第四話 君を救おう。たとえ世界を壊れても

 少年が目覚めたのは揺れる馬車の中だった。

 辺りは既に薄暗くなっており、僅かな明かりのみが馬車内を照らしている。

 頭をさすっていたアイの存在に気付き、声を掛けた。


「アイ、ここはどこ? 僕達どうなったの?」

「気がつきました? ここは馬車の中、私達は――」

「ジッカリムに護送中だ。黙っていろ」


 アイとは別の鋭い声が飛ぶ。少年が声の主を探ると、ちょうど正面に村にやって来た隊長の姿があった。


「なんでジッカリムへ送られるの?」

「貴様……言葉が通じんらしいな!」


 手に持った木製の棒を振り上げる。少年は反射的に目を閉じたが、痛みの代わりに耳に飛び込んできたのは鈍い金属音だった。

 恐る恐る目を開け、辺りを窺うと闇に慣れた目が鉄格子を捉える。

 少年とアイは鉄格子に入れられているのだ。


「すみません、この子記憶喪失でして」

「誰が口を効いていいと言った?」


 先ほどよりもさらに低く言い放ち、今度は鉄格子に当てることなく、隊長はアイの背中を打つ。


「――つっ!?」

「俺は黙れ、と言ったんだ。なら口を閉じているのが道理だろうが!」


 そう言いながら、何度も何度もアイの背中を打つ。

 アイは一回目こそ声を上げたが、その後は苦痛に歪む表情を浮かべながらも、その痛みに耐えていた。暗がりでよく見えていなかったが、衣服は乱れ、所々に血が付着している。

 どうしてそんな姿になったか、聞くまでもない。


「やめろ!!」


 堪らず割って入る少年。振り下ろされた一撃が少年の背中を襲う。その強さたるや、容赦を微塵も感じられない。


「何故庇う? こいつは波動の悪魔の娘だぞ? 生きている価値もない!」


 あまりの痛みに声を上げそうになる。でもこれはアイが耐えた痛みだ。どうして声

を上げる事ができようか。

 痛みに耐え、隊長を睨む。


「僕は、アイに救われたんだ。その恩義を返すまでだ」

「……お前。記憶がねえってのはどうやら本当のようだな」


 肩で棒を弾ませ、下卑た声で笑う隊長。

 少年はこの時まで知らなかった。記憶がないとは言え、人間とはこれほどまでに他人を見下し、残忍な表情を浮かべることが出来る事を。


「俺が教えてやろう。そいつはな、先の大戦の切っ掛けを作った、波動から神を取り出した男の娘なんだよ!」


 アイは何も言わない。ただ黙って虚空を見つめている。無表情に見えるが、それが悲しみの現れだということを、少年だけが知っていた。

 確かに隊長の話した内容は少年にとっても衝撃的なものだ。

 だが心底どうでもいいとさえ思っていた。しかし同時にこれから先を考える上で、知らなければいけない情報であることも理解している。

 怒りに爆発しそうな感情を心根の底にそっと沈め、饒舌に話す隊長の言葉に耳を傾け続けた。  


「その後起こった戦争でも、その男はあろうことか、戦場の最前線に躍り出た。戦場を縦横無尽に駆け、何百、何千という命を刈り取った。さながら悪鬼羅刹の如く、な」


 アイが何か言いたげに顔を上げるが、すぐに唇を噛み俯く。


「我が王、ファルアザード様が奴の息の根を止めるまで、どれだけの犠牲が出たことか。さしもの覇王様もビビったんだろうな、『波動の悪魔の一族郎党根絶やしにせよ』とお触れを出したんだよ。俺達末端の兵は草の根分けてでも見つけだせとのお達しが下り連日連夜走りっぱなしの先で……見つけ出したのがそいつって訳だ!」


 棒の先でアイを指す。

 棍棒で殴打されると思ったのだろう、アイは体を引き攣らせる。痛々しくて見ていられない。


「……どうして根絶やしにしろなんて言ったの? 当人以外関係ないじゃないか」


 冷めた印象を受けるが、少年の言っていることは正論だ。悪意あっての言葉ではないのをアイもわかってはいるが、心暗くならずにはいられない。

 隊長は待っていましたとばかりに、したり顔で話を続けた。


「血族なら波動を使えるやもしれねえ。そうしてまたとんでもないものを顕現させて世界に災いを振りまく可能性は十分にある。なにせあの波動の悪魔の血族だからな。事前対策をしておくのが、国を治める王と兵士達の勤めだろう?」

「あんたはそれで罪のない人の命を奪うのか? 疑問には思わないの? そんな理不尽な、論も通らない命令を。僕にはただ、復讐を嫌って言い放った保身にしか聞こえない」


 限界だった。

 我慢ならなかった。

 アイを、命の恩人をこれ以上悪く言われる事に我慢するには少年は若すぎた。

 黙れ、とばかりに鉄格子を打つ隊長。

 両者共に怒りが身を支配しているようで、熱気と怒気が狭い馬車内に渦巻く。


「お前何か勘違いしていないか? お前と論議を交わす為に喋ってんじゃねえ。これは教育だ、無知なお前に知識を与えているんだ。ありがたいと思え!」

「知識? 教育? アイの方がもっと情緒豊かに物事を教えてくれた。一方的な考え方ではなくね。あんたのは教育じゃなくて洗脳、知識じゃなくて負け犬の遠吠えの仕方さ!」

「黙れ!!」


 棒が少年の肩を襲う。瞬間、少年はその棒を受け止め、握り込んだ。


「ほらこれだ。最終的に暴力に訴えるしか能がない。こんなんでよくアイのお父さんを波動の悪魔なんて呼べたもんだ。結果としてまずかったとしてもアイのお父さんは未来を憂いて行動したんだ。どっちが立派なのかなんて子供でも分かることだよ。血で血を洗うような戦争しか起こさない野蛮な国なんて戦争で滅んでしまえばよかったんだ」

「貴様!」


 棒を取り返そうとするが尋常ならざる力で押さえ込まれ、押しても引いてもびくともしない。

 隊長はすぐさま棒を放し、剣を抜き放ち少年の首筋でぴたりと止めた。


「今ならまだ許してやろう。今までの非礼も水に流そう。這いつくばって俺の靴を舐め、無礼を許してください、と懇願しろ。そうしたら命だけは取らない」


 首筋に冷たい刃が当っているが小年は眉一つ動かさない。


「どうした、命がおしくないのか!」


 アイにはどうすることもできない。息をすれば少年が斬られてしまうのではないかと言う妄想から、彼女は息を止め事の推移を見守ることしかできない。

 

 静かに、少年が跪く。

 そして小さな手で隊長の靴を掴んだ。

 得体の知れない圧迫感に苛まれていた隊長は、少年のその行為に勝利を確信する。


「くっ! ははっ! なんだかんだ言って結局最後は自分の身が可愛いというわけだ! お前は女じゃないが、俺がたっぷり可愛がってや――なっ!?」


 隊長は言葉を続ける事が出来なかった。少年が靴を掴んだ状態で、思いっきり足首を捻ったのだ。抜刀した状態でもんどり打つ隊長。その最中、鉄格子の鍵がアイの目の前に転がり出た。

咄嗟に鍵を掴むアイ。


「開けるんだアイ!」

「開けるんじゃねえ! 殺すぞ!」


 鉄格子を挟んで隊長を押さえ込む少年と、なんとかその束縛から逃れようとする隊長。怒号が飛び、御者が馬車内の様子を窺う。


「御者ぁっ! 辺りに散開している騎士達を呼び戻せ! 脱走だ!」

「鉄格子を! 早く!」

「でも……」


 甲高い笛の音が響く。馬車の外がにわかに活気を帯び始める。

 時間がないのは明白だ。

 しかしこの期に及んでアイは躊躇した。

 鉄格子を開けてどうする? この包囲網を突破できるのか?

 逃げて一体、どうするんだ? そんな負の思考が脳内を駆け巡って動けなくなる。


「アイ!」


 少年の力強い叫びが耳に届き我に返る。不安な感情をぶつけるように少年を見ると、


 ――――少年は笑っていた。


 こんな緊迫した状況で、隊長やその部下達の罵声怒声が飛び交う中。

 優しく暖かな微笑みを、アイに向けていた。


「一緒に行こう。まだ教えてもらってないことがたくさんある」


 少年の澄んだ声だけがアイの耳に届いた。心に響いた。

 どれだけの想いを、少年が含んだか分からない。

 どれだけの意味を、その言葉に乗せたか分からない。

 けれど、アイの心を動かすには十分すぎるほどだった。

 心に不安がないと言えば嘘になる。

 鉄格子を抜けたとしても、この包囲網を突破出来るかどうかも怪しい。

 だけど。

 アイにはもう迷いがない。アイは鉄格子を開け、隊長の前に立つ。


「貴様! 何をしているのか、わかっているのか!」

「わかっています。待っても逃げても殺されるなら、心のままに生きたい。それが私の答えです」


 隊長の顔が激怒の色に染まる。それとは正反対に満面の笑みを浮かべる少年。アイは自然と笑顔になり、少年に声を掛けた。


「行きましょう、時間はいくらあっても足りません」

「うん!」


 言うなり少年は束縛していた隊長の首を締め上げる。必死に抗う隊長だったが、万力のように締め上げる少年の腕に逆らえず、ものの数秒で気を失った。


「さて、ここからどう逃げようか?」


 気づけば馬車は動きを止め、御者の気配はない。彼は雇われた身なのだろう、身の危険を感じて逃げ出したのだ。

 馬の嘶きが聞こえる。既に周りが騎馬隊に囲まれているのは明白だ。二人は笑っているが、絶望的状況下ということには変わりない。


「助太刀するよ!」


 近づいてきた騎士を倒して馬でもかっぱらいましょうか。

 アイがそう口にしようと思った刹那。

 叫びながら一人の騎馬兵が馬車を取り囲む一団に突っ込んできた。

 そのあまりに唐突な出現に、部隊はすぐに切り替えができない。


「全力で馬車を出して!」


 どう逃げるか考えていた少年にとって渡りに船な状況。

 これが罠だとしても乗らない手はないと、すぐに少年は御者台に躍り出て鞭を振るった。

 振り返れば白馬に跨った騎士風の人物が、ジッカリムの騎馬兵相手に大立ち回りしている。よほどの手練なのか、既に何騎か屠った後だ。


「あの鎧は、ツェルの!?」


 アイも馬車から顔を出し叫ぶ。ツェルといえば世界で唯一波動を有した国と少年はアイから教わっていた。その国が自分達を救う理由はなんだ? 少年は鞭を振りながら考えるが唐突な逃走劇に思考がまとまらない。


「何騎か追ってきます!」

「アイ! 前へ来て!」


 いくら手練とは言え数が多いのだろう、討ち漏らした数騎がすぐに馬車を追って駆け出して来た。少年はアイと入替り、使えそうなものを探し始める。


「どうするんですか!」

「戦うしかない!」


 どうやってと、聞こうとするアイはすぐに口を噤んだ。

 そうだ、彼には戦う術があるのだ。

 それは隊長を締め上げた、先ほどの怪力。アイは村でそれを何度も目の当たりにしている。野太い縄を何の抵抗もなく引き千切る様はまさに圧巻の一言だったと思い出し、笑う。

 それが戦闘に転用されればどうなるかなんて、想像せずともわかる。

 少年はまず、馬車の幌を剥ぎ取った。

 おかげで馬車内から、外が見渡せるようになる。

 追っ手は四騎。

 固まる様に馬を駆けていたが、幌を外すと四散し、囲むように徐々に間合いを詰めてきた。

 少年は御者台に近づく騎馬に狙いを定め、幌を投げつける。

 狙い通り過たず命中し、白い幌が騎馬に纏わり横転した。上手いことに、後方を走っていた騎馬も巻き込み、一石二鳥だ。

 残るは二騎。

 内一騎は馬上で剣を抜き放ち、完全な臨戦態勢に移っている。

 少年は見るが早いか、馬車に残る鉄格子を持ち上げ、投げた。

 騎兵は目を疑った。

 眼前に迫るそれは、自分達が運んだもので無駄に重かったのを覚えている。

 一人で持ち上がるような代物ではなかったのだ。

 それを少年は一人で、無造作に、投げた。

 そして速度。

 到底ありえない力に圧倒され、その騎兵は馬ごと鉄格子に吹き飛ばされた。あまりの馬鹿げた自体に、残る騎兵はあんぐりと口を開け呆然とその様子を眺めていた。

 少年は直様行動を起こし最後の一騎を睨む。だが、その騎兵の真後ろにツェルの騎士の姿を確認し表情を緩めた。

 手際のいいことに、呆然としたその兵を横から殴り落馬させる。その様子を見て少年は残った隊長を馬車から放り投げ、アイに声を掛けた。


「アイ、終わったよ」

「え! もう?」


 鉄格子がなくなった事により馬車はその速度を上げていたが、アイが上手く操り、速度を落とす。


「あー速度落とさなくてもいいよ、そのままここから離脱しよう」


 訝しげにその騎士を見つめる少年だが、敵意の欠片も感じられない。だからといって油断はしないが。

 

「君手際いいね、お姉さんびっくりしちゃったよ!」


 並走する騎士は、からからと笑い少年に話し掛けた。


「あなた、女性の方なんですか?」

「むむ、失敬な! こんなに女らしい私を捕まえてそれはないんじゃないの!」


 どの口がそれを言うとアイと少年は思う。

 結局十騎いた兵を半数以上一人で屠ったのだ。男勝りなんて言葉で片付けられない。

 それに確かに声は高いが、鉄仮面で顔全体が見えない。

 どこをもって女らしいというのか、いまいち理解できない二人に騎士は語る。


「ともかく! 私は味方だからあんまり構えないでね。先導は私がするからついてきて!」


 手綱を握り、駆け出す騎士。


「どうしますか?」


 アイは不安げな表情で少年に尋ねた。


「何とも言えない。でも救われたのは間違いないからね、今は黙ってついていこう」


 悪い人じゃなさそうだしと付け加える少年。なにか確信したかのような物言いに、アイは訝しむが考えてもわからないことはわからない。それなら何も言わないので黙って従うのが今は得策だろうと、アイは思考を放棄した。

  


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