第二十六話 開闢の争乱

 眼下に忽然と姿を現す緑の海。

 誰がやったかなんて聞かずともわかる。


「……エルタニア」


 少年が苦々しい思いで樹海を見下ろしていると、その隙を逃さず、少女が拳を顔面へと叩き込んだ。


「私と争っている最中、よくもよそ見ができたものね」


 殴った拳を大げさに振るう少女に、無邪気に笑っていた面影は一つもない。


「エルタニアが命を賭してジッカリムを屠ったみたいだよ」

「だから?」

「もう争う事はないんじゃない?」

「なんで?」

「トトの仇は、エルタニアはとったって事だよ!」

「あんた、なにか勘違いしてない?」


 空中を移動し少年に近づく少女。

 息のかかる距離で少女は止まり、耳元に唇を寄せ話し掛ける。


「私は仇討ちをしたいんじゃない。人間を消し去りたいの」


 目を細め蠱惑的な微笑を浮かべながら両手で少年の頬を抱き見つめる。


「あなたは破壊の神でしょう? 何故それを邪魔するの?」

「僕は僕だ。アイに拾われアイがいなければここまで来ることのできなかった、ちっぽけな存在だ」

「それで、私を邪魔する理由は?」

「君もそうだろう? トトに拾われここまで育って。だからこそトトの倒れた様に、動揺し心を乱した」

「それで、私を邪魔する理由は」


 両手の力がこもる。

 少年はその手を掴み離す。

 今度は少年が精悍な眼差しで、少女を見つめ返した。


「君を救うために」


 瞬間少女は空気を爆発させた。

 少年はそれを逃れる。

 少女は繰り返し繰り返し爆破を続けるが、少年に当たらない。


「私を救う? この私が世界を救おうとしているのに!」


 少女は周囲全部を爆発させた。

 自らもその爆風の煽りを受けるが、気にしない。

 水を集め、剣を何万本も形成、投擲。

 当然それも避けられるが、追尾させ執拗なまでに追い立てる。


「人類は世界の膿! いらない存在! 同じ種族でいつまでも争い、奪い合い殺し合い……それだけならまだいい! 彼らが世界に何をしたっていうの? 掘り起こし、開墾し、海を汚し、世界を貪っている害悪。自然をただ破壊するだけの無駄な存在よ!」


 剣を小さくし矢に変化させる。

 速度を上げ少年を追う。

 少年は振り返り、幾億本と化した水の矢を大地が裂けんばかりの大声を上げ、全弾を霧散させた。

 少女は舌打ちした後、空気を圧縮させ高速で打ち出す。

 見えないそれをまるで軌道が読めるかのようにひらひらと避け続ける少年。


「きっかけはなんだっていいじゃない! そうよ、トトが死んだことが許せなかった。けれどそれ以上に! トトが命を賭して守ろうとした人間が吐いた言葉が許せなかった! あんなのが命を賭して守ったものだなんて、トトがあまりに不憫じゃない!」

「だから全て壊そうっていうのか、トトが愛した世界を、守りたかったものまでも!」

「違うわ、違う。壊すんじゃない、創り変えるのよ。トトが愛す全てを、理想の世界へ……人類のいない完璧な世界を!」

「トトがいない世界で?」


 少年が少女に接近する。

 少女は不思議だった。

 少年はこうやって話し近づきはするが、攻撃を一切してこない。

 山河を砕く拳を、天地を揺るがす蹴りを、星を消し去る強力無比な一撃を。

 少年は一切繰り出してこない。

 舐められている……そう思った少女は降る雨の性質を変え少年に絡みつかせた。

 少年は攻撃に見えなかったためあっさりと捕まる。


「じゃあこう言えば満足? 私はもう、この世界にほとほと愛想が尽きた」


 身動きの取れない少年の眼前で雨粒を集め、巨大な槍を形成する。

 絶対不可避の一撃を持って少年を沈める。

 その意志が宿りし名も無き神の槍。


「神として取り出された時の記憶はやっぱり蘇らなかったけど、そんなものはいらない。あなたを殺して私も死ぬというならそれでもいい。だけど、人間は消す。この世界を浄化させる。そうして私は父と母とトトが愛したこの美しい世界を救うんだ!」



「そうはさせないわっ!」



 少女が声に反応し地上を見ればそこにはアイの姿がある。

 雨に濡れ、全身びしょ濡れだがしかし、その眼光はほかのどんな時よりも鋭く覚悟が見て取れる。

 だが少年は思った。まるで泣いているようだ、と。

 

「……なんだ人間。何故私の行動を妨げる?」

「あなたは……あなたの行為こそ自分勝手だとは思いませんか」


 少女が押し黙る。


「人が人を殺し、奪い、世界さえ巻き込んで滅びるというのならそれは人の定め。決めるのは神じゃない、人の意志です!」 


 アイは中空に浮かぶ少年達に叫んだ。

 腹の底から叫んだ。

 一言も漏らさないように、想いがちゃんと伝わるように、優しく熱を込めて。


「私は争いが嫌いです! 諍いも恨みも、人の負と呼ばれる部分が大嫌いです! でも私も人間です! 少年に辛辣な言葉を掛ける事もありました、師匠に……命を賭して私を守ってくれたエルタニアに当たることもありました! 私が人間だから!」


 アイは、エルタニアの行動を理解していた。


 あの杖がいかなる力を持っていて、解放すればどうなるか全てわかっていた。

 だけど止める事が出来なかった。

 彼は彼の意志を貫いたのだ、目の前で。

 師として、仲間として、彼は守ってくれたのだ、アイの想いと、未来を。


「私はもう迷わない! 父と母が残してくれたこの体でエルタニアが託してくれたこの意志を持って! 私はこの世界に生きたい!」


 雨は止まない。

 いつまでも降り続く。

 アイにも少年にも、少女にも平等に降り続く。

 その誰もが、泣いているかのように頬を濡らしていた。


「あなたがこの世界を消し去るというのならあなたの相手は少年じゃない! 人間である私が受けて立ちます! 私があなたと戦います!」


 アイの決意に少年は心が震える。

 絶望的な力の差を見せつけられてなお、戦うという彼女。

 その姿はどこまでも雄々しく、凛としていて。

 太陽にも負けない輝きを放っていた。

 そう思ったのは少女も同様である。

 手をかざし、すこし念じるだけで人を光で塗り潰すことが出来る自分に。

 破壊の神を今にも屠ろうという、自分に戦いを挑むなんて。

 ありえない、馬鹿げている。


「……馬鹿じゃないの」


 その気になればすぐに降りて、髪の毛一本残さずアイを消し去ることできるだろう。そうだ、今凝縮している水の槍を彼女に放つのもいいかもしれない。彼女が望んだことだ、神との争いを。

 ならばそれに応えてやろう。

 その後少年も消し、世界を消して新たな世界を作りだすんだ。

 そうだ、それでいい。

 そうすればいい。

 それで終わり、それで……全て。


「…………」

 

 少女は無言で地面へと降り立ちアイと対峙する。

 感情のない顔で、アイを見つめる。

 アイの顔は涙と雨でぐしゃぐしゃで、それでも覚悟と、固い意志を宿した瞳を少女に向けている。その背後には緑の樹海。エルタニアがアイを救うために発動させた、最大最後の秘術。

 そしてそれに飲み込まれなかった、幾人かの兵士。

 少女は放った。

 神速の一撃を、星を揺るがす神槍を。

 人間に知覚できるはずもない速度の槍は、過たず標的を射抜く。

 アイの背後に迫った、悪意ある人間を。

 着弾に遅れて衝撃波と、爆音がアイの身体と耳に届く。

 中空に吹き飛ばされるアイ。

 それを、優しく抱き留め、助け出す少年。

 少年とアイは少女を見上げた。肩で息をしている少女を。


「出来る……訳ない。アイを消すなんて、出来る訳ないもんっ!!」


 少女の慟哭が戦場に響く。

 雨が止んでいた。

 先ほどの神槍の衝撃波が雲を散らしたのだろうか、青空が雲間から覗いている。地上の太陽はその光を無くし、代わりに空の太陽の光が世界に満ちる。

 少年がアイを抱えたまま、泣きじゃくりながら地上に降りた少女に歩み寄る。

 涙に濡れる少女に近寄るやいなや、アイは強く少女を抱しめた。


「無事でよかった」


 少女もアイを抱きしめる。

 すがるように、大声を上げて泣いた。


「君に世界は救えない」


 少女に告げる少年。


「僕だけでもやっぱり、世界は救えない」


 その顔には満面の笑みが宿っていた。


「でも一緒になら、世界を救えるかもしれない」


 そう言って差し出す手を、少女は戸惑いつつも握り返した。

 それをにこやかに見守るアイは、満足そうに少年も抱擁の輪に加える。


「これで姉弟喧嘩はおしまいですね」


 と告げた。

 なんのことだかさっぱりわからない二人は顔を見合わせる。


「だってそうでしょ、あなた達は私の父グレンが生み出した姉弟。私にとっても妹弟みたいなものです」


 噴き出す少年。釣られて少女。アイも最後には笑い出した。

 ひとしきり笑ったあと、アイが少女と少年を強く抱きしめる。

 二人も同様に、アイの背中に回した腕に力を込めた。


「人間は確かに醜い。でもそれは側面でしかないのはあなたもわかっているでしょう?」


 問いかけられた少女は、しばしの逡巡のあと無言で頷いた。


「人間は確かに優しい。でも残虐さも同時に持っている。あなたにもわかるでしょう?」


 少年も少女に倣い、頷く。


「どちらも人間で、どちらの言うことも正しいんです、人間は」

「曖昧、だから?」

「そう曖昧。その答えを探して生きている。その過程で、自分のために誰かを犠牲にしようとしたり、だれかを思いやって身を犠牲にもしたりもするんです」

「……エルタニアのように?」

「そうですね、師匠のように」


 アイの二人を抱く力が強くなり、それに反応して二人も力を入れる。


「納得できない所は多いと思います。でもすぐに答えを出すのではなく、ゆっくり答えを求めてもいいのでは? すくなくとも、私はいつでも傍にいます」


 アイの言葉が身体に滲み、少女は視界がまたぼやけていくのがわかった。

 少女には、記憶を失ってからトトしかいなかった。

 正体を知るや利用しない手はないと波動教会も政権も意見し、少女を孤立させ幽閉させられもした。

 殺されそうにもなった。

 下手に生かしておいて、敵の手に渡り利用されたら一大事だと。

 だがどんな時もトトが少女を救い彼だけが少女の心の支えだった。

 マグベルトに行けと言われた時、これで一生の別れかもしれないとも思った。

 そこで出会ったのがアイら一行。少年の正体にはすぐに気づいたが敢えて無視し、ツェルに行くという彼らについていった。

 道中、トト以外の優しさに触れ戸惑った。トト以外の温もりに触れ嬉しかった。

 そしてトトの倒れたとき。

 全てが嫌になった。

 アイがいるから、替わりはいるから。

 そんな自分のことしか考えない最低最悪の考えを、ほんの一瞬でも思った自分に腹が立った。だから全て壊してしまえと、そんな考えにさせた世界が悪いのだと、決め込んだ。

 

 少年は言う、一緒になら世界は救えると。

 本当にそんなことが可能なら、そうしたい。

 だってここは、トトの愛した世界だから。


「さて行きますよ」


 アイが立ち上がる。空にあった雲は全て消え、青空の代わりに夕日が空を茜色に染めていた。


「どこへ?」


 なにをしに? 

 ジッカリムの軍隊が全て消えた今、なにもやることはないはずだ。


「トトはまだ生きています」


 アイの言葉に少女はどきりとした。


「エルタニアが森を形成する直前、私が振り返ったとき、トトはツェルに向けて走っていました」


 それの意味するところは、つまり。


「この戦いはまだ、なにも終わっていません」

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