第二話 宿命の歯車が軋む
潮騒の音を聞きながら、少年は布団の中でなかなか寝付けないでいた。
隣のベッドでは安らかな寝息を立てて眠るアイの姿がある。
彼女が語った、神話と波動、人造の神と、戦争。
聞いている最中も、聞き終わったあとも、こうして会話を反芻してみても。
少年の記憶には一度も波紋は広がらなかった。
少年は自分の身体を触る。少年の外見からアイは十二歳くらいだろうと言った。徴兵にあってもおかしくない年頃で、ならばそれらを知らないのは不可解だ。もしくは俗世間と離れて暮らしていたのだろうか?
いや、とその考えを霧散させる。人里離れた場所に住んでいたのなら、何故記憶を失い、波打ち際で倒れていたのかがわからなくなる。天災に見舞われたか、はたまた仲間同士の諍いがあったか、普通に考えればその時点で死亡が確定している。
自分は一体何者なのか?
記憶のない少年にとって、一番の気掛りはそこである。
記憶を失う前まで、一体何を考え、何を食べ、何を支持し、何をしていたか。
もし仮に悪人だった場合。最悪追っ手が掛かっていたりでもしたら。
寝返りを打ったアイの顔が、薄く差し込む月明かりに照らされる。
……これ以上ないくらい世話になっているアイに更なる迷惑は掛けたくない。
これが少年の本音だった。
手がかりはほとんどない。
だが記憶を探す旅に出てもいいかもしれない。
少年がそう思う頃には太陽が水平線に登り始め、夜が白んでいた。
※※※
アイの言う通り二柱のもたらした戦火は未だ消えず、各地でくすぶり続けていた。それと言うのも、多族群体という、まさにその国の実体を表した二つ名で知られる『ジッカリム』の存在が大きく影響していた。
ジッカリムの建国は人類の歴史と共にある。
ジッカリムは当初、力のある若者達で作られた国だった。肥沃な大地に気候も安定、名も知れた流通の盛んな国……人類の繁栄はジッカリムがあってこそ、とまで言わしめた国だった。
しかし創始者達の子孫は国民を顧みず、彼らと力ある豪族による骨肉の跡目争いが後を絶えなかった。また国としての力を求めるあまり軍事ばかりに力を注ぎ、国内での戦乱はおろか、周辺諸国までその歯牙にかけていた。そうして取り込んだ国々の、やはり力を持った者達によって、身内の戦いは激しさを増してゆく。その苛烈さはそのまま国の勢いとなり、大陸全土を呑み込まんとする際限のない戦火を拡げ、あらゆる小国を吸収していった。
真っ向から対立したのが、波動の国『ツェル』。
小さな国ではあったが後述する特性によって、この国には優秀な人材が多く集まっていた。
脊髄山脈に挟まれ、山間にその本拠を構えるツェル。気候も土地もお世辞にも良いとは言えないが、他の国にはない、この世でたった一つの奇跡”波動”が存在していた。波動を知覚できる者はツェルを目指し定住し、国を動かした。彼らは何事にもある程度の才能を発揮し、それでいて気持ちの優しいものが多く、ツェルは小さくとも強固な信頼に結ばれた国であった。
だがそんな国でも一枚岩というわけではない。
波動自体を崇め、神として信仰する波動教会なるものの存在だ。
彼らの発言は神の発言。国の政権に影響を及ぼさない訳が無い。保守的に、後発的に。彼らの発言が故に、ツェルはその動きを鈍化させ、政権を担う者達はジッカリムの動きを予見しつつも、動けないでいた。
彼らが打倒ジッカリムを掲げた理由は唯一つ。ジッカリムが波動の力を手に入れようと、その触手を伸ばしてきた事によるものだった。波動を神聖視するあまり、人の分際で神に成り代わろうとする、ジッカリムの穢れた思想を波動教会は嫌ったのだ。それは波動を使える者にとっても同じことでもある。国を落とされれば、波動を使える自分達が無事で済むわけがないのだから。
かくして両国の戦争は大陸を巻き込み、二柱の神の顕現より戦乱の激化は歯止めが効かなくなる。
互いに引かず、譲歩もなく。
二柱が去ったあとも、両国の境目ではいつまでも睨み合いが続いていた。
アイの村はそんな紛争の真っ只中、ジッカリムの傍にあった。
※※※
村に異変が起こったのは少年が神話と戦争について聞き、眠れぬ夜を過ごした次の日の出来事だった。
いつものように村の手伝いで力仕事をしていた少年は、アイにいつ旅立ちを告げようか悩んでいると、
「遠くから馬が駆けてくるよ」
と村の子供達が騒ぎ始めたのだ。
見れば遠くに土煙を巻き上げながら迫る一団の影がある。
野盗か? そう思い身構えるが、彼らが掲げる旗印を見て誰ともなく暗い声があがった。
「ジッカリムの『人間狩り』だ」
震えるようなその声に、野盗より質が悪いのだろうと容易に想像がついた。彼らにとって戦争を起こした理由も意味も関係なく、家族を奪った憎むべき相手なのだ。
「どうしたの……あれはまさか」
アイが外の騒ぎを聞きつけて家から顔を出す。そして直ぐに状況を把握した。その顔に困惑と怒りの感情が浮かぶ。感情の起伏に乏しい彼女でも、やはり思うところは村人と同じようだ。若干怒りが強く見えるのは、何がしか所以があるのだろうが、今はそれを聞くべき時ではない。
ほどなく村に兵士部隊が到着した。数は十人前後で、いずれも険しい表情で集まった村人を見回している。
何事かと集まった村人達の後ろから、少年は遠巻きに様子を伺う。万が一自分に対しての追っ手だった場合、まず間違いなく被害が出る。そうならないためにも逃走経路をシミュレートし、相手の装備や力量を把握しておく必要があった。
全員腰に長剣をぶら下げており、中にはいつでも抜けるよう鞘に手をかけている者もいる。いつでも臨戦態勢に入れるような立ち居振る舞いに、少年は背中に冷たいものが流れるのを感じた。
兵士達の中で白銀の鎧に紅い線がいくつか入った者が、馬に乗ったまま村人達の前へ進み出る。
隊長格であろう彼は、
「この村の責任者はおらぬか!」
と怒声を上げた。
「わしじゃが」
村長が髭をさすりながら前へ出る。
「ここにアイと言う少女が住んでいると聞いたが、それは真か!」
人々にどよめきが起こる。
少年は心臓に氷の刃を突きつけられた気分になった。
何故今、アイの名が出てくる?
「確かにおりますが……それがなにか?」
「やはりこの村だ! 探せ、若い娘だ、全員引きずり出せ!」
言うや否や、兵士達は村人を蹴散らすようにアイを探し始める。
あまりの事態に少年はおろか、村人達も困惑してしまう。
「一体どういうことじゃ! 説明してくれ!」
「うるさい、お前には関係ない!」
突き飛ばされる村長。少年がそれを受け止め、馬にまたがったままの兵士を睨んだ。兵士は鼻を鳴らすと直ぐに視線を外す。
「隊長! この女ではありませんか!」
その声に振り向くと、アイが両脇から兵士に腕を掴まれ拘束されている姿が目に入った。殴られたのか唇が切れ血を流している。少年は直様駆け寄ろうとするが村長に下手なことをするなと押さえ込まれ動けない。
抵抗していないというのにアイに対する扱いはぞんざいで、隊長の前に無造作に投げ飛ばされた。
一体何だというのか。何故アイがこんな仕打ちを受けなければならない? 少年の心は怒りで満ちた。今にも暴れだしてしまいそうなほどに。
「貴様、アイ・
途端にアイの表情が歪んだ。
兵士たちの横暴な言動に怒りを顕にしていた村人達も、その名を聞くと途端に黙り込む。
「なに? 一体どういうこと?」
少年一人が訳も分からず声を上げた。異様な静けさに怒りも引っ込む。
村長は震える声で答える。
まるで悪魔でも見るような形相で、アイを指差しながら。
「メルティナ……『厄災の英雄』の血族か!」
「嘘、そんなまさか」
「あの恐ろしい英雄に、子孫がいたなんて」
「聞いてないぞそんな話」
「誰だ、あの娘を村に引き入れたのは!」
村人達が騒めく。少年はなんのことだかさっぱりわからない。わからないが、村人達の言葉や、兵士達の興奮、そして怒りなどが全てアイに向けられている事だけはわかった。
村長を突き離し、アイに近づく少年。アイは感情を無くしたような顔で、少年を見上げた。
数人の兵士が少年行く手を阻んだ。
「どいて」
「なんだ貴様、我々に楯突く気か」
「アイが寂しそうだから。それだけだよ」
「貴様! こいつは厄災の英雄の子だということが分からんのか!」
「悪いけど分からない。僕は記憶を失って、アイに救われた」
だからそこをどいて。
ふつふつと再度湧く怒りを抑えながら兵士を睨む。
一瞬たじろぐ兵士だが、直ぐに気を取り直し、
「反抗するなら貴様も捕えるぞ!」
怒号一喝、一般人からすれば心胆寒からしめるような声量で少年を脅す。
村人の幾人かは、反抗するのはおやめ、こっちへおいでと少年に声を掛けるが、意にも介さず歩みも止めない。
兵士達はその異様な気迫に押され、道を譲った。
少年はアイの傍らに跪くと手を差し伸べ、笑い掛けた。アイは呆然とした表情で少年を見返し、手を取る。
「アイを捕らえると言うなら、僕も一緒でいい」
捕えろとの隊長の声と共に兵士達が二人を囲み、同時に少年を強烈に殴打した。
アイの叫び声を遠くに聞きながら、少年はそのまま気を失った。
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