第三話 神は人を呪う。夜に怯えよと闇を堕とす。
ジッカリム首都、城。玉座の間。
玉座に腰を下ろすはジッカリムの覇王、ファルアザード。
彼は見事に蓄えた自慢の髭を弄りながら、玉座正面にある大窓から消えることのない街灯を満足そうに眺めていた。
人類繁栄の象徴、ジッカリム。
この都では夜でさえ昼のように明るく篝火が焚かれ、街中を照らしている。繁栄の中枢である王城はその外壁を真っ白に塗り上げており、無数の篝火を受け、その身自ら煌々と輝いているようだ。世代交代や、跡目争いの末幾度となく建設増築され、いくつもの天守、尖塔の伸びる歪な城ではあるが、それでもなおその栄華を表したかのような存在感に人々は敬意と、それ以上の畏怖を込めて、白夜城と呼んだ。
蔑称にも近いその呼び名をファルアザードはそれほど嫌っていなかった。
神が創りし夜に、人類の英知が迫ろうとしている。
夜を昼に変える事こそ、人類の進歩の証だと、彼は疑っていない。そうしてやっと、人類は神の呪縛から逃れられるのだ。
「王よ、なにをそんなに熱心に見ておられまする」
どこからともなく老人の声が王に問い掛ける。
王は狼狽もせずに、
「人類の行く末だ」
と答えた。嗄れた老人の声はクッと喉で笑う。
「さすがはジッカリムの覇王、言う事が違いますな」
明かりの照り返す窓辺に声の主が姿を現す。
まず目に入るのは肩から先を失った右腕だ。それだけで異様とも言えるその老人は、背が低く丸い。顔は醜く皺だらけで、老人と呼ぶには差し支えない容姿だがしかし、眼光だけは異様に鋭く、笑い声はあれど笑顔はない。
王は老人に視線を向けた。
王としての威圧感は尋常ではなく、何気ない仕草にも威厳を感じられた。並の者ならば萎縮し縮こまってしまい、喋る事すらままならないだろう。
だが老人はいとも簡単にその眼光を正面から捉え、さも当然のように相対する。
「首尾は上々か?」
「ええ大した労もなく、順調でございますとも」
ふん、と鼻を鳴らす王。
「全てお前の手の中というわけか、気に入らん」
「お戯れを。王の力があってこそなせる業です」
「それが気に食わんというのだ」
ご冗談を。という老人の顔は相変わらず笑っていない。
「まぁ良い。大願が同じであるなら、多少道を外れても問題あるまい」
「ご寛大でございますな」
「今はまだ、というだけだ。いざとなればお前であろうと首を刎ねる」
王は座ったまま殺気を放つ。
その場に老人以外の者がいなかったのがせめてもの救いであろう。彼の殺気は老人一人に当てたものではなく、全ての人類に向けて放たれたものだ。
自分の力以外信用しない。
ファルアザードが王の跡目争いに巻き込まれた時から、その信条だけを信じ掲げて生きてきた。
他人を徹底的に利用し、最後にはゴミを捨てるかの如く裏切る。
それが人間だと、彼は心から思っているからだ。
しかし老人は何くわぬ顔で、
「構いませぬよ、大願成就さえ成るのであれば」
と答えた。そのふてぶてしい態度が一層王を苛立たせる。
「――報告を」
「続けよ」
突如現れたその影は老人の傍により耳打ちする。
老人の私兵であり山野に放った密偵だ。
二、三言影が老人に耳打ちすると老人は笑った。
笑顔と言うにはいささか語弊があるような凶悪な笑みだ。
「王よ、吉報ですぞ」
老人が王に近寄った。老人の悪い癖だ勿体ぶった言い回しはいちいちファルアザードの神経を逆なでする。
「渋るな、さっさと言え」
そこで老人が恭しく頭を下げる。
王はふと思った。この老人が頭を下げるのは珍しいと。
「厄災の英雄の娘を発見、捕縛したとの報にございます」
「まことか!」
珍しくも王が声を荒げ玉座から立ち上がった。
「あの忌々しい悪魔の血族、まだこの世におったとは……どこに潜んでいた!?」
「ヨヌでございます」
興奮冷めやらぬ様子の王とは対照的に冷静に答える老人。
「うまく考えたものですな。ヨヌならば常に移動を続け、一箇所に定住しない分見つかりにくいと……さすがは英雄の子孫とでも」
「何が英雄なものか! あれは波動を悪用し世界に混沌をもたらした悪魔だ! あの悪魔一人にどれだけの辛酸を舐めさせられたと思っている!? 思い出すだけで腸が煮えくり返るわ! 直ぐに儂が往く! 直々に首を刎ねてくれるわ!」
「待ちなされ、王よ」
直ぐにでも城から飛び出さん勢いで息巻く王に、老人は静かにそう説いた。
王は溢れる怒気を抑えることなく老人に歩み寄る。
真正面に立ち、頭を下げたままの老人に対し尊大に言い放つ。
「貴様……儂の歩みを止めるのだ、それなりの理由があるのだろうな!」
腰に下げた剣に手を掛け、いつでも抜く準備をする王。
まさに一触即発。
回答を少しでも間違えば、老人の首はあるべき場所からなくなる。
事実、王はそのつもりで老人の前に立った。
だが老人は笑う。
王の怒りも、子飼いの影の冷や汗も、一蹴するかの如く。
「王よ、この好機……逃す手はございませぬぞ」
「好機?」
老人の言葉に王の怒気が一瞬緩む。
「左様。波動の悪魔が血族を利用するという、最高の好機でございます」
「呪われた血に利用価値なぞ――――待てまさか……そういう事か!?」
始めこそ怒号を上げた王だったが、老人の言葉が腑に落ちるにつれ、その意味を真に捉え始めた。激昂が一転、先程まで怒りに震えていた拳を開き、髭を弄っている。
あれほど怒り狂った王をこうも安安と鎮めるなど、どんな魔法を使ったというのだろうか? 老人の影は肝を潰しながらも不思議に思う。
「そう上手く事が運ぶか?」
王の問いに、老人は小さく頷く。
「私めにお任せくだされば」
「……ちい。今度の舞台もまたお前の手の平の上というわけか」
不本意だとでも言わんばかりに渋々と玉座に戻る王。
それを呵呵っと笑い、諌める老人。
「細事ですぞ王よ。気になされまするな」
「ふん、まぁいい。それで万事上手くゆくのなら、道化のように踊って見せようぞ」
「全ては我らが大願成就のため」
傀儡……とまでは言わないが、駆け引きの才と先見の目のみで王を意のままに操る老人。大国を影で操る者が、目の前にいる。老人の私兵でなくても陶酔するのは仕方のない事であろう。
だが、同時に影は感じている。
これほどの人物……裏がない訳が無いと。
その老人が口を開く。獰猛な、凶悪な笑みを浮かべ、ゆっくりと。
「悪魔の娘を使い、ツェルに戦争を仕掛けましょう」
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