う。


「これはこれはマーレン卿。嘘を吐くときはもっと堂々とするものですぞ。自分も騙せないような嘘で人を騙すことなど、どうしてできましょう」

「黙れ下郎! 貴様誰に口を聞いておる!」


 ギシンの言葉に激昂するマーレン。

 余程腹に据えかねたのだろうが、これだけ交渉術の低い人間をギシンは見たことがない。

 あまりにも幼稚すぎる。


「もうめんどくさいから、いいか~な?」


 トーンが冷めた口ぶりで、ギシンに話し掛けた。

 ギシンもこみ上げる笑いを抑え、それに頷き答えるj。


「かまわぬ。合図をおくれ」


 マーレンの怒りを無視し、ギシンに確認を取った上で騎馬隊の一人に指示する。話を聞かないトーンとギシンの対応にますますマーレンは怒りの色を濃くし、怒声をあげようとする――

 ――が。

 

 刹那に上がる、地鳴りのような鬨の声。マーレンの怒りは完全にかき消され、耳を塞ぎ何事かと辺りを見回す。


「こ、これは一体」

「一体って開戦だよ、か・い・せ・ん。ジッカリムによるツェル殲滅戦の、始まり始まり~ってね」


 そう告げたトーンの剣がもう語ることはないとでも言うようにマーレンの身体を貫き、彼は戦争の最初の犠牲者となった。



 ※※※



「鬨の声をあげよ」


 遠くで上がる合図を確認しファルアザードが隊長格に告げた。

 全軍に指示するとともに隊長達も一斉に腹の底から声を上げた。

 各隊長が全軍に号令を発する。


「歩兵隊、前へ! 各部隊、展開しながら全方位警戒、蟻の子一匹逃すな!」

「殲滅戦だ! 遠慮の必要はない、奪い殺し焼き払え!」

「伝令走れ! 部隊の意志統率を速やかにせよ!」

「重騎馬隊、中速、前進!」


 雄叫びが地を揺るがし天を震えさせる。

 決戦の火蓋はついに切って落された。


「今日こそ因縁を断ち切る。神が零しし波動などこの世にいらぬ。世界は人の手によって作られるのだ! 行くぞ者共! 世界を我が手に!」

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